第九章 二人の秘密 8
異界迷宮『灰色狼の草原』の林はギルドにあった資料の通り、エレハーレ周辺の植生と異なり取れるものが違っていたが夜に来た時は伐採をメインに考えていたため、あまり気にしていなかった。
林の中を進みながら、木の葉や果物、薬草などを採取する。
「これは食べれる、これは香辛料、これは……乾燥させれば薬になる」
「トーアちゃんって植物にも詳しいよね……」
フィオンに植物の効能を説明していくとどこか驚いたような呆れたような顔をしていた。採取する際には刃物で丁寧に切り取る事を教えて実際に採取してみせる。
「一応【調合】もできるから原料の知識としてね。フィオンが二日酔いの時に渡した薬は私の手製だよ」
「あ、そういえばそうだったね……すぐに気持ち悪いのなくなったし……」
そのときの事を思い出したらしいフィオンが胸元を撫でていた。
「草のままでも薬の代わりになるのはあるから、知っておけばもしもの時役に立つかもしれないし」
擦り傷、切り傷、打撲、止血に使える薬草を説明しながら採取方法を教えて林の中を進んでいく。その間、ギルは辺りを警戒したり、薪を拾っているようだった。
林の中ではホーンラビットやファットラビットが飛び出してくる事もあったが苦労することなく倒すことができた。だが外の世界と異なり、死んだホーンラビットやファットラビットは白い塵となって『灰色狼の草原』に吹く風に飛ばされる。
――もし、異界迷宮で食料がなくなったら詰みなんじゃ。いやでも、ドロップ品に肉とかがあれば難しくはない……かな?
『小鬼の洞窟』と『灰色狼の草原』しか知らない為、結論を出す事はしなかったが厄介な場所であるという事を再認識する。
ホーンラビットやファットラビットのドロップ品は毛皮や足、角と言ったもので、ギルドにはそれらを納品するクエストも存在している。通常の毛皮と多少異なるためか異界迷宮で取れるものと指定されていた。
初めて迷宮の魔獣を倒して塵に変わるのを見たギルとフィオンは、不思議そうな顔でホーンラビットが塵となった地面を眺めている。
「……ギルドの資料にあったけど、本当にあんな風に消えちゃうんだ」
何か思うところあったのか、しばらくフィオンはその地面に視線を向けていた。
立ち上がったフィオンはトーアとギルの視線に気が付いたのか、どこか恥ずかしそうに笑みをみせる。
「大叔父さんから迷宮の話でこの事を聞いたとき、すごく怖かった事を思い出して」
「まぁ……そうだね。その場に居た痕跡が何も残らずに消えちゃうからね」
小さく頷いたフィオンは行こうと声を上げて、先頭を歩き出した。
その後、昼食として干し肉と固焼きパンをかじる。いつくかの林に入り、ときおり襲い掛かってくるシェルゴートやホーンラビット、ファットラビット、グリーンバイパーを撃退しながら『灰色狼の草原』の探索を続ける。その間、トーアは何かに見られているような気配を感じていた。ギルも同じ気配を感じていたのか、常に鞘に手をかけていつでも剣が抜けるような体勢をとっている。
――この『灰色狼の草原』で出会っていない魔獣と言えば……アッシュウルフとブラウンウルフぐらいしかいないし……偵察かもしれないけど、襲ってくる様子はないか。今日は元の世界に戻って眠った方がいいかも。
木材を取っていた時には襲ってこなかったのはなぜかと思いながらも、襲われたときは木に登ってそのまま【空駆】で逃げることが出来たかと思った。狼との集団戦は避けれるなら避けたいと『異界渡りの石板』に戻る事をフィオンとギルに提案する。
「そうだね。そろそろ野営地に戻らないといけないかも」
「ううん、今日は野営地で寝ないで元の世界に戻るよ」
「え……?」
