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黄色い物  作者: 辰野ぱふ
1/8

1.

奇数家族シリーズ、3話目です。

 待ち合わせをする場所は鳳神社になった。この神社を指定したのは、神田さんだった。


 三月ほど前、大学の親友よっちゃんの結婚が決まってから、章一にも今までには考えられなかったような変化がいろいろ起こり、神田聖子という女性と付き合うようになった。

 が、付き合うといっても、まだ二人でちゃんと会ってはいなかった。何回かメールのやりとりがあり、神田さんからときどき手紙が届くことがあっただけだ。


 最後に神田さんと会った日、なんだか気持ちが高ぶってしまって、神田さんをいきなり抱きしめてしまったことがあった。その時の感触が章一の記憶に深く刻まれていた。

 今まで女性と抱き合うなどということは一度もなかったのだ。それにそんな現実が訪れるとは想像もできなかったのだ。

 神田さんは細くて折れそうな感じだった。でも息づかいが感じられ、ほっかりと人の温かさがあった。神田さんとの間にはさまったほしくず屋のギフトセットがうらめしかった。

 あのギフトセットなしで神田さんをもう一度、心ゆくまで抱きしめてみたい。

 章一の頭の中には今までになかった妄想がふくれ上がり、その日を待ちわびていた。


 章一はその神田さんを抱きしめたカフェに、彼女を呼び出そうと、メールしてみたのだが、

『恐れ入ります。

 もう、あの場所で会うことはかないません。詳しくは説明できないのですが、これは私共の未来に関わることでございますので、どうぞお許しください』

 という返事が来て、らちが明かないのだった。ではどこなら会えるのかと何回かメールをしても、

『お待ちくださいませ。まだその時期になっておりません。こういうことは慎重に慎重に進めなければなりません。どうぞ、ご容赦くださいませ』

 という返事がくるばかりなのだった。

 章一の方では、胸の高まりにまかせてプロポーズまでしてしまっており、了解の返事は得ているつもりだったので、いったいこの先どうしたらいいものか、困っていた。


 そして、やっと神田さんから、会えるという手紙が来たのだ。

 彼女が得意とする手作りの封筒が届き、それを受け取った時、その封筒の薄さにくらべて、なんだか重いように感じた。


 それは三月の始めだった。家に帰ると、母はその日もなんだか煮物をしていたのだが、いつもとちょっと香りが違うような気がした。

 章一が家の扉を開けると、母はかしこまって、

「ショーちゃん、お帰りなさいませ」

 とやけにていねいに言い、

「神田様から手紙が届いているからね、まず、お風呂に入って身を清めてきなさい」

 と変なことを言うのだった。

「は?」と返事をしながらも、章一がしぶしぶ入浴のしたくをしていると、風呂場の扉を開ける章一の頭の上の方を見ながら、母が

「とうとう、煮詰まって来ているねぇ」

 と煮物の鍋をうわの空でかき回して、しみじみ言い、

「まず、お風呂、そしてお手紙を読んでから、ばーちゃんを食卓にご案内しなさい」

 と言うのだった。


 その日、章一の会社ではトラブルがあった。

章一の会社で扱っている通信販売の商品に不具合があったというクレーマーからのやりとりで、長年電話でのクレーム処理をしていた山本さんという女性の具合が悪くなり、身体が硬直してしまい大騒ぎになった。救急車を呼んだまでは良かったのだが、病院の付き添いなどをするのに皆びびっており、章一が着き添うことになったのだ。

「ゆっくり息をしてください」

 担架で運ばれる山本さんの耳元で小さい声で章一が言うと、山本さんは目だけ章一の方に向けて、その目はうるんでいた。

 幸い、病院に向かう救急車の中で山本さんの様子はだいぶ良くなり、病院では深呼吸もできるようになり、会社の方から山本さんの家族に連絡があったようで、だんなさんが病院にやって来たので、章一は簡単に様子を告げると、やっと家に帰ることができた。

だから章一はへとへとだった。


 でもとにかく、神田さんから手紙が来たのだ!

 へとへとになっていた身体に、少し元気が戻ってきたような気がした。

 手紙の内容はまだわからないものの胸が高鳴った。母の言いなりに風呂に入る自分というのも、なんだかなあ、とは思ったのだが、心のシャッターを閉めてはいても、章一は母の言葉を無視することができないのだった。

 それに、神田さんを抱きしめて以来、神田さんのか細い身体の感触が忘れられず、それを繰り返し思い出してしまっており、そうするとぼんやりしてしまい、ついついシャッターを閉め忘れているらしく、

「ついに、ショーちゃんにも春が来たんだねぇ」

 と母に言われてしまい、

「よかった、よかった」

 と祖母にまで言われてしまい、おもしろくない気分になるのだが、でも、確かに、章一の神田さんに対する気持ちは、世間で言うところの『恋』という状態に違いなく、これまでにも女性に対して同じような感情を抱いたことはあったが、その思っている対象の女性と実際に言葉など交わしたことはなく、ただ遠くから思いを寄せた経験だけだったので、その相手をこんなに近く感じることは初めてのことだった。

それ自体が章一にとっては驚きだったし、期待やら焦がれやら、複雑な思いが押しよせており、とてもじゃないがシャッターなんか閉めておける状態ではないのだった。


 夢見心地で湯船につかっている章一に、外から母が声をかけた。

「ショーちゃん、新しいジャージ買ってあるから、これを着るんですよ」

 は? とショーイチは身を正した。

 身を清め脱衣場に上がると、純白のジャージが用意してあり、左胸のあたりに黄色い糸で『心』と刺繍がしてあった。

 章一は困惑してそのジャージを見つめ、一瞬心がくもりそうになる自分にカツを入れ、そのジャージを着込んだ。


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