断章三 フィオーネ・マクトラルの決意 2
ひゅんと風を斬り、木剣が振り下ろされる。
トーアの後についてやってきた、エレハーレの隣にある村、ウィアッドにフィオンは居た。そこではトーアと同郷だというギルビット・アルトランと出会い、そして、剣術を教わっていた。
「……フィオン、身体の軸がブレてるよ」
「は、はい!」
指摘された事に注意を払いながら、再び木剣を掲げ、振り下ろす。
昨日行われたトーアとギルの模擬戦は目で追うのもやっとだった。その後のトーア、ギルとの模擬戦では明らかに手加減をされていた。
――手加減はしかたないよ……。流石にあんな速度での模擬戦はできないし……。
朝食を済ませた後は、最初に柔軟、筋肉トレーニングを行い、現在、しっかりとした形で素振りが出来るまで振り続けていた。ギルが実際にやっている所を見せてもらい、そして、丁寧に解説を受けてフィオンは木剣を振るう。
「うん、その感じで……とりあえずは今日は全体の流れの確認だから、あとは出来るところまで素振りをしようか」
「わかりましたっ!」
素振りの姿勢については合格はもらえたようなので、後はそれを日々続ける事が大事なのだろうとフィオンは考える。
――出来るところまでって言われたけど、そんなんじゃトーアちゃんやギルさんみたく戦えない。
フィオンは、再び木剣を振り上げる。
「無理はしないようにね」
「はいっ!」
ギルの言葉にフィオンは木剣を振り下ろしたのと同時に答えた。
お昼になりフィオンはウィアッドの宿のテーブルで突っ伏して動けなくなっていた。
振り続けていた腕が上がらなくなり、身体を支えていた足にまで疲労があらわれているのか膝が笑っている。
「フィオン、無茶は禁止。午前中に頑張りすぎて午後に何もできなかったら本末転倒でしょ」
「うぅぅ……はい……」
ノルドの鍛冶屋から戻ってきたトーアにそう言われ、フィオンは唸るように言葉を漏らす。きしむ身体にフィオンは十分反省をしていた。
その後、フィオンは再びエレハーレに戻ってくる。そして、マクトラル商会にばつが悪そうに顔を出す事になった。
「フィオン!?ウィアッドに行ったんじゃなかった?」
「えへへ……ただいま、キャラル兄」
店の奥で従業員に指示を出していたキャラルは驚いた顔をしていたが、フィオンを上から下まで何度も視線を走らせて、ほっと息をついていた。
「ウィアッドで、トーアちゃんの同郷の人と出会って、急いでエレハーレに戻る事になってさ」
「まぁ……無事に戻ってきたんなら、何も文句はないけどさ」
優しい笑みを浮かべたキャラルに頭を撫でられ、フィオンはくすぐったそうに笑う。
「母さんに顔を見せてきな、心配してたし」
「うん、行ってくる」
家に居る母に顔を見せると驚かれたものの、今日の夕飯は腕によりをかけるわとぎゅっと抱きしめられながら言われ、つい涙腺が緩みそうになってしまった。
トーアが異界迷宮に行く事になり、フィオンはギルとともに森に入ることになる。地図も方位磁石も持たないギルであったが、道や方向に迷うことなく進む様子からトーアと同じように、ギルドランクでは計れない熟練者である事をフィオンは知ることになる。
そして、異界迷宮から帰ってきたトーアから驚くべき事を言われることになった。
ギルドの裏の広場で、トーアから見本剣を差し出され、フィオンは首をかしげる。
「フィオンに剣を打ってあげるって言ったでしょ?用意が整ったから注文を聞こうと思って」
「え……あ、本当にいいの?」
「もちろん。ギルにも作ってあげるし、それに扱いにくい武器を使い続けるのも危ないしね」
腰に差した大叔父、ディルディオの剣に触れる。
トーアからは、今のフィオンには合わないと言われショックを受けたが、ギルとの鍛錬をこなすうちにトーアが言った意味を理解しはじめていた。
剣を振れば重さに振り回される、そこに隙が出来る、そして、そこを突かれる。隙を自分で作るようなものだと、フィオンは理解して筋肉トレーニングと素振りに熱が入るようになったが、ある程度のところでギルにとめられる。
『焦ってもすぐ剣を扱える身体になるわけじゃない』と言われ、再びフィオンは反省した。
トーアに促されるままに見本剣を持ったフィオンは、ディルディオの剣と比べて軽い事に気が付く。見た目は同じ位の長さであるものの全く違っていた。
「あ、う、で、でもトーアちゃん!私はまだ、こうしてほしいっていうのは全然わからないんだけど……」
