断章二 ギルビット・アルトランの慟哭 2
足が何か触れ、落下感がなくなったことにギルは、はっとあたりを見渡した。
目の前には黒い角柱があり、あたりはくるぶし程度の高さの草が生い茂っていた。そして、一定の距離からは鬱蒼とした森となっている。
「大神の言う、異世界に来たって所かな……」
黒い角柱に移る顔はCWOで作成したギルビット・アルトランそのもので身長も高くなり、そして、男性特有のモノの存在感に微妙な今までにない違和感を感じていた。
――おぉ……ほ、本当に男になったってことか……ならトーアも女になって居るってことで……。
思わずごくりと喉を鳴らしたギルは、自身の行動に疑問を覚える事となる。これが男特有の行動なのだろうかと首を捻るっていると、背後から草木を揺らす独特の音が聞こえ、ギルは身構えつつも振り返った。
「……また、か?」
「……?」
森の中から現れたのは、獣毛をそのままにしたジャケット、ガントレット、レガースを身につけた大男で、短く切りそろえられた髪に無精髭を生やしていた。
熊男とでも言うのだろうかと、ギルは第一印象を考えながら男の呟いたまたかという言葉に疑問を覚える。
「あー……まて、こちらに害意はない。俺の名前はディッシュ・トリトロンという、ウィアッドという村で猟師をしているんだ。もしかして、トーアの……リトアリス・フェリトールという名前を知っているか?」
「トーアの事を知っているんですか!?」
思いもよらない情報にギルは驚きの声を上げる。だが男、ディッシュの正体がわからず、そして、どうしてトーアの愛称を知っているのかと睨むようにディッシュを見る。
「警戒するのはわかる。だが突然、ここに現れたんだろう?」
「それは……」
「トーアの時と同じだな……。森の中には俺の手に負えない魔物もいる。できれば村に来て欲しい。疑うというのならパーソナルブックを確認してもいいし、武器も預ける」
ディッシュは片手に持った短槍をギルに見せた。ディッシュの提案にギルは頷き、パーソナルブックのプロフィール欄を確認し、武器を手にウィアッドへ向かう事となる。
――こんなに早くトーアの情報がつかめるなんて……。ある意味、幸運というところ……かな。
前を歩くディッシュだけではなく他に人間が隠れている事を考えて、辺りにも注意を払いながら森を抜けてウィアッドの中心であるという宿へと到着する。
西洋風と言っていいかもしれない外観にファンタジーっぽいなという感想を抱きながらギルは宿の食堂へと入った。カウンターには黒髪を三つ編みに纏めた少女が座っていた。
少女はギルの姿に気が付くと、目を丸くして椅子を降り、ゆっくりと近づいてくる。
「ぎ、ギル……?」
「あ……あぁぁ……トーア?本当にトーアなのか?」
「そうだよ……ギル!」
駆け寄ってくる少女、リトアリス・フェリトールをギルは抱きとめた。そして、きつく抱き締める。
――まさか……こうしてすぐに会うことができるなんて……!CWOの時と全然変わっていない……トーアだ!
嬉しさに抱き締めたまま頬を擦り付けようとしたが、カウンターに立つ人々の視線を感じてトーアを離した。
ギルが自己紹介をするとトーアが“魔法実験に巻き込まれた”と説明する。トーアの目配せにこの状況を説明した方便だと察した。
犯罪者かと疑われた事には驚いたギルだったが、自身が見つかった状況を考えれば当たり前かと、トーアに問題が無いか視線を向ける。
小さく頷くトーアを確認したギルはCWOと同じ感覚でパーソナルブックを開いた。
想像していたよりも大きなサイズのパーソナルブックにギルは驚きながらもカウンターの上において、プロフィール欄を開いた。
「トーア君と同じ状態のようだな」
デートンの呟きが、響く。
――【初心者】?なんで【初心者】なんだ!?いや……CWOで転生したってことなら……ありえるのか……?
