第七章 灰鋭石の硬剣 5
月下の鍛冶屋での仕事を始め、カンナと共に昼食を作り皆と食べたあと、トーアはカウンターに座り店番をしていた。昼を過ぎてからの来店はないため、パーフェクトノートを広げて手にはペンを持ちトーアとギルの防具について考えを巡らせていた。
今のトーアとギルの防具は、ウィアッドで受け取ったグローブ程度しかない。皮鎧を身につけているフィオンよりも劣っている状態である。
「……ギルには胸当てと手甲ぐらいは作ってあげたいけど……。自分のはどうしようかなぁ……」
とりあえず今使ってるグローブに鉄板を縫い合わせて手甲のような形にしようかとトーアはパーフェクトノートにメモをつける。
メモを書き終わったトーアはふと顔を上げて頬杖を付いた。
――トラースもついに鍛冶かぁ……。
いつも店番をしているトラースは今、鍛冶場でミデールと共に、イデル、ガルドから初めて鍛造を行う為の教えを受けている。
まずは失敗させるつもりなのか、ガルドとイデルは短剣を作らせようとしていた。鎹あたりから、炉や鎚の扱いになれたほうがいいんじゃないかなともトーアは思うが、CWOでも最初は短剣を作ってたなと思い出して、懐かしさを感じてしまった。
出会ってからのトラースの成長をしみじみと感じながら、作るものの構想を練っていると月下の鍛冶屋のドアを開ける音がする。
パーフェクトノートを閉じてトーアは顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
店に入ってきた客に視線を向けると真新しいプレートメイルを着込んだ男だった。年齢は二十代初めと言ったところで、腰には剣を差し、顔はある程度整っていると思えた。恐らく冒険者だとトーアは思ったが、傷一つなく光り輝くほど磨かれたプレートメイルは男には不釣合いだった。
――鎧に着られている……。
顔には出さなかったが、分不相応な装備を身につけた駆け出しといった印象をトーアは受ける。歩いてはいるものの、プレートメイルや腰の剣が重たいのか、身体の軸はぶれており、そのまま戦えるのか疑問が残った。
品定めするように店内を見渡した後、カウンターに座るトーアに不躾な視線を向けて、真っ直ぐに向かってくる。
「店主を呼んでくれ」
「鍛造の依頼でしょうか?」
何のために店主であるガルドを呼べと言ったかわからなかったトーアは聞き返した。内心、面倒そうな客が来たかもしれないと思っていた。
「そうだ。さっさと呼んで来い」
「少しお待ちください」
男の無遠慮な言葉に顔をしかめそうになりながらも、トーアは椅子から立ち上がり鍛冶場に向かった。
鍛冶場ではトラースが炉の前に座っており、傍らにイデルが立っていた。炉やあたりにある物を指差し、注意点を説明しながら、やっとこや鎚の使い方を教えていた。ミデールが座る炉の近くで監督するガルドに近づく。
「ガルドさん、鍛造の依頼です」
「わかった。ミデール、そのまま続けていろ、疑問があったらイデルに聞け。イデル、店の方に行ってくる、頼んだぞ」
「了解です。よし、トラース、倉庫から短剣を作るだけのインゴットを持ってこい」
「は、はいっ!」
足早にトラースが倉庫へと向かって行くのを眺めながら、トーアは優しく微笑みを浮かべた。やってきたガルドと共に店側に戻ると、男は苛立ちを隠そうともせずに腕を組んで待っていた。
「店主のガルドだ。鍛造の依頼は武器によって値段が違うが……」
ガルドの言葉にトーアは値段が書かれた紙を差し出す。だが男は値段表に視線も向けなかった。
「金も素材も僕がどうとでもする。灰鋭石の硬剣を作れ」
灰鋭石の硬剣という言葉にトーアは昨日聞いた話を思い出し、男が件の人物だと悟る。横目でガルドの様子を窺うと気が付いているようだった。
「……灰鋭石の硬剣か。その前に、腰の剣を見せれてくれ。俺の流儀なんでな」
「ふん……こんなものを見てどうだというのだ。まぁ、構わないが。もともと使っていた灰鋭石の硬剣がすぐに折れたので次までの代替品で安物だしな」
剣帯を外して男はカウンターの上に剣を置いた。
ガルドが鍛造を依頼されたときは、依頼者の剣を見ることが多い。一見の客の場合は必ず見せてくれと言っていた。
男から受け取った剣をガルドが抜くと、傍に立っていたトーアはその状態に目をむいた。刃には刃こぼれが散見され、刀身には魔獣の脂と思われる曇りがべったりと残っていた。
――ひどいとしか言いようがない……。
鍛造の依頼の際にガルドとともにトーアは依頼者の剣を見ることがあり、剣から読み取れる事は多い事をトーアは学んでいた。
最初はなんとなしに見ていたがガルドの視線が刀身や柄に向けられているのに気がつき、同じようにしっかりとみるようになった。
