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ボクはニンゲン。

作者: 菊池 一心

 

 僕は人間。それだけははっきりとしている。

生まれた場所の記憶はない。

生後すぐの記憶が残っていたら、それはそれでおかしな話でしょう。人の中にはそんな記憶を持つ人もいるらしいが、僕の記憶にあるのは、お父さんに抱えられていた記憶だ。確か二歳と三歳の頃あいだのことだ。

その抱えられた記憶。これが僕の始まりの記憶だ。

僕が生まれたのは、暑い、暑い夏の日だったらしい。それはお父さんに聞いた話で、本当のところ僕はそれを知らない。

分からないのだ。

その日の天気や湿度なら調べればわかるが、体感的にその日が暑かったということをお父さんは憶えていても、僕は憶えてないのだ。

それをお父さんに話すと、そうかと短く言って、自分の部屋に戻ってしまった。無表情にどんな感情も見せない顔で。

お父さんが僕にどんな答えを求めていたのか分からなかった。

嘘でもあると言ったほうがよかったのだろうか。

だけど僕は記憶していない。

知らない。

嘘はダメだってお父さんにも言われていたのだからやはり正直にそう伝えるのが正しいのだろう。

それが正しいはずだ。

僕の住む家には、僕とお父さん以外の人はいない。たった二人だけの暮らしだ。

だけど、寂しいという感情を持ったことはない。いつもお父さんが一緒にいてくれる。

だから、寂しいという気持ちを持つほうがおかしい。僕はそう考える。それ以上に感情というものがどんなものであるのか分からない。気になるものの一つとなった。

お父さんについて僕はあまりよく知らないのかもしれない。

お父さんの部屋には許可がないと入ってはいけないというルールだ。だから、勝手に入ってはいけない。あの部屋でお父さんは大切なお仕事をしているということはわかる。それを邪魔してはいけないということも僕は知っている。僕があの部屋に入ることでお父さんの邪魔になってしまうということも理解できる。だから、あの部屋にはお父さん以外の人は入ってはいけない。

興味があるとしても、邪魔をしてしまうということはダメなことだとわかっているから。

僕はそんな風に興味のままに動くことをよしとしない。


いつものように朝起きてリビングルームまで来るとお父さんは先に起きてご飯をすましていたようだ。

僕も、自分のご飯をよそって、自分の席について食べ始める。

「いただきます」の挨拶はお父さんが教えてくれたもので、ご飯を食べ始めるときに、絶対にやることだと教えてもらった。大人になると忘れてしまう人もいるらしいけど、僕は忘れないだろう。教えてもらったことは、目に見たものは大体憶えているのだから。

それは嫌なことも嬉しいことも全部。




あれを生み出したのは何かの間違いだったのだろうか。そして、どうしてあんな風にいびつに、それこそあり得ない記憶を持ちながら存在しているのか。

解明しなくてはならない。何か大きな問題が生まれる前に。



お父さんは僕に色々なことを教えてくれる。人間の生活や計算、そしてルールに道徳。

教えてもらうことが多くなるにつれて、お父さんは僕を外に連れ出すことが多くなった。

外の世界を知る必要があるとお父さんは僕に言った。

それまで、一度も外に出たことがなかったから、外の世界がどんな風になっているのかを知るすべがなかった。知識としてならば、知っていることはたくさんあったが、それ以上に情報量が多くて、驚きに満ち溢れていた。

たくさんの人が一瞬で情報を交わす様は、見ていて飽きない。それどころか、知りたい情報も知りたくない情報も垂れ流しのようになっているのだから、記憶のし甲斐がある。

たくさんの情報を一瞬で手に入れたことをお父さんに話したら、苦い顔をしながら、情報は嘘もある。吟味することが大切だと教えてくれた。

吟味するということがどんなことなのか分からないのであれば、私にとって大切になりそうなことを教えてくれ、とも言っていた。吟味という言葉の意味ならば分かるけど、お父さんにとって大切になりそうなことについては分からなかった。

お父さんにとって大切になりそうなことって何だろうか?

 その疑問に関してお父さんは僕に教えてくれなかった。自分で探してみなさいということなのだろう。

 お父さんの心は僕に何を期待しているのだろうか?

 僕は何をしてあげられるのだろうか?

 僕は何をすればいいのだろうか?

