第九章 二人の秘密 10
砥石の上を切り出し小刀を滑らせ、刃を整える。
「よし……これでいいかな」
傍らには既に研ぎあがった包丁や裁ち鋏、縫い針、徐冷中の金やすりがおいてある。
朝食をとったトーアは部屋と言うよりもホームドアの鍛冶場に引きこもっていた。最初に時間のかかる金やすりの作業をはじめ、鏨で一つ一つ溝を打ち込んだ。その後すぐに焼き入れ、焼き戻しを行い徐冷を始める。炉に火が入っているので様々な大きさの鋸の本体部分を鍛造する。鉄を叩いて均一に薄く板状にする作業のため、やや気を使っての作業だった。
鋸の用意が整ったあとは、昨日から徐冷を行っていた包丁や切り出し小刀、裁ち鋏、縫い針を砥いでおく。このあと裁ち鋏は刃をあわせて調節する必要があるが、そのための木槌はまだできていないので今は完成できない。
包丁については、細く裂いた布を巻いておいた。今は完成した切り出し小刀の鋭く尖った刃先を眺め、出来栄えに自然と頬が浮き上がる。
「ふふふ……あ、でもこれを収めるものがないや……早く革の加工が出来るようにしないと」
とりあえずはそのままチェストゲートに収めておいた。金やすりが冷えるまで他に作業はないのとそろそろお昼のためトーアは立ち上がる。部屋から出て酒場に降りるとカウンター席にはギルが座っており、他にはちらほらと客が居た。
「あれ、フィオンは?」
「買い出しに行ってるけど、実家に行ってるんだしご飯食べてるんじゃないかな」
そっかとギルの横の席に座り、ベルガルムに昼食を注文する。
宣言どおり、部屋から出てこなかったトーアにギルはうっすらと笑みを浮かべて視線を向けてきていた。
「……どれくらいできたの?」
「もう少しで鋸ができるかな」
「そっか。……お風呂はいつできそう?」
声を潜めたギルの言葉に求めているものは同じなんだと苦笑いを返した。
「木の乾燥がまだかかりそうなのと、水を加熱する方法がね。まぁ、腹案はあるけどちょっと金属を加工する必要があるから」
「うーん……五右衛門風呂とかならあっさり出来そうなものだけど……」
大きな鉄の鍋の上に桶を置いた五右衛門風呂もいいかもしれないが、トーアは『鉄砲風呂』を作る予定だった。
鉄砲風呂は木の風呂桶の中から鉄の筒が生えた様な構造をしている。鉄の筒の中に火のついた薪を入れ熱せられた鉄の筒で水を温めるという方法をとった風呂である。鉄の筒は熱くなるため、やけど防止の柵は必要だが五右衛門風呂のように底が鉄の鍋に接している訳ではないため、ゆっくりと入ることが出来そうだと考えていた。
「まぁ出来たらその、使わせてほしいな」
しょうがないなぁとトーアは笑い、ギルならば出来そうな方法を思いついて眉を顰める。
「……ギルならスティールタートルの討伐方法を応用したらお風呂できるんじゃないの?」
「……あ」
指摘されて気が付いたのか、ギルは手で口を押さえて視線を左右に彷徨わせる。
「確かに……。でも流石に人気のない場所じゃないと目立つ気がする」
「まぁ、それもそうだけど、一応、ギルは入れるじゃない」
「別にトーアも入ってもいいけど?」
「え、あー、それはー……」
そう言われて最初に思ったのは、人気がない場所であろうとは言え魔法を使うギルが近くに居る状態で裸になるのは恥ずかしいと思ってしまった。話していたギルから思わず視線を逸らす。ギルも無神経な言葉を言ったことに気が付いたのかさっと顔色を変える。
「ごめん、トーア」
「う、ううん、気にしてないから大丈夫」
互いに無言になったところにベルガルムが昼食を運んでくる。
そのまま会話が少ないまま昼食を終えた。部屋に戻る際にもう一度、ギルに気にしてないからと告げて席から立ち上がる。
部屋に戻り鍵をかけ、小さく溜息をついた。
――ちょっとあの発言はデリカシーがないと思うなー……。あ、いや、押さえが利かなくなってるとか?