「なら、とりあえず見本剣を振ってみて。それでこの剣は重たい?軽い?長く振り続けることは出来そう?」
ギルに教わった形で剣を一度振り下ろす。ディルディオの剣に比べて身体が泳ぐ事はなく、しっかりと最後まで振り下ろす事が出来た。切っ先をぴたりととめる事ができたフィオンは、剣が違うだけでこんなにも違うのかと内心、驚いていた。
「うーん……振ることはできるけど、振り続けるのは難しいかも」
「ふんふん……重心はとりあえずそのままにして、重量を調節してみようかな。長さはフィオンの剣と同じぐらいにしてと……」
柄の長さや太さの確認を終えた頃には、フィオンはひしひしと自分の剣が作られているという事を実感し始めていた。
翌日、ギルからクエストが終わった後、トーアとギルが宿泊している夕凪の宿に来て欲しいと言われる。
「それはわかりましたけど……」
流石に一日や二日で剣が出来るとは思えず、不思議そうにギルに視線を向ける。ギルはいたずらっぽく笑みを浮かべた。
「トーアが来て欲しいと言ってたんだ」
「……わかりました」
ギルがトーアの名前を呼ぶときの表情は何よりも優しい。ふと二人の関係について何も聞いていないことにフィオンは気が付いた。同郷という事は聞いていたものの、それ以上のことを踏み込んで聞くというのも無作法ではないだろうかと、一瞬、思いとどまる。
「どうかした?」
「ぁ……えっと……」
逡巡した事を悟られたのか、ギルが真っ直ぐに視線を向けてきていた。
フィオンは思い切って、トーアとギルの関係を質問する。
「トーアは……僕にとって大切な人だよ。こうして一緒に居られる事だけでもとても、嬉しいくらいに」
その時見せたギルの表情は、恋愛小説に出てくる王子様のように憂いを帯びながら、そして、トーアへの愛情を感じさせる優しいものだった。
ギルがトーアへと向ける視線はとても同郷の人間に向けるものではなかった、そして、トーアがギルに向ける視線もまた、同じように絶対の信用と友愛を感じさせ、どこかフィオンの父が母に、母が父に向けるような愛情と信頼が混じったものだった。
「やっぱり」
「え……?やっぱりって、そんなわかりやすかったかな?」
フィオンの言葉に照れたようにギルは頬をかいていた。
「トーアちゃんとギルさんみたいな雰囲気を醸し出す人が家族に居るんです。気が付いてるのは私くらいだと思いますよ」
だがフィオンはトーアがギルの視線の意味に気が付いていないんじゃないか?という言葉は飲み込んだ。流石にそこまで口を出すのはおせっかいだと思ったからだった。
クエストを終えて夕凪の宿にギルと共に向かうフィオン。トーアはどこか自信ありげに待っており、一振りの剣を差し出した。
「フィオン、おまたせ。約束してた剣だよ」
「え、あ、ありがとう……!」
トーアがベルガルムに許可を取り、フィオンは剣をその場で抜いた。
さわりと、全身に鳥肌が立つ。
鞘から抜かれた剣が冷たい訳ではない、濡れたかのような刀身、儚さを感じさせる切っ先、冷気さえ感じさせる鋭利な刃に鳥肌が立った。
「こ、こ、これ……本当に私に?」
声どころか身体も震えていた。
本当にこれを受け取っていいのかという疑問が浮かぶが、満足げに微笑むトーアの言葉により狼狽する事になる。
「もちろん。フィオンの注文を聞いて、フィオンの為に作った剣なんだからね。重たさ、重心の位置に問題はない?」
「う、うん……私が想像したものと同じ……。あの、トーアちゃん……私のためって言ったけど……同じものは無いって事だよね?」
「そうだよ。フィオン専用、特注品って事になるかな」
「あ、あわわわ……」
駆け出し冒険者の誰もが夢見る専用の武器を、一緒のパーティだからという理由で作ってしまうトーアに頭が痛くなるが、商家の娘ゆえか無意識にフィオンの脳は金額をはじき出していた。
「すげぇ……なんだあの剣……」
「飾り気がまったくないが、鍛冶屋小道の店先に出してる剣よりいいな……」
店に座る冒険者の声は剣への評価で、経験を積んでいるはずの冒険者達からも手放しで絶賛されていた。
「トーアが差してる剣もよかったが、そいつは……なんつーか本物だ。フィオン、それは駆け出しが憧れる“自分専用の剣”だ。大切に扱えよ」
視線を泳がせた先に居たベルガルムからもそう言われ、ぐっと歯を食いしばり身体の震えをとめる。
「はい!」
もちろん、この剣を乱雑に扱うつもりなどかけらも無い、フィオンの頭の中に浮かぶのはもっと別のことだった。
――この剣に私の腕前は相応しいの?
