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大気が枯れている。こんな言葉を何か音楽の歌詞で聞いてことがあった。文字の意味から察するに、湿度は低く、気温は高くも低くもない十月あたりの気候を指すのではないかと思う。

 青く澄み渡る空は、世間一般では秋晴れと呼ばれる雲一つない快晴。時折吹き荒れる風が、木枯らしとなって落ち葉をまとめ上げる。春には桜が満開となる並木道を歩きながら、俺は若干の肌寒さを感じて二の腕をこする。


「しーちゃん、どう?テストの出来は」

言われ斜め右下を見やると、小柄な少女が俺を見上げている。

「まあ、よくはないな。赤点はないと思うけど…」

「ふっふーん、じゃあ今回は私が勝てるかな?ちなみに英語は九十点越したよ!たぶん」

誇ったように胸を反らすが、古くなってハリがない生卵からできた目玉焼きほどしか膨らみがないそれは、返って哀愁あいしゅうを漂わせた。

「そうか、よかったな。そうだな、勝ったらしてほしいことを聞いてやるよ」

「ほんと?やったー!」

「ただしエロ方面はなしで

「えっ。もー、しーちゃんのばかぁー」


川村紅、俺の幼馴染である少女はそう言うと、喜びながらも不満を口で表現する。

並木道が途切れると、左側に俺の通う都立高校が目と鼻の先に見えてくる。創立から五十年を迎え、二度の建て替えを経ている校舎に紅とともに入ると、そこにはいつも通りの光景。

教室に入ると、テスト最終日だからかやたらとテンションの高い男子生徒、最後まであがき続けようとひたすらにペンを走らせるお下げ髪の少女など、それぞれの朝の風景が広がっていた。

前列の席の紅と別れると、俺は窓際最後列、学習意欲のない者には最も好まれる 場所にある席に着いた。特に何もすることもなく数分の時間が過ぎると、やがてやってきた担任の指示で教室が静寂に包まれていく。

 

三時間後、いずれの教科も良くも悪くも平均点前後だろうと思われる出来だった俺は、さした感慨もなく第三回定期試験を終えた。

テストが終わった後の放課後といえばやることの相場は決まっている。学校の指針でテストの日は通常の授業がないため、部活がある生徒は部活へ、そうでない者は少し早い下校になる。

それが残念なことであるのかはわからないが、後者である俺は、教室の後ろ側で談笑する生徒などには目もくれず一目散に昇降口を目指す。

「あれー、しーちゃん、帰っちゃうの?」

だが、教室を出てすぐに紅に呼び止められる。

「お前こそいいのか?紅、後ろに集まってたやつらと昼飯だか食いに行かなくて」

えー、だってあの人たち男女で遊びに行くんでしょ?私あーゆーの嫌…」

紅の顔はわかりやすく非難の色を示しており、紅に未だに彼氏ができない理由を察した俺は、思わず鼻から息を吐き出した。これだから紅はいまだに彼氏ができないんだ…

「そうか、じゃあ俺と行くか?」

「うん!しーちゃん、一緒になんか食べて帰ろー」

「ああ。でもな、そのしーちゃんって呼び方そろそろやめないか?人が通るたびにこっちを見ているんだが」


「えー、やだー。しーちゃんはしーちゃんだもん!」

「まぁ…いいや」

やがて、遠くに野球部の掛け声が聞こえてきたころ、朝来た道をまた並んで歩き出す。

横を歩く紅がとても女子高生とは思えぬアクション漫画の話を始めると、紫苑はいつも通り相槌あいづちを打つ役に回る。

 川村紅とは小学校六年生以来の仲であった。出会いはそれほど前でもないのに、ずっと前から一緒にいたような、不思議な気持ちを抱くことがたまにある。次第に気恥ずかしさもなくなってきて、俺は自分の素性を事細かに紅に伝えては、紅も自分のことをよく語る。他の誰にも言えないようなこともお互いたくさん知っているし、知られている。

 紅の恋の相談も受けてきた。主に「○○君に告られたんだけど、どーしょー」などという、答えるのに実に困るようなものばかりだったが。

 かくいう俺はというと、「好きなら付き合えば?」などとおおよそアドバイスとも言えぬアドバイスを繰り返してきた。小柄で胸もない紅だが、顔立ちは整っているため、中学時代モテたのだ。

 紅の恋愛相談こそ聞いてはきたものの、俺は恋愛という言葉が大嫌いである。もっとも、恋心などという感情、その感情が引き起こす人間の行動が嫌いだということなのだが。それが、過去の自分に原因があるのは俺自身が一番理解していることでもあり、また目をそむけたくなるのも事実。

