第八章 好敵手 2
トーアは頷いて必要な砥石を選び、フォールティの革切り包丁を手に取る。
「フォールティさん、いつも通りでいいですか?」
「トーアに任せるわ」
フォールティの言葉に頷き、砥石に革切り包丁を当ててゆっくりと砥いで行く。何度もお願いされて砥いでいるため、フォールティが革切り包丁を使うときの癖がわかってきており、その癖に合わせて革切り包丁を動かし砥ぐ。アメリアの視線はトーアの手元に注がれていたが気にせずに作業を続ける。
しばらくして研ぎ終わった刃を光に当てて確認して作業台の上に置いた。
「うん、さすがトーアだね」
「ありがとうございます、フォールティさん」
満足げなフォールティに笑みを返してから他の革切り包丁を砥いで行く。数個あった革切り包丁をすべて研ぎ終わると、アメリアがフォールティに了解をとり、手に取っていた。
「……さすがと言ったところね。なぜ鍛冶をしないの?灰鋭石の硬剣の一件の顛末は噂で知ってるわ、仕事も店も選び放題じゃない」
「出回ってる噂に理由もあったと思うけど……」
使い終わった砥石を片付けながら答えると、アメリアはむっと眉を寄せていた。
「知ってるわ。それでも聞きたいのよ」
片づけが終わりトーアはアメリアに向き直る。
「ふらっとやってきた鍛冶師に仕事を取られたら、店を出している人はいい顔をしないだろうから」
そう言いつつもホームドアの能力で作りチェストゲートに収納したままの金床や簡易炉のことを思い出した。
――早く木材を調達して好き勝手に生産したいなぁ……。
小さく溜息をついたが、アメリアはむっと肩をすくめていた。
「そんな事を気にして、仕事を請けないなんて勿体無いわ」
アメリアは確認したフォールティの革切り包丁をそっと机に戻した。
「ありがとう、トーア。私は作業の方に戻るよ」
「はい、フォールティさん」
革切り包丁を抱えたフォールティが部屋から出て行くのを見送る。
「そういえば、灰鋭石の硬剣は手元にないの?一目見ておきたいんだけど」
「ちょっと待ってて」
いつものリュックサックを手に取り、中に手を入れてチェストゲートから灰鋭石の硬剣を取り出した。
「へぇ……珍しい造りね」
「私の故郷で『白木造り』って呼ばれてるものだよ」
アメリアに抜き方を簡単に説明すると、苦も無く灰鋭石の硬剣を抜いた。そして刃に光を当ててじっと検めていく。
「なんで成形の難しい灰鋭鋼に反りを入れたの?トーアは技術を誇示したいからこんなことをするようには見えないし」
刃から顔を離して鞘に納めたアメリアはそう尋ねてくる。そんな風に思われていることに嬉しい気持ちを抱いた。
「構造で切れ味が上がるなら、それを追求した形にしたいって思わない?」
悪戯っぽく笑うと、アメリアも口角を上げて笑った。だがトーアはすぐに眉を八の字に落とす。
「……その分、扱いは普通の灰鋭石の硬剣より難しくなるけどね」
万人に扱えるような武器ではない灰鋭石の硬剣をより、扱いづらくに仕上げてしまうのは鍛冶師としてどうなのだろうかと、思うところもある事を漏らす。
「そうでしょうね。けれどあの馬鹿程度の腕前でどうにかなる程、造りが弱くはないのね」
「え?」
「なんでもないわ。ありがとう」
アメリアから差し出された灰鋭石の硬剣を受け取る。
「そうだわ、噂の中にエレハーレを出て行くというものがあったのだけど、本当なの?」
「その予定だけど……」
頷いてパーティであるギルとフィオンのギルドランクが昇格してからと付け足す前にアメリアはさっと表情を深刻なものに変えた。
「こうしては居られないわ……さっきの砥ぎと灰鋭石の硬剣の出来栄えでトーアの腕前ははっきりとわかったわ!やっぱり私のライバルとして相応しいわ!!」
大きな声で宣言するアメリアの不穏な“ライバル”という言葉にトーアは呆気に取られる。
そうしている間にもアメリアはすたすたと部屋の入り口へと向かって歩き、振り返る。
「トーアが街を出る前に決闘の方法についてはすぐに連絡するから、逃げ出さずに待っていなさい!!」
「あ……まっ……あ……あー……」
椅子から腰を浮かせ、すぐに街を出るわけではないと説明する間もなくアメリアは姿を消した。
そのあと、入り口から月下の鍛冶屋の面々が顔を覗かせる。
「トーア、また厄介事に巻き込まれたのか?」
「トラース、“また”とか言わないで、正直、軽く混乱してるから」
トラースの無邪気とも取れる質問に、浮かせた腰を椅子に戻して頭を抱えながら答えた。
