第九章 二人の秘密 11
翌日、トーア達は早朝のうちにエレハーレを出て、昼を少し過ぎた時間に異界迷宮『小鬼の洞窟』へと渡る『異界渡りの石板』がある場所へ到着していた。途中、ブラウンボアと遭遇することはあったがギルによって倒され、トーアの手によって解体され夕食の食材になっている。
【湧き水】によって生み出した水を飲んで一息入れたあと、三人は早速『小鬼の洞窟』に渡ってみることにした。
トーアにとっては何度目かになる『小鬼の洞窟』であるため、特に驚きはなかったがフィオンとギルは天然の洞窟という様相の『小鬼の洞窟』に若干、驚きながら興奮しているようだった。
「すごい……こんな所、初めて来た」
「天然の洞窟か……ヒカリゴケが思ったより明るい」
「今日はある程度まで進んで雰囲気をつかめればいいと思うから。フィオン、先頭をお願い」
「え、わ、私が?」
「うん、何時も通りでいいからね。『小鬼の洞窟』には罠はないみたいだけど、足場は悪いところもあるから慎重にでいいからね」
何度か頷いたフィオンは身につけていた物をもう一度確認する。確認が終わったフィオンにギルが、『小鬼の洞窟』に出没する魔獣や魔物について確認していた。フィオンはその質問に淀みなく答えて、フィオンなりの解釈でどのように襲われるかという予想を話す。
「うん。予想外の襲われ方があるかもしれないから、辺りの注意は怠らないようにね」
大丈夫そうだとギルと頷いて、フィオン、トーア、ギルという順で洞窟の中を進み始める。
最初の枝道が見えた頃、硬い物で壁を叩き何かが崩れる音が聞こえ始め、振り返ったフィオンの“静かに”というハンドサインに小さく頷いた。音を立てないように枝道が覗き込める場所まで進み、そっと覗き込むと三体のマインゴブリンがツルハシを振っていた。枝道は思いのほか広く大人二人が並んで歩いても問題なさそうな幅があり、剣を抜いた状態でも一人ぐらいなら充分に振り回せるスペースがある。
再び身体を隠したあと、どうするかという視線をフィオンに向けた。この状況でフィオンはどんな判断を下すのか知りたかった。意図に気が付いたフィオンは若干、目を丸くしていたがすぐに真剣な表情で考え始める。
「私とトーアちゃんでマインゴブリンを倒します。ギルさんは後ろをカバーしてください」
囁くようなフィオンの指示に首肯し、ギルも静かに剣を抜きながら頷いた。
静かに剣を抜き、枝道に飛び込んで凸凹の足場に気をつけながらマインゴブリンに向かって真っ直ぐに走り出す。すぐにマインゴブリンはこちらに気が付いて手にしていた片ピッケルを構える。
距離をつめたフィオンの剣撃にあっさりと一体が倒れた。それを視線の端で確認しながらマインゴブリンが振り下ろしたツルハシを避けて、首を深く斬り裂く。そうしているうちにフィオンは残っていたマインゴブリンを切り倒していた。
三体のマインゴブリンは白い灰に変わり、あたりは静かになる。
「ふぅ……なんとかなったかな」
「うん。いい判断だったよ、フィオン」
「ありがとう、トーアちゃん」
剣を鞘に納めたフィオンははにかんだ様子を見せて、照れているようだった。
マインゴブリンが残した鉱石を拾って再び探索を再開する。途中、他の魔獣にも遭遇したが、フィオンは慌てる様子なく戦い、危なげなく倒していく。出会った時のフィオンは三体のゴブリンに襲われて四苦八苦していた頃をトーアはしっかりと覚えている。
こっそりとギルに聞くと、この頃のフィオンの成長が楽しくて“今のフィオン”に合わせた修練を行っているとのことだった。
――この分なら『小鬼の洞窟』にいるボス、ホブゴブリンと戦ってもいいのかもしれない。
フィオンの成長を確認するにはいいかもしれないと思いながらパーソナルブックで時刻を確認すると夕暮れ時といった時間になっていた。
「今日はこれくらいにして、そろそろ『異界渡りの石板』に戻ろう」
「了解だよ、トーアちゃん」
行きに魔獣や魔物を狩ったせいか、帰り道では魔獣や魔物に出遭わずにあっさりと『異界渡りの石板』にまで戻ることができた。『異界渡りの石板』で渡り、保護する建物の中に戻ってくる。
フィオンはほっとしたように大きく息をついていた。
「どうだった、『小鬼の洞窟』は?」
「『灰色狼の草原』と違って死角が多いから、緊張してちょっと疲れたかも」
「スチールシープのように友好的な魔獣もいないしね。まぁ、夕飯をしっかり食べて、しっかり眠って明日に備えよう」