剣を抱き考えながらも家に着き、家族と夕食を囲む。行商に出ている下の兄、レジステラも帰ってきており、珍しくマクトラル家の全員が揃っての夕食だった。
だがフィオンは半ば上の空で夕食を終えて湯浴みを済ませて、自身の部屋に戻る。そして、トーアから受け取った剣を机の上に置き、机の前の椅子に座った。
「…………」
鞘を指先でなでる。
剣だけではなく剣帯や鞘もしっかりとした作りをしており、職人の腕が存分に振るわれたものだとわかった。ウィアッドでトーアが言った、身を守る程度の事は覚えてほしいと戦う技術を教わっていものの、目の前にある剣は身を守ると言うには遥かに過ぎた代物に思える。フィオンの剣術の腕にも、過ぎた代物だと自覚していた。
「……トーアちゃん、こんな剣貰っても私、使いこなせるか自信がないよ……」
椅子の上に座ったまま、フィオンは膝を抱えた。
次の日、ギルと共にフィオンは薬草採取クエストに森に来ていた。ギルの腰には見慣れない剣があり、トーア作の剣とのことだった。フィオンが差してきたトーアの剣と遜色ないくらいに素晴らしい物に見える。
「……あの、ギルさん」
「ん、なんだい?」
先行していたギルが顔を向けたのを見て、昨日から考え迷い続けていた事を口にする。
「トーアちゃんの剣に私は相応しいのかなって昨日からずっと考えてるんです。こんな剣……エレハーレでも滅多にお目にかかれるような物じゃないし、それなのにランクGの駆け出しとそう変わらない私が持っていてもいいのかなって……」
急き込んで悩みを吐露するとギルは困ったような顔をしていた。
「フィオン、だからと言ってその剣を手放す事は絶対にしない事。それは剣を打ったトーアに失礼な事だし、絶対にトーアは怒るからね」
「それはもちろんですっ!トーアちゃんが一生懸命に作ってくれた剣ですっ、誰にも渡しません!」
他人に渡す事は考えた事もなかった。トーアが剣を渡す時に浮かべた心底嬉しそうな笑みは、今まで一度も見たこともないものだった。それほどの想いが込められた剣は重たく、フィオンを考え込ませるには充分すぎた。
「それがわかってるなら、あとはフィオンの心構え次第だよ」
「私の……心構え?」
「剣が自分に相応しいか自分が剣に相応しいか、それは特に重要な事じゃない。“剣に対して自分がどうありたいか?”それが重要な事だと僕は思うよ」
「自分がどう……ありたいか……」
そっと剣に触れる。
――私は、こんな素晴らしい剣に、どう……ありたい?
ギルの言葉を噛み砕くように、言葉にして、そして、心の中で反芻する。
「……フィオン、何か近づいてくる。剣を抜いて構えて」
「っ……はい……!」
ギルの警告に、すばやく剣を抜いて構える。
そして、木々を薙ぎ倒す音が次第に近づき、草陰からブラウンボアが飛び出してくる。それもフィオンに真っ直ぐ向かうように。
駆け出し、走りこんでくるブラウンボアが視界に入るがフィオンの心は静かだった。
トーアと初めて出会った時と全く違う自身の心の落ち着きに、剣を握る手に力が篭る。
――私は……この剣に……この剣に相応しい人間に……なりたいっ!!