 

 アクション漫画の話が強大な敵を前にしたクライマックスへと入ってきたころ、高校から徒歩数分、食べ物屋から雑貨屋、カラオケやボーリング場などが立ち並ぶ街の中心地へたどり着く。

この街でなにか外食をすると言ったら八割の人が思い浮かべるであろう、文字通りメインストリートだった。

 「何処に入るー?しーちゃん選んでいーよぉ」

 「俺は何処でもいい。なるべく金を使わないところがいいけど」

 「じゃー、うどん!」

そう嬉しそうに言う紅を見て、まるで小学生を相手にしているような錯覚にとらわれて俺は苦笑する。

 「うどん、ね、いいよ」

 「んー?なんか不服そー」

 「いやいや、全然大丈夫」

 俺としては全然構わないし、むしろうどんは好きな方だ。だがここで迷わずうどんを選ぶあたり、女子高生として大事な何かが欠けていないかと思う。

 たしかにコストパフォーマンスという面からみれば、大金を持たない高校生として決して判断は間違っていない。全国に何十店舗と展開されているチェーン店だし、その面ではよい判断だとも思う。

が、気の知れた仲の人間ならまだしも、女友達や彼氏とうどん屋に行ったとして、仕事途中のリーマンで溢れかえっている所で会話は弾まないだろう。いや、今時の女子高生とやらは、場所を選ばずに盛り上がることができるのだろうか?って、今時って…仮にも俺は今を生きる十代のはずなのだが…。あまりのジジ臭い言葉に本日十回目くらいのため息が漏れる。

 

 まあ、俺が気にすることではないか、紅の好きにさせてやろう。

 「さぁーどれにしよっかなー」

 紅はメニューを吟味ぎんみする派だが、俺は違う。メニューを見始めてからわずか5秒、財布の中身と今月の出費についてツーカーで会話を終了させると、てんぷらうどん大盛りを注文。

 「じゃー私はぁ〜、てんぷらうどん大盛りと、かけうどん大盛りで!」

 「おま…よく食うな…」

 小柄ながらに俺の倍ほど食事を摂る紅にももう慣れた。わずか一分ほどで出てきたお盆を受け取り、紅と対面するように端の席に座る。周囲には仕事途中と思われるサラリーマンの姿が多く目立ち、制服に身を包んだ俺たちは若干浮いているかもしれない。


 ちゅるちゅると、紅が小気味好い音を立ててうどんをすすっていく。

 「それにしても紅、食うの早すぎじゃあないか?いくらなんでもそれ女子力低…」

 「もう!しーちゃんまでそんなこと〜!昨日、お母さんにも言われたんだからね!紅、ちょっと女子っぽくしなさいって…みんなが言う女子力ってなんなのっ?私は自由にいきたいよぉっ!」

 「そうだな、まあ自由が一番だ。法律で自由権が認められているからな…」 

 そう言うと、再び紅はうどんを食すのに全力を注ぐ。

 女子力こそ低いものの、俺はこの紅が好きだ。恋愛感情という意味では、俺はこの気持ちに説明をつけられないでいる。そもそも俺に恋愛感情なんて湧くのだろうか?湧いたとして、俺はその気持ちを紅にうまく伝えられる自信もない。

 俺はともかく、紅はただ今は巡りが悪いだけで、いずれ紅の真っすぐさを受け止めてくれる人間が現れてくれるだろうと心の奥でそっと願った。

 「はあ、うまかったな」

 「うん、美味しかった」 

 紅の満足そうな顔。これを見せられたら、普通の男なんて一発だと思う。

 「これからどうする?帰るか?」

 壁の時計を見やると、一時を少し回ったところ。いつの間にか、サラリーマンでにぎわっていたはずの店内に人の影は少なくなっていた。

 「うーん、せっかくのテスト終わりなんだし、しーちゃんの家とか…」

 「うーん?来ても特にすることないとけど、別にいいぞ」  

 紅は勢いよく立ち上がり、俺の袖を引っ張る。やれやれ、紅が俺を引っ張るときは、もう止めようがないのだ。

 

 紅に連れられた俺は、うどん屋から徒歩数分の住宅街の端に位置する濃い茶色で塗られたマンションの一室、五階まであるうちの三階にある部屋に着く。築十五年が経とうとしているマンションは新しいというほどでもなく、所々塗装がはがれている個所も見受けられる。