「うんっ!」
『異界渡りの石板』を保護する建物から出ると外は夕日に赤く染まっており、寝泊りするための建物からは冒険者達であろう話し声が聞こえてくる。
建物の扉を押して中に入ると、中に居た冒険者の視線が一斉にむけられた。
「……あれはリトアリス・フェリトールと、ギルビット・アルトランか」
「ギルビットは冒険者だって聞いたがリトアリスもそうなのか?」
「バカ野郎っ……!ゴブリン討伐でギルド付に勧誘されたのを忘れたのかよ……!」
声を潜めて話しているつもりなのかもしれないが、全て丸聞こえだった。
思わず困ったように笑いながら頭を掻いて、ギルとフィオンに肩を竦めてみせる。壁際に空いている一画を見つけそこに腰を下ろした。ギルとフィオンも傍に座り、トーアはパーソナルブックを開いてレシピを捲り始め、夕食のメニューを考え始めた。
いま手元にある食材は来る途中に狩ったブラウンボア、ベルガルムから買った固焼きパン、ウィアッドで受け取った調味料と乾燥野菜、干し肉といった保存食、森に出るたびに採取した香草や香辛料、あとはギルのチェストゲートの中には未解体の魔獣があるがそれは除外する。
――何を作ろうかな。前に来たときはなんだかんだ言って鹿うさぎ鍋とかいろいろ作ったけど、前回みたいな事にならないとは限らないしなぁ……。
先ほどからちらちらと視線を送ってくる冒険者の一団が何組か居て、一部は前回『小鬼の洞窟』で料理を作ったときに居た冒険者達のようだった。別の一団は単純にトーアかギルに興味を持って視線を向けているようで、それに気が付いたフィオンも困ったように笑っている。
「トーアちゃんとギルさんは人気者だね……」
「……その分、面倒事もやってくるけどね」
小さく息を吐きながら呟いたギルに同意して何度も頷いた。
「夕食は私が作っていい?」
「うん!いつも任せちゃって悪いけど……」
「いいよ、作るの好きだし」
眉を落とし申し訳なさそうにするフィオンに笑顔を返しながら、料理に必要な固焼きパンを受け取ってリュックサックを片手に立ち上がる。
様子を窺っていた冒険者の一部がざわついて、パーティと思われる塊でひそひそと言葉を交わしていた。声をかけてきたら考えようと調理場に向かい、リュックサックの中から刃の部分に布を巻いた包丁を取り出す。柄にはトーアの手のサイズに合わせて削りだした木を使っており、刃渡り二十六センチメートルほどの牛刀に仕上げてあった。
――ふふ……折角、作ったんだから使わないとね。
自然と笑顔になりながら、切り分けておいたブラウンボアの肉や乾燥野菜や固焼きパンを取り出す。以前に購入しておいたフライパンを取り出そうとしたところに、様子を見ていた冒険者の一人が調理場に顔を見せる。
「リトアリス、ちょっといいか?」
「はい?」
申し訳なさそうにしながらもどこか期待の篭った表情だったので、トーアは何をいいに来たのかピンとくるものがあった。
「前の時みたく俺らの飯も一緒に作ってもらえねぇか?もちろん、タダって訳じゃねぇ。まぁ、雑用と食材を提供するぐらいしかできねぇが……」
「いいですけど、前回みたいなメニューにはならないと思いますよ。時間が時間なのと簡単なものにするつもりですし」
「はははっ!干し肉と固焼きパンを水で流し込むような飯よりは遥かにましだろうよ」
会話を聞きつけたのか、トーアの料理を食べた事のあるパーティの代表が調理場へと姿を見せ始める。
調理台の周りに集まってもらい、提供してもらう食材、作業の分担、そして、種族的、宗教的に食べれないものの確認を行う。前回と同じように種族的に動物性のものを食べれない冒険者が居たが今回は想定済みだった。
集めた食材は全員の固焼きパン、乾燥野菜、干し肉、そして、ドライフルーツを受け取る。
予定のメニューは前に作ったドネルケバブサンド風ファットラビットサンドを少しだけ手を加えたものの予定だった。
「あのリトアリスさん、果物をどうするつもりでしょうか?」
作業をはじめようとしたところに耳が長い女性に声をかけられる。冒険者でありながら白く透けるような肌、金糸のような髪、どこまでも深い翠の瞳に一瞬、見とれてしまう。女性はローブを羽織っており優しげな笑みを浮かべていた。
「あ、皮をむいて軽く焼くつもりです」
「それならこれを使っていただけませんか?」
