表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/167

第一章 輪廻の卵 5

 エリンがそれぞれの使ったコップを片付け始めた時、カウンターの奥からデートンが戻ってきた。デートンの後ろから肩より少し長いウェーブの掛かった飴色の髪の女性が出てくると、トーアの姿に気が付き、垂れ目の鮮やかな茶色の瞳が輝いた。


「義父さん、この子がトーアちゃん?」

「ああ。今日から次の駅馬車までの期間だが、カテリナと同じ雑用をしてもらうことになった……」

「リトアリス・フェリトールです。トーア、と呼んでください」


 トーアは席から立ち上がり、ちゃん付けはやめて欲しいと“トーア”を強調して言った。


「私は、カテリナ・ウィアッドよ。よろしくね、トーアちゃん」


 どうやらちゃん付けはやめてくれないらしいと、トーアは内心肩を落とす。


「そういえば、トーアはこの身一つって言ってたね。服なんかをそのままって訳には行かないから……カテリナ、古着を少しトーアにわけてやってくれないかい?」

「義母さん、トーアちゃんがこの身一つってどういうことですか!?」


 エリンの言葉にカテリナはトーアとエリンを交互に見やり、トーアが頷くと途端に泣き出しそうなくらいに眉を下げ、トーアは頭を撫でられる。カテリナの顎先に触れるくらいにトーアの頭があるため、撫でることは簡単だった。

 トーアの中身は20代半ばの男性であるため、色々と複雑な気持ちになるが、トーアが言い辛そうにしている様子が“深い事情がある”とカテリナは勘違いしたようだった。


「トーアの事情は後で説明するよ。何着か見繕ってやりな。日用品は宿のを渡していいからね」

「はい!さ、トーアちゃん、かわいいのを選んであげるから、いきましょう」

「そうだ。住み込みだから部屋の用意も頼むよ。この頃使ってないから掃除も必要かもしれないね」

「わかりました、義母さん!確認して、掃除もしちゃいます」


 カテリナの手がトーアの肩に置かれ、後ろからやさしく押されトーアは歩き出す。その様子にエリンは笑みを浮かべて居た。

 カウンターの裏に入ると短い廊下があり、廊下を真っ直ぐぬけると竈や調理器具がかけられた調理場になっていた。薪の燃えたにおいと料理の香りが残っていた。カテリナと共に調理場を抜けて裏口から宿の裏庭に出る。その間、カテリナは至極ご機嫌で鼻歌も聞こえてきた。

 裏庭には屋根の付いた井戸があり、井戸の周りにはブロック上の石が敷き詰められていた。排水をするための溝も掘ってあり、人の通る場所には石の板が被せられている。

 少しだけ歩くとウィアッドで見かける木造平屋の家があったが今までの建物よりも少しだけ大きい。トーアが疑問に思っているとカテリナがトーアの前に回った。


「ここが私と私の旦那さんのミッツァさん、義父さん、義母さんで暮らしている家よ。宿の方はお客さんだけが寝泊りしているわ。ちょっとだけ大きいのは、トーアちゃんみたく泊り込みで働く人もこっちで寝起きするからよ」


 カテリナの丁寧な説明にトーアは納得する。

 あっさりと雇われたのは前例があったからかもしれないと思いながら、家の中をあるくカテリナについていく。そして、奥まった場所にある部屋に案内され、トーアが扉を開けると西日に照らされた部屋に埃が舞い上がった。


「ここがトーアちゃんの部屋……なんだけど、義母さんの言うとおり掃除が必要ね。一応、この部屋には鍵が付いていて、私達には開けられないようになっているから安心してね。あと部屋はあまり広くないのは申し訳ないけど、我慢してね」

「個人の部屋を用意してもらえるんですから、文句はありません」

「ありがとう、トーアちゃん。コレが鍵だから、なくさないようにね」


 カテリナが差し出した鍵をトーアは受け取る。カテリナは掃除用具を持ってくるからとその場を離れる。

 埃が舞う部屋には、小さな机と椅子、一人用のベッド、服や小物を仕舞う為のタンスが置かれていた。換気のためにゆっくりと部屋に入り、小さな窓を開ける。

 窓は宿についていたものよりも小さいが換気や採光を目的としたものと考えれば十分な大きさだった。窓の外は家の裏庭に面しており、野菜が実る畑になっていた。エリンの話したジングが生っているのが見える。

