第六章 異界迷宮 5
翌朝、トーアは再び異界迷宮『小鬼の洞窟』に入り最深部に向かって歩いていた。
ギルドで受けたクエストの素材は僅かに足りていないため、深い場所ならば魔獣や魔物が出てくるだろうと考えてのことだった。
トーアの予想通り、一本道を進むにつれて次第にマインゴブリンやケイブバット、ビックワームと遭遇する事も多くなってくる。
「キィィッ!」
「っ……!」
上から滑空するようにして飛び掛ってくる蝙蝠であるケイブバットを肩の短剣を左手で抜いて首元から足まで腹を割く。一匹目のケイブバットが白い塵に変わるのを横目で見ながら続けて飛び掛ってくる別のケイブバットを空いている右手で剣を逆手に抜き、斬り上げる。
「キィッ!?」
「ギッ……!」
「流石に出すぎ……!」
ケイブバットを全て斬り落とした後、続けて横道から顔を出したマインゴブリンにトーアは左手の短剣を投擲し、走り出す。
顔を出したマインゴブリンの首に短剣が突き刺さり、トーアが横道に並ぶマインゴブリンに向かって剣を振りかぶったのはほぼ同時だった。
三体のマインゴブリンを剣で斬り倒し剣についた血を払い、鞘に納める。
「はぁ……まったく……」
誰にという訳ではないがトーアは悪態をついて、白い塵となって消えたマインゴブリンやケイブバットが残したドロップ品を拾う。
爪や牙、鉱石に混じって小指の先ほどの水晶のような結晶が落ちていた。
「これは魔導石……?」
トーアが知る限り大きさは非常に小さい部類のものだったが【刻印】に使うことができる。
CWOでの魔導石の入手方法は宝石に似ており、採掘により時折手に入ることがある。だが、敵となるモンスターを討伐する事で手に入ることは滅多にない。
――CWOと入手方法が違うのかな……。まぁ、こんな小さい魔導石があっても……。
ヒカリゴケに照らされた魔導石はうっすらと赤色に染まっていた。
魔導石にはそれぞれ属性があり、その属性に魔法を封じ込める事ができる。そして、色の濃さが封じ込める魔法の強さになる。
色と属性を無視して封じ込めることも可能だが、その分、性能が落ちてしまう。身体強化などの属性がないものに関しては、どの魔導石に入れても一律の性能を発揮し、どの程度の魔法の強さに耐えれるかという色の濃さだけが重要になる。
「流石に色が薄いし……弱い強化か簡単な詠唱器にしか使えないかな」
質はともかく使えるものは使うとトーアはチェストゲートに収納した。
いま集めた素材で受けたクエストに必要な個数を集めた事をトーアは広げたパーソナルブックで確認する。
パーソナルブックを閉じて、迷宮の最奥であるボスがいる領域に入ろうかとトーアは迷う。だがトーアが思い出したギルドの資料には、異界迷宮『小鬼の洞窟』のボスであるホブゴブリンは取り巻きであるゴブリンとともに登場し、集団での戦闘を推奨していた。
戦えない訳ではなかったが無理に戦う必要はないとトーアは、入り口である『異界渡りの石板』に足を向けた。
途中の横道にある鉱脈からはトーアが採掘した鉱石のほかに土や粘土も取れたため、トーアは麻袋に詰めてチェストゲートに収納する。
途中、昼食を挟みながらトーアは入り口までの横道にある鉱脈を採掘した。
――ふふふ……当分の素材はこれで大丈夫。明日にエレハーレに戻って、早速ホームドアを改築しようっと。
トーアは迷宮内でホームドアが使えるのか確認したが発動できなかったため、エレハーレに戻るまでの楽しみにする事にしていた。
出現する魔獣や魔物を倒しながらトーアは異界渡りの石板に到着する。それまで一度も冒険者に会わなかったことにトーアは小さく首を傾げる。
「まさか異界迷宮に入るパーティの数だけ、『小鬼の洞窟』が生まれてるとか……?まさかね」
思いついた原因をトーアは鼻で笑いながら異界渡りの石板に触れて迷宮から脱出した。
身体が埃っぽい感じがしてトーアはお風呂に入りたいと思い、小さく溜息をつきながらながら異界渡りの石板を保護する建物を出る。
その瞬間、向けられた視線にトーアは嫌悪感を覚え、向けられた視線の元を見る。
