第四章 期待の新人 1
剣を抱いて眠った翌朝、トーアは剣を腰に差してエレハーレの北側の森を進んでいた。
朝起きたときに抱いていた剣を抜いて、しばらく眺めていたのは秘密である。
今までは南側の森ばかり歩いていたので、次は北側の地図を埋めようという安易な理由で北側の森へ来ている。
北側の群生地は思ったよりも早く見つかったが、わりと開けた場所に群生しやすいアリネ草は草食の魔物が食べるためか、ホーンラビットやファットラビットと出遭いやすく、ホーンディアの縄張りになっている事が多いようだった。
薬草採取を済ませて街に戻ろうと、トーアは群生地に近づく。
「キュァァァァッッ!」
この群生地を縄張りにしているらしいホーンディアの鳴き声にトーアは身構えると、草陰からホーンディアが真っ直ぐに向かってくる。
角を突き出してホーンディアが飛び掛ってくるのを、トーアは冷静に半歩横に動いて角を避け、抜刀と同時に首の急所を斬りつけた。
トーアが打ち上げた剣は筋肉の塊である首を易々と斬り裂いて、ホーンディアは勢いのまま草地を転がり、倒れこんだ。
「ふぅ……」
ホーンディアが動かなくなった事を確認し、剣を鞘に納めようと血を払う。
だが何かの気配を感じてトーアは気配を殺し、再び剣を構えた。
近くの草陰から鼻を鳴らし、ブラウンボアが顔を出す。周囲を窺いトーアに気が付いたが、その時にはトーアは戦闘系アビリティ【駆動】のスキル【縮地】を使いブラウンボアの真横に移動していた。
剣を上段に振りかぶり、ブラウンボアの首に向かって振り下ろす。鈍い感触がトーアの手に伝わり、一太刀でブラウンボアの首を叩き斬った。刎ね飛んだブラウンボアの首は近くの草陰に回転しながら落ちる。
「うん……上々。乱暴に扱っても問題ないみたいだし」
ブラウンボアの太い首を頚椎ごと叩き斬るという乱暴な扱いにも刃が痛んだ様子はない。
贄喰みの棘や贄喰みの殻が擬態した武具は簡単に破損する事はなくなる。だがトーアはこの世界に来て初めて打った剣の出来が、実戦に耐えれるものか正直、不安だった。
もし破損した場合でも時間を置けば贄喰みの棘の力で修復されるが、今回のような扱い方をしても剣に問題はなかった。
いくら贄喰みの棘の力で簡単に破損しないとは言え、元々がなまくらでは意味がない。剣自体に問題がなかったことにトーアはほっとする。
血を払い、剣を鞘に納めた後、ブラウンボアの首を回収してチェストゲートへ収納し、ホーンディアとブラウンボアを木に吊るして血抜きを始めた。
――もしかしてこのまま放置したら魔獣が集まって、探す手間がはぶけるのかなぁ……。
効率が良いのか悪いのかわからないが流石になぁとトーアは思い、血抜き後に手早く解体を済ませてそれぞれの肉をチェストゲートへ収納した。
その後、アリネ草を採取したトーアは街に戻るため、パーソナルブックを開いた。
地図で街の方向を確認した後、トーアは歩き出すが剣戟の音が僅かに聞こえた気がしてあたりを見渡す。金属同士を打ち合わせるような音は森の中では滅多に聞こえるものではないはずだった。
胸騒ぎを感じたトーアは剣の柄に触れながら音のする方を探り、足早に向かう。
進むうちに木々の隙間から、ライトブルーの髪が揺れるのが見えた。
「っ……!?」
トーアは剣を抜く。
ライトブルーの髪を揺らし剣を振るうフィオンが、三匹のゴブリンに囲まれて居るのを見て、トーアは森を駆け出す。
フィオンはトーアに気がつき首を小さく横に振り、口は“来ちゃダメ”と動いた。
だがトーアは草陰から飛び出して、一番近くに居た真ん中のゴブリンの首を背後から剣で真横に薙ぐ。
手に僅かな鈍い感触を残して剣が振りぬかれ、くるくると舞うゴブリンの首を横目にトーアは着地と同時に右に飛ぶ。
飛び込んできたトーアに驚いて、動かない二体目のゴブリンを手に持っていた出来損ないの棍棒のような棒ごと袈裟斬りに振るった剣で叩き斬った。
「ギャァァッッ……!!?」
肩から胸、腹部にかけて深く切り裂かたゴブリンは悲鳴を上げて崩れ落ちた。ゴブリンから噴出した緑色の返り血を浴びながらトーアは振り返る。
背を向けて逃げ出そうとしている三体目のゴブリンに向かって再び【縮地】を発動する。
彼我の距離を一歩で詰めて、大上段に構えて振り下ろした剣はゴブリンを脳天から縦に両断した。
二つになったゴブリンが地面に落ち、トーアは他に魔物が居ない事を【下級気配探知】で探り、辺りにフィオンとトーア以外が居ない事を確かめる。
