第七章 灰鋭石の硬剣 8
月下の鍛冶屋へと歩きながら、トーアは少しだけ緊張していた。今までの鉄だけを使った単純な鍛冶とは違い、色彩鋼、それも扱いが難しいとされる灰鋭鋼の鍛造である。現実となった今もCWOと同じように出来るかという不安があった。
――あー失敗した。必要な分だけじゃなくてもう少し多めに素材を貰っておけばよかったかも。
そんな事を考えながらトーアは月下の鍛冶屋の扉を押して、店内に入る。
「あ、トーア、おはよう」
「おはよう、トラース」
「ガルドさんから事情は聞いたよ。灰鋭石の硬剣を作るなんてトーアは本当すごいんだなぁ……」
「ははは……」
トラースから尊敬の篭った瞳を向けられ、むず痒い感覚にトーアは照れ笑いを浮かべた。
「それで今日作るのか?」
「うん、素材も届いたからね」
「了解、ガルドさんなら奥に居るよ。僕はちょっと出かけてくる」
「ん?うん、いってらっしゃい」
身につけていたエプロンを脱ぎ、店の入り口に『臨時休業』の札をかけて走り出して行くトラースをトーアは不思議に思いながら見送った。
ガルドに挨拶をしようと店の奥にある鍛冶場に入る。奥のテーブルで座っていたガルドがトーアに気が付いたのか立ち上がった。
「早いな、もう素材が届いたのか」
「はい、宿に早朝届いたそうです」
トーアは頷きながら、リュックサックの中に手を入れて、チェストゲートから素材の入った木箱を取り出し、テーブルの上に置いた。
「トラースは出かけたか?」
「え?あ、はい。私と入れ替わりに出かけて行きましたけど……」
なぜ出て行ったのかがすぐに思いつかず、トーアは首をかしげる。
「昨日、トーアの鍛冶を見たいと言っていただろう」
「ああ、そういうことですか」
ガルドの言葉にトラースは昨日の鍛冶屋に伝言に行ったのだとトーアは察する。
とりあえずと、トーアは立ち上がったガルドと共に昨日の四人が月下の鍛冶屋に来るまで鍛冶の準備をすることにした。耐熱エプロンを身につけ、素材を炉の近くに並べる。
しばらくしてぞくぞくと鍛冶場に人が集まり始めた。集まったのは昨日、夕凪の宿でトーアと直接話したレテウス、リオリム、レガーテ、アリシャの四人とそれぞれの店の若い鍛冶師だった。イデルからこっそりと各店の“期待の新人”である事を聞かされたトーアは、ふぅんと小さく声を漏らして横目で観察する。若い鍛冶師たちもトーアが鍛冶の準備を進めていることで、鍛冶をするのが本当にトーアなのかとそれぞれの師匠や店主に確認していた。
――まぁ……実際に作ってしまえば腕前はわかってもらえるってのは、武芸よりもわかりやすくていいかな。
鍛冶場に全員が揃ったのか、ガルドがトーアに顔を向けて小さく頷いた。始めていいらしいと察したトーアは準備が整った炉の前に進み出る。
「おはようございます。そろそろ始めたいと思います」
集まった面々にトーアは軽く会釈をした後、そう続ける。炉の前に座りパーソナルブックを現して灰鋭石の硬剣のレシピページを開いた。
「トーア、何を作るのか全員わかってはいるが、一応説明してくれ」
ガルドにそう言われ、トーアは身体の向きを変える。
「えーっと、今日は灰鋭石の硬剣を鍛造によって作成します。灰鋭石の硬剣は色彩鋼の一つ、灰鋭石、またはフレッジ鉱石と呼ばれる鉱石を精錬した灰鋭鋼を刃の部分に使用した剣になります」
傍らに置いた灰鋭鋼を視線を向ける鍛冶師たちに見えるようにように持上げて、説明を続ける。
「灰鋭鋼は色彩鋼の一つ“灰色”で、角を作れば刃になると言われる特殊な金属になります。保管や持ち運ぶ際はこのように角のない形状にします。その鋭さの反面、非常に脆く硝子に例えられるほどです。灰鋭石の硬剣は灰鋭鋼を刃鉄にし、通常の鋼で皮鉄を作り、両面を挟むことによって鋼の強度と灰鋭鋼の切れ味を両立しようとした剣になります」
灰鋭石の硬剣という名称は、本来は脆いはずの灰鋭石を硬く剣にしたことから灰鋭石の硬剣と呼ばれる。
名称の由来で一端、説明を閉じる。ここまで詳しい説明はここに集まった面々には不要だということはわかっているが、目を輝かせて熱心に説明を聞き入るトラースが居る為、説明をしていた。その事を他の鍛冶師達も理解しているためか、誰もトーアの説明を止める者はいなかった。
「その切れ味を生かすため刀身は薄く細身の物が最上とされ、腕の良い人が振るうと鋼の鎧ごと両断するとされます。そして、今回は緩く反りの入った刀身を作成します」
反りの入った刀身という言葉に集まった若い鍛冶師達はざわつく。トーアはやはり非常識な事なのかと思ったが、鍛冶屋の店主でありそれぞれ一流の腕を持つであろうガルド、レテウス、リオリム、レガーテの四人はトーアの言ったことを品定めするかのように目を細めていた。
唯一、店主であり鍛冶師ではないアリシャはどこか不思議そうな顔をしている。
灰鋭石の硬剣はトーアの説明の通り、一枚の灰鋭鋼の刃鉄と二枚の鋼の皮鉄によって構成され、成形を済ませた跡、一枚ずつを重ねて鍛接を行う。
