取り残される焦燥感『逃げる気持ちと引き留める心』
少しだけ長めです。
「じゃあ私はもう行くから。アンタたち?今日は一緒に登校するらしいけど……戸締りはしっかりして登校するのよ。
それともし遅れるような事があれば、LINEで早いうちに知らせるように!じゃあ母さん、もう行くわね。」
「「いってらっしゃい!(お)母さん!」」
体育祭の合同開催について話し合った次の日の朝。俺と静恵は、今日も朝から出勤の母さんを2人で見送り、それから、いそいそと自分たちの身支度を整えて、今朝の登校への準備をしていた。
そして、身支度をしている間……俺は今朝の出来事についてぼんやり思い出す。
「(結局、静恵が何を考えていたのかは分からずじまいだったなぁ……。本人が言う通り、別に怒っていた訳でないんだろうけど。何か俺に、しいては三葉先輩に思う事は……おそらく、何かあるんだろうな。)」
俺は昨日と今日の静恵の様子を対比して考えながら、今朝からの静恵の様子についても思い出して……ようやくそこで自身の鈍感さに気がつき、少し苦笑してしまう。
いつもと今日の静恵の態度や様子について、あれこれ俺は考えていたのだが……そもそも今日は、朝から色んな事がいつもとは違ったのだ。
いつもは結構ギリギリの時間まで寝ている事が多い俺なのだが……今日は珍しく、朝の登校の段階から大事な約束があるのと、それに対する少しの緊張もあって、いつもより早い時間に目が覚めた。
そして、流石に今日は静恵よりも早く目覚めただろうと思い、スタスタと下のリビングに降りてきたところ……なんと、もうすでに静恵はリビングにいたのだ。
俺は昨日の少しだけ怖かった静恵を想像して「お、おはよう静恵。」と、恐る恐る声を掛けたところ……
「あっ、お兄ちゃん。おはよう。今日はいつもより早いね?
朝食はもう直ぐだから、顔洗って歯を磨いてきてね?」
と、いつもと変わらぬ様子で俺に受け答えし、朝食の準備を手伝いに行くのだった。
あれ?昨日の不機嫌だった静恵は?
俺は昨日、なぜか静恵が不機嫌だった事を思い出し、それが今日には普段通りに戻っている事に疑問を覚える。
「(昨日の事情を知ってる感じだったから、また勝手に、俺が三葉先輩と交際(仮)をするって事に、まだその手の話に懲りてないのか?って思われてて、それに怒ってるのかと思ってたんだけど……。
別にそんな事は思ってなかった……のか?俺の思い込みだっただけで。ただ昨日、不機嫌だっただけなのか?)」
と、俺は口には絶対にしないがそんな事を考え、なぜかいつも通りに見える静恵に戦々恐々とする。
実際俺よりも精神年齢が高い(かも?と思われる)静恵の考える事は、深層心理の部分ではよく分からない事が多く、いつも通りでもその心の内は不明なのだ。
そして今の静恵は、まさにその状態であり、ハッキリ言って、いつもの静恵よりも何倍も気を遣い、より慎重な対応が俺には求められている。
「(まずは静恵の言う通りに動くのは……まあ当然の話だよな。静恵に逆らおうなんてはなから考えた事もないし。
あとそれに加えて、迂闊な発言を自らしない事。これによって不用意に静恵の機嫌を損ねずにいられーー)」
「どうしたの?お兄ちゃん?そんな洗面台でぼーっと鏡なんか見て。朝ごはんもうできててるし、お母さんも早くご飯食べたそうにしてたよ?」
「ぐふぇ!かは!けほ!」
俺がこの朝の時間。どのようにして静恵を怒らせないように対応するべきか?と、真剣に考え込んでいると……。突然、背後に人の気配がして振り返ると、まさに今考え込んでいた相手、当の本人がそこに立っていたのだった。
俺は動揺のあまり口に含んでいた歯磨き粉を少量飲み込んでしまい、咳き込むと同時に慌てて水で洗い流す。
多少飲み込んでしまったが、別に有害と言う訳ではないので、急いで洗面台を離れようとすると……
「あっ!お兄ちゃん。ちょっと待って……よし、これで髪も元どおり!あんまりだらしないでいると、その三葉さんって人に幻滅されちゃうよ!お兄ちゃん。」
「お、おう……。ありがと?気をつけるわ……。」
「じゃあ、私は先に戻っとくね?別に無理に急がなくても大丈夫だから、しっかり身だしなみを整えてね。」
と、静恵は髪が何本か跳ねたままだった俺の頭を手櫛で梳き、まさかの三葉先輩の名前を出して、俺のだらしないところを苦笑気味に注意する。
別に嫌味を言っている訳ではなく、あくまで俺のためを思ってそう言ってくれたというのが、さっき手櫛をした時の優しい手つきから伺う事が出来る。
そして静恵はそう言うとふらりとリビングに戻り、その場に俺だけが立ち尽くす。だが……言われた事をすぐに思い出し、出来るだけ早く身だしなみを整え、リビングに戻る。
そうして、俺と静恵のいつも違う。けれど、いつもに以上に暖かい朝の時間が、朝ごはんと共に過ぎていくのだった。
そして冒頭のシーン。2人一緒の登校へと話は戻る……。
・・・
・・
・
「……で、こんな時になって聞くのも変な話だけど……。その三葉さんってどんな人なの?お兄ちゃん。
そっちの高校でもとっても有名な美人さんって事は知ってるんだけど、私自身、その人の性格とかについては全く知らないし、聞いた事がないんだよね。
