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私たちは救世主になれない  作者: 馬頭
春学期編
1/2

4月7日/トム①


 仕方ないこと。「ごめんね」と謝られたら許すしかないこと。

 仕方ないこと。本当のことを言ったら、困った顔でうやむやにされてしまうこと。

 仕方ないこと。人は誰だって「自分でないもの」が怖くて、攻撃してしまうこと。

 そう、すべて仕方ない。どうしようもない。私にも、彼らにも。



 新学期が嫌いだった。新しいクラスが発表されるたびに楽しそうな叫び声を挙げる彼らが嫌いだった。「今年は分かれちゃったね」「今年も一緒だ! これからもよろしく」「え~、知らない人ばっか」「大丈夫だよ! いいクラスになるって」。交わされる言葉たちが嘘か誠か、私に判断することはできないけれど、「彼ら」の言葉が「彼らでない」私に向けられることがないのは確かだ。私は彼らのお仲間ではないから。


 いつにも増して騒がしい廊下を歩く。どこもかしこも群れた人間ばかり。わずか一メートル先で起きていることなのに、ずっと遠い世界の出来事のように感じる。私は彼らの中に入れない。彼らも私を入れられない。住む世界が違うのだ。文字通り、世界が。


 教室に入ると、名簿番号なんて秩序では統制できない光景が広がっていた。席順なんて関係なしに、知り合いどうしで固まっている。カースト上位は言うまでもないが、下位の人たちも、自らの居場所を確保すべく、同類の臭いを的確にかぎ分けて群れを作っている。教室は縄張り争いの主戦場だ。自らの臭いを擦りつけ、痕跡を残し、「ここが私の場所だ」とマーキングをする。所詮人間も動物だ。どこかの哲学者が「人間とは考える葦である」などと言っていたが、「人間とは言語を用いるだけの犬である」に訂正したほうがいい。


 私に振り分けられた数字は一。学年で私より番号が早い人は二、三人しかいないから、一番になってしまうのは仕方ない。「彼らでない」私が、クラスの先頭になってしまうなんて、「彼ら」にとってはやり辛いだろう。体育祭でも文化祭でも卒業式でも、最初に名前を呼ばれるのは私。大多数を占める「彼ら」ではなくて、私。代表として先頭を歩くのも、私。そんな役目を引き受けたくはないけれど、仕方ない、自らに与えられた姓は簡単に捨てられないのだから。


 私の姿を見ると、一番の席に腰かけていた男が跳ねるように立ち上がった。ご、ごめん、と明らかに動揺した様を見せられて、私も動揺しそうになる。首を横に振って、席に着く。後ろでひそひそ話す声が聞こえる。「おい、あいつがアレってマジ?」「見た目は普通だよな」「バカ、聞こえるって」。全部聞こえている。でも、反応しない。したって意味がない。鞄からスマホを取り出して、通知を確認する。十分前に、母親からのSMS。よくわからないから、と頑なにチャットアプリを使おうとしない彼女は、文章の打ち方もよくわからないようだ。『今日、から新学期。だね! あした、からはオベントウ、作るよ。たくさん、ともたち、作って。ね』


 友達を作ろうと思ったときもある。中学生のころ、自分は周りの人とは違うのだと自意識を持ち始めたころ、「浮いている自分」になるのが嫌で、クラスメイトに片っ端から声をかけまくった。たくさんの人と関われるように、級長に積極的に立候補したし、イベントがあるたびに責任者の役割を引き受けた。それでも、周りの反応は、期待したものとは違っていた。思春期特有の、真面目さ・熱心さを揶揄する風潮。自分とは違うものを珍しがる特性。それが重なって、私は「馴染もうと必死に頑張っている見世物」にしかなれなかった。何を頑張っても、どれだけ話しかけても、「彼ら」は私を憐れみの目で見てくる。友達と話すときの輝いた瞳ではなく、奥底に軽蔑を孕んだ瞳で。それでも私は努力を続けた。きっといつか報われる、いつか友達になれると信じて。結果はこの通り。最初から無理だった。私が「彼ら」とわかり合えるわけがなかった。仕方ないのだ。だって、私は違うのだから。「彼ら」にはなれないのだから。


