断章一 デートン・ウィアッドの出会い 1
その日、ウィアッドの長であるデートン・ウィアッドは、王宮から伝えられた新たな農法を試験する為の畑に来ていた。
「デートンさん、こいつはすごいですよ。畑を休める必要がないなんて画期的だ。牧草地も増える事になるからホワイトカウやホーンシープ以外の家畜も飼える様になるかもしれません」
「ふむ……なら、徐々にこの方法に切り替えていくか、皆で検討しよう」
「はい!」
畑の管理を任せていたカナッシュは、嬉しそうに目を細める。新たな産業に取り組める事にデートンは何をするか考えていると呼ぶ声が遠くから聞こえてくる。
「デートンさん!」
「ディッシュ、どうしたのかな?森に行っていたようだが……まさか、ブラウンベアが?」
「違うんです。えっと……どう説明したもんか……とりあえず、エリンさんが呼んでいます」
「そうか、歩きながら話を聞こう。カナッシュさん、この農法のやりかたをまとめておいてくれるかな」
「はい、お安い御用です!」
半ば混乱しているかのようなディッシュに、デートンは歩き出しながら落ち着いて順を追って話すように促した。
ディッシュが話した内容が半ば驚きと共に疑いを持つようなものだった。
「森の聖域に女の子が?」
「はい。警戒心が強い感じでしたが、宿には案内しました。名前もはっきりと答えましたし、錯乱している様子はないです」
「ふむ……」
ディッシュの話を聞いたデートンは歩きながら、どういう理由で森の聖域に入り込んだのか考えていた。
森の聖域は、魔獣や魔物どころから動物でさえも近づかない不思議な場所。王宮から何度か調査隊がやってきたが中心に立つ黒い柱が何のためにあるのかわからなかった。唯一、わかった事といえば『異界渡りの石板』と同じような材質で出来ているという話だけだった。
少女は何かを持っている訳でもなく、ほとんど着の身着のままという話を聞いたデートンは思わず眉を寄せる。
「ディッシュ、カルミーゼ先生に声をかけなくてもいいのかい?」
ディッシュと共に森を歩いてきたという話だったが、念のため、村唯一の薬師であるカルミーゼの名を上げる。
「あ、はい、途中で声をかけるつもりです」
エリンにデートンと同じように呼んでくるように言われたと説明するディッシュに、デートンは杞憂だったと頷いた。
宿へ向かう途中で、カルミーゼの居る診療所に顔をだす。
幸い怪我人はいないようで、カルミーゼは陽の当たる場所で分厚い本を読んでいた。
「……森の聖域で少女を拾った?」
「先生、保護したと言ってください」
「まぁ、どちらでも構わないがおかしな話だ。ある場所とある場所を移動できるなどと『異界渡りの石板』ぐらいしかできていないんだぞ?……だが森の聖域のあの柱が何らかの影響を与えたのか?それとも……まぁ、いい。診察という事なら私が出向こう」
「すみません、先生」
本を閉じて立ち上がったカルミーゼとディッシュ共に、デートンは宿へと向かった。
宿の食堂に入ると、カウンターに旅装というには簡素すぎる服装の少女がカウンターに座っていた。
艶やかで癖の無い黒の髪を三つ編みにして背に流し、吊り目気味の赤黒い瞳は意思の強さを感じさせたが、小柄と言ってもいいような身体つきとあどけない顔つきが幼さを感じさせる。
「初めまして、君がディッシュの言っていたリトアリス・フェリトール君、かな?」
「は、はい。リトアリス・フェリトールといいます。トーアと呼んでください」
声をかけられて緊張と警戒をのぞかせる少女、トーアにデートンは出来るだけ優しい笑みを浮かべた。警戒させたままではどちらに取っても良くない結果になる事が多いのを、宿の主として、村の長としての経験から知っていた。
情報を少しずつだしながらトーアの話を聞くうちに、魔法実験という想像もできないことに巻き込まれた事がわかる。
――嘘を言っているというわけではなさそうだが……真実を全て語っているという訳ではない……かな。
