第五章 二人目の転生者 5
引き剥がす事も出来ず固まったトーアにギルは抱きついたままだった。
「……トーアの胸、柔らかいね」
呟かれた言葉にトーアははっとなって、肩をつかんでギルを引き剥がす。あっさりと引き剥がされたギルはいたずらっぽく笑っていた。
「じょ、冗談はやめてっ!中身は男なんだよ!それを……」
ギルから視線を外しながらトーアが言うとギルは肩を掴んでいたトーアの手を取って真剣な表情で距離を詰めてトーアの顔を覗き込んでくる。
「な……なに……?」
「それは本気で言ってる?」
「……本気も何も、ギルだって中身は……女でしょ?それなのに、む、胸に顔を擦り付けて楽しいの?」
ギルの態度にトーアは困惑しながら、真っ直ぐに視線を見返した。
ギル、ギルビット・アルトランはトーアと同様に、女性が男性キャラクターを操作するプレイヤーで、日暮 かえでという名前である。
トーアの中の人である明野 幸太とは現実世界での親交もあり、トーアの生産好きという趣味を理解し、時には微笑みながら応援し、時には暴走するトーアを止めたりとCWOではおしどり夫婦とも言われた事もあった。
「確かに……だけど、トーア……今のトーアは女なんだ。そして、僕は男なんだよ!」
「あっ!?っ……えっ!?」
トーアの視界が回転しあっという間に押し倒されてギルがのしかかってくる。体重をかけられて手首を押さえ込まれ、ホームドアの天井の光源がギルの顔に影を作りだしていた。
ギルへの抗議の言葉が咄嗟に出ずにトーアは少しだけの恐怖を感じて跳ね除けようとするが、ギルの現在の職業である【初心者】とトーアの【特級創作士】では、圧倒的なステータス差があることに気が付く。
このステータス差であれば簡単に跳ね飛ばす事が出来たが、少しだけの恐怖と気が動転して状況を認識しているものの頭が理解せず、呆然と影になったギルの顔を見上げていた。
「トーア、ちゃんと……自分が女になっている事を理解している?」
「そ、それは……わかってるよ……自分の身体なんだから」
ギルに問われるままトーアが応えると、ギルは大げさなほど大きなため息をつく。
「本当に理解してる?トーアは無防備すぎる。CWOじゃトーアや僕みたいなプレイヤーは居るってみんなわかっていた。だけど、この世界じゃ、トーアは……女なんだよ?」
「う……」
ぐっと体重をかけられ言葉に詰まるトーア。ギルに指摘されて再び自身の身体や外見を考え直していく。心のどこかで、CWOと同じように外見は女だが中の人は男だと他の人もわかっているんじゃないかと考えていた事に気がつくと、今まで出会った人々がどんな視線を向けてきたのか思い出したトーアは、ふっと身体から力を抜く。
ウィアッドの人々が心配そうに声をかけるのも、エレハーレで出会った人々が驚きと共にトーアの事を知るのも、全て見た目通りにトーアの事を少女、“女”と捉えている結果だと気がついた。
ゆるゆるとトーアはギルを見つめ返し、ギルもまたトーアの様子が変わった事に気が付く。
「みんなは……私が男じゃなくて、女だから……あんなに心配するんだ」
「ああ……そうだよ。でも、トーアはトーアだから」
言葉と共にギルはトーアの頭に手を伸ばしてきて優しく撫でた。頭を撫でられながらトーアは同じような状況に陥っているはずのギルが平然としているように見える。
「ギルだって……私と同じようなものなのに、何でそんな平然としてるのさ……」
「そういう風に見える?」
頷くトーアに、ギルははにかんだ。
「ははは……本当はすごく混乱してるんだけどさ……まぁ、なんていうか大神に出会ったときにギルの姿で異世界に行くって聞いた時に、色々と覚悟を決めたっていうか」
「……考慮済みって事」
トーアの時は性別の事は言われたが、それを考える時間はまったくなかったと悪態をついた。
「まぁ、そんなところだよ」
「ん……わかった。ところでそろそろ離して欲しいんだけど……」
「……もう少しこのままじゃダメ?」
「ダメに決まってるでしょ!」
しゅんと落ち込むギルはしぶしぶトーアの拘束を解いた。ため息をつきながらトーアはギルと向かい合うように座り、ギルもまたトーアの前にあぐらをかいた。
「ギル、その一つだけ気になっている事があるんだけど……」
「なに?」
「元の世界の私はどうなったの?」
トーアの質問にギルの表情はみるみるうちにかわり、うつむいた。答えは大方予想できていたが、トーアは聞かずには居られなかった。
「トーアは……明野 幸太はもう死んだ事になってるよ」
「そっか……って、ギル?」
ギルは身体を震わせて静かに涙を流している事に気が付いたトーアは、慌ててタオルをチェストゲートから取り出した。
「だ、大丈夫だから。ごめん、幸太が死んだ日に輪廻の卵が届いていたのを思い出して……」
「あ……謝るのは私のほうだよ……」
死んだと思っていた友人から手紙が届いたらどんな気持ちになるかは、察して余りあるものだとトーアはギルの顔にタオルを当てる。
「……新聞やニュースじゃ、過労死ってことになっていた」
「VRコントローラをかぶったままかと思ってたけど……そっか、ありがとう、教えてくれて。……ギル、巻き込んで本当にごめんなさい……」
タオルで涙を拭いたギルは驚いたような視線を向けてきた。
