第五章 二人目の転生者 1
駅馬車はウィアッドに向かう途中で魔獣や魔物に襲われるということもなく順調に王都主街道を進み、道の先にウィアッドの建物が見え始めていた。
駅馬車の中は大人二人が座れるクッションが置かれた木製の長いすが進行方向に向かって並んでおり、席の半分ほどが常客で埋まっている。
トーアとフィオンは最前列の椅子に座っており、トーアはある理由から立ち上がらず首を伸ばして御者席の横から前を覗き、出発した時と変わらない風景にどこかほっとしてた。
――そろそろ起きて欲しいけど……。
トーアが立ち上がれない理由は、隣に座るフィオンが寝息を立ててトーアに寄りかかっているためだった。
エレハーレから出発する時からフィオンは初めて街を出て旅に出る為か非常に興奮しており、外を流れる風景に目を輝かせながら見ていた。
野営地に到着した後も興奮は冷めなかったのか、すぐに寝付けなかったようだった。次の日になり野営地を出発してすぐにうつらうつらとし始め、お昼を食べたあとに寝入ってしまった。
肩に寄りかかるフィオンの無防備な寝顔にトーアは仕方ないと思いつつ、自然に目を覚ますまで肩を貸す事にした。その様子を他の客達から微笑ましそうに見られ、トーアは少し恥ずかしい思いをしていた。
駅馬車はウィアッドの中に入り、車輪が轍を超えた衝撃でフィオンは頭を跳ね上げ、目を冷ます。
「んっ!?……ぁ……ぇ……な、なに?」
「おはよう、フィオン」
「あ、え、あー……んと、えっと……と、トーアちゃん、私、寝てた?」
トーアが頷くと、フィオンは状況を理解したのか何度も謝る。その様子に他の客達はくすくすと笑いだし、フィオンは羞恥からか顔を赤くする。
「あ、ぅ……その、こ、ここがウィアッド?」
「うん。そろそろ村の中心の広場に着くんじゃないかな」
「う、ウィアッドってどんなところ?」
眠っていた事を誤魔化すように言葉を続けるフィオンに、トーアは笑みを浮かべた。
「ウィアッドは酪農品とジビエ料理が売りの村だよ。宿で出される料理は絶品だし、特に私はホワイトカウの乳とチーズを使ったシチューが好きだな」
「あー……おいしそう」
「でも、メニューは日替わりだからいつでもあるわけじゃないのがね……あったら幸運と思って食べた方がいいかな」
トーアの説明に駅馬車の中から唾を飲み込む音が聞こえてくる。すでに昼食は済ませているが野営で簡単な食事しか口にしていないためか、宿での食事を乗客は楽しみにしているようだった。そして、駅馬車はウィアッドの広場に到着し、動きを止める。
「ウィアッドに到着です。降り口に近い方から順に降りてください」
振り向いた御者の声に駅馬車の客達は順に降りて行く。
トーアとフィオンは最後に駅馬車を降りて身体を伸ばした。きょろきょろと村の風景を見るフィオンに声をかけたトーアは、広場の前に建つ『ウィアッドの宿』へと向かった。
出発した時の約束どおり、無事に帰ってくることの出来た達成感を感じながら宿のドアを押して、中に入る。
「いらっしゃいませ!ウィアッドへようこそ!」
笑顔のカテリナの声に出迎えられ、他の客達はデートンが立つ宿のフロントに当たる小さな机と並んでいた。
宿に入ったトーアに気が付いたカテリナは驚き、そして、安心したように駆け寄ってくる。
「と、トーアちゃんっ!」
「わっ……あ、カ、カテリナさん」
駆け寄ってきたカテリナにそのまま抱き締められトーアは慌てるが、抱き締められ頭を擦り付けられる頬や体に回される腕の力にカテリナがトーアの事をどれほど案じていたのかを察して、トーアはカテリナに身体を預けた。
「心配していたのよ、無事に帰ってこれて本当によかった。お帰りなさい、トーアちゃん」
「……ただいま、カテリナさん」
呟かれたカテリナの言葉に、トーアは腕を回して抱きしめて小さく呟いた。それにカテリナは嬉しそうに頬を緩ませる。
「ん……今はお客さんの事があるから、後でお話しましょう」
「はい」