 カテリナはまだ戻ってこない。窓の枠に手をかけながらトーアは今までのことを思い返していた。


――CWOの生産能力を買われてこの世界に来た。多分、【初心者ノービス】のままで居続ければならないはずはないと思う。……それには職業神殿に行かないといけないけど。今はとりあえず生活が出来る場所が出来て、本当に良かった……。


 ほっと息を吐く。

 外を眺めていると、カテリナが掃除道具を持ってきたのでトーアはカテリナと共に部屋の掃除を始めた。




 日が沈むと、宿のランプに火が灯る。

 宿泊客が宿に戻り夕食を注文し始める頃、トーアはテーブルと椅子が並んだ宿の食堂で配膳をしていた。

 掃除が終わる頃にエリンから食堂で夕食の配膳を頼まれ、掃除で汚れた服はカテリナから半そでとスカートを受け取って着替えており、体にはエプロン、頭には三角巾をかぶっている。

 両手に料理が盛られた皿を持ち、笑顔で皿を宿泊客の前に置く。

 学生時代にCWOで課金する為の資金を稼ぎたくて、レストランで配膳するアルバイトをした経験があるので配膳の仕事は苦にならない。アルバイトはCWOのプレイ時間が減ったが課金できる金額は増えるという悩ましい状態になり、結局辞めてしまった。

 着ているスカートとエプロンはカテリナが使っていた古着のためか、トーアの体にはやや大きく、スカートとエプロンはくるぶしの上辺りまで来ている。


――……家事手伝いを本格的に始めた子供のような……カテリナさんはやたらと嬉しそうだけど。


 一緒に配膳を行っているカテリナは掃除をしているときから上機嫌で、今も笑顔を振りまいている。

 カウンターの横にある配膳口から黒髪の男性が顔をのぞかせる。


「トーア、これお願い」

「はい、ミッツァさん」


 カテリナの夫であり、デートンとエリンの息子であるミッツァ・ウィアッドから料理が盛られた皿を受け取る。

 黒寄りの茶髪を目のかかる程度に伸ばし、デートンと同じ茶色の瞳はデートンと同じく優しげな印象を受ける。

 トーアはミッツァと初めて顔を合わせたときはあまりにも雰囲気が似ていたので、驚いていた。母親であるエリンもデートンの若い頃と同じだと呟いていた。

 トーアが自己紹介をすると、ミッツァも名乗りながらトーアの頭を撫でてくる。子供扱いされているのだろうかとトーアは思ったが、二人に子供が居ない事がこのような扱いの原因なのかもしれなかった。

 カテリナが物憂げに『トーアちゃんみたいな子供が欲しいわ』と呟いたのは聞かなかったことにし、ミッツァが動揺して体を大きく跳ねさせていたのもトーアは見なかったことにした。

 食堂には10人ほどの宿泊客が夕食に舌鼓を打ち、お酒を飲み楽しげに話していた。注文も落ち着きすでに配膳も終わっているので少しだけトーアは手持ち無沙汰になる。だが追加の注文があるかもしれないので配膳口近くに立っていた。


「トーア、ちょっといいかい?」

「エリンさん、どうかしましたか?」

「注文も落ち着いたし、先にカテリナとミッツァとで夕食を食べな、配膳は私がやるから」

「わかりました」


 夕食と言う言葉にトーアのおなかが小さく音を立てる。この世界に来てからジングジュースしか口にしていないことを思い出していると、エリンが笑みを浮かべているのに気が付いた。

 トーアは頬が熱くなるのを感じながら、エリンに早く行きなと言われカウンターの奥から調理場へ向かった。

 早足に調理場に入るとすでにミッツァとカテリナは奥にある小さいテーブルに座っていた。


「トーアちゃん、ここに座って。夕食のメニューの余り物だけど味は保証するわ」

「さ、食べよう」

「はい」


 テーブルに並べられた賄いは、ブラウンボアという猪のような獣のベーコンと昼間に見たホワイトカウの乳とチーズ、大きめに切った根菜類をたっぷりと使った濃厚なホワイトシチューと黒パン、シャキシャキとした歯ごたえが残る葉野菜のサラダ。トーアが先ほどまで食堂で配膳していたメニューと変わらないものだった。

