第一章 輪廻の卵 7
とりあえずはと扱いやすいようにパーソナルブックの大きさを何時も使っている設定に変更するトーア。光源はなくとも使用者にはわかるようにパーソナルブックの項目は表示されている。
巻末にある設定の項目を変更し、通常はハードカバーの書籍と同じA5判サイズで現れるようにし、場合に合わせて任意でサイズを文庫本サイズとポケットブックサイズでそれぞれパーソナルブックを表示できるようにトーアは設定する。
あわせてパーソナルブックが表示するARウィンドウの可視範囲をトーアのみに設定されていることを確認した。プロフィール欄の可視範囲はもう一度、確認を必要とされた時に表示されていることがわかれば、デートンたちに理由を説明しにくいため職業神殿で職業を取得出来れば変更することにした。
「よし……じゃぁ、いろいろと確認しますか。まずはステータスから……」
パーソナルブックを捲り、プロフィール欄よりも詳細な情報が載ったステータスのページを開く。
CWOでのステータスは四つの値から構成され、値は低いが転生によって次第に増加する基礎値、固定値だが設定した職業によって大幅に補正を受ける職業補正値、値は低めで固定値だが特化した補正を受けられる種族補正値、そして、身に付けた装備によって値が上下する装備補正値の合計で決定付けられる。
トーアが今居る世界でも同じ法則が当てはまるようで、ステータスのページに表示された内容は四つの値が書かれ最終的なステータスを表示していた。
基礎値は、CWOを十年間続け繰り返した転生によって馬鹿に出来ない値になっている。
職業補正値は現在は【初心者】である為、物理的なステータスと生存に関係するステータスが高く、生産や移動、魔法に関係するステータスは低めに補正されていた。
種族補正値は、“半神族”の種族になっているためか全般が高く補正されている。
装備補正値については、現在装備しているのが麻布のワンピースであるため、ほぼ補正値は皆無に等しい状態だった。
結果、現在のトーアのステータスは【初心者】の補正が大きく影響しているため、脳筋寄りとなっている。CWOの尺度で考えればこのステータスは下の中と言ったところで、近接系の職業の駆け出しを少しだけ脱した程度のステータスと言えた。
「……このステータスってこっちの世界じゃ、どれくらいの能力なんだろう」
湧き上がる疑問にトーアは首をかしげるが、デートンがステータスまで見るのは失礼と言っていた事を思い出した。CWOでもあまりステータスまで見るということはないため、妥当といえば妥当なのかもしれない。
ステータスのページにはトーアの情報だけではなく、ゲーム内時間と現実での時間、日付などのCWOの世界の情報も載っていたが今は空白が目立っていた。唯一、項目を埋めているのは時刻で、先ほど部屋から見えた月の位置から大体合っているようだった。
――時間だけが埋まってる……時間、時計……?
宿の食堂に柱時計があり、目にしていたことをトーアは思い出した。この世界の時間や暦を確認しなければ項目が更新されない可能性に気がつく。
明日、暦については質問して、ステータスはゆっくりと周りを確認しながら調べていこうとトーアは決める。パーソナルブックを捲り、アビリティのページを開いた。
アビリティのページは灰色になった文字が並んでいる。トーアの職業がアビリティを取得する事が出来ない【初心者】であるためだった。
職業が職業なだけにわかっていたことだが、灰色の文字が並ぶのを突きつけられて少しだけ肩を落とす。
確認することもないとページを捲ろうとしたが右端にハイフンが並んでいるのを見てトーアは手を止める。そこには本来、現在のアビリティレベルの合計とアビリティキャップの値が表示されている部分だったが、今はアビリティキャップの部分がハイフンになっていた。
――全部のアビリティを取得可能ってことなのかな?……一体どれだけ時間が掛かるんだか。CWOでもまだそんなことした人居ないのに……。
トーアのアビリティは、戦闘系を一部、生産系をすべて、採取系は特殊なものを除いて一通り、特殊系にいたっては低いレベルのものを少しだけ取得している全てには程遠い状態だった。
いったい何十年かければ全てのアビリティレベルを最大にすることが出来るのかとうんざりしつつ考えていたため、パーソナルブックのページを無意識に捲った。
次のページには地図が表示されており、森の聖域からウィアッドの宿周辺のトーアが歩いた場所だけが埋められていた。CWOの情報は残ってはいなかったが、なくなっても支障はなかった。
正確な場所を把握できるので重宝しそうだとトーアは思いつつ、パーソナルブックのスキルのページを開く。
アビリティと同じように灰色の文字が並んでいるのをトーアは想像していたが、一部のスキルが白文字で表示され使用可能な事を示していた。