名残惜しそうにトーアから離れたカテリナは、他の駅馬車の乗客の対応へと戻って行った。トーアは何時までも入り口に立っているのは邪魔だと思い、目を細め笑みを浮かべるエリンが立つカウンターへとフィオンと共に移動する。
「元気そうでなによりだよ、トーア」
「エリンさん、お久しぶりです」
「ああ、まぁ……久しぶりって程でもないけどね」
宿を経営しているエリンにとって、一ヶ月に届かない別れは短いのかもしれない。エリンの視線がトーアから隣に座るフィオンに移ると、フィオンはびくりと身体を震わせて背筋を伸ばした。
「そちらは?」
「あ、は、初めまして、トーアちゃんとパーティを組んでいるフィオーネ・マクトラルと言います。フィオンと呼んでください、よろしくお願いします!」
「よろしくね。私は、エリン・ウィアッド、ここの女将さんって所だね。もしかして、マクトラル商会の娘さんかい?」
「は、はい、そうです」
「マクトラル商会さんにはいつもお世話になってるよ。ようこそ、ウィアッドへ」
エリンの浮かべた笑みにフィオンはどこかほっとしたように再び挨拶をして頭を下げた。
――エリンさんの目つきは結構きついから初めての人はびっくりしちゃうのかも。
初めてエリンと顔を合わせたときの緊張を思い出したトーアは思わず笑みを浮かべていると、何かに気が付いたようにエリンはトーアに視線を戻し、トーアは思わずびくりと身体を竦ませる。
「トーア、何か失礼な事を考えていないかい?」
「そ、そんな事はないです。エリンさん、ジングジュースが飲みたいんですがっ」
図星を突かれどきりとしながらトーアはジングジュースを注文する。エリンはまったくと笑いながらトーアとフィオンの前に木製のマグカップを置き、カウンターの下から酒瓶を取り出した。
取り出された酒瓶にフィオンは首をかしげるが、エリンにジングを絞ったものが入っているだけと説明され、どこかほっとしたような顔をしていた。
ジングジュースが酒瓶からマグカップに注がれると爽やかな柑橘系の香りがあたりに広がる。
「さ、フィオンも遠慮せずに飲みな」
「あ、ありがとうございます」
トーアは先にマグカップに口を付けてジングジュースを一口、口に含む。
あっさりとしていて濃厚な口当たり、柑橘系のさっぱりした甘み。変わらない味にトーアはほっと一息を付く。隣のフィオンはジングジュースを一息に全て飲み干して大きく息をついていた。
「ぷはぁ……これってあのジングですか?」
「エレハーレで出回っているものがどの程度の物かわからないけど、家の裏にある畑で取れた普通のジングだよ。今年は豊作でね、腐らせるのももったいないし、宿の方にも提供してる訳さ。まだ飲むかい?」
「は、はい!街で食べたり、飲んだりしたものよりもおいしいです」
「ふふふ、ジングは本当にいっぱい生ってるからね。どんどん飲んでおくれ」
エリンはフィオンのマグカップにお代わりのジングジュースを注ぐ。フィオンは嬉しそうに二杯目のジングジュースに口を付ける。
「やぁ、トーア。帰ってきたんだね」
「ミッツァさん、お久しぶりです」
カウンター横の調理場に続く入り口からミッツァは顔だし、デートンに似た柔和な笑顔を浮かべる。
カウンターに立つエリンの横に並び、トーアの顔を見て小さく頷いていた。
「うんうん、無事で何よりだよ。夕飯のメニューをこれから仕込むんだけど、何か食べたいものはあるかな?」
「え……いいんですか?なら、その……ホワイトカウの乳を使ったシチューが食べたいです」
「トーアが初めて来た時に食べたやつかな?うん、わかったよ。腕によりをかけて作るから楽しみにしていてね」
この世界に来て初めて口にしたシチューの味は、ウィアッド、エレハーレで食べた料理の中でも一番トーアの記憶に残っていた。おねだりのような注文になったがミッツァもトーアが食べたいと言ったものがどういうものか気が付いたのか、ミッツァは顔を綻ばせてうなずき、調理場へと戻って行った。
夕食が楽しみになったトーアだったが、隣に座るフィオンが意味ありげに微笑んでいたのには目を逸らした。
