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断章三 フィオーネ・マクトラルの決意 1

 その日、地図と方位磁石を交互に睨みながらエレハーレから近いアリネ草の群生地へと向かっていた。到着した群生地に立っていたのは、艶やかな黒髪を三つ編みにして尻尾のように揺らし、大きな少しだけ吊りあがった瞳が印象的な少女だった。

 後ろ手に見慣れない形の短剣を抜いていた為、慌てて声をかける。


「ま、ま、待って!魔獣とかじゃないから!私も薬草採取に来ただけ!」


 声をかけられた少女は、じっと視線を向けてくる。見た目は幼いように見えるが、その視線はギルドで見かける熟練の冒険者が時折見せる、鋭く、油断の無いものだった。

 小さく息を吐いた少女は短剣を鞘に納める。思わず同じように小さく息を吐いてほっとする。


「ごめんなさい。魔獣かと思って」

「いいの、いいの!警戒するのは当たり前の事だし。採取は終わってる?なら私も……」


 見慣れない冒険者であったが、既にアリネ草の採取は終えているようだった。

 手元に視線を感じながら、アリネ草を手で千切り立ち上がる。少女は何かに気が付いたように森を見渡していた。


「……どうしたの?」

「剣を抜いて構えて!何かこっちに来てる!」

「え……?あっ……!?」


 思わず声をかけると、言葉と共に少女に突き飛ばされる。

 視界がぐるんと空を仰ぐ、草木を薙ぎ倒す音を響かせながら立っていたところにブラウンボアが猛然と走りすぎて行った。

 少女に突き飛ばされていなかったら、どうなったのかと冷や汗が吹き出る。

 それよりも驚いたのは、少女とブラウンボアが交差した瞬間、ブラウンボアが血を撒き散らしながら森を転がった事だった。

 そして、動かなくなったブラウンボアに近づき、死んでいるのを確認した少女は、ゆっくりと近づいてきた。


「大丈夫?突き飛ばしてしまってごめんなさい」

「あ、う、ううん、大丈夫……助けてくれたんだよね、ありがとう……」


 呆然としながらも少女の手を取って立ち上がる。

 ブラウンボアに襲われ、そして助かった事をゆっくりと理解している間に、少女は手際よくブラウンボアを木に吊り上げて血抜きを始めていた。


「……大丈夫?」

「う、うん……」


 少女に尋ねられ頷く、そして血抜きされるブラウンボアに視線を向ける。大きく成熟した個体であった。もし少女が居合わせていない場合、無事では済まなかった。


「ブラウンボアの解体……できるの?」

「一応……。取り分についてなんですけどブラウンボアの半身、前足と後ろ足を一本ずつに胴体の半分でいい?皮と頭は解体の手間賃として譲って欲しいんだけど……」

「えっ!?い、いいよ!私が倒した訳じゃないし、取り分なんていらないよ!……もらってもこんな大きいの持って帰れないし……」


 何事もなかったように少女は分け前の話をしてくる。慌てて首を横に振って分け前は要らないと言った。


「……あ。私はフィオーネ・マクトラルっていいます!ランクGの冒険者です。フィオンと呼んで下さい!」


 少女の名前がわからずそして、自己紹介していなかったことに気が付いて名を名乗る。


「初めまして、リトアリス・フェリトールです。トーアと呼んで下さい。ランクは同じGです」


 これが、少女、リトアリス・フェリトールとフィオーネ・マクトラルの出会いだった。




 フィオーネ・マクトラルは、エレハーレに店を開くマクトラル商会の末の娘で上に二人の兄がいる。

 商店の一人娘という事であれば、貴族やもっと大きな商店の縁を結ぶため、家を出されるのが定番という立場であったが、マクトラル商会はそこまで後ろ盾が無い訳でも娘を金のために嫁に出さなければいけない程、傾いている訳ではなかった。