ブラウンボアの動きを読んで横に飛び、すれ違いざまに剣を真横に振るう。
「やぁぁあああぁぁぁぁっ!!」
無意識にフィオンは叫び、剣を振りぬいた。
手にはブラウンボアの体を深く斬り裂いた感覚が残り、すれ違ったブラウンボアは転倒して転がり、すぐに動かなくなった。
「はっ……はっ……!はぁっ……はぁっ……!」
ぶわりと身体が熱くなり、汗が吹き出てくる。
「フィオン、良く出来ました。ブラウンボアはもう死んでるよ」
ブラウンボアに近づき確認していたギルの声に、フィオンは思わずその場に座り込んでいた。手に握った剣を見て、その切れ味は類稀なものだと感じ、そして、それを問題なく振るえていた事に驚いていた。
「いい反応だったし、いい一振りだった」
「あ、は、はいっ」
ウィアッドで始まったギルとトーアの訓練は自身の力になっている事に、倒れこんだブラウンボアを見てはっきりとフィオンは自覚した。
エレハーレに帰りギルとギルドで別れたフィオンは実家へと帰る。帰ってきたという実感に膝から力が抜けて、玄関で膝を突いて座り込んでしまった。
「な……フィオン!?怪我をしたの?」
たまたま通りかかった下の兄である、レジステラが驚いた顔をして近づいてくる。その腕を取りながら、フィオンは首を横に振った。
「う、ううん、怪我もないし大丈夫だよ。そのちょっと、ほっとしちゃって……あ、レジ兄、私ねブラウンボア、狩ってきたよ……!」
「えっ……ブラウンボアだって?フィオンが?」
うんと頷きながら、フィオンはギルが切り取った脚肉を差し出した。脚を切り取るくらいはできるというギルに頼み、一本だけ斬りだしてもらった物だった。
「お、おぉぉ……すごいな、さすが僕の妹だ!」
脚肉ごとレジステラに抱きしめられ、照れたように微笑む。さらにそこへ通りかかったキャラルやビリアムにも、事情を説明すると抱きしめられた。
「フィオン、おかえりなさいって……貴方達、なにしてるの」
そこに母である、リリアンナ・マクトラルが現れ、二人の兄と父にぎゅうぎゅうと抱きしめられるフィオンの姿に、呆れたような顔を見せる。
「母さん、おみやげ!私が狩ったブラウンボアの脚肉だよ!」
「フィオンが?あら、いい脚肉じゃない。うんうん……ブラウンボアを狩れるようになるなんて……」
感極まったようにリリアンナもフィオンへと駆け出してくる。結局、四人からぎゅうぎゅうとフィオンは抱きしめられる事になった。
夕食はリリアンナの腕が振るわれて、ブラウンボアの脚肉を贅沢に使った料理が並ぶ事になる。
最初の一口をフィオンが食べたあとは、キャラルやビリアム、レジステラが競うようにして料理を食べた。
夕食の後、フィオンはずっと考えていた事を家族に話すことにした。
「父さん、母さん、キャラル兄さん、レジステラ兄さん、聞いて欲しい事があるの」
真剣なフィオンの表情と愛称で呼ばれなかった二人の兄は居住まいを正す。
「フィオン、何かな?」
ビリアムの言葉に小さくフィオンは頷いた。
「私、家を出て冒険者として生活します」
フィオンの言葉にがたんと椅子を鳴らしてビリアムは立ち上がった。二人の兄もリリアンナも動揺して目を見開いていた。
「フィオン、それは……。冒険者は死と隣り合わせだ、エレハーレに居る間くらい家に居てもいいじゃないか……それでも、出て行くと言うのか」
「はい。未熟な私がいつまでもこういう生活をしてたらいつまで経っても、なりたい私になれないんじゃないかなって」
真っ直ぐに迷うことなくフィオンは父、ビリアムの目を見る。
「……そうか……フィオンは、ディル叔父さんに似て決めたら真っ直ぐだからな……」
椅子に座りなおしたビリアムは深く息を吐いた。フィオンの様子に、リリアンナ、キャラル、レジステラは冒険者になると言った日のことを思い出したと、口々に言いそして、笑った。
「大丈夫だよ、父さん。私はちゃんとエレハーレに、ここに帰ってくるから」
フィオンがそう宣言すると、ビリアムは大きく頷いた。
「ああ、もちろんだ。なにも遠慮する事はなにもないんだ、ここはフィオンの家なのだから」
「いつでも待ってるよ、無茶はしないようにね」
上の兄であるキャラルも頷いて、フィオンに優しい視線を向けてくる。
いつも行商で国中を回っている下の兄であるレジステラはいたずらっぽく笑う。
「行商で出会った時は無視しないでくれよ?」
そして、母であるリリアンナは立ち上がり、そっとフィオンを抱きしめた。
「無茶はしたらダメよ?何があっても約束通り戻ってくるのよ?」
「はい、母さん……」
リリアンナの言葉に小さく頷くと、ビリアム、キャラル、レジステラもフィオンを優しく抱きしめる。
家族の暖かさにフィオンは一筋、涙を流した。
翌朝、フィオンは旅装を整えてずっと過ごしてきた部屋を見渡す。戻ってくるという約束を反故する気はないが、二度と戻ってこれないかもしれない。冒険者とはそういう仕事である事は経験している。
家の玄関へ行くと、ビリアムやリリアンナ、キャラル、レジステラが既に立っていた。
「……いってきます!」
フィオンが大きな声で言うと「いってらっしゃい」と揃った声で言われ、フィオンは笑顔で出発する。
まずは宿を探さなければと、トーアとギルが滞在している夕凪の宿へ足を向けた。