しばらくして宿泊客の手続きと部屋への案内を終えたデートンとカテリナがカウンターへとやってくる。
「トーア君、無事でなによりだよ」
「デートンさん、お久しぶりです。エレハーレでは色々とありましたけど……こうして戻ってくることができました」
トーアは視線だけをフィオンに向けてデートンへと戻すと、デートンは頷く。
「そのようだね。何があったのか教えてくれるかな?」
トーアははいと頷き、エレハーレに到着した後の事を話して行く。
ギルドで登録を済ませ職業神殿で、本来の職業と所属国がプロフィール欄に表示されたと説明した。
本当は初めから表示されていたが、そう説明した方が疑われる事もないのではとトーアは考えていた。
「それはよかった。差し支えなければトーア君の職業と所属国を教えてくれるかな」
デートンの質問は職業神殿で【特級創作士】を再び手に入れた時からいつかされる事をトーアは予想していた。
エレハーレでの生活の中でどう答えるべきか考え、ゴブリン騒動でギルド付を断った時に答えを決める。
「私の職業は【創作士】、所属国……出身はクリエイドラムという国です」
「創作士……クリエイドラム……どちらも聞いた事のないものだな……」
トーアの答えにデートンは眉間に皺を寄せた難しい顔で腕を組み何か考えていた。カウンターに立つエリンやカテリナ、フィオンも首をかしげていた。
質問の答えを考えた時、“特級創作士”という職業がこの世界でどれほど認知されているものかトーアはわからなかった。
考えてみれば、生産系のアビリティ全てを取得しアビリティレベルを上昇させる事で取得できる【創作士】と、【見習い】、【下級】、【中級】、【上級】、【特級】、【神級】という六つの階位で上位に位置する【特級】を冠する【特級創作士】がエレハーレで出会った人々を思い返して、メジャーかと聞かれるとトーアは頷く事はできなかった。
他人に職業を聞くこともステータスを尋ねる事と同様に失礼に当たる事かもしれないと思い、確認することもできなかった。パーソナルブックに追加されたギルドの用語集や、ギルドの資料室で手に取った本にも職業についての記述というものは見当たらなかった。
デートンの態度からステータスを聞くほど失礼ではないものの、それなりに気を使う質問に思える。
次にプロフィール欄に表示される職業は設定してる職業のため、あえて階位の低い職業を設定する事もトーアは考えた。だがステータスが下がるというデメリットと、何よりもCWOというゲームの中であったとは言え、時間をかけて失敗と成功を積み重ね手に入れた“職業”を偽るよりも誇るべきとトーアは考えた。
もしも“特級創作士”という職業が元で不都合が立ちふさがるのなら、立ち向かう事を決意する。
流石にエインシュラルド王国の法を逸脱して犯罪者になるつもりはないが、囲い込みだの閉じ込めが起こるのなら、さっさと国外へ逃げ出すつもりだった。
―ー【チェストゲート】の収納と【ホームドア】の設備、生産系アビリティがあればどこでも生きていけるしね。
トーアは手に職を付けることのフットワークの軽さを実感しつつ、顔を上げたデートンと目が合った。
「創作士はどういった職業なのか聞いても……いいかね?」
「生産系の職業でだいたいの物は作れます」
「ふむ……いくつかの職業を得ることで手に入るという複合職ということでいいのかな?私は【聖騎士】や【魔法剣士】、【魔導士】と言ったものしか思いつかないが」
「はい、生産系の複合職と思ってもらえばいいです」
複合職という考えはあるらしいと思いながらトーアは頷く。
「そうか……教えてくれてありがとう、トーア君。それにしても無事に職業を取り戻す事ができてよかったよ」
説明を聞いたデートンが腕を組んだまま笑みを浮かべた事で、トーアは職業の階位について聞かれなかった事にほっとする。
デートンの反応を見る限り、階位を聞くことはステータスと同様に失礼な事に当たるのかもしれないとトーアはしっかりと覚えておく事にした。