「フィオン、おまえは自分の選んだ道を往きなさい。もちろん、この店の手伝いをするのも構わない。だが後を継ぐ事だけは出来ない事を理解してくれ」


 父から言われた言葉にフィオンは自分がやりたい事とは?と少しだけ考えて、真っ先に浮かんできた職業を口にする。


「父さん、私、冒険者になる」


 父にも母にも、二人の兄も目を丸くして驚かれてしまった事を今でもフィオンは覚えていた。

 幼い頃、まだ祖父と祖母が生きていた時、冒険者をしていた大叔父、ディルディオ・マクトラルがふらりとやって来ることがあった。

 二人の兄と共に冒険譚の話をせがみ、ディルディオは皺だらけの顔を嬉しそうにしわしわにさせて冒険譚を話す。

 ある時は薄暗い迷宮の話を、ある時はとある国の王女とのお話をしてくれていた。物語では語られないような冒険者の苦しい面も沢山、フィオンは聞いていた。


「だけどなフィオン、ワシはな色々な冒険をしたが、仲間と共に過ごした時間ほど誇らしく、楽しかった時間はないんだよ」


 硬く大きな手で頭を撫でられながらディルディオがしみじみと嬉しそうに目を細めて言った事をやりたい事を考えた時に冒険者と言う言葉と共に思い出していた。

 それがフィオンに冒険者としての職業を志すきっかけとなる。




 その日、フィオンは薬草採取クエストに向かう為、森を進んでいた。

 いつもよりも森がざわついている事に気がつき、そして、その音が一斉に止まった。ぶわりと汗が噴き出す。

 そして、木陰から姿を現したのは、三体の緑色の肌をした小人、ゴブリンだった。

 焦りながらも剣を抜いたフィオンは、振り下ろされる棍棒とも言えない木の枝のようなものを受け止める。


――なんで!?なんで、こんなところでゴブリンが出てくるのっ!?


 浅いといった方がいい場所では滅多に出てこないとギルドの資料の文章が頭を掠める。だが今はそんな事よりも生き残らなければと、剣を振るう。

 大叔父の形見でもある剣は重く、振るたびに身体が持って行かれそうになる。

 やすやすと剣をかわされ、どこか加虐的な笑みを浮かべたゴブリン達はもてあそぶように三体は順番に手にもった武器をフィオンに振るってくる。なんとか剣で防ぐもののこのままではどうにもならない事は明白だった。

 だがゴブリンの後ろに、黒髪の少女がフィオンに向かって駆け出すのを見て思わず、口を動かしていた。


――来たらダメっ!


 だが少女、トーアが駆け出すとすぐに距離がつまり、瞬きをした後には一体目のゴブリンの首が飛んでいた。


「ぇ………」

「ギャァァッッ……!!?」


 そして、恐怖を顔に貼り付けたゴブリン達はトーアが剣を振る度に、緑色の血を吹き上げて地面へと倒れこんでいく。トーアが血を払い剣を鞘に納めたとき、再び森は静かになっていた。その油断無くあたりを探る視線が、大叔父の仲間であった女性とかぶる。


「フィオン、大丈夫?」

「ぁ……ぅ……うん」


 声をかけてくるトーアの手を取ってなんとか立ち上がる。手だけではなく身体が小さく震えてしまう事にフィオンは驚き、胸を占める恐怖に狼狽する。

 だがトーアはそれに気が付いていない振りをしている事に気が付く。笑う事もなく口にすることもなく、それが正しい反応とでも言うような優しさに、余計にトーアの手を握ってしまった。


「フィオン、街に戻ろう?」

「う、うんっ……」


 トーアに諭されるように優しく声をかけられてフィオンは辛うじて頷く事しか出来なかった。


 フィオンの実家は、マクトラル商会の店舗のすぐ近くにある。

 トーアに見送られ、家についたフィオンは真っ直ぐに自分の部屋へと向かっていた。


「はっ……はぁっ……はぁぁ……」


 ドアを閉めた途端、膝から力が抜けてその場にへたり込んでしまう。

 カチカチ、ガチガチと固い物を打ち鳴らすような音が聞こえ、不思議に思う。そして、それが震える自身の歯の音だと気が付いて、ぎゅっと噛み締める。


「ぐっ……ぅぅっ……!ふっ……ぅぅぅっ……!!」


 噛み締めたはずの口から僅かに嗚咽が漏れ、ぼろぼろと涙があふれてくる。

 恐怖、生き残った安堵、戻ってきたという安心、そういう感情がごちゃ混ぜになってフィオンは震える身体を抱きしめた。


――し……私、死んでた……あの時、トーアちゃんが通りかかっていなかったら……。


 こみ上げてくる胃液をぐっと飲み込み、小さく息を吐く。

 涙は未だ止まらない。




 フィオンはいつの間にか着替えベッドに入り朝を迎えていた。

 昨日の出来事を思い出し、再び肌があわ立ち空っぽのはずの胃から何かがこみ上げてくる。口を手で押さえ、無理やりこみ上げてくるものを飲み込んだフィオンはベッドから降りて、習慣のように着替えて剣を取ろうと手を伸ばす。


「ぁ……ぇ……?」


 手が振るえ剣が掴めなかった。涙に視界が歪む。


――どうして……どうしてっ……!?