トーアは作った二つ目の輪廻の卵が原因でギルを元の世界の生活を捨てさせて巻き込んでしまったと、宿でギルに会った時から後悔していた。
「トーアが謝る必要なんかないよ。輪廻の卵を使った時に大神に尋ねられて、僕は自分自身が選んでこの世界に来た。トーアに……トーアを助ける為に。全て考えて選んだ結果なんだ」
「ごめん、ギル……でも、ありがとう」
ギルの言葉に少しだけ心が軽くなったトーアは、素直に感謝する。
「気にしなくていいよ、トーア」
微笑んだギルはトーアの手を取り、優しく握り締めた。トーアの手とは違う大きくしっかりとした指に、ギルは男なんだなとトーアはしみじみと感じた。
「とりあえず……今のギルの状態についてはわかってもらえたと思う。あとはパーソナルブックで出来そうな事と出来ない事は確認してね」
了解と頷いたギルにトーアは持っている情報の説明を始める。最初に説明したのはデートン達に説明している“魔法実験”についての事だった。
ある意味、大神にやられた事を“魔法実験”と言い換えたようなものだが、今のところ深くは追求されていない。
「……大分、苦しい言い訳だけど、他にいい説明は僕も思い浮かばないな」
「う……私も結構、パニックになってたしね」
そして、トーアがこの世界に来てからの一ヶ月に満たないうちに起こったことを話した。いままで隠していた事を全て話せることにトーアは胸のつっかえが取れた気がした。話をしながらこの世界に現れる場所が悪ければ危うく死んでしまったり、口にだすには恥ずかしい内容になってしまいそうだったなぁとトーアは思い返した。
「こうして合流できたのも奇跡的な事かもね。トーアが律儀にウィアッドへ戻って報告しようってしていないと出会うことも難しかったのかもしれない」
「そうだね。ギルも私とすぐ出会えないかも知れないのに、大分思い切った事したと思うけど……どうするつもりだったの?」
「とりあえず、トーアの容姿を説明して探すつもりだったよ。あとは名を上げて気が付いてもらうとかね」
「なんて無茶な……」
「無茶でもさ」
ギルの潔さ、決断力にトーアは感嘆しつつもギルが旅をするのを想像する。
見た目は物語に出てくるような、眉目秀麗、金髪金眼のギル。ただ一人の少女を探すために旅をする。旅の途中で様々な人と出会い、恋に落ちる女性も現れるのは想像できた。
――……成り上がり系のストイック主人公……。面白そうかな……?
だがそれも“もし”の物語であり、今はこうして合流できた事にトーアはほっとする。
「こうして合流できて本当によかった」
「そうだね。……なら、そろそろ部屋に戻るよ」
「え?パーソナルブックの確認ならここでもいいんじゃない?」
「……トーア、一応、僕は男なんだけど。全く本当にわかっているのかな?」
ギルに額を指で突かれトーアはむっと視線を向けた。すぐにギルとの間に男女の事が起こるとは思えないが、無防備すぎる発言だったと反省する。
「まだまだ自覚が足りないよ、トーア」
「う……ごめん……」
「まぁ、僕も色々とサポートするから、徐々に距離の取り方を覚えていけばいいよ」
立ち上がったギルを見送り、おやすみと交わして部屋の鍵をかける。途端、トーアはどっと疲労感を感じてその場に座り込んでしまった。
「はぁぁ……ああぁ……びっくりした……」
押したされた時の衝撃が今頃になって現れたのか心臓が早く脈打ち、みるみるうちに身体が熱くなる。吹き出た汗に気持ち悪さを感じつつ、トーアは湯を浴びようと再びホームドアの中に入った。
その場で全裸になり、お湯でタオルを濡らして身体を拭いて行く。この世界に来てからはずっとタオルで身体を拭くためか慣れてきていた。
「……女……女かぁ……」
どのようにすれば女性としての距離感が計れるのか、身体を拭きながら思案するトーア。押し倒された時のギルの男性的な力強さを思い出し、思わず手首をさすった。
ギルの中の人である日暮 かえでと、トーアの中の人である明野 幸太の関係は友達以上恋人未満というありきたりな関係だったが、トーアこと幸太は二十代半ばを過ぎ結婚も視野に入れて関係の進展を考えていた。トーアが異世界に来た事で半ばあきらめていたが、ギルが後を追いこの世界にやってきた事で再び機会が訪れていた。
「……でも、男であるギルに心が男の私が告白っていうのも……あれ、でも、中の人は女だし……?」
外見は男、心は女であるギルと外見は女、心は男であるトーア。
ある意味、性別的な障害はないように思えるが、どこかしっくりこないものをトーアは感じていた。
――え?これって、どうすればいいんだろう?
現在のギルに対してトーアはどう思っているのか考えると、異世界にやってきた事はとても心強い。CWOでも現実でも何年も付き合いがあるため、互いの事は多く知っている。以前は恋愛感情は持っていたが今は?とトーアは首をかしげるしかなかった。
「男性であるギルに心が男である私が恋愛感情を抱けるのかな……いや、でも外見的、精神的な障害は何もないわけだし……いや、うーん……」
思考がループし始めたトーアだったが一度考え出すとなかなか抜け出せないパラドックス問題に、トーアは身体を拭きながら考えた。
半ば上の空で日記を書いて、部屋に戻ってベッドに寝転がった。