寝泊りする為の建物の近くに数人の男がたむろしており、全員がトーアの方へ顔を向けていた。そして、ぼそぼそと言葉を交わした後、再びトーアに視線を向けてくる。
その視線に含まれる悪意をトーアは感じ、内心、溜息をついた。面倒事は避けられそうにもないと、警戒しながらもトーアはゆっくりと建物に向かって歩き出した。
「あんた、リトアリス・フェリトールか?」
「……そうだけど。なにか用?」
建物の扉を押そうとしたトーアだったが、かけられた言葉に平坦な声で答える。声をかけてきた男の容姿にトーアは既視感を覚えた。
「ゴブリン討伐で活躍したあんたと手合わせがしたい」
「手合わせ?」
溢れ出る胡散臭さにトーアは顔を顰めそうになるのを我慢しながら、聞きかえすと男は本物を使わずに木の棒で打ち合うだけの物と説明した。木の棒でもやり方によっては危険だとトーアは思いながら、にやつきを抑えようともしない男達が断ると悪い噂を流すつもりなのは十分に理解出来た。
「それならいいよ。木剣は持っているからそれを使えばいいでしょ?」
トーアは内心、嘆息しながら頷いた。男達は頬を吊り上げて笑って建物から少し離れた開けた場所に移動するように言った。
その場所は建物から顔を出して様子を窺う冒険者も居る為、見せしめのためでもあるらしい。
リュックサックを降ろしてその中から木剣を取り出す。相手の男に木剣を渡すと男はトーアの事を殺意を込めて睨んでくる。だがトーアはそんな事は気にしていなかった。
いくら顔を厳しくしてにらんだとしても、向けられた殺意の質はとても低かった。
相手の男とトーアは対峙して、木剣を構える。そして、対峙する男の顔を見て、相手がゴブリン討伐の際にトーアが助け出したパーティ『蒼き鱗の一片』の一人で、夕凪の宿でトーアに向かって『まぐれ』と呟いた冒険者だと今更、気が付いた。
――へぇ……そういう……そういう事。
助けられたという実感がなかったようだと、トーアは木剣を握りなおす。建物の中から話を聞いたらしい冒険者たちが顔を出して様子を窺っていた。
トーアが構えたのを見て、男は距離を飛び掛るように詰めて上段から真っ直ぐに振り下ろしてくる。その速度は手合わせというものを超えており、トーアを殴る気満々のようだった。
片足を引いて半身になり、上段からの振り下ろしをトーアはあっさりとかわす。フィオンと比べれば腕はたつが、CWOの熟練プレイヤーやギルに比べればたいした事もなかった。
続けざまに振るわれる木剣をトーアは見切り、最低限の動きでかわして行く。男の表情に驚きと共に焦りともいったものが浮かんでくる。
トーアは男がぎりぎりかわせるか防げるかの角度、速度で木剣をうちこむ。
「っ……!?」
驚きに目を見張りながら男は木剣でトーアの攻撃を受ける。すぐにトーアは木剣を引き、再び切りかかった。
トーアの動きは防戦というほど攻められている訳でもなく、かと言って積極的に攻めている訳でもなかった。どちらかというと男に稽古をつけるような動きは、ギャラリーとなった冒険者にも、たむろしていた『蒼き鱗の一片』の面々にも、トーアと戦っている男にも、トーアが本気で戦っていない事を気付かせるには十分なようだった。
何度か木剣を交わす男の顔に怒りがにじんでくる。剣筋も大きく大雑把なものが増えて、トーアの剣をかわす事ができずに掠ることも多くなっていた。
「どうしてっ!真剣にっ!打ち込まない!」
叫びとともに男は木剣を乱雑に振るってくるが、その攻撃もトーアにとってはわかりやすく、冷静に作業のように木剣で受け流す。
「手合わせだし。本気で打ち込む必要もないでしょう?」
トーアが答えると男は後ろに跳び退り、木剣を怒りに任せて投げ捨てる。手合わせをやめるのかと怪訝に思いながらトーアは構えを解くが、男は腰に差した剣に手を伸ばそうとした。
「そこまで言うならこっちっ……でっ……!?」
その行動にトーアは本気で男に対して殺すつもりで威圧する。
男は剣の柄に手が届く寸前で動きを止めていた。止めていたというよりもトーアの威圧に恐怖から身体が動かなくなっているようだった。
男の額には玉になった汗が浮かんでおり、呼吸も浅く速くなっている。