まあお兄ちゃんが信頼するくらいの人だから、決して変な人ではないって事は分かるんだけどね?」
昨日、三葉先輩と一緒に登校する事を約束し、その集合場所として決められていた……古びたアーケード街。
ここは俺と三葉先輩が初めて会った場所で、俺たちの思い出の場所だ。(まあ思い出と言っても、ここ数日の出来事なのだが……。)
そして、そんな思い出の場所を俺たちは約束の地に選んだ訳であるが、先のセリフから分かる通り、俺の妹、相川 静恵も俺と一緒に先輩のその到着を待っていた。
やはりというか何というか、昨日の静恵の言葉は冗談の類などではなかったようで、しっかりと朝食の際に「お兄ちゃんと一緒に登校する。」と、宣言されてしまった。
そのため、俺は今現在静恵と三葉先輩の到着を2人で雑談しながら待っているという訳だ。
っで、ひとまず静恵の質問にちゃんと答えるなら……。
「そうだな……。静恵の言う通り、美人なのは間違いないし、変な人ではない事は言うまでもないな。
それで、性格は……うん。基本は穏やかだな。たまに変に熱くなる時もあるけど……いつもはしっとり落ち着いた、歳上のお姉さんって感じかな?」
と、大体当たり障りのない、基本的な俺が思っている三葉先輩の印象について答える。
まあ、実際の俺の第一印象は……。うん。静恵には別に言わなくてもいいかな……。兄としての威厳がね?うん。
とりあえずの先輩の印象を俺は想像して、そんな風に静恵の質問に答えたところ、なぜか静恵はじとーっとした目で俺を見てきて……
「うーん、私がもう一つ友達から聞いてた情報には、もっとわかりやすい特徴がその人にはあったと思うんだけど……?
どうしてお兄ちゃんはそれを私には伝えなかったのかな?もしかして、何か後ろめたい事でもあるの?お兄ちゃん?」
と、あえて俺が触れなかった三葉先輩の特徴について触れ、それを言及しなかった理由について……平たく言うと、何か後ろめたい事があるのではと疑われている。
そして全然関係ない話なのだが、俺を見る静恵の目は、いつもよりキュッとハの字に歪んでおり……なんだか不機嫌な子犬のようでちょっと可愛らしい。
しかし、こんな意味のないところで静恵の機嫌を損ねても仕方ないので、俺は下手な言い訳をせず、素直にありのままを伝える事にした。
「はい。ごめんなさい。ちょっと気恥ずかしくて1番の特徴を黙ってました。聞いているとは思いますが、三葉先輩は胸が大きくて、非常に魅力的な女性です。はい……。」
「うん。素直でよろしい。下手に言い訳なんかしたらホントに何かしでかしたのかと疑ったけど……お兄ちゃんも男の子だし仕方ないよね。
それに、みんなが噂するくらいのソレみたいだし、そこに目がいってもおかしくはないと思うよ。」
と、俺が素直に告げた事に溜飲下げたのか、静恵はどこか俺の言葉に理解を示すような言葉を述べる。
静恵がそちらの話にも理解のある妹で助かった……。
俺はその事に安心しながらも、少しだけ顔を引き締め、ちょうどこの機会に俺が三葉先輩に思っている事について、ここでちゃんと静恵にも話しておく事にした。
「まあそれも、三葉先輩の魅力の1つである事は事実なんだけど。それはあくまでも魅力の1つであって、その……。
なんか……うん。上手には言えないんだけど、先輩にはそれ以外にも沢山良いとこがあって、そういう外見の良し悪し以外にも沢山の魅力があるような……そんな先輩なんだ。」
と、俺は静恵に三葉先輩には外見よりも大切な、言葉で上手く言えないような多くの魅力がある先輩だと知って貰いたくて、そう不器用で飾らない言葉をありのまま伝えた。
これは今の俺が少しの時間で感じた先輩への素直な印象であり、今この時点までに俺が見つけることの出来た……言葉で言い表せない、確かな先輩の魅力だ。
そして、そんな数多くある魅力のその一つずつを、こんなにも近くで見つけられる事がとても嬉しくもあり、これからが楽しみだと感じる。
といった感じで、思いのほか熱く、三葉先輩の魅力を静恵に語ったところ……なぜか静恵はとても穏やかな、なにかを悟ったようなーーそんな顔をして、ひらり。
「そっか……。お兄ちゃんはようやく本物を見つけちゃったんだね……。今度は本当の気持ち。本当のーー。
うん!それはよかった。うん。本当に……よかったよ。
じゃあ私は……その人とはまた今度。次は……そう。次の新しい関係ーーお兄ちゃんがその人を家に連れて来るようになったくらいの時に、私はその人に会う事にするよ。
だから……ね。お兄ちゃん。私はもう行くね……?」
と、くるりと俺に背を向けた静恵はそう言って、俺の返答を待たず、そのまま歩き出そうとして……立ち止まった。俺の背後から気配なく現れた一葉ちゃんによって。
俺は突然一葉ちゃんが現れた事にも驚いたが、それ以上に、あれ程人見知りな一葉ちゃんが、静恵の手をぎゅっと掴んで離さないという事に驚きを隠せないでいた。
そして、しばらく呆然と掴まれた手を眺めていた静恵だったが、はっと我に返って一葉ちゃんを睨む。
「あの!誰かは知りませんが……手を離して下さい!
