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ああ、失せ物よ

作者: AsaHI

 失くしてしまった。認めざるを得ない、失くしたのだ。人生で初めて財布を失くした。保険証もクレジットカードも免許証も、すべて失ってしまった。私以外にも今この瞬間、財布を失った人間はごまんといるだろう。いや、いてくれないと困る。この絶望を感じているのが私だけだなんてまっぴらごめんだ、皆失くしていてくれ。


 一週間前、スーパーに買い物に行ったところまでは覚えているのだ。会計の時まではあれはちゃんと私の手元にあった。よしよし、まだ諭吉が残っていると確認して、私は小銭を出したはずだ。炭酸飲料を買ったのだ。百円くらいの炭酸飲料で、期間限定のマスカット味だった。スーパーから帰ってきて、しばらく財布を使う機会がなくて、気がついたら失くなっていた。こんなの酷い。私が何か悪いことをしただろうか。

 スーパーに持って行った小さなカバンにはもちろん入っていない。名刺大ほどのポケットまでひっくり返して、その中に無いことを確認した。部屋も全部ひっくり返した。おかげでもともと片付いているわけではないマイ・スウィート・とっても狭いルームは泥棒が去った後のようにしっちゃかめっちゃかになってしまった。それでも無い!

 スーパーに行った時に穿いていたズボンのポケットも探した。自転車の前カゴも。スーパーにも問い合わせたが遺失物はないという。正月のおみくじでは「失せ物出る」と書いてあったのに、出ないじゃないか、神様仏様。せっかく買ってきたジュースだってまったく飲む気になれない。テレビでも観ながらのんびり飲もうと思っていたのに、バラエティ番組の笑い声なんか聞いたら今はテレビを殴りつけてしまいそうだ。

 仕方ない。私はやってしまったのだ。とりあえず警察に届け出よう。心の清い人が拾ってくれていたら、もしかしたら返ってくるかもしれない。でも下手に諭吉が入っているからなあ。考えるだに恐ろしい。人類みな敵、と思いながら交番へ向かい、住所や連絡先を書いて、よろしく頼みますと頭を下げた。


 くたくたに疲れてしまった。これからクレジットカードの停止やら、保険証の再発行やらをしなければならないのだ。免許証の再発行ってどうやるんだっけ。財布自体は正直どうでもよいのだ。そういうカードとか証明書とか、それがなければ自分が自分だと証明できない代物が手元にないことが心細かった。ああ、うう、とうめき声しか出てこない。

 もう今日は寝てしまいたい。その前に、財布と引き換えに得た炭酸飲料でも飲んでみようか。少しは気分が上がるかもしれない。スーパーから帰ってきて、あれはちゃんと冷蔵庫にしまったのだ。よく冷えているだろうし、私のズタボロの心を癒してくれるだろう。冷蔵庫の銀の取っ手を引くと、そこにはビビッドな黄緑色のパッケージのペットボトル、そしてその隣に、きんきんに冷やされた財布が鎮座していたのだった。

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