「スキルはあんまり期待していなかったけど……“チェストゲート”と“ホームドア”がある……!あとは“パーフェクトノート”、おお……“贄喰みの宿主”も大丈夫なんだ。それと“物品鑑定<外神>”、種族スキルの“神々の血脈”……」
スキルの一覧に目を通しているうちにトーアは予想外のことに嬉しくなりベッドから立ち上がる。
一覧にあった“チェストゲート”と“ホームドア”の二つはCWOでは課金スキルと呼ばれ、現実のお金を支払うことでしか入手することの出来ないスキルであり、攻略情報を扱うWebページでは最低ランクの物でも購入しておくことをお奨めすると書かれるほどのものになる。
“チェストゲート”は異次元にアイテムを保管出来るスキルで手に触れたものを収納し、パーソナルブックを開く必要があるがチェストゲート内の物を空間に現して取り出したり、表示したARウィンドウに物を入れて収納したり、手を入れて取り出したりということも出来るスキルになる。
これが必要と言われる所以はCWOの物品の運搬が現実に近いものであり、重量を考慮したり液体は正しい保管容器に入れない限り漏れ出してしまう。また、アイテムによっては人の手で運ぶことの難しい重さや大きさのものもあるため、異次元に収納できるチェストゲートは必須と言われている。
“ホームドア”はチェストゲートに似ており、異次元にプレイヤーのプライベートルームを生み出すスキルになる。プライベートルーム内はプレイヤーが好きなように部屋を作ることができ、最大の利点として生産施設を設置出来るという点にあった。
生産施設を設置できるということは生産系プレイヤーなら誰もが夢見る“自分だけの工房”を簡単に手に入れることが出来ることに繋がる。
もちろん家具を揃えて“自分だけの部屋”を飾り立てるプレイヤーも存在し、高品質でデザインの良い家具はいつも一定の需要があった。
この二つのスキルは更に課金することで、収納できるアイテムの容量もプライベートルームの広さも拡張することが出来る。そしてトーアはどちらも最大まで拡張済みで、チェストゲートには無造作に放り込んだ素材や生産したアイテムが莫大な量となって保存されており、ホームドアには高ランクの全ての生産施設がそろい、トーアメイドの高ランク家具が惜しげもなく並ぶ、生産系のプレイヤーも内装に力を入れるプレイヤーも垂涎のホームドアとなっていた。
二つの輪廻の卵を生産したのはこのホームドア内の【錬金】用の部屋であり、転生を行ったのも広間である。
いつの間にかトーアの口から含み笑いが漏れていることに気が付いて口を押さえ、辺りを確認する。誰も居る訳がなかった。
「よ、よし、一応確認しようパーソナルブックが初期化されていたし……【ホームドア】」
気恥ずかしさを感じながらトーアは壁に手を向けてスキルを発動する。
壁に長方形の枠状に僅かな光が走り木製のドアが姿を現した。だが、そのドアにトーアは身体が冷たくなるのを感じる。
「まさか……このドア……」
慌てて駆け寄りドアノブを回してドアを開く。
ドアを開けた先は8畳ほどのフローリングのワンルームになっており、左手にはガス台のようなかまどが二つ並び、隣には水道の蛇口が付いたステンレスの台所、正面には一つだけ扉があり、天井には謎の円形の蛍光灯のような光源が灯り、ドアを開くまで暗かったトーアの部屋を明るく照らしていた。
足から力が抜け、トーアはその場に座り込む。
スキルによって現れたドアも、目の前にあるホームドアの間取りも、購入時に初めてホームドアを使用した時に現れる初期設定のもの。トーアは緩慢な動作でパーソナルブックのページを捲り、ホームドアの項目を開く。そこにはトーアの目の前にある間取りが平面図で表示されて、隣のページに他に設置できる家具や施設が無いことを示す、空欄が表示されていた。そこでトーアはある事に気が付いて、次はものすごいスピードでページを捲り、チェストゲートのページを開く。
現れたのは四角い枠組みが並ぶページだった。ホームドアと同じように何もアイテムがない事を表示していた。
トーアの上半身からも力が抜けて、ホームドアのドア枠に寄りかかる。パーソナルブックがごとりと音を立てて寒々しいフローリングの床に落ちた。
「は……はは……全部……初期化……私の……十年……苦労が……初期化……」
頭の中が真っ白どころか身体まで真っ白に燃え尽きたトーア。
十年間で溜まった素材も、苦労して作り上げた自分の城と言えるホームドアの施設も、使い込んだ道具も、一息つけるプライベートルームも今やどこかへ消えてなくなっていた。
「ふ、ふふ……ふふふ……そう、そうだ……ないのなら……もう一度作ればいいんだ……」
自然と漏れる笑い声を上げながらトーアはパーソナルブックを拾い、ホームドアの中に入ってドアを閉めた。ホームドアの真ん中に座り込み、もう一度ホームドアとチェストゲートのページを確認する。見事に何も残っていないことに涙がこみ上げてくるが、よく確認すればアビリティキャップと同じように容量や空間の上限がなくなっているようだった。それだけが唯一の救いかもしれない。