驚いた顔をするフィオンが、まだ偵察に来ているであろう気配には気がつけないかとトーアは思う。
「こっちをずっと観察している気配があるんだ。夜になったら襲い掛かってくるかもしれないから、泊まる為の建物のほうで今日は寝よう」
「は、はい」
ギルの言葉にフィオンの表情が引き締まり、僅かに緊張したのがわかる。
偵察に来ている気配の動向を探りながら、トーア達は『異界渡りの石板』へ向かって歩き出した。
襲撃されそうな窪地を避けて進み、結局、何事もなく『異界渡りの石板』へ到着する。他の魔獣も姿を隠したかのように静かだったため、こちらの動向を窺っていたのは『灰色狼の草原』のヒエラルキーのトップであろう、アッシュウルフが率いるブラウンウルフの群れの可能性が高かった。
「はぁぁ……」
『異界渡りの石板』の下にある【刻印】が刻まれた石の台の上に立ったフィオンがほっとしたように息を吐いていた。
「何事もなかったね」
「襲われるよりはましだよ」
ギルの言葉に頷いて、アッシュウルフ達に集団で襲われた場合は三人背中を合わせて戦うしかなく、フィオンのフォローを含めて戦う必要があるだとうと考えていた。そして、最初に体力が切れるのはフィオンであることも推測でき、そうなれば【贄喰みの棘】や【機械仕掛けの腕】を使う必要が出てくる可能性があった。
――まぁ、命には代えられないから使うけど。同じようなものってこの世界にあるのかな?
成長装具について調べてみようかと思いながら、トーアは『異界渡りの石板』に触れる。
元の世界に戻った後、寝泊りする建物に移るが昨日来た時と同じように誰も居なかった。もしかしたら迷宮に入っている最中なのかもしれない。
残っていたファットラビットとホーンラビットの肉と乾燥野菜でスープを作りゆっくりと夕食を食べる。
「ふぁ……今日は夜警は必要ないよね?」
「まぁ、襲ってくる魔獣は居ないだろうしね」
昨日の夜警で微妙な睡眠時間であったのと一日中探索したため、満腹になったフィオンは眠たそうに欠伸をしていた。
先に寝るといってフィオンは毛布に包まって横になり、すぐに寝息を立て始める。トーアはギルと共に調理場のテーブルにお茶を用意して座り、一日が終わって一息ついていた。
「……トーア、今日も伐採に行くの?」
「ううん。また同じ空間に行くかわからないけど、もし同じだったらアッシュウルフに襲われそうだしね」
「『異界渡りの石板』の向こう側って同じ空間なんじゃ?」
わからないという風にトーアは首を横に振る。
『小鬼の洞窟』では数多くの冒険者がいたものの、異界迷宮内では一度も冒険者と出会うことがなかった。『灰色狼の草原』でも冒険者と出会ったことは無かったが、それはただ単に冒険者が居なかった可能性が高い。
「まぁ、ギルドとかの方でも原理がわかってないみたいだし……」
「なら明日も早いだろうし、寝ようか」
使っていた食器を片付けてトーアとギルはそれぞれ毛布に包まって眠りに付いた。
寝泊りする建物で一夜を明かしたトーアたちは昨夜のスープと固焼きパンというメニューの朝食を食べる。
「フィオン、初めての異界迷宮はどうだった?」
「うーん……なんていうか、普通?いつもギルさんとトーアちゃんと行ってるクエストとあんまり変わらなかったかな」
外とあまり変わらない雰囲気であった『灰色狼の草原』のことを考えればフィオンの感想も納得がいった。
「なら次は『小鬼の洞窟』に行ってみよう。あそこは『灰色狼の草原』と違って薄暗い洞窟だからね」
「う、うん」
いささか緊張した様子のフィオンに笑みを向ける。まずはエレハーレに戻ろうというギルの言葉に頷いて、宿泊するための建物から出てエレハーレに向かって歩き出した。
