6.
自分の住むアパートの前で、いつもだったらもう少し気力を整えてから扉を開けるのだが、もう、章一にはその気力さえ残されていなかった。
「おかえりなさいませ」
と母がかしこまって章一を迎えた。
章一はなんだか、聞かれてもいないのに、自分から、
「あ、ぼくたちの結婚の日取り、決まったから」
とさらっと言った。
「ええええええ!! い、いつ?」
と母が腰を抜かさんばかり驚いている。
「六月二十四日」
とこれまたさらっと章一は答えた。
「良かった! 良かった! めでたい! めでたい!」
と母が喜ぶと、その声が耳に入ったようで、
「よかった! めでたい!」
と祖母も自分の部屋から声を上げた。
章一はしら~っとした気分になり、まず自分の部屋に閉じこもった。神田さんから受け取ったレポート? を読んでみたかった。
帰りの電車の中で出してみたい衝動にかられたが、人前でそれを取り出すのにはためらいがあった。
部屋に入った途端、神田さんから長いメールが入った。
『本日は私の申し出に従って、お会い下さり、誠にありがとうございました。
食事が終わるまで、住江様は一言も言葉をお出しになりませんでした。それは私にとってとても重要なことでした。まあ、願掛けのようなものとお考え下さい。
もう、百点満点でございます。
結婚の日取りに関しましても、すんなりとご承諾いただき、安堵いたしました。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます』
なんで百点満点? わからなかったが、章一はうれしかった。
神田さんからのレポート? は、内容的には神田さんの身上書のようなものだが、いつもの通りのやけにていねいなデスマス調で、ワープロで印字したようだったが、手紙のように縦書きに出力してあった。
それによると…、神田さんは章一より三歳年下の一二月三十一日生まれ。なんと、七人姉妹の七番目だとのこと。
それについては、
『両親は子宝が授かるたびに、毎回、男子の出生を望んでおり、祈祷に祈祷を重ねましたがかなわず、その間に母の体力も衰え、もう次の子どもが産まれたら、それで最後にしようと、相談の上の出産だったと、物心ついたころからもう、百回くらい聞いております。
また、私を出産して後、母は産後の肥立ちが悪く病気がちになり、それまでの溌溂とした輝きも失うことになり、それも暗黙の裡に私の出生に伴う不運であると家族の間には共通の認識がございます。
それが感じられるたびに、私は、自分自身が穢れている身、望まれていない身であることを、日々感じておりました。
母は私が中三になった時に亡くなりましたが、その時にも私は思い罪の意識を感じておりました』
とのこと。
そして、その七人姉妹は全員まだ独身なのだという。
『長女は今年、四十八歳になります。長女と次女、七女の私は実家に同居しており、三女から六女までは近くに住んでおります。全員がまだ婚期に至らないということ自体も、暗黙のうちに何か私の関わりによるもの、とされているようです。それは日々感じております』
という。
で、
『したがって、私が神田家を離れるということは、家族にとっては朗報となることでございます。が、ということは、その先私が身を置きます場所がすなわち、穢れた場所になる可能性があるということでございます』
と続く。
『これまで、私は自分が殿方とおつきあいするなどということは考えたことがございません。ですので、もちろん、よそ様の所に嫁ぐなどということを想像だにしたことがございません。そのようなことになれば、そのよそ様に不運を呼び込むことになるかもしれませんので、そのようなことを考えること自体、禁忌として、これも家族の間には暗黙の了解があったのでございます。
ところが、先日、住江様に強く抱擁していただいて以来、私のこれまでの考えはいとも簡単に書き換えられてしまったのでございます。
この身に今までにない幸福の気持ちが詰まり、それをどうすることもできなくなってしまいました。
私にも幸せを追い、それを成就させる希望が生まれてしまったのです。そして、住江様と一緒に未来に向かって歩き出す決心を日々強くしてまいりました。』
なんとも大仰な決心である。
章一の頭に、ふと、よっちゃんが言っていた『勘違い女』という言葉が過った。
『それから、私は一人ずつの家族に真摯に向き合い、少しずつ私が外に出ること、その理由が結婚になることを、家族の様子を見つつ、伝えて承認を得てまいりました。
私が七女であるということで、姉より先に嫁ぐことを承認しがたい雰囲気もございました。が、それは、家族にとっては良い方向に導かれることであることを、根気よく説得している最中でございますが、良い兆しが見えておりましたので、住江様とお目にかかっても良い機会かと思い至りました。
そのことによって、私の決心はより強くなるのではないかと予想したのでございます。そして、住江様のお力によりそれは真に私の力となることを確信したのでございます』