他の刀剣と異なる部分はここで、鍛接を先に行わない所にある。原因は灰鋭鋼の脆さが原因であり、鍛接後に成形を行おうとすると鋼が変形する強さで叩いた瞬間に灰鋭鋼は伸びずに内部で割れてしまう。そして、灰鋭鋼の脆さに合わせると鋼がのびず、それ以上変形させる事が出来なくなる。
真っ直ぐな刀身であれば、さほど問題はない。だが緩く弧を描く反りを持った刀身となると完全に同じ形状に三枚を成形しなければいけないため、鍛造の難度はいやおうなしに増すことになる。
「何か質問はありますか?」
「いいかしら?」
「なんでしょうか、アリシャさん」
不思議な顔をしていたアリシャが手を上げ、トーアは尋ねる。
「なぜ反りを入れるのかしら?灰鋭鋼の鍛造成形というだけでも神経を使う作業を、より難しくする必要はないんじゃないかしら。差し支えなければ教えて欲しいわ」
「端的に言えば、構造によって切れ味が増すからです。ですがその効果を発揮させるには通常の灰鋭石の硬剣よりも更に使い手の腕前を要求するようになります」
CWOでもこの世界でも灰鋭石の硬剣の通常のレシピは直剣になっている。CWOでもその刃や刀身の脆さは戦闘系プレイヤーに取って産廃、ごみ扱いされていた。
しかし、その切れ味に魅せられて灰鋭石の硬剣の性質を生かすため一部のプレイヤー達は、生産系プレイヤーを巻き込む形で様々な試行錯誤を行い、辿り着いた形状は反りを持った刀身だった。
奇しくも日本刀の原理と同じく、反りによって斬りつけた瞬間に僅かに発生する“引かれる力”を利用し灰鋭石の硬剣の鋭さを最大限発揮させる構造だった。
その分、扱う際のプレイヤースキルとして“引いて斬る”という技術を求める結果になるが、それを使いこなすプレイヤーは漫画やアニメ、空想の中でしか出来ない様な事を成し遂げる。
――そういえば、最初にゴーレムの居合い切りを成し遂げたのは、師匠だったような。
“灰鋭石の硬剣の有用性における考察”というタイトルでWeb上にアップロードされた動画は、二メートルを越す岩石で出来た巨人を、日本の甲冑を身に纏い、日本刀の如き形状、装飾がされた灰鋭石の硬剣によって、縦に真っ二つに両断した武術の師匠の事を思い出した。が、すぐに意識を質問をしたアリシャに戻す。
「なるほど……最適な反りっていうのはあるのかしら?」
「それは、流石に教えられません」
「……それもそうよね、説明ありがとう」
最適な反りの角度は?というのはCWOでも長く議論が続けられたが、使用者の癖や腕前、焼き入れ時の変形などもあり、“この角度が最強である!”と言ったプレイヤー達はそれぞれが『流派』を名乗る結果となった。
今回、トーアが作るのはCWOではメジャーな角度を作る予定である。
「他に質問はありますか?」
アリシャの質問を最後に他に質問はなかった。では始めますとトーアは宣言し、再び炉に向き合う。
今までの鍛造とは違い、灰鋭鋼は少しでも強くたたけば硝子のように割れる。トーアは二度、深く呼吸を行い集中を高める。
灰鋭鋼のインゴットを一つ手に取って炉にかけると、灰色である灰鋭鋼が次第に橙色に熱せられていった。全体が橙色になるように炉で位置を調節してタイミングを見計らい、金床の上にやっとこで引っ張りだす。冷える前にトーアは軽い方の槌の重たさだけで叩くように振り下ろした。
キン!という甲高い音と共に灰鋭鋼が少しだけ変形する。
小刻みにトーアは鎚を振り、形状を少しずつ変えていく。灰鋭鋼が冷めたと感じた瞬間に炉に戻し再び熱を加えた。灰鋭鋼の加工は手早く、的確に、そして優しく行わなければ、不用意な一振りで灰鋭鋼は砕けてしまう。
いままで剣を作成していたトーアを見ていた月下の鍛冶屋の面々だったが、トーアが見せる凄まじい集中力に見惚れていた。
次第に灰鋭鋼が板状に成形され、反りをもった刀身の形状がおぼろげに見え始めてくる。この時すでにトーアはびっしょりと汗をかいていた。
汗を拭いながらトーアは鍛造を続け、灰鋭鋼を反りを持った刀身に打ち上げる。そっと、徐冷用の金網の上に置いたトーアは一度、鎚を置いた。
「ふぅ……ちょっと休憩です」
立ち上がったトーアの言葉に固唾を呑んで見守っていた面々は呑んでいた息を吐き出していた。
耐熱グローブを外しながらトーアはリュックサックからタオルを取り出して吹き出た汗を拭った。椅子に座り一息ついていると、カンナが大きめのコップを手に近づいて来る。
「トーア、ほら水だよ。塩が入ってるけど、我慢して飲みな」
「ありがとうございます」
月下の鍛冶屋の体調管理を行っているカンナが用意した水には、汗をかいて消費される塩と飲みやすく柑橘系の果汁が入っていた。精錬を行った時も同じような水を用意したカンナにさすが鍛冶屋の妻とトーアは称賛しつつ、受け取った水を喉を鳴らして飲んだ。鍛冶場でトーアの鍛冶を見ていた人々もそれぞれ水を口にしていた。
打ちあがった灰鋭鋼の刀身を遠目に眺めながら、トーアはこのあとは灰鋭石の硬剣作成の山場である鍛接作業の事を考えていた。ここまできて失敗したくないなぁと思いながら、トーアはコップに残った水を飲み干した。