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黄色い物  作者: 辰野ぱふ
4/8

4.

 日曜日。

 春の始まりにしては寒い朝だった。

 外に出ると息が白い。空はどんよりと曇っていた。

 駅に向かうために、商店街に出ると、ほしくず屋はまだ開店前だったのだが、珍しく、じいさんが店の前を掃除していた。

 章一はなんだか、皆に監視されているようで、いや~~な気分になった。

 じいさんは、何も言わず、ただっちょっと目を上げて、意味深な目くばせを送ると、また掃除に戻った。

 でも、とにかくなんでもいい。

 神田さんに会うのだ。


 神田さんに指定された神社は町の中の入り組んだ場所にあり、いくつかの入り口があった。

 神田さんの指定によると、コンビニの角を曲がった方から入ることのできる、「上の入り口前」ということになっていた。

 いよいよコンビニを曲がると、章一の心臓はドキドキと鳴り始め、それを押さえなければという思いと、いいや、いいじゃないか、今日は思う存分ドキドキしようという思いの間で揺れ動いた。

 神社の入り口にダークグリーンの冬のコートを着込み、ムーミンのトートバッグを肩にかけた、まぎれもない神田さんの姿があった。今日はトートバッグとおそろいのデイパックも背負っている。ただのデートにしてはどえらい荷物だった。

 章一は走り出したくなる気持ちを押さえ、一歩ずつ神田さんに近づいて行った。

 神田さんの方でも章一に気が付き、章一の方を向くと、深々と頭を下げた。顔の半分以上がマスクでおおわれている。


 二人の距離が、一歩、また一歩と近づく。そして、声が届く距離まで近づいた所で、神田さんが、

「そこでお待ちください!」

 と声を上げたので、章一は思わず立ち止まった。

「今日は、この距離を保っていただきます」

 と言うのである。

「はぁ?」

 章一の気分は一瞬でしぼみそうになり、困惑するのだった。

「必ずこの距離はお守りください」

 だけど、測れもしないのに、どうやって距離を守ったらいいんだい? と章一はさらに困惑した。

 と、神田さんはしゃがみ、トートバッグの中を探ると、幅一センチくらいの、黄色というよりは、クリーム色のテープを取り出し、それをするすると、章一の方に転がるように投げてよこした。

 反対側の端は神田さんが握っている。

 そのテープの先に、同じようなクリーム色の紐でわっかができていた。

「その輪の中に左手をお通しください」

 というのである。

 人通りは少なかったが、こんな所で意味不明なテープ渡しごっこをするのは、章一にはめちゃくちゃ恥ずかしく、抵抗があったのだが、世間とのシャッターを閉めてしまえばいいのだ。


 章一は腹に力を入れ、覚悟を決めると、神田さんが言うままにテープの端を自分の手に通した。

 神田さんは反対の端についているわっかを右手に通した。

 どうしたことだろう、恥ずかしさは消え、なんだか楽しくなってきていた。

「このテープの長さは一メートルになっております。それをぴんと張る必要はございませんが。ほぼ真ん中にできるくぼみから自然に手に届く距離を保っていただきます」

 と神田さんは立ち上がった。

 二人はぼ~っと向かい合い、見つめ合った。

「どうぞ、お先にお歩きください」

 と言われ、章一は魂が抜けたように、夢見心地で先に歩いた。手が触れ合うことはなかったが、二人の距離は充分に近かった。


 神社の境内に入ると、参拝するかと思いきや、

「お止まりください」

 と神田さんから声がかかり章一が止まると、

「今日は参拝は控えさせていただきます。これについては、詳しく説明することはできませんが、今、レポートをまとめております。その一部は今日、お渡しすることができます」

 と神田さんは言い、

「この距離で、向こう側の鳥居の所で、神社側に向かって一緒にお辞儀いたしましょう。そのあと、お食事いたしましょう」

 と言うのだった。

 なんだかわけがわからないのだが、章一の方では神田さんに従うしか術がなく、素直に言うとおりにして、鳥居の所で一例した。

 それから、適度な距離を保ちながら、章一は神田さんの後ろすがたをうっとりと見つめながら、神田さんが、

「お止まり下さい」と言えば止まり、「参りましょう」と言えば歩き出し、「この信号を渡ります」と言えば渡り、そうやって、四谷の土手のベンチまでやって来た。

 三キロは歩いたと思うが、夢見心地だったので疲れなどはいっさい感じなかった。むしろこの状態でどこまでも導びいて欲しい、とさえ思うのだった。


「少々お待ちください」

 と神田さんは言うと、しばしクリーム色のテープを手から外すと、トートバッグの中から、白い布を取り出し、それをベンチに敷き、

「どうぞ、お先にお掛けください」

 と章一を先にベンチに座らせ、

「人一人分の間を開けさせていただきます。そこに昼食を置きますゆえ」

 と言うと、自分も座り、今度はデイパックの中をガサゴソ探して、握り飯、小さいポット二つ、小さいタッパ二つを取り出し、二人の間に置いた。

 その神田さんのかいがいしい行動を、章一はただ見つめていた。

「食べる時にご不自由でございましょうから、テープはお外しください」

 と言う。

 章一はぼんやりとそれに従いながら、ここまで自分は一言も言葉を発していないことに改めて気が付いた。

 どうしたらいいのか?

 何か話してみようかとも思ったが、何も言葉が浮かんでこない。その後も、

「どうぞ、フタをお開け下さい」

「ポットの中には温かいほうじ茶が入っております」

「おにぎりは二つ。ゆめぴりかに十六穀米を混ぜております。一つは減塩の梅干し。もちろん種は抜いてございます。もう一つはやはり減塩の葉唐辛子を入れております」

「お惣菜は、切り干し大根と油揚げの煮物、ヒジキと大豆の煮もの、里芋、にんじん、鳥の旨肉、たけのこ、しいたけはそれぞれに煮つけたものを入れております」

 ただただ、神田さんの説明に聞き惚れた。

 本当に夢を見ているみたいだ、と章一は思った。

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