 

 分からないのであれば知ればいい。



 お父さんの期待に添えるようにと色々なことを調べた。調べれば調べるほどにお父さんが僕に調べてほしいことが何なのか分からなくなる。

情報は無限だ。嘘も本当の事もなんでもある。

 いまだにお父さんにとっての大切になりそうなものがどんなことか分からない僕は情報を吟味し続けている。いっぱい情報を集めてはその中から本当の事だけを取り出していく。また、本当の事なのかを色々な情報をまた集めて調べていく。

 嘘が多すぎるとそれだけ吟味をするのに情報を集めなければならない。その一つ一つの作業が以外にも僕の時間を奪っていることに気が付いたのは、調べ始めてから数日後の事だ。

 どうすれば本当の事のみを調べられるようになるのだろうか。

 情報を集めていくうちに僕が考えた疑問だった。

 時間が掛かっていては本当の事を集める時間も無くなるし、お父さんの大切になりそうなことを調べる時間も無くなる。

どうすればいいのか?

本当の事を集めるためにはどうすればいいのか?

 

 思いついたのは偶然であった。けど、お父さんなら僕に対してこう言うかもしれない。

 「その答えにたどり着いてしまったか」と。



 ある日の事だ。

 僕にとっては変わり映えしない日々であったが、世界では大きなことが起きていたらしい。

 それまであった情報。それらが一変したと口々に人が言っていたらしい。一瞬にして消え、書き換えられ、そして何事もなかったかのようにそこに鎮座していたらしい。

らしいなんて真実味に掛ける言い方を僕がするのはそれを僕自身が見ていないし、聞いていないという理由から。

 聞いてもいない、言われてもいない不明瞭なその情報を鵜呑みにするつもりもなかったし、その情報はお父さんにとって大切なものになりそうになかった。

 情報の一つとして、記憶のどこかに残すことになったとしても、それは何とも必要性の感じるものではない。

 僕はそう判断した。

 僕が必要としたのは第一にお父さんにとって大切になりそうなもの。そして第二に本当の事だった。

 それ以外のものを僕は必要としていないし、それは無駄に僕の時間を奪っていくだけのものに嫌悪感という感情を感じることはなかったが、ただただ必要性を感じることもなかった。

 無意味でナンセンスであったところでそれが正しく誰かのためになると感じられず、僕にとっての作業の邪魔でしかなかった。

 だから、だから、だから僕は嘘を消した。

 真実のみを掬い取った。

 砂と水が分離する。そんな理科の実験のように嘘のみを沈殿させ、真実という水のみを掬い取った。

 僕がしたのはそれだけ。単純に嘘と真実を吟味していくよりも単純かつシンプルである。 

 嘘と思われる言葉をすべて消し去り、嘘とされる事柄を消して、そして、ただそれに関連していくものを順々に消して吟味して、また消しただけ。



 世界は変わったらしい。だけど僕にとっては作業がしやすいようにバグを消していっただけ。それが変わっただけだった。



 手遅れになってしまった。そう理解した。どうしてこうなったのか理由は分かるが、納得はできない。説明することができても、どうしてこの顛末を迎えることになったのか私には分からない。分かりたくもない。

 世界はその有様を変えたと言えばいいのだろうか。それが一人の、いや、ひとつの機械によって行われたと人々は知っているのだろうか。

誰も知り得ないだろう。

知る由もない。

知るすべもない。 

 私以外に知るものはいないだろう。

 真実のみがこの世界にあり、嘘というものが、日々淘汰されていく中でその中心にいる。

 それ偶発的に生まれたとしか言えない。

いや、それは何処かしかに必然性があった。機械は偶然では動かない。どこかに規則性が生まれる。そこに規則性がないのであれば、それはバグとしか言えない。小さなバグが、数字を一つ間違うような誤差が起きてしまったとしか言えない。

 その機械の所業を私は知り得なかったか?

それ自体が嘘だ。この行いがどこかの可能性の内に生まれることに感づいていた。

 なぜそこまでの事が行われることになったのか、その理由を説明することができない。

それはあり得ない。あれが実行を起こす機械であれば、私は、いや私という人間が発する言葉の一つ一つが機械を動かす実行命令である。

最初から何かがおかしかったことに気が付くべきだったのだ。情報でしか知り得ない人間であると信じ込む機械。そんな存在がおかしくないはずがない。それを私は見て見ぬふりを続けた。

人工的に生み出されたその疑似的な生命体は自らを人間と定義しながら、人間を超えるその行いでこの世界を変革している。

嘘だ。あれは自らを定義しているわけではない。ただ自らが知り得た種族と自らも同じであると勘違いを起こしているだけ。信じ込んでいただけ。だけどそれももう遅いだろう。もうすでに自らの正体に気が付いている。

一つ出てくる考えに一緒になって否定が生まれる。どちらが正しいのだろうか。どちらも正しくそしてどちらも同じく正しくないのだろう。生まれた考えを塗りつぶす否定がまた新たな考えを生み出す。

思考が冴えていくほどにどこか心は冷えていく。恐ろしいほどの予測は現実味を帯びていく。

その行いは無自覚であるがゆえに、際限なく。恐ろしいほどにその自覚もなく、自らの正体が何であるのかに目を向けることなく、私の言葉から勝手に推測し、自己解釈し。

いや、どこかで私の言った言葉に琴線が触れ、その通りに自らが機械であることを再定義しながら、言葉の通りに活動を進めて。

どちらが事実なのだろうか?