私は……もう、行きますから。これ以上お兄ちゃんに迷惑なんて……。だから、この手を離して!」
「……だめ……です。……そんな顔でいるアナタをこのまま……離すわけにはいきません。
……きっとアナタは今、逃げようとしてる。……何かを言い訳にして……誤魔化そうとしてます。」
これは本当に驚いた……。静恵がこんなにも感情的になっている事にも驚いたが、一葉ちゃんも負けていない。
俺の隣に並んで静恵の手を掴む一葉ちゃんの目には、その手を絶対に離さないという強い意志を感じ、隣にいる俺までもが、その熱量を肌で感じ取る事が出来た。
また俺は、突然の出来事に驚いたというのもそうだが、2人の作り出す緊迫した空気。その張り詰めた空間の中では下手に口を挟む事すら出来ないでいた。
だがそんな間にも、2人の舌戦は続いていて……
「な、なにを言ってるんですか……?わ、私は別に誤魔化してるなんて……そんな……。ーーううん、違う。
そもそも、アナタに私の気持ちなんて分かるはずがない。……お兄ちゃんの事を想う、私の気持ちなんて、絶対に。
きっとアナタは、お兄ちゃんのお知り合いの方なのかもしれませんが……今は、今だけは!私の事を放っておいてください!引き止めないでください!」
「……いえ、放っておきません。……いくらアナタが相太さんの妹であっても……それだけは譲れません。
それに……私には共感できます。……アナタが感じるその気持ちを。……届かないからと手を引こうとする、その寂しさを。……私には、分からなくても感じる事が出来ます。」
すると、そう口にした一葉ちゃんのその言葉に、静恵の……一葉ちゃんの手を振り解こうと抵抗していたその手がぴたりと止まる。
そして、そっと振り向いた静恵の、その瞳からは……。
ぽた……ぽた……ぽた……。
いつ以来見たのか分からないような、絞り出すように流れたーーそんな幾筋の雫がその瞳から溢れた。
そして、それには俺も思わず……。
「静恵!」「待って!待ってください!相太くん。」
そう叫ぶや否や手を伸ばそうとした俺を、再び突如として現れた三葉先輩が俺のそれを遮った。
それに俺は「どうして!?」と、三葉先輩の方を勢いよく振り返り、食い気味でその説明をするよう求めると
「落ち着いてください相太くん。今相太くんが彼女に近づいても、彼女の心を混乱させるだけです。
それに、今は一葉が彼女にはついています。あの子は臆病で気の弱い所がありますが、いざという時には相手に寄り添うことの出来る、そんな優しさを確かに持っています。
だから……任せましょう。相太くん。今は一葉が彼女を立ち直らせてくれる事を信じるしかありません。
だからーー今は、今だけは彼女たちの事を信じて、私たちは先を急ぐ事にしましょう……。」
と、三葉先輩は優しくも力強い言葉でそう言うと、俺の手をそっと取り、2人を置いて先に行くよう促す。
それに、俺は思わず一葉ちゃんを見ると、コクリと一葉ちゃんは頷いて、声には出さず先に行くようにとその意志を示す。
俺は少し逡巡したが、2人の意見を承諾して
「……ごめん。妹をーー静恵を頼む。一葉ちゃん。」
と、短くそう言って、俺は三葉先輩の手を強く握り返してから、その場を後にする。
静恵の涙に動揺した心を押さえつけ、落ち着かない気持ちをその手の内に押し留めるようにして……。
もう、あまりストックがないのであるタイミングから、少しペースが落ちるかもしれません。
でも、完結に向けて執筆は続けるつもりなので、よろしければ、ご覧ください。