動揺しながらもトーアを見ると小さく頷いていた。この状況でも問題はないという事なのだろうか、それともCWOと同じように職業神殿があるのだろうかと、ギルは言葉を選びながら口を開こうとする。
「トーア君の前例もあるし、職業神殿で職業や所属国は元に戻ると思うが……」
「トーアも?それに職業神殿があるんですか!?」
デートンの言葉にギルは椅子から腰を浮かせた。デートンは柔らかな笑みを浮かべてギルに座るように促した。
「ああ、トーア君は元に戻ったようだし、記載がない事は心配しなくてもいいと思うよ」
ほっとギルは息をついた。
その後、振舞われたジングジュースを飲み、村で唯一の薬師であるというカルミーゼから診察を受けたギルはトーアから思いがけない言葉を聞く。
「…ふむ。問題はないようだね、ギル君次の駅馬車までどうするかね?トーア君は住み込みで働いていたが……」
「ギルの宿泊費は私が払います」
ぎょっとしたギルはトーアに顔を向けるが、唇を尖らせていた。
「ギルは何も持っていないでしょう。それに、ちゃんと後で返してもらうからね」
着ている物しか何も持っていないことに気が付いたギルは、当分の間はトーアのヒモ生活になるのかもしれないと肩を落とした。
更には服などの生活に必要な物もトーアが買う事になりギルはお金を稼ぐ事ができたらすぐに返そうとギルは心に決める。
ウィアッドの宿の部屋にそれぞれ案内を受けた後、ギルは部屋でパーソナルブックを開き、変更されている設定を変更して使い勝手の良いように調整をする。そこに用事があるので出かけるというトーアが訪ねて来た。
本当であればすぐにでもトーアと話をしたかったが、一緒についていくと部屋を出る。隣を歩くトーアの存在に顔が自然と笑ってしまいそうになるのを我慢しつつギルは歩いていた。到着した村の鍛冶屋で楽しそうに鍛冶をする姿にトーアは変わっていないなとギルはほっとしていた。
――でも、少し無防備すぎじゃないかな……。
鍛冶師であるというノルドと話すトーアは、CWOでのやり取りと変わっていない。ギルと同様に性変換が起こっているはずだが、少し無防備ではとギルは危惧する。
その後、トーアに同行していた少女であるフィオンとの模擬戦の約束をして、夕食を済ませた。先にフィオンは部屋へと戻り、ギルはやっとゆっくりと話が出来るとトーアに向き直った。
「トーア、話が……」
「……部屋に行こう。ここじゃ、人が多いし……」
部屋に案内を受けて、トーアの部屋に入ったギルは【ホームドア】が使えるという事を半ば確信と共に受け入れていた。
パーソナルブックが使えるという事は、CWOに似たルールの世界なのかもしれないという予想が内心あった。だがトーアのホームドアは、以前とは異なり簡素なものになっていた。入り口からトーアが生産した家具などが並ぶ、一軒家というには豪華な内容のホームドアだったはずだとギルは思い返し少しだけ首を捻る。
「ん……あれ?これってホームドアの初期設定の部屋だよね?」
「あ……う、うん……そのね、そのー……覚悟、してね、ギル」
言葉と共に少しだけ潤んだ瞳で眉を寄せるトーアにギルは、胸が高鳴るのを感じて動揺する。
――な……いや、確かに……トーアの表情は可愛いがっ……。
ギルの混乱を余所にトーアは話を続けていた。
「パーソナルブックの状態を見て疑問に思ったかもしれないけど、私のホームドアを見ての通り……チェストゲート、ホームドアが初期化されるの」
「…………え?」
思いも寄らない言葉にギルの混乱と共にあった興奮は吹き飛んだ。
慌ててパーソナルブックを開いたギルはチェストゲート、ホームドア、アビリティの項目を確認した。トーアの言葉に偽りがない事を知ってゆっくりと視線を戻した。
「これ……マジ?」
「……うん。マジ……」
脚から力が抜けてその場に膝を突く。