途中、ホーンディアと遭遇したもののあとは何事もなくエレハーレに到着したトーア達はまずギルドに向かった。
クエストで必要な品物の納品を済ませたあと、カウンターに座る女性職員にシェルゴートと戦った際に気が付いたことがあると切り出した。
「リトアリスさんたちのパーティは『灰色狼の草原』に行ってらしたんですね……。少々お待ちください」
どこか考える素振りを見せた女性職員は席を立つ。少し待つと戻ってきた女性職員からギルド長であるリレラムが直接、話を聞きたいらしく、ギルド長の部屋へと案内すると言った。
「トーアちゃんたちだけで報告、お願いできる?私、あれの事を父さん達に話したいし……」
「うん、もう一つのこともあるから大丈夫だよ」
夕凪の宿で合流する事を約束してフィオンと別れる。少しだけ足早にフィオンはギルドから出て行った。
ギルドの職員に案内されたギルド長の部屋ではいつものソファーに座ったリレラムが笑顔で出迎え、トーア達に向かい側のソファーに座るように勧めてくる。
「お疲れ様です、リトアリスさん、ギルビットさん」
ソファーに腰掛けたあと軽く会釈をして、シェルゴートの弱体化方法を説明した。怪訝そうな顔をしていたリレラムにギルドに説明するため切り取っておいたシェルゴートの毛を渡す。
「これが、シェルゴートの毛ですか?以前触れたものは硬いままで、革などの硬化処理に使う分泌物を取るぐらいしか利用価値がないはずですが……」
「水に濡らして刈り取った場合はこうなります」
「ふむ……新たな産業にもなりそうですね」
リレラムの呟きに色々と障害が多そうなことを説明するが、既にマクトラル商会が動き始めている可能性については口には出さなかった。
「なるほど……確かにリトアリスさんが話したとおりの問題はありそうですね。わかりました、ギルドのほうでも確認を行ってみます」
「はい。……あとはチェストゲートの申請をしたいのですが」
ぴくりと眉を動かしたリレラムは本当かという視線を向けてくる。パーソナルブックを取り出して、チェストゲートから灰鋭石の硬剣を取り出してみせた。
「本当に使えるようですね」
同じようにギルもチェストゲートが使えることを伝え、道具の取り出しをしてみせる。それをみたリレラムは小さく頷いた。
「わかりました、この情報はギルドのほうでしっかりと管理させていただきますが、それ以上についてはご自身の判断でチェストゲートを使用してください」
「今までそういう風に使ってましたから、大丈夫です」
「確かにそのようですね。……いつから使えていたか、についてはお聞きしません」
意味ありげなリレラムの呟きを無視し、笑みとともに会釈をして部屋から退室した。
ギルと共にギルドから夕凪の宿まで歩き、いつものようにスウィングドアを押して酒場へと入る。視線が一斉に向けられるがすぐに離れた。
「そろそろ戻ってくるころだと思ったぜ。『灰色狼の草原』なんて何もねぇからな」
人気のなさはやはり冒険者に取って美味しくない場所だからというの理由らしい。ベルガルムに宿代を払い鍵を受け取って部屋に向かう。以前の部屋と同じでトーアはお湯で身体を拭こうとホームドアを発動する。
――うーん……早くホームドアの設定とかしたいけど、昼食のあとでいいかな。ゆっくりとやりたいし。
いつものようにお湯で濡らしたタオルで身体を拭って一息つく。ホームドアがどうにかなればお風呂が出来るなと考えて、思わず口角を上げる。
すっきりしたあと酒場へ戻ると、すでにギルがカウンター席に腰掛けていた。
「おつかれさん。で、『灰色狼の草原』はどうだったんだ?」
「スチールシープはいるし、エレハーレ近郊と植物は違うしで色々と収穫はあったよ。あとシェルゴートの毛も採れたし」