 シチューやパンの香りにトーアの口の中に唾液が一杯になり喉を鳴らして飲みほすと、再びお腹がなった。

 鳴った音にトーアが慌てて顔を上げると、カテリナとミッツァは笑みを浮かべてトーアを見ていた。羞恥にトーアの頬が熱くなりうつむく。


「ふふ、さ、早く食べましょう」

「そうだね」

「は、はい……」


 トーアは声に出さずにいただきますと、軽く頭を下げる。

 シチューを木製のスプーンで掬い、口に運ぶ。はふはふと熱を逃がしながらスプーンで崩れるほど柔らかい根菜を噛み締める。根菜のねっとりした甘さとホワイトカウのチーズの風味にトーアは自然と口角が上がるのを感じる。

 黒パンをちぎり、シチューに浸して食べるとホワイトカウのミルクの甘み、ブラウンボアのベーコンの燻され凝縮された味が口の中に広がり、ほぅとトーアは息を吐いた。

 空腹だったこともあり、トーアはがっつき気味にシチューを食べ進める。その様子にカテリナとミッツァは目を細めていた。


「トーアちゃんって、こういう配膳とかの仕事の経験在るの?」

「はい、昔に少しだけ」

「そうか、父さんが即戦力でありがたいと言っていたよ」

「あ、ありがとうございます」


 ミッツァからデートンが褒めていたと言われ、トーアは少しだけ照れた。


「うん。明日からも頼むよ」

「はい!」


 残ったシチューを、パンで綺麗に拭い取りトーアは夕食を食べ終わる。シチューの温かさとおいしさ、満腹感にトーアは「はふっ」と幸せな息を自然と漏らした。

 ふとカテリナとミッツァに見つめられて居ることに気が付いたトーアは小さく首をかしげた。


「あの……どうかしましたか?」

「ううん、なんでもないわ」

「ああ、なんでもないよ。シチューはおいしかったかい?」

「はい!おいしかったです」


 そうかとミッツァは呟き、カテリナと顔を見合わせて、微笑みあった。トーアは釈然としなかったものの、余り気にしないで居た方が良さそうな雰囲気に口を閉じた。


「じゃぁ、父さんたちと交代しよう。トーアは配膳のほうをよろしく頼むよ」

「はい」


 店番をしていたデートンとエリンと交代してトーアは再び食堂へ戻った。

 既に食堂を利用していた客の半分近くが部屋に戻っており、残っている宿泊客も仲間と話しながら酒を飲んでいるだけのようだった。


 その後、トーアは時折入るお酒のお代わりやつまみの注文に対応していると夕食を終えた後、宿泊客にお湯を提供していたエリンに呼ばれる。


「トーア、今日はもうあがっていいよ。汗もかいただろうしお湯は用意してあるから、後で取りにきな。明日は特別早い訳じゃないけど、日が昇るころには朝食だからね」

「はい、わかりました。お疲れ様です」

「ああ。お疲れさん」


 先ほどカテリナと共に掃除した部屋に戻るため、調理場から裏庭へと出る。辺りは後ろの宿から漏れる明かりと裏の家から漏れる明かり以外に光源はなく、僅かな月明かりが家までの道を照らしていた。

 目が慣れてくるとその月明かりだけでも十分なほどだった。元の世界では経験したことがないような暗さにトーアは空を見上げた。夜を迎えた空には圧倒されるほどの量の星がまたたき、二つの月があった。

 元の世界ではありえない光景にトーアは一瞬だけ息を飲み、そして、息を吐き出した。


――本当に、本当に……異世界なんだな……。元の世界に戻るというのもトーアの体じゃ難しそうだし……。


 二つの月を少しだけ眺めた後、トーアは視線を前に向けて歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 転生、転職があるゲームで、転生した直後に完全に無能になるなんてめずらしい仕様だね。 ゲーム内で主人公は自室で転生したけどどうするつもりだったんだろ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