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私たちは救世主になれない  作者: 馬頭
春学期編
2/2

4月10日/トム②

 三日もすれば、勢力図は安定してくる。だいたい七つのグループに分かれて、人々は日々を過ごす。男女混合の大きなものから、二、三人程度の小さなものまで多種多様だ。「彼ら」に馴染めない私でも、教室に居場所を作る術くらいは知っている。教室の片隅でずっと本を読んでいるような、あるいはずっと教科書を開いているような、学園ドラマを撮っても決して画角には入らないような女を探せばいい。彼女たちはたいてい「いい人」で、だけど「いい人」どまりだから、つながりに飢えている。声をかければ、最初は私に怯えるかもしれないけれど、縄張り争いに敗れるほうがずっと恐ろしいから、すぐに受け入れてくれる。


 口下手な灰島さんと早口すぎる小林さん、そして去年も同じクラスだった、髪だけは綺麗に梳かしている濱田明里。お弁当を食べるとき、教室移動のとき、たいていはこの三人と一緒だ。机二つぶんで収まる私の世界。学校にいる間だけの関係。休日に遊びに行くことはないし、駅に向かう途中で買い食いすることもないだろう。広がりようのない、この小さな領域が、今の私の居場所だ。


 明日葉さんは違う。「おんなじ」はずだけれど、彼女はずっと上手だった。決して多くはないが、常にそばに人がいる。誰も彼女の隣を嫌がらないし、誰も彼女に話しかけられることを厭わない。きっと、彼女は怯えた瞳で見つめられることも、下手な気の遣い方をされて気まずい雰囲気になることもないのだろう。明日葉さんはずっと笑っている。八重歯が見えるくらい口を大きく開けて、あのときのように目を細めて。羨ましいとは思わない。妬ましくも思わない。ただ、見ていると、少しだけ胸の奥が痒くなる。奇妙な感覚から逃れるように、私は小さなミートボールを口に運んだ。


「相田ちゃん、いっつもお弁当にそれ入ってんねー」


 明里がぱさぱさのサンドイッチを頬張りながら言った。最近肌の調子悪くてさー、と言い出したのはいつだったか、気が付けば彼女の昼ごはんはBLTサンドイッチに決まっていた。彼女にとっての「最近」は直近一年間くらいを指すのだろう。食事に気を遣っている割にはにきびが目立つ頬いっぱいに食パンを入れて、もちゃもちゃと音を立てて咀嚼している。人が何かを食べるときの音って、なんでこんなにも醜いのだろう。なにも彼女だけの話ではなく、私の親も、他のクラスメイトも、そしておそらく私も、きっとこんなに醜く食事をしている。その音から自分を締め出したくて、私は冷え切ったごはんに箸をつける。


「あ、あるよね、そういうおかず。私のも、ほら、いつもこれ入ってるの…これ」

「へー、灰島ちゃんって竜田揚げ好きなの?」

「え、えーと、そういうわけじゃないけど…」


 明里の興味は灰島さんに移ったようだ。決して美人とは言えないけれど、顔のパーツ配置が整っていて、可愛いほうの女。前髪の切り方を変えて額を見せて、髪を結ぶ位置を高くすればいいのに、と彼女を見るたびに思う。けれど、そこで自分の魅力を見せる方に行かないから、彼女はここにいる。それでいい。誰かの生き方に指図するつもりも権利もないから、私は何も言わない。誰も口出しをしないから、ここは居心地がいい。


 灰島さんは、水色の弁当箱に入った竜田揚げを箸でつかみ、明里に見せるように眼前に差し出した。冷凍食品特有のふにゃっとした皮。素人が作る下手な料理よりずっとお弁当に最適化されているから、おいしいことは間違いないのだけれど、この間抜けな姿を見ると笑えてしまう。栄養成分から温め時間、弁当箱に入って何時間放置されるかまで計算され尽くして作られたはずなのに、いざ食べられるときには原形にほど遠くなっている。灰島さんは明里にそれを見せた後、弁当箱にいったん戻し、半分に割ってから口に運んだ。