アメリアが月下の鍛冶屋から去った後は何事もなく、エレハーレは夕日に照らされていた。月下の鍛冶屋の仕事とは別件で疲れたトーアは仕事を終えてとぼとぼとした足取りで夕凪の宿に向かっていた。
スウィングドアを押して酒場に入ると、いつものカウンター席には既にギルとフィオンが座っていた。その隣、いつもの席に深い溜息交じりに腰掛ける。
ギルは何かを察したのか、顔を心配そうに覗き込んでくる。
「……トーア、何かあった?」
「何かあったというか……うーん……とりあえず、厄介事がね、向こうからやってきたというか……」
『決闘を申し込まれ、ライバル宣言された』などと、どう説明していいものか悩むが、そのまま説明するしかないと口を開いた。
ばんっ!と酒場のスウィングドアを吹き飛ばすような勢いで開かれる音が酒場に響く。既視感を強く覚えながらぎこちなく顔を入り口へと向ける。入り口には腰に手を当て、豊満な胸を張り、仁王立ちをするアメリアが立っていた。
トーアの姿を見つけたのか頬を吊り上げて笑い、真っ直ぐに指を差してくる。
「探したわ!リトアリス・フェリトール!私からの決闘の申し込みに尻尾を巻いて逃げ出したのかと思ったわ!!…………どうしたの、頭を抱えて?」
言葉を共に近づいてくるアメリアの姿を見て、ギルは納得したように頷き、フィオンは驚きに目を丸くしていた。
「……そういうこと」
「……うん……わかってくれてちょっと嬉しい」
ぼそりと呆れをにじませて呟かれたギルの言葉にトーアはうんざりとした調子で答える。
アメリアがトーアの隣のカウンター席に座ろうとしたので、話しやすいようにテーブル席に移動した。
とりあえず自己紹介を済ませると、アメリアはギルに視線を向ける。
「あなたがギルビット・アルトラン?灰鋭石の硬剣で木の板を四つに斬ったと聞いてるけど」
にっこりと笑みを向けながらギルへと語りかけるアメリアの態度に、胸がざわつき、それが嫉妬によるものだと気が付いて困惑する。
――ギルに微笑んでるアメリアに嫉妬している?
困惑しながらもこっそりとギルの方へ目を向けると視線が合う。視線の意図に何かを察したらしいギルは優しい笑みを浮かべると手を伸ばしてくる。そして、一筋解けてトーアの頬に掛かっていた髪を耳にかけた。その手際は優しくとても慣れたものだった。
「トーアに頼まれた事だから」
ただ簡潔に、だがとても甘い声色で言ったギルの態度に、トーアのざわついた胸は逆に締め付けられるような感覚に襲われ、頬がかっと熱くなっていた。
――いやいやいやいや!な、な、なんでこんなに……恥ずかしい思いをさせられなきゃならないの!?
緩んでしまいそうになる頬を無理やり固定したためか、微妙な表情になっている事を自覚したトーアはうつむく。耳もまた熱を持っており酒場の明かりに照らされて赤くなっているだろうなとトーアは思った。
少しだけ顔を上げてフィオンの顔を見ると、やれやれと言った様に肩をすくめて生暖かい視線を送ってくる。アメリアもまた胡乱げな視線と表情をしていた。
「ああ……そうなの」
辛うじて口に出来たらしいアメリアの一言に何か重大な勘違いをされているような気がしたトーアは顔を上げる。
「まぁ、それはいいわ。トーアに確認したい事があったから来たのよ」
「あー……うぅ……なに?」
完全に訂正するタイミングを逃し、再びうつむいてしまいそうになるのを我慢しつつアメリアの確認したいという事を聞く。
「いつエレハーレを出て行くのか、それを聞くのをすっかり忘れていたわ」
月下の鍛冶屋でそれを説明する前に出て行ったのを思い出し、眉間によった皺を揉み解しながら説明することにした。
「あれは将来的な話であって、今すぐという訳じゃないよ。ギルとフィオンのギルドランクが昇格して、準備を整えてからラズログリーンに行く予定だから」
「あら、そうなのね。慌てて来て損したわ」
噂による誤解が解けたのか、アメリアはどこかほっとした表情をしていた。そして、頼んでいた酒を一息に飲みほすとおもむろに立ちあがり、代金をテーブルの上に置いてそのまま入り口へと向かう。入り口の前で振り返り胸を張ったアメリアは、真っ直ぐにトーアを指差していた。
「決闘の方法はすぐに見つけるわ!それまで首を洗って待っていることね!」
酒場に響くような声で高らかに宣言したアメリアは満足げにスウィングドアを押して夕凪の宿を出て行く。後にはぽかんとした表情で酒場の入り口を見るギルやフィオン、そして客達と、頭を抱えたトーアが残されていた。