ここ数十年、他国がエインシュラルド王国に戦争をふっかけるということも無く周辺諸国との関係も良好である事、そして、密偵などの職業の人間が着の身着のまま、突然、森に現れるだろうかとデートンは疑う。
「ふむ……トーア君、身分証明書のようなものは持っているかな?エインシュラルドでは、出生時に身分証明書を発行している。トーア君の国ではどうかはわからないが……」
エインシュラルド王国だけではなく他の国でも多く取り入れられている身分証明書は持っていないとトーアは首を横に振った。
村を運営していく中で密入国をする人間にデートンは少なからず出会っていた。大体は挙動不審であったりどこか怯えたような、独特な雰囲気を放ち、鉄火場を渡り歩く犯罪者ともなれば、歩き方や距離の取り方、身体の置き方とどこか普通の人間と違う事を長年の経験で知っていた。
犯罪者であった場合、捕縛し近い街へ移動させる必要が出てくる。村の中でも元冒険者という事もあり、場数を踏んでいるディッシュにデートンは目配せをする。
トーアのような少女が暗殺などの汚れ仕事をするのはありえない話ではなかった。
「身分証がないのであれば、申し訳ないがパーソナルブックのプロフィール部分を確認させてほしい」
「プロフィールをですか?」
あまり使うことのない方法だが身分証明書もなく、正体不明のトーアという少女には使わざる得ない方法だった。
この世界におけるパーソナルブックのプロフィールは非常に公明正大で、犯罪の大小に関わらず必ず記載される。それは、償った罪でさえも永遠に残る、ある意味残酷なものだが書かれている内容はなによりも信用できた。
不思議そうにするトーアだったが、もしもの場合にディッシュがすぐ動けるように身構えたのを察したのか、覚悟を決めたように頷いた。
――少女というには凄まじい胆力だ……。
詰問されているような場の雰囲気でも一呼吸で自然体を取り戻し、パーソナルブックを現した。
「……これは……」
だがそれよりも驚くべき事がパーソナルブックに記されていた。本来であれば、埋められているはずの職業や所属国が空白だったからだ。
この世界における職業と所属国は、たとえどんな幼子でも記載がある項目でトーアのように空白であって良い項目ではなかった。
「こ、こんなのものは見たことがない!初めてパーソナルブックを現した子供でさえこんな……名前と性別、罪状だけが埋まっているなんてありえない!」
パーソナルブックを覗き込んだカルミーゼが声を上げて、トーアに詰め寄るがディッシュの声に幾分、落ち着きを取り戻していた。
カルミーゼは元は王宮の魔導院に勤めていたが派閥争いの余波で閑職となり、国中を流れてこの村にやってきた人物だった。元々、村に居つく気はなかったようだが、研究の片手間で学んでいた【調薬】の腕は良く、村の皆と触れ合っているうちに村に居つく事となった。今では村唯一の薬師としてなくてはならない人物である。
トーアの言った魔法実験という言葉への食いつきを見る限り、まだ魔導院へ未練があるようだったが、すぐに落ち着きを取り戻した様子から迷う部分はあるらしいとデートンはふと思う。
「トーア君、いきなり君を疑うような真似をして、すまない。……職業欄が空白なのはもしかしたら職業神殿へ行けば解決するかもしれないね」
「え……あ、あのっ!職業神殿があるんですか!?」
謝罪と共に漏らした職業神殿という言葉への食いつきに面食らいつつもデートンは頷いた。
その後、働かせて欲しいというトーアのまっすぐな瞳に何かを感じつつ、トーアの所在をこの村に引き止める事が出来ると考え、働く事を了承した。
息子であるミッツァの妻であるカテリナを呼びにいくと、不思議そうにしていた。
「義父さん、どうかしたんですか?食堂で何かあったんですか?」
「ああ、ちょっとね……」
トーアの事を説明するうちに嬉しそうに笑みを浮かべるカテリナにデートンは微笑みを浮かべる。