「シェルゴートってどうやってあんな固い物取るんだよ」
笑いながらも怪訝そうにするベルガルムに水で濡らせばいい事を話した。
「『灰色狼の草原』にそんな大きな水場あったか?いや、魔法か」
「そういうこと。なんでもいいからシェルゴートをずぶぬれにさせることが出来るなら大丈夫だよ」
水に濡れると硬化した体毛が柔らかく変わり、さらにシェルゴートを無力化出来ることを説明するが、ベルガルムは腕を組んで難しい顔をしていた。聞き耳を立てていた酒場の冒険者達も眉間を寄せて考えこむように唸っていた。
「うーん……流石にずぶぬれに出来る量となると【水魔法使い】とかと組まないと難しいだろう」
「……やっぱり?」
フィオンから魔法が使える冒険者が少ない事を聞いていたため、安定してシェルゴートの毛を刈るというのは難しそうだった。
「でもまぁ、シェルゴートって水を嫌がるから牽制には使えるよ」
「突っ込んでくるところをとめる程度ならそれでいいかもな」
ベルガルムが何度か頷くと、あたりからいい事を聞いたという声が聞こえてくる。ギルドには報告済みな事も話し、ついでに刈り取ったシェルゴートの毛の一部をベルガルムや酒場に居る常連客に回すように渡した。
「ウールシープとかと違ってなんとも柔らかいな」
「そのくせ保温性は抜群だから、毛布にすると一生物とは言えないけど。重宝すると思うよ」
「でもトーアちゃん、商品化には障害が多いよ……」
いつの間にか夕凪の宿に戻り落ち込んだ表情のフィオンの呟きにやっぱりと小さく嘆息する。
シェルゴートを無力化し毛を刈り取るには、水系統の魔法が使える事、その毛を刈り取れるアビリティを持っている人物を用意しなければならない。安定して商品を生産、流通させるには少々ハードルが高いとリレラムとの会話ではっきりとわかっていた。
シェルゴートを家畜化することが出来れば多少の望みがあるものの、強固な外殻と化した体毛を使っての突進を行う気性の荒いシェルゴートでは難しい話かもしれない。溜息をつきながらフィオンがカウンター席に座る。身奇麗な格好をしているため家で湯浴みを済ませてきたようだった。
「父さんや兄さんたちと話したけど、難しいなーっていうのが結論だったよ。冒険者に依頼を出してもこの方法が浸透して“シェルゴートの毛”かそれを使った製品が流通しないとね」
「そっか……」
トーアの手で流通させてみてもよかったが、それには糸を作り、織り、販売する必要がある。
――くぅぅ……早く、ホームドアを……!
そう思ったトーアはフィオンに荷物を部屋に置いてくるように急かしてベルガルムに昼食を頼んだ。フィオンが戻ってくるころには揃った昼食を食べながら、今後について話す。
「今日はこれで終わりにして明日は休み、明後日に『小鬼の洞窟』に行く感じでいいかな」
いつもなら元気一杯に目を輝かせるフィオンだったが、初めての異界迷宮で疲れを自覚しているのかあっさりと頷いていた。ギルも異存がないということで明日はまるまる休みとなる。
「明日は私、宿に居ると思うから。出かける時は声をかけなくていいよ。それじゃ、部屋に戻るね」
「あ、わかったよ、トーアちゃん」
昼食を手早く食べたトーアは早口に説明して立ち上がる。
不思議そうな顔をしたフィオンと、どこか呆れたようなギルに小さく手を振って階段を登り部屋に飛び込んだ。部屋の鍵をかけてブーツを脱ぎながらベッドに飛び乗った。クッション性はないものの気にせずに枕を抱いてパーソナルブックを手の中に現した。
「さ、て、と。念願のホームドア、大改造のはじまり、はじまり」
自然とテンションがあがっていたトーアは鼻歌混じりにパーソナルブックを開き、ホームドアの設定が書かれたページを捲った。