「あ、ねえねえ、そういえば卒アル用の写真撮影っていつからだっけ?」


 真っ先にお弁当を食べ終わっていた小林さんが、夜食用らしいおにぎりにかじりつきながら尋ねる。小麦色に焼けた肌が眩しい。卒業アルバムのことを気にするなんて、何か部活にでも入っているのだろうか。あ、私プリント持ってるよ、と言って、灰島さんは箸を置き、机の中から一枚のプリントを取り出した。『本年度卒業アルバム撮影の日程について』と題されたプリントは、確か始業式の日、自己紹介が終わったあとに配られた気がする。灰島さんはそれを、彼女の隣に座る小林さんに見やすいように向きを変えて渡した。ありがとー、と早口で言って、小林さんはプリントを食い入るように見つめた。


「えーと……五月から? で合ってる?」


 文字を読むのは苦手らしい小林さんが疑問符を浮かべる。たぶんそーだよ、と興味なさそうに明里が答える。小林さんは部活ごとのスケジュールを眺めたあと、プリントを灰島さんに返した。


 部活、帰属意識を高めるための装置。学校に行く理由を部活に求める人もいるらしいから、教師たちにとっては自らの優位性を確保できるうえに出席も担保できるなんて、最高の装置なのだろう。もちろん、それが理由で勉強をおろそかにする生徒も多いだろうけれど、教師にとって重要なのは「だめな生徒を伸ばすこと」なのだから、積極的に「だめな生徒」を生み出してくれる部活は、やはり最高の装置である。不運にも、私は「だめな生徒」ではない。部活もやっていないし、勉強も苦労しない程度にはできる。学校なんて適当な学歴を見繕うための工場なのだから、それ以上の機能は要らない。個性は均質化され、偏差値の高い大学に進学させることで「優秀」マークをつけ、ゆくゆくはこの国を牛耳る大企業に就職させる。それがこの国における「学校」の役割だ。だとするなら、そこに馴れ合いや「友達」などは必要ない。私たちは決められたレーンに乗り、教師による選別を経て、適切な出荷先に運ばれればいいのだから。私は、少なくとも親に迷惑をかけないレベルの大学に行くことができたら、それでいい。それ以上の成果を得ようとは思わない。だから、それ以上のことは、しない。