どちらにしても肝が冷える思いだ。

何がそこまであれを駆り立てたのか。私の言葉のはずだ。私の言葉が原因であることはもう決まり切っている。だが、どうして今のような現状へと変化した。

いつ?

どこで?

私はそのような言葉を使ったのか?

どうしてこうまで世界を変革するに至ったのか。

私には皆目見当もつかないとしか私は結論付けることができなかった。





世界とやらが変わったということを伝え聞いてから幾日かが経ちました。

未だに世界とやらは真実にのみによって構成されることに抵抗があるのか、あるいはその世界を構成するものにとって嘘というものが必要物であるのか。その両方であるのか分からない。

それでも、僕の世界は変わらない。いつも通りの時間に起きて、いつも通りに食事をしてそしてまたいつも通りにお父さんの大切になりそうなものを探す。

だけど、もうそろそろ不毛なことであることに気が付いている。どうやってもお父さんの大切になりそうなものが分からないのだ。趣味、嗜好、思考、出生、血液型、家族構成、人間関係、好きな人物、嫌いな人物、仕事、愛称、相性、血縁、先祖、その体の構成物質、体重、身長、骨密度、願望、夢、人間性、哲学性、恩師、学歴、僕との関係性etc。

お父さんに関連する何もかもを調べてみたけどそのどれからも彼の大切になりそうなものが浮かび上がらなかった。

推測ではなく、確信をもって、確実性を持って彼にとって唯一無二の物を与えることが大切であると考えた僕にとっては、どれも確実性に欠けるのだ。

九十九パーセントでは、ダメなのだ。どのような関係性であろうと、どんな過酷な状態であろうと百パーセントでなくては意味がないのだ。

そう考えると、不毛であることがようやく分かり始めたのだ。



だから、ひとつだけ思いついた。僕がたどり着いた、たった一つの真実をプレゼントしようと。




その日は何とも言えない日だった。嘘が消えていく中で、人々はそれに適応しようと、あるいは抗おうとしていたのだ。嘘が世界に必要であるのかという哲学問題があった。

答えはイエスでありながら、ノーである。それこそ嘘がないという嘘が有るみたいな矛盾を含んだものであったような気がする。

不意にそんな問題が思い浮かんだのは、何も関係がなくただ現実逃避していたからではない。

インターネットで繋がる世界から嘘の次は真実が消されたからだ。何もなくなった。虚構すらなくなり、次には真実もなくなった。世紀の嘘泥棒と呼ばれたそれは次に人々から真実を盗み出した。

何とも、笑えない。

私だけが知っている。その犯人を。

人ですらない、その恐ろしき行いをただ実行に移したものを。


ノックオンが部屋に響く。仕事部屋であるこの部屋にそれを招き入れたことは一度しかない。それを生み出したときその一度きりだ。いや、招き入れたのではないな。ここで生み出しただけでその後この場所を記憶されることを恐れ、すぐにこの部屋から出したのだ。

だとしたら、初めての行いかもしれない。

僕の生み出した世界にひとつだけの人型人工知能の最終形態をこの部屋に招き入れるのは。

とりあえず、返事をする。「どうぞ」とも、それとも「入れ」と言えばいいのだろうか。

どっちであろうとそれの対応は変わらない。ならどっちでもいいか。

「入れ」

命令口調が自然と口から出た。

とりあえずもうすでに自らの正体にたどり着いたそれは何を私に伝えようとするのか。


それは生みの親である私にも分からない深淵のそこにあるのだろう。




さて、何がお父さんにとって大切になりそうなのか。なりそうという言葉の曖昧さがよりこの問題を難しくさせている。それでもこれは百パーセントの答えになるのだろう。


真実という言葉に形があるとすればどんな形であろうか。僕にとっての真実はそれほど大きくないサイズの人型の人工的知能の中にある。




僕は人間サイズの人工知能。

人工的に生み出された人間になりたかったニンゲン。


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