「ふふ、住み込みで働く女の子なんて健気というか……」
「面倒を見てくれるかな?仕事はカテリナの補佐の予定だから仕事も教えてあげてほしいんだ」
「はい、義父さん」
笑顔で頷くカテリナとともにデートンは食堂へと戻った。
トーアの部屋を整えるため、肩を押して上機嫌なカテリナと共にトーアが食堂を出て行くのをデートンは見送り、こっそりと息をついた。トーアのパーソナルブックは今まで経験した事のない状況であったため、それなりに緊張をしていたようだった。
この村にトーアを引き止める事は出来た、今後の生活でゆっくりと人となりを見極めるつもりだったが、王宮への報告をどのようにして書くかデートンは迷っていた。
ウィアッドが接する王都主街道だけではなく、国中に走る主要街道の村や街の長は目に付いた出来事や、いつもとは違う事が起こった場合、王宮へ報告する義務があった。主要街道を走る駅馬車が王宮へと届ける役割を担っている。
こうする事で国中の情報が集められ、王宮では的確な政策を打ち出せる。そのため、長となる人物の人格や主義、主張など普通の村の長以上であることを求められた。
報告に使われる紙と封筒は専用の物が使用され、【刻印】が書き込まれたそれは正しい方法でなければ開く事も書き込むことも出来ない代物である。
デートンの父、祖父は求めに応じられるほどの人物だった。デートン自身もまたそれに応じられる人物足るように日々生活していると自負していた。息子であるミッツァもまた、次期村長として日々成長しているようだと妻であるエリンと共に感じていた。
「トーアのことだけど、いいのかい?」
食器を片付けていたエリンに尋ねられ、思案にくれるデートンは顔を上げる。昔と変わらない射抜くような視線だが、長年連れ添ったデートンは慣れたもので、その視線に混じる心配するような気配にも気が付いた。
「雇った事かな?人手不足はいつもの事だからなにも問題はないと思う。どれくらい働けるかについてはおいおい見ていけばいいと思うよ」
「それはまぁ……何時も通りだけどね」
「エリンは反対なのかい?」
どこか迷ったようにエリンは視線を彷徨わせていたが、デートンの言葉に首を横に振った。
「いいや、あの子はいい目をしているよ。なにせ私がじっと見ても怯まずに見返してくるんだよ?私は一発で気に入ったね。受け答えだってはっきりしてるし、礼儀もいいしね」
エリンの言葉の通り、見知らぬ土地に放り出されたにしては状況を受け入れて、悲観も嘆きもせずに真っ直ぐにデートンを見て働きたいという、見た目からはかけ離れた行動にデートンは驚きと共に称賛していた。
「ああ……そうだ、私もそうだよ。……それはそうと、エリンが見ても怯えない子とは」
「っ……いいんだよ!どうせ私は目つきがきつい女ですよ!」
昔と変わらない言葉と共にエリンは洗っていた食器を置き、夕食の準備のため調理場へと入っていく。エリンの機嫌を直すためデートンは後を追った。
トーアの言動から何かを隠しているようだが犯罪者ではない事は証明されている事と、指名手配者の人相に近いものは誰も居ない。
働かせて欲しいと言ったときに見せたトーアの真っ直ぐな、ただ前を向く者の瞳を思い出してデートンは昔、村に立ち寄った冒険者が同じ目をしていた事を思い出した。
その後、高位の冒険者となったと本人から聞き、彼の冒険譚は編纂され、物語になっている事も思い出した。その冒険者よりも遥かに歳若いトーアが見据えるのは何だろうか。と、幾分機嫌が直ったエリンと共に夕食の準備を進めながらデートンは思った。
その後、トーアが妙に配膳に手馴れている事や、酒瓶を満載した木箱を易々と持上げるという事態に驚いたものの、何よりもデートンが驚いたのは単独でブラウンベアを討伐し、ウィアッドを救った事だった。
最初の出会いから驚きの連続であったものの、それを超えるブラウンベアの単独討伐。ギルドの冒険者で言えばランクDからランクCにかけての腕だが、それは完全武装して用意を整えた冒険者である。