 親を恨んだときもある。なぜ私を産んだの、なんで楽にしてくれないの、とぼろぼろ泣きながら訴えたこともある。ごめんね、お母さんがついてるからね。お父さんはずっとおまえの味方だよ。そんな言葉が呪文のように繰り返される。私が聞きたいのは、「彼らでない」私をなぜ「彼ら」の世界に追いやったのかなのに、彼らにとっては謝罪を求めるクレイマーにしか思えなかったのだろう。ごめんね、と何回言われても、いや言われるほどに、私は世界を諦めていった。どうせあと四十年もないのだ、こんな命には。適当に生きて、適当に働いて、適当に死ぬだけでいい。人生に意味などないし、「彼ら」とわかり合えることもない。だから、諦めた。希望を持つのをやめて、絶望するのをやめた。これでいい。この生き方が性に合っているし、私にお似合いだ。気を遣ってくれる親には申し訳ないけれど、なるべく私は私なりに、「彼らでない」者なりに生きることにしている。たまに寂しくなることもあるけれど、私は誰にも救えないし、救われない。


 予鈴が鳴った。途端に混沌の波が引いていく。がちゃがちゃと椅子を引く音が聞こえて、乱雑に鞄を置く音が響く。それから間もなくして、眼鏡をかけた小太りの男が教室に入ってくる。見たことはあるけれど、名前は知らない。昨年の三年生の担任だろう。彼は教卓に書類を置くと、小さめの丸眼鏡を右手の人差し指でくいっと上げた。


「おはようございまーす、今年の二年Bクラスの担任になりました、知ってる人もいるかな、バドミントン部の顧問もしています、ハラダケンスケといいます。一年間よろしくー」


 あー、ハラちゃんじゃん、と、後ろの方から声がした。続いて笑い声が起こる。何が面白いのか全くわからないし、理解する気もない。ハラちゃんよろしくー、と、右の方で声がした。こうやって「彼ら」は縄張りを確保する。名前を与えることで手籠めにして、糸でくるくる巻いて巣に持ち帰る。甲高い笑い声が耳に障る。


 ハラちゃんと呼ばれて、満更でもなさそうなハラダ先生は、手元の書類の中から一枚の紙を取り出し、続いて胸元のポケットから安っぽいボールペンを取り出した。出欠の確認。この時間も嫌いだ。否が応でも、自分が「彼ら」の中に存在していることを思い知らされる。


「じゃあ出席取るぞー。名前を呼ばれたら返事して、立って軽く自己紹介してください。じゃあ、一番から。あいだ……とらみ」


 嫌いだ。自己を紹介して何になるのか? コミュニティを築くために個性は必要なのか? 自己紹介なんて大嫌いだ。だけど、「なんか絡みづらい人」と思われて余計な距離を置かれるのも嫌だ。はい、と返事をして、立ち上がる。


「相田虎美です。去年はDクラスでした。一年間よろしくお願いします」


 一瞬間があってから、ぱらぱらと拍手が広がった。形式上の敬意を示す証。関心のなさの裏返し。

 私が座るや否や、二番目が立ち上がる。私は振り返らない。


「明日葉奈々子といいます。去年もBクラスでした! たぶん学年にもう一人明日葉がいると思うんですけど、私は学年一位の方の明日葉です。一年間よろしくお願いします!」


 明日葉、知ってる。いつも学年考査で一位を取っているやつ。私と同じ反応を示したあと、クラスはわずかにどよめいた。え、マジで、と驚く声と、今年もノート貸してねー、という調子づいた声。「任せろ!」という彼女の声が響いて、みんなが笑った。私のときとは違う、大きくて太い拍手が彼女の着席を見送った。


 三番目が立ち上がって、名前を言ったのと同じタイミングで肩をたたかれる。振り返ると、大きめの眼鏡をかけた女が、秘密の暗号を唱える少年のような顔で笑っていた。どこか懐かしい感じがする。会ったことはないはずなのに、幼いころ同じ公園で毎日遊んでいたかのような郷愁に襲われた。



「相田さん、私もおんなじだよ」



 彼女はそう言って目を細めると、すぐに後ろを向いて三番の男に拍手を送った。



 そっか、この子、おんなじだ。


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