愛想尽かされることはなさそうだったが、逆に暴発しそうな感じもする。距離を取ろうかとも思ったが元から距離の取り方を計りかねていた手前、離れるのも近づくのもどうすればいいのかわからなかった。早めにお風呂を作ってギルのストレスを少しだけでも軽減させようとトーアは心に決める。
ホームドアを発動して中に入り、金やすりが冷えているか確認するがまだ、ほんのりと熱をもっていた。完全に徐冷が終わるまでは今後作る道具のもち手部分を太目の枝をナガサで大雑把に切り、出来たばかりの切り出し小刀で形を整えていった。
本当であれば目の細かい紙やすりのような植物であるトクサを使って仕上げをしたかったが、森の中の探索で見つけ採取はしているものの乾燥まではしていなかった。うかつだったと思いながら、薬草や草木の乾燥も始めておこうと今は切り出し小刀で整える。
作業をしている間に金やすりの徐冷が終わり、取っ手をつけて完成させた。
「よし、これでやっと鋸を作る作業に入れる……」
立てて固定した板を金やすりで刃を作っていく。ひとつの刃は三つの面を持たせ、極小の刃物を作る感覚で手を動かしていく。時間を忘れて手を動かし続け、まずは丸太から板を切り出すための大きな鋸を完成させる。本体の部分が大きく、一つ一つの刃は大きいものになる。
他にもいくつかの和鋸の刃を作り終わった頃、太陽が沈みはじめてホームドアの建物の中にも夕日が差し込んで来ていた。
初期設定の部屋で汗を流したあと夕食のために酒場へと降りる。
酒場の雰囲気はいつもとは違い、静かで沈んでいた。カウンター席にはギルとフィオンが座っていたが二人も表情を曇らせている。ギルの表情は昼間の事が原因ではないようで異変を感じながらギルの隣に座った。
「何かあったの?」
「いや……午後から出掛けてたんだけど、ちょっと……噂を聞いて」
「私も……」
ギルの隣に座るフィオンも同じように頷いたところにベルガルムが真剣な表情でやってくる。
「ギルとフィオンは噂として聞いてるみたいだがな、俺が話すのは確認済みの情報だ。トーア、おまえにはもう関係のない事かもしれないが、一応耳に入れておいてくれ」
「……何?」
いつもとは違うベルガルムの雰囲気に椅子に座りなおして聞き返す。
「あの貴族の坊ちゃん、ポリラータとか言ったか?森の奥で死んでいるのが見つかった」
「えっ?……それは、本当なの?」
ギルドからポリラータに出された強制依頼である『新たなアリネ草群生地を発見する』という強制依頼の事を思い出し、その過程で魔獣に襲われ死んだことを察する事ができた。
「ほとんど魔獣に食い荒らされて原形はとどめてなかったそうだが、すぐ近くにギルドタグが見つかってな。本人と断定された」
「……そう」
「それと傍らには刀身の中ほどから折れた剣が転がっていたそうだ」
ベルガルムの説明に思わず手を握り締める。
――結局、灰鋭石の硬剣の一件から何も学んでない……!