柄や刀身の磨耗、修理具合から使い手の癖が読み取れる事に気が付き、それが作られた武具に反映されているというガルドの熟練した腕前をトーアは尊敬していた。
なにより使い込まれた武具からは“相棒”である使用者の愛情も感じる事があった。
だが、男の剣はそんな物を感じさせない粗末な扱いをされている剣の姿がそこにある。
ガルドはすぐに剣を鞘に納めてカウンターの上に置いた。
「悪いが今は仕事が立て込んでいる。灰鋭石の硬剣は別の店に頼んでくれ」
「っ……!エレハーレの鍛冶屋はどこも本当に鍛冶屋なのかっ?灰鋭石の硬剣一つ、満足に作れないんだからな!」
剣を奪うようにして取った男は汚い言葉を吐きながら扉に向かい、乱暴に店を出て行った。
静かになった店内でトーアは息を深く吐き出した。面倒な客がすぐ帰ったことで安堵に似た溜息だった。
「あれが件の男か」
「そうみたいですね。まったくさっさとエレハーレから出て行けばいいと思います」
「……そうだな。気にするな、忘れてしまえ」
トーアが思わず悪態をこぼすとガルドは少し口角を上げて笑ったあと、トーアの背中を叩き鍛冶場へと戻って行った。
エレハーレを貫く王都主街道が夕日に赤く染まるころ、トーアは月下の鍛冶屋の仕事を終えて帰路についた。
あのあと新しい客は現れなかったためか、トーアはずっとあの男の言葉をぐるぐると考え、軽い苛立ちを抱えたままでいた。
――ガルドさんが言ったとおり、さっさと忘れてしまおう……。
あの男のせいで気分が苛立ったままというのも、腹立たしいので気分を切り替えようと夕凪の宿のスウィングドアを押した。
既にギルとフィオンは宿に戻ってきており、指定席になっているカウンター席に座っていた。トーアの姿を見つけるとフィオンは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「トーアちゃん、お疲れ様!」
「ただいま、フィオン、ギル」
フィオンの笑顔に少しだけ癒されつつ、トーアはギルの隣に座った。そして、ベルガルムに夕食を頼み、フィオンとギルから今日の出来事を聞いていた。
ギルドの裏にある広場で鍛錬を続けていると、時折パーティの勧誘があるくらいで他には何もなかったらしかった。
夕食が終わった後、フィオンが真剣な面持ちでトーアに身体を向けたので、トーアは何だろうかと同じように身体を向ける。
「トーアちゃん、剣の手入れについて教えて欲しいんだけど……」
「もちろん、いいよ」
月下の鍛冶屋で見たあのぼろぼろの剣を思い出したトーアだったが、フィオンが同じような扱いをするわけではなさそうだと、ほっとする。同じような事をした場合は厳しい指導が入る事になる。
ウィアッドで受け取った手入れ用の道具を手に、宿の裏にある井戸の近くにトーアはフィオンとともに移動する。ギルもまた様子をみるためか、近くに来ていた。
すでに陽は落ちているため辺りは暗くなっていたが、ギルが気を利かせて魔法系アビリティ【魔法基礎】で使える【灯火】を使い、小さな明かりを生み出してくれていた。
「ギルさんも魔法使えるんですか?」
「そうだけど、教えていなかったっけ?」
「はい……トーアちゃんが【火種】を使ってるところは初めて会った時に見てましたけど……」
「私は【魔法基礎】の魔法しか使えないけど、ギルは属性の魔法も使えるよ」
へぇーとフィオンがギルを尊敬を込めた視線を向けると、ギルは少し照れたように頬を掻いていた。
「じゃぁ、簡単な手入れの仕方を教えるからね。刃が欠けたとかになると、本格的に直さないといけないから、私か鍛冶屋さんに持って行ってね」
はいと元気の良い返事を返したフィオンにトーアはうなずいて、剣の手入れ方法を実演を含めて教えて行く。最初に汚れを丁寧に洗い流し、明かりに当てながら刃の状態を確認する。そして、必要があれば刃を研ぐ。作業が終わった後は、もう一度刀身を濯いで乾いたタオルなどでしっかりと水気を取り除く事を説明した。
「保管の時は専用の油を極薄く塗布すれば錆防止にもなるからね。まぁ……冒険者家業をやってる時に長く使わないってことは滅多にないと思うけど」
「なるほど……」
フィオンは自身の剣の手入れを実際に行い、作業内容を理解したのか何度も頷いていた。
トーアは、男の言っていた灰鋭石の硬剣をフィオンは使ってみたいのか疑問に思う。
「フィオン、灰鋭石の硬剣を使ってみたい?」
「え……灰鋭石の硬剣ってあの?で、でも、扱いがすごく難しいって聞いたことがあるけど……」
「そうなんだけど、合う人はぴったりと合うんだよね」
一応、トーアは師匠からの教えもあり灰鋭石の硬剣を扱う事はできるものの、神経を使いながら振るわなければいけない部分があり、合わないと思っていた。