「剣を抜くなら容赦しないけど、覚悟は……いい?」
言葉とともに、トーアは木剣を横に捨てる。
男のパーティメンバーも動けないようで、男を助ける事も出来ないようだった。腰を落とし柄に手を伸ばしながらトーアはすり足で男に近づいて行くと、男は荒く呼吸をしながら、じわじわと剣の柄から手を離そうとしていた。
それに気が付いたトーアは近づくのをやめて、男が剣から手を離すのを待った。
そして、ある程度、腕を離したところでトーアは威圧を解き、怒りを納める。
途端に崩れ落ちた男を見て、構えも解いたトーアは木剣を拾い建物に足を向けた。
逆恨みでわざわざ異界迷宮にまで出向き、手合わせをしてくる気概と労力をもっと別のところに向けて欲しいと怒りを感じていたトーアは、実力行使という選択をした男についキレてしまった事を反省していた。
――はぁ……ああ、やりすぎた。でも本物を抜くのは洒落にならないし……。抜いたとしても殺さないで止めれるようには鍛錬は積んだけど……それでも抜かないのであればそれでいい。……って、わぁ……。
二人の戦いを見ていた冒険者達は一様に固まっており、中には意識を失ったり腰を抜かし座り込んでいる者も居た。トーアが近づくと左右に割れるように移動して建物までの道を作る。
恐れを含んだ視線を感じながらもトーアは建物の中に入り、昨日座った壁際に近づき腰を下ろした。
外に立つ冒険者達はまだ建物の中に戻ってくる様子はなく、トーアはどこか寂しさを感じながらグローブを脱いだ。そして、リュックサックの中から夕食である固焼きパンを取り出す。ストレスからか固焼きパンをもっと美味しく食べる事ができないかと考えながらちぎり、口に運んだ。
みっちりと詰まった食感の固焼きパンを咀嚼していると、建物の中に最初にトーアに話しかけてきた四人組のパーティが入ってくる。そして、トーアに気が付くとゆっくりと近づいてきた。
「リトアリス、さん?」
「あ、は、はい。なんですか?」
昨日と変わらない態度でトーアがリーダーの男性に顔を向けると、男性はどこかほっとした表情を浮かべる。そして、トーアに今日も夕食を一緒していいか尋ねてきた。トーアは断る理由もないのと、少しだけ寂しかったのもあって頷いた。四人はトーアの近くに再び車座に座る。
それぞれの荷物から干し肉やドライフルーツ、固焼きパンを取り出した。エルフ耳の女性が調理場へ行き、お茶を入れてきたのでトーアはお礼を言って受け取る。お茶はレドラの香りがするさっぱりとしたお茶だった。
「リトアリスさんは、本当に強いんですね。威圧だけで相手の剣を抜かせないとは」
エルフの女性がお茶を用意している間に他の冒険者達が建物の中に戻ってきたので声を潜めてリーダー格の男性はつぶやく。
「抜かせたら……その、模擬じゃ済まなくなりますから」
「そうだな、そいつは正しい。まったく、自分の腕もないのにキレるなって話だ」
干し肉を齧りながらヴォリベルは頷いた。
その言葉はあたりの冒険者にも聞こえたのか、トーアが取った対応は肯定的に受け取られているようだった。
その後、食事を続けながらトーアがあれだけの鍛冶の腕を持ちながら、あれだけの戦う技量を持つことに驚かれる。トーアは笑って誤魔化し、四人の冒険の理由を聞いたりした。
四人は初め、それぞれがアビリティを上げるために集まった臨時パーティだったが、いつの間にかいつもいるようになったという。そして、冒険者としての成功を収めたいという話だった。
話が途切れたところでトーアが戦った男とそのパーティがあの後、どうしたのかをヴォリベルが話し始める。
「リトアリスと戦った後、崩れ落ちた男を担いで街の方に走って行った。こんな時間だっていうのにな」
「そう……ですか」
気にするなと獣毛に覆われた手がトーアの頭を撫でた。
確かに顔を合わせても非常に微妙なことになるのでトーアとしては助かったと小さく頷いた。
夕食の後、顔を洗ったトーアは毛布に包まって眠りについた。
翌朝、トーアは街に戻るという四人と共に建物を出てエレハーレに向かって出発する。
チェストゲートに大量の素材を収納し、これから何をつくろうかとトーアはとても上機嫌だった。