ぎりっと噛み締めた歯が音をたてた。考えてみればポリラータに出された強制依頼はとても難度の高いものだと今更、気が付いた。
ギルドの資料を見る限りエレハーレから近い場所にあるアリネ草の群生地は発見され尽くしており、新しい群生地を探すとなれば森の深部に足を踏み入れなければいけなかった。北側のセンテの森はエレファイン湖に近づくにつれて木々はまばらになり草原が広がる。その先には湖で漁を生業とする村があるため、見つかる可能性はかなり低くなる。南側のセンテの森は国境線でもある険峻な黒竜山脈のふもとまで広がっているが、エレハーレ近郊に現れる魔獣よりも凶悪な個体が多くなるため、相対的に危険が高くなっていく。
最初、クエストの内容を聞いたときには簡単なクエストではないのか、なんだかんだ言って貴族相手なのだから仕方ないのかとも思ったが、難度を考えてみればギルドからの遠まわしの除名勧告であった。
トーアが握り拳を作っていることに気が付いたギルがそっとその手を触れてくる。
はっとして顔を上げるとベルガルムやフィオン、常連客たちから心配そうな顔が向けられていた。
「……大丈夫。情報はそれだけ?」
「いや、あいつにも色々あったみたいでな」
続けてベルガルムが語ったのは、噂として出回っているポリラータの事情というものだった。
ポリラータはジオバラッド男爵家の正妻の長子として生まれ、男爵の地位を継ぐ立場にあった。だがその立場のせいか屋敷で働く人間や街の住人へ暴力、貴族の地位を傘に着る横暴な態度を取り始める。初めは口頭で叱り付けていたポリラータの父だったが、ポリラータはまったく反省の色を見せなかった。
そのような事が続いたある日、ついにポリラータの父は反省しないポリラータに我慢の限界を迎え継承権を剥奪する事を決定する。同じ正妻から生まれた弟が兄であるポリラータを見て育った為か“出来た人間”であった事も要因の一つなのかもしれない。
その決定にポリラータは荒れに荒れたが現男爵である父の決定をひっくり返す事はできなかったが、ある条件を満たす事ができれば次期男爵の地位に返り咲く約束を取り付けることに成功する。
『冒険者として大成すること』それがその条件だった。
現ジオバラッド男爵の思惑が死が付きまとう冒険者にさせる事での“不出来な実子の排除”だったのか“親としての情け”だったのか“社会勉強として冒険者を生業とさせる”だったのかはわかっていない。
一つだけ予想外だったのが中途半端に剣の腕があったポリラータが冒険者として生活が可能だった点だった。その傲慢な性格が直る兆しはなく、王都に居た時のアメリアやエレハーレから夜逃げしてしまった鍛冶師などの人間を巻き込みながら、最後は誰に看取られることもなく森で屍をさらす結果になったのは自業自得と誰もが思ったが口にはしなかった。
「……私からは冥福を祈る、としか言えないよ」
「そうだな。……いつになっても同業が死んだと聞くと気が重たくなる。たとえそいつがどんな奴でもな」
口を真一文字に結んだベルガルムが呟いた一言は、いつの間にか静かになった酒場に響いた。
「話はそれだけだ」
「うん、教えてくれてありがとう」
夕食を頼むと短い返事とともにベルガルムは頷いて、頭をなでながら調理場へと去って行った。店内には話し声が戻りつつあったが、いつものように騒がしい雰囲気になる事はなかった。
「……冒険者ってこういう仕事なんだね」
「隣に立っていた人間がいきなり居なくなる無常な職業、か……」
フィオンとギルの呟きが、冒険者という仕事の全てなのかもしれない。誰もがそれを理解しながらも手に入る栄光を求め、冒険者を志す人間は後を絶たないのかもしれなかった。
夕食を食べたあと部屋に戻るが、すぐに作業を再開する気になれずベッドに横になる。
――あんな奴だったけど、死んだ、と聞くと気が重いなぁ……。
胸に棘が刺さったような気分に溜息をついて天井を見上げていたが起き上がり【ホームドア】を発動する。
いつまでも暗く沈んでいる訳にはいかないと、完成した切り出し小刀を手に【木工】用の作業部屋の奥にある木材の乾燥室に向かい【刻印】の下準備として、床と壁に幅二ミリほどの溝を真っ直ぐに掘り込んでいく。
無心になって作業を続けるうちに時間は夜中になったいた。まだ作業は残っているため異界迷宮【小鬼の洞窟】から戻ってから完成させることにして、出た木屑を掃除する。
汗を流してから明日のために寝ようと初期設定されていた部屋に向かい、柔軟と型の確認を済ませてお湯を含ませたタオルで身体を拭いた。
多少は気分は晴れたものの、部屋に戻ると小さく溜息をついてしまう。気にするなという方が無理だと思ったが、それを引きずるのも良くないと頬を叩いたあと、毛布を被り目をつぶった。