第七章 灰鋭石の硬剣 9
休憩の後、トーアは皮鉄となる鋼の刀身を打ち上げる。その作業速度は灰鋭鋼の時の作業速度とは比べ物にならないほどに早く、瞬く間に形状が変わっていった。トーアの作業速度を知らない月下の鍛冶屋以外の面々は目を丸くする。そして、トーアの作業の邪魔をしないようにごくごく小さな声で囁きあっていた。
昼食を挟んだあとは鍛造作業の仕上げとなる鍛接の作業へと入る。
――よし、仕上げと行きましょう。
鋼の刀身に鍛接材をごく薄く振りかけて、そっと灰鋭鋼の刀身を乗せる。
二つの刀身は寸分の狂い無く同じで、辺りから感嘆の声が上がった。
トーアは結果に上々と思いながら二つを重ねたままそっと炉におき、全体を熱する。熱した後、完全にくっつける為に鎚でもって叩くのだが、力加減によっては極薄の灰鋭鋼が砕けてしまい、今までの作業がふいになる。
トーアは再び呼吸を整えながら鍛接材が融けるのを見計らい、すばやく金床の上に乗せる。そして灰鋭鋼の側から鎚を軽く振り下ろした。
キン!と甲高い金属音を響かせながら、灰鋭鋼と鋼を一つにしていく。少しでも金属が冷えたと感じるその前に炉に戻し、僅かにも冷えないように何度も慎重かつ大胆に作業を続ける。
二つが一つになったのを確認したトーアは、逆側も同じように鍛接で一つにした。間に灰鋭鋼を挟むため、最初に合わせたときよりも慎重に鎚を振るう。
そして、三つが一つになった事を確認したトーアは、間髪入れずに刀身を炉にかける。全体が程よく赤色になったのを見計らい、刀身を水へ峰から入れる。吹き上がる蒸気のなか、刀身の変形が収まったのを確認したトーアは再び炉に刀身を乗せ、熱したあと徐冷用の金網の上に置いた。
――刀身にゆがみはなし、焼き入れの時に灰鋭鋼が砕けた様子はなしと……。
焼き入れ時の変形が大きかった場合、灰鋭鋼だけが耐え切れずに割れてしまうこともありえる。だが、今回はそのような事は起きなかったようだった。
全ての作業を終わらせたトーアは、道具を置いて立ち上がる。
「今日の作業はこれでお仕舞いです。お疲れ様でした」
トーアの言葉に辺りから緊張が解けたように息を吐き出す音が聞こえてきた。
「トーア、刀身を見てもいいか?」
ガルドの声に他の鍛冶師たちのざわめきが消える。トーアが頷くと我先に各店の“期待の新人”だという若手鍛冶師たちが争うように徐冷用の金網の近くに集まった。
「わかっていると思いますが、まだ熱いので触らないでくださいね」
まじまじと刀身を見つめる鍛冶師達にトーアの声は聞こえているかわからなかったが、見ているだけのようなので、トーアは片づけを始める。
それに気が付いたトラースがトーアの手伝いをしようとしていたが、そわそわしている様子が手に取るようにわかった。
「トラース、片付けはいいから見に行っていいよ」
「あ、う、うん!」
若手の鍛冶師にまざりトラースも灰鋭石の硬剣の刀身を嬉しそうに見に行った。
その後、トーアがあらかた片づけを済ませた頃には、化物を見るかのような若手鍛冶師達の視線が真っ直ぐに向けられていた。トラースは尊敬の篭ったものだったがトーアは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「とりあえず、今日はこれで終わりだ。試験に必要な物はどうする?」
「作成する場所は私のほうから提供しますわ」
この場に集まった鍛冶屋の中で一番大きな店舗を持つらしいアリシャが言うと、他の面々も頷いていた。
「形についてなんですけど、こんな感じで作ろうと思っています」
酒場に集まった際に手伝うとレテウスが言っていたので、トーアは事前に用意していた試験に必要な物の設計図を取り出した。ただ紙に形状と寸法が書かれているだけだが作るために必要な情報は全て書き込まれている。
「ふーん……まぁ、これなら鍛冶やってる奴なら誰でも作れるな。……ちょうど人手もあるようだしな」
再び刀身を眺めひそひそと言葉を交わす若手鍛冶師達を一瞥したレテウスはにやりと笑みを浮かべた。
「そうだねぇ、こうやって店を超えて仕事をするってのは珍しいけど、たまにはいいんじゃないかい?」
レテウスに同意するようにレガーテが頷いて笑みを浮かべる。それにリオリムやアリシャが頷き、同じように若手鍛冶師達を見る。
視線に気が付いた若手鍛冶師達はびくりと身体を竦ませて向き直った。
「よし、お前等、トーアの出した設計図通りに作ってみろ」
レテウスの一声に、若手鍛冶師達は顔を見合わせた後、慌てて設計図の元に駆け寄り作成方法について議論を始める。
トーアの書いた設計図は剣を立て掛ける『剣立て』のレシピを元にしているため、レシピを持っている若手鍛冶師が中心となって話を進めている様だった。
「試験の場所はギルドの裏の広場でいいかな?日程は決まってないし、僕のほうで仮申請して場所はとっておこうと思うけど」
「お願いします、リオリムさん」
トーアが軽く頭を下げると、リオリムは任せてと笑みを浮かべる。