――こ、これは……辛い……初期化って……。
ギルのチェストゲートには、収集した武器や消耗品が納められており、一部には二度と手に入らないであろうものも含まれていた。ホームドアはゆったりとした書斎風の内装にしており、一息がつけるプライベートルームだった。
だが失ってしまったものについては仕方ないと思うしかなく、それよりも失ったと思ったトーアが再び目の前に立っていることにギルは嬉しさがこみあげてくる。
「あ、で、でも、ホームドアやチェストゲートの最大容量とアビリティキャップがなくなってるみたいで……っ!?」
声をかけるトーアを引き寄せて抱き寄せた。
確かめるように、顔をすりつけトーアの胸の音をギルは確かめる。ぎこちなくだがトーアの腕が回されたことにギルはより腕に力を込めて抱き締め、顔を擦り付ける。
「っひぃぇ……!?」
小さな悲鳴を漏らしたトーアにギルは、トーアが取る態度がどこか無防備であった事を思いだして、まさか女になった事を理解していないのではと冗談交じりに確認をすることにした。
「……トーアの胸、柔らかいね」
引き剥がされた事にちゃんと理解しているのだろうと笑ったギル。
「じょ、冗談はやめてっ!中身は男なんだよ!それを……」
だが、トーアの言葉に理解していないことに気付かされた。トーアの手を取って膝をついたまま再び、トーアに視線をむける。
「な……なに……?」
「それは本気で言ってる?」
「……本気も何も、ギルだって中身は……女でしょ?それなのに、む、胸に顔を擦り付けて楽しいの?」
トーアの言った言葉は確かにその通りだったが、ギルは決定的な違いがある事をトーアに理解してもらう必要があると思った。
その事についてはすでに大神と話した時に受け入れ、“男”として異世界に行く事を決めていた。
同じようにトーアもそれだけの決意をしているのか、今の態度から覚悟していないとしかギルには思えず、実力行使で理解してもらおうと決める。
「確かに……だけど、トーア……今のトーアは女なんだ。そして、僕は男なんだよ!」
「あっ!?っ……えっ!?」
トーアの手を取ってホームドアの床に押し倒し、そのまま手首を押さえ込んで体重をかけて逃げられないようにした。
動転して呆然としているトーアの顔をギルは覗き込んだ。
「トーア、ちゃんと……自分が女になっている事を理解している?」
「そ、それは……わかってるよ……自分の身体なんだから」
身体についてはわかっているというトーアにギルは、大きく溜息をついた。精神が女性として受け入れていない訳ではなさそうだが、自覚が足りていない感じがした。
「本当に理解してる?トーアは無防備すぎる。CWOじゃトーアや僕みたいなプレイヤーは居るってみんなわかっていた。だけど、この世界じゃ、トーアは……女なんだよ?」
「う……」
言葉につまり視線を彷徨わせて考えるトーアにギルは、攻撃的に否定する訳でもないトーアはわかってくれると信じるしかなかった。
「みんなは……私が男じゃなくて、女だから……あんなに心配するんだ」
おずおずと視線を向けたトーアの表情は幾分、謎が解けたようにすっきりとしており、精神の認識が肉体に追いついたようだった。
「ああ……そうだよ。でも、トーアはトーアだから」
そして、ギルはもう二度と手放さないように、優しく笑みをうかべながらトーアの頭を撫でた。
その態度に疑問を持ったのか、トーアにじと目で視線を向けられ、唇は尖らせる。
「ギルだって……私と同じようなものなのに、何でそんな平然としてるのさ……」
「そういう風に見える?」
考えてみればもっともな感想だと、ギルははにかんだ。
「ははは……本当はすごく混乱してるんだけどさ……まぁ、なんていうか大神に出会ったときにギルの姿で異世界に行くって聞いた時に、色々と覚悟を決めたっていうか」
「……考慮済みって事」