玄関を入ってすぐを左に曲がると、そこが俺の部屋であった。

 六畳ほどの部屋の中にはクローゼット、本棚に勉強机、それにベッドが置いてある。整っているというほどでもないがそれほど汚いわけでもない。少なくとも片付けが苦手な紅の部屋よりは整っていると思う。

 「そこでちょっと待ってろ。飲み物はココアでいいか?」

 「いえ、そんなお気遣いなく~」

 「そのくらい気にするな」

 自室を出て廊下を歩いて行くと、やがてリビングとそれに接するキッチンがある。カーテンが閉め切られて薄暗く、傾きかけた西日が差し込む室内は活動の時に備えて眠っているようだ。

 湯を沸かしスーパーで最安値で売っていたインスタントのコーヒーとココアの粉をカップに注ぎ、紅の待つ部屋へと持っていく。世間と関わりのない、静かな時間。俺はこのひと時を結構気に入っている。

 趣深い、といった表現は性に合わないが、なんとなく落ち着いた時間といったものは心に安らぎをくれる、そんな気がする。千利休だってきっと、信長が心の癒しを求めていたから仕えていられたのではないだろうか。


 俺がココアを渡すと、紅は勝手に本棚からオセロの台を取り出し、ベッドに横たわって足をぶらつかせながら俺に目で訴えてくる。俺の前だからいいものの、他人の家に遊びにいってこれではいかがなものか。

 それが紅の長所と言ってしまうことも、できなくはないけれど。

 俺は回転式の椅子に腰かけると、それをベッドの傍まで移動させて紅と向かい合わせの体制になる。何も言わずとも阿吽の呼吸で開始されたオセロは、普段妹との対戦で慣らされた俺の優位で進んでいく。

 すると唐突に、オセロ盤を向いたままで、今晩の夕食は何かと問うような口調で紅が口を開く。

 「しーちゃんは、誰かと付き合ったりしたことないのー?」

 「それはお前が一番よく知っていることだろ。中学の時、誰かと付き合うことしか考えていない恋愛脳共に二、三回告白されたが当然全部蹴った。」

 「ううん、正しくは五回だけどねー」

 「そうだっけか?まあどんなやつが告白してきたのかさえ覚えてないからなあ。まあどうでもいいことだろ、そんなのは」

 天井の電灯を見ながら思う、そんなにあっただろうか?告白されたのなんて…。

 

 「どうでもよくないっ!私にとっては!」

 突然紅が起き上がったかと思うと、一瞬のうちに俺との間に一メートルほどあった距離を詰め、座っている俺に突進、さらにはその勢いのまま首に手をまわしてくる。

 「おい、あほかお前!痛ってえ…」

 紅が突っ込んできた勢いで俺の腹に相当な衝撃、さらには紅の膝が太ももに突き刺さって泣きそうなくらいに痛い。紅はそんな俺を無視して両腕を首に絡ませ、耳元へ顔を持ってくる。いったいなんなのだ?時々紅は奇行に走ることがあって理解に苦しむ。

 「なんだよ突然…。とりあえず降り…」

 「しーちゃん、私はずっと待ってるよ。たとえしーちゃんが私のこと嫌いだって言ったとしても、私は好きでありつづける」

 俺の耳元で囁くその声色はさっきまでのとは打って変わって、暖かいのにどこか冷たさをはらんだような不思議な響きを湛える。

 「答えなくていいよ。しーちゃんのその顔を見ればわかるもの。何年でも待つから、私は。ずっと、ずっと」

 俺はごくりと、唾をのんだ。頭がぼうっとして思考が遅くなる。だが心臓は、いつもと変わらぬ拍動のペースを保っている。

 

 だからこいつには、紅には敵わないのだ。紅がいなかったら、俺は今頃どうなっていただろうか?一人ぼっちで誰とも話さないで、ねじ曲がった性格を直そうともせずに生きていくことになったかもしれない。はたまた学校に行くのすら嫌になってすべてを投げ出していたかもしれない。そんな俺を、闇の底から引きずりあげてくれたのが目の前にいる小柄な少女である。 

 たぶん、これは世の中の条理、もとい仁義として俺は、紅の気持ちに応えなければならない。それが最上級の恩返しだというのなら、これほど簡単にできることもそう多くない。今すぐにでも返事をしてしまうのが一番良いはずだ。

 紅と付き合ってくれる男ができますように、なんて願ったところで、かなうはずがない。初めから、その好意は俺だけに向けられていたのだから。


 「ごめん…もう少しだけ待ってほしい」

 「うん、いいよ」

 ああ。嫌な記憶が蒸し返される…。 


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