女性が調理台の上に置いたのは、二つの細長い小瓶でコルクのようなもので口は栓がされている。中に入っているものを見て、トーアは驚きに目を大きくする。手に入れるにはもっと大きな街に行ってからか、独自に原材料を探し出して作らなければいけないであろうと思っていた香辛料と香料だった。トーアの様子に女性は笑みを深める。
「これが何かご存知でしたか?」
「は、はい。シナーフとバニーレウルで合っていますか?」
「はい、その通りです。リトアリスさんは鍛冶だけではなく、食材にもお詳しいんですね」
女性の言葉に物作り全般が好きだからと照れながら言った。
そっとシナーフと呼んだ小瓶を手に取る。中には木の皮のようなものが丸まった棒が三本入っている。バニーレウルの方の小瓶には黒い棒状のものが三本入っていた。
「どうみても木の皮と腐った房突きの豆にしかみえないんだけど、それはなんなんだい?」
白い肌の女性の隣に耳は長いものの褐色の肌に凛々しい表情に引き締まった身体付きの女性がトーアが手にした小瓶を覗き込んでくる。説明するよりも実際に嗅いでもらったほうがいいと、シナーフと呼ばれたほうの小瓶のコルクをそっと抜く。それだけであたりにはしっとりとした甘い香りが漂った。
「木の皮というのは正しいです。これは木の皮を乾燥させたものだったはずなので。この甘い香りが特徴ですね」
「おぉー……なんとも癖になる匂いだね」
シナーフは元の世界に存在するシナモンに似たもので、いま嗅いだ限りでは匂いは同じでだった。製法まではわからないがCWOでは、木の皮をはいで乾燥させるといった作り方をする。
「こちらはバニーレウルといいます、製法については秘密ですが腐らせたものというのはあながち間違ってはいません。こちらも甘い香りですが……」
「こっちはすごいねぇ……この甘い匂いをかいだだけで頭にがつんとくる」
バニーレウルはいわゆるバニラビーンズのようなもので香りも同じであり、白い肌の女性から聞く限り使い方についても大体同じらしかった。
出来れば手に入れておきたいと思い、白い肌の女性に出所を尋ねる。匂いを堪能したのか白い肌の女性はほっと息を吐いて二つの小瓶に蓋をした。
「私の故郷で作っているんです。故郷の匂いなんですが外に出すほど作ってはいないんです。特産品として売り出したいとは村の皆で何度も考えているのですが……」
「そうですか……」
故郷の品として持ち歩いているのであれば、譲って欲しいとも言えずトーアは今は諦めることにした。女性からその故郷の場所を聞いてパーフェクトノートにメモをしておいた。
――バニーレウルが手に入れば多分、プリンが作れる。よくプリンで異世界革命!みたいなことあるし……切り札として用意しておいてもよかったけど。
白い肌の女性にからはシナーフの一つの半分ほどだけ譲ってもらい、今日の夕食に使うことにした。
シナーフの処理は後にして、ブラウンボアの脚肉から丁寧に骨から取り外して、切り取った肉の一部をブロック状に切り、残ったものをスライスする。取り外したブラウンボアの骨はスープの出汁に使い、一部の乾燥野菜とドライフルーツをお湯で戻し始める。
【調理】アビリティを持つ冒険者たちに作業方法を説明しながら、スライスした肉を二つの包丁で叩いてひき肉にする。そして、一番大きなボウルに入れて塩と胡椒のような辛味を持った調味料を入れて混ぜる。トーアが作っているのはつなぎ無しのシンプルなハンバーグステーキで、焼けばいいだけの状態にしておく。
乾燥した状態から戻したトマトのようなラカラを鍋の中でつぶし、ブラウンボアの骨から煮出した出汁を少量加え、塩とガラズの爪で辛味を加えながら味を調える。
残った出汁を水で少し薄めて乾燥野菜や干し肉、ブロック状に切ったブラウンボアの肉を入れたあとに味を調えてスープを完成させ、ブラウンボアの骨から煮出した出汁を使わない野菜だけのスープも用意する。
固焼きパンを半分に切り、真ん中に切れ込みをいれて温める。そのそばでフライパンを並べて熱し、ブラウンボアの脂身を入れて染み出した油を使ってハンバーグステーキを数枚同時に焼き始める。
作業を他の冒険者に任せてトーアは戻しておいた乾燥野菜やドライフルーツをお湯から取り出して、しっかりと水を切った。果物の皮をむき一口大に切り、ブラウンボアのハンバーグステーキから少し離れた所で戻したドライフルーツと共に果物をフライパンでソテーする。そして、仕上げに粉末にしたシナーフを振りかけて、一応の下準備は完了した。