男になる事は既に考慮済みで、トーアの隣に立つことが出来るのであればたとえ性別が変わろうとも、構わないというギルの覚悟があった。だからこそ、異なる性別になるという事も受け入れることが出来ていた。
トーアの拘束をしぶしぶ外した後は、向かい合うようにして座る。
「ギル、その一つだけ気になっている事があるんだけど……」
「なに?」
「元の世界の私はどうなったの?」
トーアの質問にギルの視界が一息に歪む。
ニュースを聞いた瞬間から輪廻の卵を受け取るまでの感情を思い出し、嗚咽は漏らさなかったものの涙が流れた。
「トーアは……明野 幸太はもう死んだ事になってるよ」
「そっか……って、ギル?」
慌てたトーアが取り出したタオルで涙を拭いたギルは笑みを向ける。優しいトーアにとっても酷な話だとギルは気が付いていた。
「だ、大丈夫だから。ごめん、幸太が死んだ日に輪廻の卵が届いていたのを思い出して……」
「あ……謝るのは私のほうだよ……」
うつむいて謝罪するトーアは、ギルを巻き込んでしまった事を本当に悔やんでいるようだった。だがギルにとってあの輪廻の卵は再びトーアと出会うきっかけであり、チャンスだった。それをトーアが悔やむ事はギルに取って心苦しかった。
「トーアが謝る必要なんかないよ。輪廻の卵を使った時に大神に尋ねられて、僕は自分自身が選んでこの世界に来た。トーアに……トーアを助ける為に。全て考えて選んだ結果なんだ」
ギルは危うく『トーアに想いを伝えるために』と言いかけ、慌てて言い直した。
「ごめん、ギル……でも、ありがとう」
感謝の言葉と共に笑顔を向けるトーアにギルもふっと笑みを向ける。
「気にしなくていいよ、トーア」
そして、トーアから輪廻の卵で転生した後から今に至るまでの説明を聞き、ギルは色々と限界を感じて部屋を辞する事にした。
「え?パーソナルブックの確認ならここでもいいんじゃない?」
「……トーア、一応、僕は男なんだけど。全く本当にわかっているのかな?」
無防備すぎる発言のトーアをもう一度押し倒してしまいそうになりながら、ギルは何とか衝動に耐える。
反省するトーアにギルは理性を保ちつつ部屋の扉をあけた。
「まだまだ自覚が足りないよ、トーア」
「う……ごめん……」
「まぁ、僕も色々とサポートするから、徐々に距離の取り方を覚えていけばいいよ」
おやすみと挨拶を交わして、早足に割り振られた部屋に戻り鍵をかける。そして、扉を背にずるずると座り込んだ。
「あぶ……あぶなかった……」
何がとは言わなかったが、押し倒した時のトーアの表情やしゅんとうな垂れるトーアの表情を思い出して、ギルは大きく息をついた。
息をつきながらトーア、幸太の事を好きになっていたのか思い出そうとする。
――いつから……かな。初めて現実で会った時か……CWOで結婚を申し込んだ時か……。
結婚を申し込んだ時のトーアは驚いた顔をした後、仕方なさそうに笑った顔を思い出したギルは小さく笑い声を漏らした。
――トーアはまだいろいろと整理がついていないようだし……。いや、僕のほうが整理がつきすぎているというか……。
男になる事を受け入れ、トーアをトーアとして愛する事を決めたギルだったが、焦らずトーアと距離を縮めることにする。
デスゲームが終わった後に大神から異世界に行くかと問われた時、ギルが出した条件は『トーアと同じ世界に行くのなら』というものだった。
「そこまでしたんだ、嫌われたくないしね。……ぅっ……!?」
情けなく笑ったギルだったが、男性特有の生理現象によろよろと立ち上がり、いろいろと確認する為にホームドアを発動する。
――これは……トーアにどうこういうよりも自分の理性と身体のことについてもちゃんと理解をしていかないと……。
前途多難かもしれないと思いながら、ギルは前かがみになりながらホームドアに入って行った。