だがトーアは森に入るための準備を整えたとは言え、鎧もつけず短槍一つでそれを成し遂げていた。
――どうやら……事情があるという話では済まない子なのかもしれないな……。
当の本人であるトーアは、村を救ったというよりも“自らの身に降りかかった火の粉を払った”程度にしか捉えておらず、村の人々から言葉に戸惑っているようだった。
ブラウンベア討伐の謝礼を含めた賃金をデートンは渡したが、想像以上の多さに戸惑っている様子に内心、笑っていた。
「トーア君のお陰で熊狩祭を開催できて多くの利益が出ている事と、ブラウンベアから村を護ってくれた礼を含めているから是非、受け取って欲しい。……私は熊狩祭の利益の半分を出してもいいと思っているのだがね」
「えっ……い、いいえ!ありがたくいただきます!」
更に報酬を上乗せしようとすると、拒否するかのように頭を下げる。
いつの間にか宿の前にはウィアッドの人々が集まり、トーアを乗せた隊商を見送っていた。
「ふぅ……なんというか、すごい子だったね」
「そうだね、まったく……ブラウンベアの単独討伐がどれほどすごい事なのか本当にわかってるのかね、あの子は」
隣に立つエリンは笑顔のまま肩をすくめ、宿へと戻って行く。
デートンはそろそろ王宮への報告をまとめようかと考えていた。
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―聖教暦465年 七の月 六の日 王都主街道 ウィアッド 定期報告書
王宮より開示された新型農法の効果が確認でき、今後、村の農法を切り替えて行く方針を立てる。
前回の報告より利用客数は増加の目処があり、前年と同様の傾向にある。
村の周辺でブラウンベアが出没するも、後述する人物の手によって討伐される。死傷者、負傷者なし。
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特記事項。
ウィアッド近辺に存在する特殊環境である『森の聖域』にて少女を保護。名をリトアリス・フェリトール。
外見については、腰ほどまでの黒髪を三つ編みに、赤黒い瞳、十六歳から十八歳程の年齢、華奢な体つきをしているが、酒瓶を満載した木箱を易々と持上げるなど、ステータスが高い模様。
身分証明書の類は所持していないため、パーソナルブックの確認により罪を犯した経歴はなし。だが、職業欄と所属国欄が空白であることが判明。
保護の後、宿に住み込みという名目で、目の届く場所で人となりを観察する。
受け答えもはっきりしており、言葉に不慣れな様子はなし。文字を読み、流暢にかけることから一定の教育をうけた可能性がある。だが一部の常識に疎い事(貨幣の数え方、金銭感覚等)が見られた。
宿の仕事については、的確に仕事をこなしており、本人から経験がある事が語られる。
“職業神殿”に興味を示し、隊商に同乗するという形でウィアッドを出発しエレハーレへと向かう。
個人的な判断により、仮証明書を発行。職業神殿の利用を強く希望していたため、ギルドへ登録する事を勧めた。今後はギルドからの監視が可能と判断する。
またリトアリス本人からエレハーレで職業神殿に訪れた後はウィアッドに戻るとの言葉があった。
もしウィアッドに戻った場合、追加する形で報告を行う予定。
前述したブラウンベアの単独討伐を成した人物でもあるが、リトアリス本人はそれが良くわかっていない模様。
本人から確認した討伐した状況を以下に示す。
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以上が討伐時の状況である。
個人的な雑感ではあるが、リトアリスにエインシュラルド王国への反抗等の意思は見受けられなかった。
出来れば犯罪を犯すなどの場合を除き、経過を観察していただきたく思う。
以上。
デートン・ウィアッド