3.
約束の二日前の金曜日に、しばらくお休みしていた山本さんが職場復帰した。山本さんは、なんと、ほしくず屋のかりんとうセットを職場へのお礼として持って来ており、章一には特別に、「万能かりんとう」をくれたのだった。
「あ、ありがとうございます…」
と言いながら、その中身がわかって、章一は複雑な気持ちになった。
このかりんとうの発案自体、自分の母親のものではあるが…、それを今山本さんに言ったところでなんになる? と思い、ぐっと言葉を飲み込んだ。
それにしても、ほしくず屋は、隠れた人気店であるのだな、と、世の中の狭さを改めて認識したのだ。
「あの日、スミノエさんに病院まで付き添っていただきまして、本当に助かりました」
と山本さんは深々と頭を下げ、章一は心底、良かった、良かった、と思った。
「来週の月曜日から復帰するつもりでしたが、とりあえず今日、一日、職場の雰囲気に慣れてみようと思いまして…」
と山本さんは恥ずかしそうに言い、章一は、そうか、そうか、と思った。
次の土曜日、章一の心はここにあらずという感じだったし、また、家にいると母も祖母も口には出さないまでも、神田さんとの成り行きをどこかで祈っている風でもあり、家に居づらく、ゲームをする以外にはほかに趣味という趣味もなく、家の中の雰囲気まで煮詰まってきている感じだったので、息苦しくなり、章一は珍しく一人でぶらりと外に出た。
商店街に出て、ふと、いつもだったら、母は章一にあれこれ指図するのに、今回は何も言わないな? と思い、なんだか引き付けられように、ほしくず屋に吸い込まれるように入ってしまった。
目つきの感じの悪い店番のじいさんが、いつものように、ギロリと章一をにらんだ。今日はじいさんは、海岸にオレンジ色の朝陽? あるいは夕陽?が顔を出した? あるいは沈んでいく途中の柄のベストを着込んでいた。
じいさんの膝では、猫のホシがぐだぐだしている。
「お、スミノエさん、来なさったな」
となんだか、時代劇風にじいさんは言った。
章一は、しまったな、と思いつつも、でもやはり神田さんに何かおみやげに買って行った方がいいような気がして、いつものように、ゴボウかりんとうを手にした。
「タマコさんから、聞いてるよ…」
とじいさんは言葉をもらしてしまったあとで、
「お、おっといけねえ。これを言っちまっちゃあ、いけねえんだった」
と、また時代劇風の見得を切り、章一はあきれた。
「ええと…、これと…」
と章一が物色していると、
「新製品がありまっせ、だんな」
とこんどは、なんか大阪弁? みたいなノリでもみ手をして、じいさんは袋を取り出した。
それはピンクの砂糖でコーティングしているかりんとうで、名前もそのものズバリ『恋かりんとう』というもので、じいさんは、もじもじして、
「あ、もちろんこれもタマコさんの発案によるものだけど…、おい、わかるだろ?」
と妙な同意を求められ、章一は困惑しながらも、その二つを買うことにしたら、じいさんは、レジ台の引き出しから、二つのリボンを取り出した。
それはいつも神田さんがくれるような、蝶々結びになっているリボンで、ネジネジが装着されており、かりんとうの袋に後から飾りつけできるようになっていた。
「フフフフフ」
とじいさんがフテキな笑いをもらした。
そして、ゴボウかりんとうには黄色、恋かりんとうにはピンクのリボンをつけると、いつもの黒いほしくず屋のレジ袋にそれを入れ、
「祈ってるぜ~」
と章一の肩をぽんと叩いた。
「そのピンクね、とちおとめだよ。砂糖は沖縄から特別注文で黒砂糖を使っている。あまり浮ついた桃色ってのも好かないからとね、その砂糖の加減でちょうどいい落ち着きの色が出てるって、まあ、そういうこってさぁ」
たぶん、この装飾のリボンも、母の差し金に違いない。
章一はなるべく自分の高鳴る気持ちを押さえながら、神田さんに会える明日という日を心待ちにしているのだけれど、章一の周りをとりまくこの老人連中には、すっかりシラケた気持ちにさせられるのだった。
でも、まあいい。
問題は、当日だ。
章一は、とりあえず心のシャッターを閉め、
「ども」
と冷静なふりをして店を出たのだった。
それから、商店街を散策し、公園などをぐるりと回り、ぼんやりとベンチに座って、夕方までには家に帰ったのだが、家族だんらんで遊ぶ人たちのことをほほえましく思ったり、転びそうになるご老人にはつい手を差し伸べてしまい、なんだかいつも見るような光景が、特別なもののように思えるのだった。
その日、母は、章一が明日取る行動については、一切触れようとはしなかった。が、
「黄色というのはいろいろな色の中に少しずつ隠れている色なんだよ」
と勝手に話し始めた。
「その色が持つ意味の中には、もちろん、陰の要素もある。けれどね、もともと明るい色は陽の要素につながることが多い。これから始まるもの、これから発展するものには、特に有用な色だよ」
章一には返事はできなかった。
「そう。つながった物を守る時はもっと静かな色がいいけどね」
とばあちゃんが母の言葉を受け、つなぎ、章一はぎょっとした。
一瞬、ばあちゃんはしゃきっとして、そして、またいつものように車いすに埋もれるように、ほうけた。
母は、目をうるませ、
「ばあちゃんも、祈っているんだねぇ」
と言い、章一はますます居づらい雰囲気となり、とりあえず、心のシャッターを固く閉ざし、食事をすることに専念した。