「こりゃ……見事に厄介事がやってきな」
「何も言わないで……」
カウンターに立っていたベルガルムの呆れを含んだ言葉にトーアは辛うじて言葉を返していた。
翌日、朝の日差しをとても恨めしく思うのは元の世界以来かなぁと思いながらトーアは、今日も月下の鍛冶屋での仕事へと冒険者横丁を歩いていた。ギルとフィオンは何時も通りギルドへ行き、そのままクエストを受けて森に行くと話していた。アメリアはまだ姿を現しておらず、言葉通りトーアとの決闘方法を探しているようだった。
――ポリラータに比べれば全然マシなんだけど……もうちょっとこう、落ち着きを身につけてほしいと言うか……。
アメリアという人物については初対面の時のインパクトはさておき、トーアは好感はもっていた。真っ直ぐすぎるかなとも思うがそれは鍛冶師として作るものの気質にも通じるかもしれないと思う。そんな事を考えているうちに月下の鍛冶屋に到着し、今日もがんばりますかと思いながら店の扉を開ける。
「おはようござ」
「今日も良い朝ね!リトアリス・フェリトール!!」
アメリアの快活な挨拶に膝から力が抜けて扉に寄りかかる。そのまま扉を閉めて何も見なかったし、聞かなかった事にしたい気持ちが湧き上がるが、なんとか堪えたトーアは溜息を小さくついて店の中に入った。
「……おはよう、アメリア」
「なによ、元気ないわね。そんなので私との勝負、戦えるのかしら?」
怪訝そうにするアメリアに、問題ないと弱弱しく答える。
「ふふふ、それでこそ私のライバルね!決闘方法について思いついたから、それを話しに来たのよ!」
「あぁ……うん、それで方法は?」
「それは“試剣術”よ!」
「試剣術……?」
いつものリュックサックと剣をカウンターの下に置き、自信満々なアメリアに視線を向ける。
「ええ、ギルドの資料室にあったのよ。ベクトル・アラミネが考案し、剣の切れ味を試すためにいろいろな物を斬るのよ。そうね……トーアが灰鋭石の硬剣でやった事に似てるわね」
アメリアの説明に、同じような事を誰かと話した様な既視感を覚える。
試剣術という言葉は聞いたことはなかったが、切れ味を計るために何かを斬るという説明が引っかかっていた。
――うーん……試し切り、据え物……あ、ああ、師匠が話してた試刀術と同じなんだ。
既視感の正体が、CWOで灰鋭石の硬剣を使いゴーレムを両断したトーアの武術の師匠である、サクラ・ソミソナギとの会話だという事を思い出す。
それはトーアが、灰鋭石の硬剣を使ってサクラがゴーレムを両断する動画を見た後にサクラの元へ行った時の事で、撮影の際に使用されていたトーア謹製の和甲冑の着心地の確認のためでもあった。
『今回は灰鋭石の硬剣でわしはゴーレムを斬ったがの、本来の据え物斬りは動かないモノを斬るんじゃ。これじゃ試刀術じゃなくて実戦じゃわい』
『試刀術……ですか?』
『まぁ、言うなれば“刃物の切れ味を純粋に試す方法”じゃな。大体は刀の切れ味を試すのぅ』
『なるほど。……普通は何を斬るんですか?』
『流派によるところが大きいが……そうじゃな、樫の棒、巻いた藁束、鹿の角、水面に叩きつけるというのもあるの。あとはそうじゃな……死体や生きた罪人を斬る』
『人、ですか』
『……そうなるの。試刀術を行う専用の職があった時代もあるというのじゃから、あくまでも実戦で使用する対象を試し切りにするという質への探究心はすさまじいものを感じるところじゃな。外国じゃ獣を斬っていたらしいがの』
『その気概はすごいとしか……。……って、結局、師匠もあっさりとやりとげたじゃないですか』
『馬鹿者。わしとて緊張したんじゃぞ』
自慢げに口角を上げながら言った師匠の言葉は説得力がなかった事や、和甲冑の着心地はよかったものの撮影のためだけに注文したことを告げられてがっくりと肩を落とした事も思い出す。だが和甲冑の性能や着心地は言葉通りよかったためか、たまに使っているのをみてほくそ笑んだりもした事も思い出した。
試剣術と試刀術が同じ意味合いで考え出されたものであるなら、世界が違っても求められる事は同じなのだとしみじみとトーアは感じる。
意識をアメリアに戻して、トーアは試剣術の内容を尋ねる。
「資料に書かれていた方法は色々あったけど、実用性を計るという事でブラウンボアの指定された箇所を切断する『獣斬り』で勝負よ!」
アメリアは自信満々の表情で宣言した。