他に敵が居ないとわかると身体から力を抜いて、剣を振りついた血を払い鞘に納めた。
「フィオン、大丈夫?」
「ぁ……ぅ……うん」
座り込んだフィオンにトーアは近づいて手を差し出すと、フィオンはゆっくりと手を伸ばして、トーアの手を取る。その手は小さく震えていたがトーアは気が付かない振りをした。追い詰められ、死を間際に感じたのだからしょうがないのかもしれなかった。
「フィオン、街に戻ろう?」
「う、うんっ……」
トーアは出来るだけ優しくフィオンに声をかけたが、震えのためか歩き出せないようだった。フィオンの手をトーアはゆっくりと引いて森を歩き出し、フィオンもそれでゆっくりと歩き出した。
森を抜けてエレハーレの城門近くに到着する。森を抜ける間に魔獣やゴブリンと出会うことはなかった。その頃にはフィオンの震えは収まり、街に入るときにフィオンからもう大丈夫だからと言われて手を離した。
フィオンを先に家に送り届けようとトーアは思ったが、ゴブリンが出た事を先に報告してとフィオンに言われて、ギルドへ向かった。
ギルドの中に入ると休憩スペースで多くの冒険者達がなにやら議論をしていた、別のテーブルではエレハーレ周辺の地図を広げて同じように難しい顔をしながら話をしている。
トーアはその様子を見ながら『クエスト受注・報告』のカウンターへ向かった。
「お疲れ様です、リトアリスさん」
「クエストの報告もあるんですが、森の中でゴブリンを討伐しました」
「ゴブリン、ですか?ギルドタグをお預かりします」
トーアからギルドタグとアリネ草を受け取った女性は、小さな石板にギルドタグを置いて石板を操作すると驚きに目を見張る。
周りに居た冒険者達が静かになり、トーアの居るカウンターの様子を窺っていた。
「リトアリスさん、森のどの辺りで討伐されたか教えてください」
「北側の森の……このあたりですね」
女性が取り出した地図をみて大体の位置をトーアは指し示す。あたりには冒険者達が集まり、トーアが指差した地図を覗き込んでくる。
「何かあったんですか?」
「エレハーレの隣村である、アレリナがゴブリンの群れに襲撃されたのです」
「ゴブリンの群れに?」
アレリナはエレハーレとラズログリーンの間にある村でエレハーレからは北東の位置にあり、王都主街道は東側に向かって弧を描くように繋がっている。
ゴブリンの群れはアレリナの自衛団、たまたま村に滞在していた冒険者や駅馬車を護衛していた冒険者の手によって撃退することが出来た。そして、ゴブリンの群れはアレリナの南西の森、エレハーレからは北東の森へ逃げて行ったとギルドの女性から説明を聞いた。
――だから、ゴブリンと聞いてこんな過敏に反応してるのかな?……それだけと言うわけでもない感じだけど……。
資料室で書かれたゴブリンの内容を思い出しながらトーアは辺りの雰囲気が危険が迫って焦っているというものと少しだけ違うものを感じていた。
「今回のはアレリナを襲ったゴブリンと別のゴブリンか?」
冒険者の一人が呟くと、あたりからそれを肯定する声と否定する声が上がった。今まで別々で話していた冒険者達はこれを皮切りに、『トーアが倒したゴブリンはアレリナの群れの一部でエレハーレ周辺に到達している』と『トーアが倒したゴブリンはアレリナとは関係ない』とに分かれ騒々しく議論を始めた。
トーアが倒したゴブリンがアレリナを襲った群れと同一であるとするなら、早急に討伐を行う必要がある。だがアレリナとエレハーレは駅馬車で二日かかる距離と関係がないと主張する冒険者は声を張り上げた。アレリナからエレハーレへ向かって森を直進すれば距離は縮まると反論がでる。
すぐに議論をする声に罵声や怒声が混じり始め、議論という体を保てなくなり始めた。
トーアは思わず、この状況をどうにかする事は出来ないかとカウンターについているギルドの女性に視線を向けるが小さく首を振っていた。
ヒートアップしていく冒険者達が掴みかかって喧嘩になる前に別の提案をして議論をとめようとトーアは思うが何も思いつかなかった。次第に殺気だっていく冒険者の様子に、実力行使で止めることになるかもと拳を固める。
トーアがこっそりと拳を固めた時、カウンターの向こう側にある扉から一人の男性が現れ、細身ながらしっかりと鍛えられていることが窺える足運びでカウンターに近づいてきた。