あたりの片付けを済ませたトーアは、フィオンとギルと共に酒場に戻るために話しながら歩き出す。
「一度、触れて振ってみるのがいいんだけどね」
「でも灰鋭石の硬剣って高級品だよね?私の実家でも滅多に入荷しなかったし……」
「やっぱり、そうなんだ。でもフィオン、私が作れば別に問題はないでしょう?」
トーアは自慢げに胸を張りながら、酒場へと入る。
「いやいや、トーアちゃん!それおかしいからね!?灰鋭石の硬剣を作れるって人がどこにも所属してないフリーである事なんて、おかしいんだからね!?」
「そんな事言われても、作れるものは作れるし……」
ばたばたと大げさなリアクションをするフィオンにトーアは若干、身体を引きながら呟く。フィオンは頭を抱えてながら、大きく盛大なため息をついていた。ギルは苦笑いを浮かべながら肩をすくめていた。
カウンター席に向かおうとするトーアは、突然、横から伸ばされた手に反応し、フィオンを庇いながら手をかわした。
「お前、灰鋭石の硬剣作れるのか?」
かわされた手を引きながら言った男は、月下の鍛冶屋で灰鋭石の硬剣の鍛造を依頼した男だった。トーアは面倒な人間に話を聞かれたかもしれないと口に出さずに毒づきながら、警戒心も露にうなずいた。
「灰鋭石の硬剣を作れるのは本当だけど、それがなにか?」
「僕に灰鋭石の硬剣を作れ」
傲慢な言いようにトーアは、顔を顰めそうになるが辛うじて抑える。その代わり表情はなくなっていた。
トーアが何も言わないでいると男は鼻を鳴らして酒場に座る他の冒険者に聞こえるような声でしゃべり始める。
「僕はあの『誉の剣』に所属する由緒ある貴族の子息だぞ!冒険者なんぞやりたくも無いが、僕にも事情がある。冒険者をやる為に必要な物はなんだ?それは高貴な僕にあった上等な武器だ!」
男の話に舌打ちと共に顔を顰める酒場の客達だったが、男は気にせずに口上じみた動作で話を続ける。
「やはり、鋼鉄をも両断するという灰鋭石の硬剣こそ僕に相応しい!すぐに腕がいいと噂の鍛冶屋で作って貰ったが……鋼鉄を斬るどころか、ファットラビットを斬ろうとしただけで簡単に折れてしまった」
男の口上を聞きながら、それは当たり前だとトーアは思う。
灰鋭石の硬剣のその脆さは、欠陥でもあり最大の特徴である。灰鋭石の硬剣の構造は灰鋭鋼を鋼で挟むように鍛接したもので、刀身を強度ギリギリまで薄く作るのが特徴になる。
その切れ味は、刃の上にそっと紙を乗せただけで二つに分けるほど鋭利なものになるが、灰鋭鋼自体の脆さと、薄く延ばされた鋼が影響し非常に折れやすい。極上の剣の腕前をもってしてもその扱いには細心の注意を払う必要がある。
そのような繊細な剣を、普通の剣さえ正しく使うことができない人間が扱えるとはトーアは思わなかった。
ファットラビットに対してならば丁寧に頚を狙うなどしない限り、分厚い筋肉と脂肪の層に阻まれて剣が止まり、簡単に折れる事が想像できた。
「エレハーレの鍛冶屋に灰鋭石の硬剣の依頼をしてもどこもかしこも断ってくる。金も!素材も!心配するなと言っているのにだぞ!?」
男の喚き声をトーアは聞き流しつつ、全て自業自得と内心、溜息を付いていた。
「どうだ?どこにも所属していないというなら口利きもしてやるが、灰鋭石の硬剣を作らないか?金は相場の倍は出す。なに、全て僕のジオバラット男爵家に請求してくれればいい」
「いいえ、作らない」
トーアは迷うそぶりを見せることもなく男に断りの言葉を言った。
だが、断られると思っても居なかったのか、男は一瞬呆気に取られた後、はははと笑い始める。
「なぜだ?作れるといっておいて、本当は作れないのか?」
「別にあなたにどう思われても構わないけど、私は、あなたに、灰鋭石の硬剣は、作らない」
一言一言はっきりと、特に“作らない”という言葉を強調する。
エレハーレの鍛冶屋も男の態度や何をやったのかを考え、いくら金を積まれようとも『こいつの為に振るう鍛冶の腕はない』と結論し、結果、男は今だ灰鋭石の硬剣を手にしていない。
それを理解したのか男はみるみるうちに顔を真っ赤にさせる。
「なんだそれは!?……はっ!どうせ作れないからそんな事を言うのだろう!エレハーレの鍛冶屋はどこもかしこも鍛冶屋か疑わしいな!そこに行く冒険者どももその程度の腕なんだろうな!!」
男の言葉に酒場にいた冒険者達から殺気が膨れ上がる。
「まったく!たかが生産者なんぞ、言われたものを言われた通りに作っていればいいんだよ!僕が金も素材も用意しなければ何も出来ない癖にな!!」
男のその言葉にトーアは何かが、ぶちん、と音を立てて千切れた音を聞いた。