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2. 前編

 気がつくと、悪女はベッドで寝ていた。


 しかしそれは、彼女が知る粗末な固いベッドではなく、ふかふかの天蓋(てんがい)付ベッドだった。



「ここは……?」



 薄い(しゃ)をはらって外を覗いてみると、見たことのない部屋だった。


 見知らぬ部屋というだけでなく、見たことのないほど広くて豪華な部屋だ。


 悪女が戸惑っていると、こんこん、とドアを叩く音があった。



「失礼いたします……」



 入ってきたのはメイド服姿の女性だった。



「お目覚めですか? 昨日は大分お疲れだったようですね。今すぐ朝食をお持ちいたします」



 そう言って、メイドは部屋を出ていった。


 部屋に誰の姿もないことを確認し、悪女はベッドから降りた。



「一体、どうなっているの……?」



 天使画の描かれた高い天井に、清潔感のある白い壁。


 毛足の長い絨毯に、天鵞絨(ビロード)張りのソファー、精緻(せいち)な彫刻の施された数々の調度品。


 最後に、まるで芸術品のようなドレッサーの前に立った悪女は、鏡に映る自分の姿を見て驚いた。


 そこに映るのは、ぼろをまとったみすぼらしい女性の筈だった。不美人で大嫌いな自分。


 それがどうだろう。


 鏡に映っているのは、レース飾りのついたお洒落な夜着姿の、極めて美しい女性だった。

 

 目鼻立ちのはっきりした顔に、見事なプラチナブロンドの髪、手足の長いほっそりとした身体。


 まさに、絶世の美女だ。


 だが、この姿には見覚えがあった。



「どうだ、気に入ったか?」



 突如聞こえた声と共に、鏡に映る美しい女性の姿が、徐々に醜く変わっていく。


 そしてそれは、(たちま)醜怪(しゅうかい)な悪魔の姿へと変わった。


「お前はあのときの悪魔! 一体どういうことなのか、説明してちょうだい」



 鏡の中の悪魔は(たの)しそうに笑う。



「なに、簡単なことよ。聖女の魂を身体から追い出して、お前の魂を入れてやったのさ。今やお前が聖女さまだ。どうだ、嬉しいか?」



 それは願ってもないことだと悪女は喜んだ。


 だが、それが本当なら、聖女の魂は何処へ行ったのか。


 当然の疑問に悪魔は答えた。



「聖女の魂なら、お前の元の身体に入れてやった」



 悪女は腹の底から笑った。



「あの高慢(こうまん)ちきな女が私の身体に! それはなんて愉快なのかしら!」


「満足したようだな。ではそろそろ退散するとしよう。私の仕事は人間を絶望させることだ、お前にばかり構ってはおれぬのでな」



 悪魔が消え、鏡は美しい女性の姿を映し出す。


 鏡に手をつくと、鏡の中の女性も手のひらを合わせてきた。



「贅沢した報いを受け、絶望すればいいわ」



 炊事に洗濯、農作業。どれも贅沢三昧だった聖女には経験のないことだろう。


 鏡の中の女性は確かに美しいのだが、口元に浮かぶ笑みは悪女そのものだった。





 ベッドに用意された朝食を見て、悪女は「まあ!」と感嘆の声をあげた。


 これまで自分の朝食に並んだものといえば、一欠片のパンに汁物、そこに野菜が加われば良い方だった。


 だが今目の前にあるのは、一口では食べきれないほどのパンに、香草を炒めたサラダ、コーンの浮かんだスープ。


 見ているだけでお腹がふくれそうなほどの良い香りに、このままベッドから出たくないとさえ思った。


 しかし聖女と言えどそれは許されないようで、朝食を食べ終えると直ぐに、侍従が本日の予定を告げにやってきた。


 どれもこれも耳に馴染みのないものばかりだが、あの女がこなしていたものなら、なんとでもなるだろうと思った。





 一つ目の予定は朝儀への参加だった。


 家臣たちが集まる朝儀の間では、様々な議題について話し合われた。


 西の民族が力をつけ始めていることだとか、今年の飢饉(ききん)への備えだとか、なにへ()く予算が幾らだとか。


 珍しく意見を述べない聖女を、家臣たちはふしぎに思っていた。



「一体、なにが話し合われているのかしら?」



 意見を述べられる筈もなかった。悪女にはなに一つ理解出来ていなかったのだ。




 二つ目の予定は、異国の使者との対談だった。


 悪女はこれなら自分にもできると思った。紅茶とお菓子でもてなして、雑談をするだけなら簡単だろうと考えた。


 しかし、使者を前にした悪女は一言も言葉を発せなかった。


 それもその筈。


 使者の話す異国語を、悪女は話せなかったのだ。





 そのあとも予定は山積みだった。


 歴史に始まり、法学、帝王学、軍事学。


 歌にダンスに裁縫まで。


 (まつりごと)に関係ありそうなものから、関係なさそうなものまで。


 隙間という隙間が講義で埋められ、夜にはもうへとへとだった。



「こんなことを毎日していたら、死んでしまうわ」



 悪女は一日で弱音を吐いた。


 そこへ腰の低い家臣がやってきた。



「聖女さま、すべてひとりでこなされていてはお疲れでしょう。もしよろしければ、わたくしが聖女さまにかわって、ご予定をこなしてみせますが」


「おお、なんと素晴らしい申し出でしょう!」



 悪女は大いに喜んだ。


 そうして、すべての権限をその家臣へ与えてしまった。





 それからの日々は、とても優雅だった。


 仕事はすべて家臣へ任せ、自分は部屋でのんびり過ごした。


 

「聖女さまは一体どうされたのか?」



 変わり果てた聖女を(いぶか)しむ者が出てきた。


 ひそひそと陰口を叩く者まで現れた。


 悪女は陰口を叩いた者がいると知ると、すぐさま調べ上げ、その者たちを罰した。


 厳しい意見を言ってくる者たちを遠ざけ、甘い言葉で褒めそやしてくれる者たちだけを側においた。


 その結果、口先だけで能力のない者たちだけが城に残った。


 国が傾くのに、一年もかからなかった。


 聖女の評判はあっという間に地に落ち、彼女は()()と呼ばれるようになった。

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