「ほらほら、あんた達、議論は別のところでやりな。今日は帰るよ」
レガーテの言葉に若手鍛冶師達は設計図を畳んで店主であるガルドに挨拶をしたあと、慌てて鍛冶場を出て行った。
「じゃぁ、用意が整ったら教えて。完成したものは当日を楽しみにしておくからさ」
「それでは今日はお暇させていただきますね」
レテウス、リオリム、レガーテ、アリシャの四人は月下の鍛冶屋の面々とトーアに挨拶をして鍛冶場から出ていった。カンナが見送りの為、一緒に出て行く。
「トーア、この後はどうするんだ?」
「今日はこれで帰ります。お疲れ様でした」
「おう。お疲れさん、トーア」
「トーア、お疲れ様!」
トーアも辞する事を告げ、挨拶をするとイデルとトラースからの労いの言葉に笑みを返し、月下の鍛冶屋を後にした。
翌日は月下の鍛冶屋で灰鋭石の硬剣の仕上げをトーアは行っていた。フィオンはトーアに同行するといい、月下の鍛冶屋の店舗側でイデルと何やら話をしていた。ギルには宿で明日か明後日に試験をしようと言うと出来れば明日でと言って再び森に出かけて行った。
砥ぎを行うための部屋でトーアは灰鋭石の硬剣の刀身を砥ぎ、作成した柄と鞘にあわせる。鍔はなく、柄と鞘は木製で白木のようなものを使用している。全体のデザインは匕首と同じようにしてあった。
「珍しい形状だな」
「私が居たところであった形なんです。シンプルで戦闘向けってわけではないですけど、灰鋭石の硬剣の刀身に浮かぶ刃紋がこの剣の装飾でもあるようにするためです」
完成した灰鋭石の硬剣を検めていたガルドが小さく頷いた。
「……ふむ、そういう事であれば納得がいくな」
鞘から抜くと見事な細直羽の刃紋が現れ、灰鋭鋼の灰色に鋼の黒が映える。武器としてではなく、鑑賞物としても高い完成度にトーアはほぅと満足げに息を漏らす。
「……ふふふ」
ガルドが店側に行ったため、トーアは一人部屋の中で自ら打ち上げた灰鋭石の硬剣を眺めて、出来具合に頬を緩ませ含み笑いを漏らしていた。
――あ~……ふふふ、いいなぁ、いいなぁ……やっぱり灰鋭石の硬剣は使わなくても鑑賞物としても最高だなぁ……。
ドアを開ける音にトーアは飛び上がりそうになり、緩んでいた頬を引き締める。涎が垂れていないかこっそりと確認して振り返った。砥ぎを行う部屋に入ってきたのはトラースで、咳払いをして誤魔化そうとしたトーアに不思議そうな視線を向けていた。
「ど、どうしたの?」
「あ、トーアが昨日渡した設計図の物が出来たからガルドさんが呼んで来いって。……それが灰鋭石の硬剣?」
「そうだよ。持ってみる?刃には気をつけてね、灰鋭鋼の切れ味は想像以上に斬れるから」
トーアは峰に手を添えて柄をトラースに向けて差し出した。
「う……わ……なんていうかすごい綺麗だ……」
「ありがとう、トラース」
トラースの称賛にトーアははにかんだ。灰鋭石の硬剣に見惚れていたトラースだったが、はっと気が付いたようにトーアに柄を向けて灰鋭石の硬剣を差し出した。
「ガルドさんが呼んでるよ、トーア」
「そうだったね」
灰鋭石の硬剣を受け取って鞘に納めたトーアだったが、どこか迷ったような表情を浮かべるトラースに気が付いた。
「トラース、どうかしたの?」
「あ……その、前にトーアに『どうして腕のがいいのか?』って聞いたときに、トーアは『満足する物を作りたいから』って言ったよね」
「そうだね」
トーアが月下の鍛冶屋で初めて剣を打ち上げた後にトラースがそう尋ねてきた事と、トラースが初めて炉の前に座り、初めて短剣を打っていた事を思い出した。トーアはトラースが何を言いたいのか察しながらも続きを促すように頷いた。
「イデルさんやガルドさんに見てもらいながら短剣を作ったんだ。でも、それで……その、トーアが言った事、わかった気がするんだ」
「短剣の出来栄えに満足できなかった?」
トーアが尋ねるとトラースは頷く。
「もし剣を打つことになったら、ああしよう、こうしようって色々とずっと考えてた。だけど……全然出来なかった。その事を言ったらイデルさんからは当たり前だと言われたし、ガルドさんからは最初にしてはまずまずだと言ってくれた。だから……」
迷いながら言葉を続けるトラースの様子をトーアはじっと見つめながら話を聞いていた。真っ直ぐに視線を返すトラースの瞳は真っ直ぐなものだった事にトーアは安心する。
「次はもっと、もっと良い物を作りたいって気持ち、これがトーアの言っていた『満足する物を作りたい』って事?」
「半分は正解。もう半分はなんていうか、悔しいじゃない」
悪戯っぽく笑いながら立ち上がったトーアは、少しだけ低いトラースの頭を撫でた。
「……なんか、それはわかるかも」
照れたように視線を横に向けながら言ったトラースにトーアは、優しく笑みを向ける。
灰鋭石の硬剣を手に、トーアが店側に顔を出すと完成を伝えにきた少年が待っていた。トラースと同じように見習いなのだろうと察する事ができた。いつ始めるのかについて確認する少年にトーアは、明日と伝えた。