 すでにおにぎりを食べ終わったらしい小林さんは、手持ち無沙汰になったのか、よく喋るようになった。


「みんな何部なの? 私はハンドだけど」


「いい人」の灰島さんが、真っ先に返事をする。


「わ、私は、華道部に入ってるよ。活動日がほとんどないから、あんまり、やってる感じはしないけど」

「へー、灰島さんっぽいね。濱田さんは?」


 明里は見るからに嫌そうな顔をする。


「ごめん、私自分の苗字キライなんだ。お父さんが不倫して離婚しそうなの」

「あ、ごめんごめん、気を付けるね。明里は?」

「私は一年の秋までバスケやってたけど、顧問が嫌いだったから辞めた。そこからはずっと帰宅部」

「あー、女バスの顧問って見るからに変態そうな人だったよね。なんだっけ、弘田ナントカみたいな」

「思い出したくもないよ、セクハラしかしてこねーし」


 明里は大げさに身震いした。ハハハ、と乾いた笑いを浮かべたあと、小林さんは私を見る。


「相田さんは?」


 私は自分の箸から目を離さずに答える。


「ずっと入ってないよ」

「そっかー、そっちのが楽だよねー」


 特に理由も聞かず、小林さんは私から目を逸らした。不干渉。距離感を弁えられる関係。

 それでも暇を持て余しているらしい小林さんが、再び口を開こうとしたとき、どすどす音を立てて、誰かが教室に入ってきた。


「おーいB組、五限の化学は担当の先生が体調不良だから、六限の数学と振り替えになったぞ。当たってるやつ、早く黒板に書けー」


 数学の堀先生だ。無駄に体格の良い彼は、お気に入りらしい竹刀でバンバンと黒板を叩く。えーやば、まだ終わってねえよ、騒がしい声が一瞬で教室を満たす。当たっていたらしい明里は、残りのサンドウィッチを口に詰め込み、慌ててノートを取り出した。三秒で咀嚼した彼女は、灰島さんに「これ合ってる?」と尋ね、灰島さんの適当なうなずきを得ると、そのまま黒板に急いだ。


 私は自分の席のほうを見る。さっきまで座っていた男は、彼も当たっていたのか、もう席にいなかった。彼が戻りそうにないことを確認してから、じゃあまた、と言って席を立つ。じ、じゃあね、と灰島さんが控えめに手を振る。ざわめく教室を横断し、私は自分の席に戻った。ついさっきまでヒトが座っていたからか、椅子が生温かい。その不快感からは目を背け、私は鞄から数学の教科書を取り出し、黒板に現れ始めた解答と自らのそれを見比べる。わからなかった問題も、合っているか不安な問題も特にないけれど、なぜだかヒトと答え合わせをしなければいけない気がして、いつもこうしてしまう。


 がたん、と私のすぐ後ろで声がした。明日葉さんも席に戻ったのだろう。何かを取り出す音がする。彼女はこの教室の誰よりも賢いから、答え合わせなんてする必要はないだろうに。私がそう思っていると、ひときわ汚い字で黒板に数字と記号を羅列していた女が、くるっと振り返って私のほうを見た。いや、正確には、背後の明日葉さんのほうを。


「れ……菜々子、これで合ってるー?」


 騒がしい教室を、彼女の声が堂々と歩く。明日葉さんは自らのノートと黒板を見比べ、同様に空間を突っ切る声を発する。


「そもそもxの二乗じゃなくて三乗! だから二次関数のグラフじゃないよね! f(x)としては置けてるから、xの中にどんな数字を代入したらイコールゼロになるかを考えてみて! そしたらその数字を使って三次関数を因数分解するの!」


 彼女たちのやり取りを見ていた先生が、竹刀を担ぎながら、ため息をついた。


「それを明日葉が教えたら、俺の仕事がなくなるだろうが」

「先生ごめんなさーい!」


 明日葉さんが元気に、全く悪びれもせず謝ると、教室のざわめきが笑い声に変わった。


「夏見、明日葉のヒントでできるところまでやってみろ。これ以上のヒントはなしだぞ」

「はーい! 菜々子、続きどうするんだっけ!」

「先生の話聞きなー!」


 そのやり取りで、再び笑いが起こる。先生は苦笑いしながら、黒板に生徒たちがチョークを走らせるのを眺めた。私は、それをぼんやりと眺める。


「いいクラス」だ。きっと一年が終わるころには、私のような人はカウントされない「クラス」ができあがっていて、「いいクラス」だったね、離れるの寂しい、と称されるのだろう。自分にとって居心地のいい範囲を「クラス」と名付けて、その狭い半径二メートルほどを「クラス」と認識して、外側は見えなかったことにして、「いいクラス」を作り上げるのだろう。仕方ない、人間はそういう生き物だから。知らず知らずのうちになにかを、誰かを排除して、排除したことにすら気付かずにいる生き物なのだから。だから、私の存在がなかったことにされたとしても、仕方ない。きっと今の私は、「クラス」のみんなとは対照的な、暗くて虚ろな顔をしている。


 チョークを黒板に叩きつける音と、焦らせるような先生の貧乏ゆすり、みんなが騒ぐ声でいっぱいになる教室。その世界から、とん、とノックをされた。振り返ると、明日葉さんが、あの懐かしい微笑みを浮かべていた。



「相田さん、部活、入ってみない?」


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