 その場に座り込んだフィオンは、また身体が震えていることに気が付いた。


「フィオン、そろそろ朝食だけど」


 上の兄であるキャラル・マクトラルがノックと共に、声をかけてくる。

 震えて返事を返せないフィオンに、不思議に思ったのかゆっくりと部屋の様子を窺うようにドアが開いた。


「ふぃ、フィオン……!?ど、どうした?こんな震えて……」

「キャラル……兄ぃ……」

「っ……」


 震えるフィオンに、キャラルは後ろからぎゅっと抱きしめる。滅多に妹であるフィオンの部屋の近くにはやってこないキャラルが、足を運んだのは昨日から様子がおかしいと思われていたのかもしれない。


「大丈夫、大丈夫だ。フィオンの怖い物なんてここにいないからな」


 キャラルがかけた言葉は幼い頃に、悪夢を見てぐずるフィオンを下の兄と共に抱きしめ、かけてくれた言葉と同じだった。


「キャラル兄……私はもう子供じゃないよ……?」

「でもフィオンは僕の妹じゃないか。大丈夫か?」


 少しだけむっとしたようにフィオンは答える。いつの間にか振るえは収まっていた。


「朝食は食べれそうか?」

「……うん」


 キャラルの手を取ってフィオンは立ち上がる。


「今日は休んだらどうだ?」

「……うん、そうする」


 深く追求してこないキャラルにフィオンは少しだけほっとしていた。

 ゆっくりと朝食を食べた後、アレリナがゴブリンに襲われたことを知る。トーアが倒したゴブリンに関係があるのかわからなかったが、あの後、トーアはギルドで報告しているので、何も心配する事はなかった。


――……どうやったら、あんな風に戦えるのかな。


 部屋から外を眺めながら、フィオンはぽつりと思う。まだ剣は握れなかった。




 数日後、ゴブリン騒動はあっさりと収まる。

 代わりに一人の“期待の新人”の噂がエレハーレを駆け巡る。

 曰く、黒髪を三つ編みにした緋色の瞳の少女が駆け、剣を振るうたびにゴブリンの首が宙を舞った。

 曰く、黒髪を三つ編みにした緋色の瞳の少女が拳をふるい、ゴブリンを投げつけるとゴブリンは地に伏した。

 曰く、黒髪を三つ編みにした緋色の瞳の少女がリーダー格のゴブリンの四肢を破壊して、手で二つに裂いた。

 極めつけは、ギルド付に勧誘されたというものだった。


――黒髪を三つ編みにして、緋色の瞳の少女って……トーアちゃんぐらいしか思い当たらないなぁ……。


 そう思いながら、フィオンは立てかけたままの剣を眺める。大叔父ディルディオ・マクトラルが振るっていた剣で、なかなかの業物であると聞く。しかし、ゴブリン騒動の間、フィオンはずっと剣に触れられないでいた。

 これが死が間近にある冒険者として生きて行くのか、平凡で平和な普通の少女に戻るのか、分水嶺だとなんとなくフィオンは悟っていた。


――私は……どうしたいの?あんな風に死に直面することはディルじいちゃんの話でずっとわかっていたはずなのに。


 ベッドの上で膝を抱えながら、剣を眺める。わかっている事と実際に体験することは全くの別物だと、フィオンは多くの失敗から学んではいた。

 だが今まで死の匂いと言うものをわかるほど、差し迫った状況に陥った事はなかった。


――ディルじいちゃんは……なんで冒険者になったんだっけ?


 始めは好奇心に駆られて家を出たと話していた事を思い出す。その時、ディルディオがともに冒険した仲間の事を語るときに見せた顔も思い出した。


「……私は……何か大きな事を成したい訳じゃない。ただディルじいちゃんが語ったような冒険をしてみたいのは少しある、でもやっぱり……あんな風に思い出して笑えるような冒険者という生き方に憧れたんだ……!」


 いつの間にか立ち上がったフィオンは、立てかけていた剣を取った。

 胸を張って生きた、素晴らしい人生だったと、死の間際、言葉とともにディルディオが見せたとても満足そうな笑みが続けてフィオンの頭によぎる。冒険者でなくてもいいのかもしれないが、フィオンは知らない世界を見て感じた感動に魅せられていた。


「…………カレーナさんみたく、トーアちゃんみたく、私も戦えるかな」


 カレーナとは、ディルディオのパーティの一人で剣を扱う軽装剣士だと、ディルディオから聞いていた。飛び込んできたトーアの姿がフィオンが想像したカレーナと全く一緒だった。

 そのためにはどうするかとフィオンは考えて、森へ行く時と同じ格好をして剣を腰に差す。そして、閉じこもっていた部屋から飛び出して行く。


「ふぃ、フィオン?」

「レジ兄、お帰りなさい。ちょっと街に出かけてくるから!」


 行商に出て家に帰ってきていた下の兄であるレジステラ・マクトラルが、フィオンを見て驚いた顔をしていた。すれ違いざまにフィオンは挨拶をして、そして、駆け出していく。噂の“期待の新人”であるリトアリス・フェリトールが滞在している、夕凪の宿へと。

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