7.
ここまで読む間に、章一の肩が凝ってきた。わりに、面倒くさそうな人だというのはなんとなく察していたが、それにしても…、かなり面倒くさそうだ。
『私は今、住江様との未来を思い描いております。これはすべて、住江様のおかげによるものですから、住江様に私とのかかわりで不運が起こらないように、最大の努力をしてまいります。
きっとその思いは、天にも通じるものと信じております。
このような思いになれましたことに感謝しております』
そして、一筆箋が一枚最後のページに挟まっていた。
それには手書きで
『これからは聖子とお呼び下さい。私は、章一さんとお呼びします』
と書かれていた。
それから六月のよっちゃんの結婚式までに、章一は四回神田さん…、聖子に会った。
毎回聖子はお弁当を作ってきており、いつもベンチには白い布を敷き、二人は並んで座った。
一回目。神田さんは緑のテープを用意しており、長さは一メートル。その距離を保って歩いた。握り飯は、鳥とゴボウの炊き込みごはんで作られたものが二つ。筑前煮、豆腐ハンバーグのお弁当。
おそるおそる、「セイコ」と呼んでみると、聖子は「はい、ショウイチさん」と返事して、ぐっときた。
二回目。赤のギンガムチェックのテープになり、長さは五十センチ。ベンチでも心なしか少し近くに座るようになり、かなり近づいたような感じで、章一の気持ちは高ぶった。
この日は雑穀のバンズに、ゴボウサラダがサンドされたものが一つ。もう一つはゆで卵と刻みピクルスのサンド。ポットは一人に二つ用意されており、ひとつはソラマメのポタージュ。もう一つには少し甘いミルクティーが入っていた。
三回目。水色のテープになり長さは三十センチ。もう、手が触れそうな距離だった。
ベンチでは、げんこつ一つ分離れて座り、弁当は各自の膝に置かれた。最初の日に食べたような十六穀米の握り飯と、卵焼き、野菜の煮物、おからの煮物。
章一は上の空でそれを食べた。
そして四回目。聖子は例の白い手袋をしていた。もう六月になっており、手袋をしているというのはどこか不自然だったが、最近ではUV対策で手袋をしている女性もいるらしい。
手袋越しではあったが、二人は手をつないで歩いた。
章一はフワフワと漂うように歩いた。ベンチではお互いの身体の感触が感じられる距離で座り、章一はさらにフワフワした。この日食べたもののことは、章一は何一つ覚えていない。食べたのか? 確か食べたのだ。だが、そのこと自体がもーろーと霧の中のできごとのようだった。
会うたびに聖子からレポートが渡されており、それにはこれまでの聖子の生活や、子ども時代のエピソード、学生生活でのエピソード、家族でのエピソードなどが書かれており、なんだかんだ言っても聖子ももうすぐ三十歳になろうという、ごく普通の女性なのだと思えるようになってきていた。
ふと、聖子の家族、少なくとも父親には挨拶かなにかした方がいいのではないか? と疑問が起こった。
よく昔のドラマなどで、「娘さんを下さい。幸せにします」などと男が言うような場面が思い浮かんだのだ。ドラマ的にはなかなかの盛り上がりのある場面のような気がした。
これについては、聖子が、
「まあ、もう、本当に身に余る光栄でございます。ショウイチさんの方からそんなことを言っていただけるなんて…」
と感極まった様子で、
「そのお気持ちだけいただいておきます。わたくしの家族のことはわたくしがよくわかっております。ですので、その機が熟した時にはわたくしからショウイチさんにお願いいたします。それがいつになるのか? それにお答えすることはできません。ただわたくしの判断を信じて、それを待っていてくださいまし」
と言い、章一はどんな表情をしていいのかもわからず、
「あ、あ、はい」
と答えた。
まあ、確かにそんなことどうでも良かった。一番大事なのは自分たちの気持ちだ!
章一はこの女神を一生大切にしよう、と心に誓ったのだった。
だんだん聖子のことを知り、二人の間も縮まってきている。それを実感できる稔の多い逢瀬だった。
よっちゃんにも数回会い、それとなく聖子との結婚を伝えた。それについては、よっちゃんはびっくりしており、
「ええええ? おれらと同じ日に結婚するって、それ、どーいうこと?」
と不快な顔をした。
「や、ぼくたちは、別に披露宴とかしないから。とりあえず、よっちゃんの幸せの日にあやかって、ぼくたちにもそれを分けてもらおうって、そんなところかな?」
と章一は言っておいた。
「え? そうなの、なんか、不気味だな…」
と言いつつも、まさか、やめろとも言えず、それ以降、よっちゃんはその話題に触れることはなかった。
また、よっちゃんは皆で食事をしようと言うのだが、それには聖子がどうしても応じないのだった。
章一は、
「ほら、セイコって、変わってるだろ。こだわり持ってるっていうか…。ま、ぼくにはそういう方が合ってて、そこがツボなんだけどね」
とのろけた。