カウンターの女性が小さく呟くギルド長との声に、トーアはこの男性が何者であるか理解した。
「静かに。みなさんの議論は興味深いものですが、エレハーレ周辺にゴブリンが現れたのは事実です。そこでエレハーレギルドでは一時的に森への進入を制限します。それと同時にゴブリンの捜索と討伐のクエストを発行します」
ギルド長の声に、先ほどまでやかましいほどだったギルド内は静かになる。
しんと静まり返ったギルド内にギルド長の声が響き、冒険者たちは声を潜めて話をしていた。トーアは実力行使に移る必要がなくなったとほっと息を小さく吐いた。
「クエストは万全を期すためにランク順で採用します。詳しくは明日の早朝にお話しますので、先にクエストの立候補だけをとります」
トーアはゴブリンの討伐クエストに興味はなかった。他の冒険者がするだろうと薬草採取クエストの報酬と渡したままのギルドタグを受け取ってカウンターから離れる。
カウンターには近くに居た冒険者たちが集まり、クエストの参加希望を書き込んでいた。
ギルドの入り口に居たフィオンにトーアは近づく。フィオンの震えは収まったものの、まだ顔色はさえなかった。
「フィオン、家まで送るよ?」
「あ……うん、ありがとう、トーアちゃん。エレハーレ商店街まで行けば大丈夫だから……」
トーアはフィオンの言葉に小さく頷いて、グローブを脱いでいたフィオンの手をグローブを脱いで取り、ギルドの外へと向かう。フィオンはトーアの手をしっかりと握り、トーアの後ろををしっかりとした足取りで歩き出した。
少しは回復したのだろうかとトーアは思いながらエレハーレ商店街の入り口に到着する。
「ありがとう、トーアちゃん」
「帰れそう?」
「うん。すぐそこだから……。助けてくれて、ありがとう」
トーアは気にしていないという風に小さく首を振り、微笑む。フィオンも弱弱しくだが首を小さく横に振ると、微笑みを浮かべた。
手を離したフィオンは手を振り、エレハーレ商店街入り口にある『マクトラル商会』へと向かって行った。入り口に立っていた店員がフィオンにお辞儀し、フィオンは軽く手を振っただけで店内へと入って行く。店の規模はロータリー周辺にある他の店と変わらず大きく立派なものだった。
――マクトラルってフィオンの家の名前……。商家のお嬢さんか何かなのかな。
考えてみればフィオンについて何も知らないことにトーアは気が付いた。恐らく大きな商店に生まれたであろう彼女が、命を失う危険が付きまとう冒険者という仕事をしていることにトーアは不思議に思うが、フィオンにはフィオンの理由があるのだろうと深く考えないようにした。
ギルドで聞いた森に入る事の制限の為、トーアは月下の鍛冶屋に向かった。薬草採取の後は、再び日雇いで働かせてもらおうと考えていたので特に予定が変わった訳ではないが話を通しておいた方がいいと思ったからだった。
月下の鍛冶屋のドアを開けるといつものようにトラースがカウンターで店番をしていた。
「トーア?今日は森に行くって言ってなかったっけ?」
「まぁ、そうなんだけど……色々あってね。薬草採取のクエストは終わったからまた、明日から働かせてもらいたいなって」
「ん、ならガルドさんかカンナさんに話をするんだろ?奥に居るよ」
トラースに礼を言ってトーアは月下の鍛冶屋のカウンターに入り、奥へと進んだ。今日は既に炉の火を落としているのか、金槌の音は聞こえない。
トーアが顔をだした食堂では、仕事を終えた月下の鍛冶屋の面々が椅子に座り、ゆっくりとすごしていた。
「こんにちは」
「トーアか、どうした?」
「ガルドさん、明日からまた日雇いで雇ってもらえませんか?」
「薬草採取のクエストを終わらせたんだな?元々そういう話になっていたからな、働く事に関しては何も問題はない」
「ありがとうございます」
話を聞いたイデルやフォールティ、そして、店舗のほうからこちらに来ていたトラースはうれしそうな顔をする。
「わぁ、トーアのお昼ご飯!」
「今から楽しみだな……!」
まったくと困った風にカンナは笑みを浮かべていた。
「トーア、ゴブリンが出たって聞いたんだけど、何か聞いているかい?」
「ああ、はい。それのせいで森に入れなくなったのと、ゴブリン討伐のクエストが発行されました」
カンナに勧められてトーアは椅子に座る。お茶を用意しながらカンナはトーアに尋ねてくるので、ギルドであったことをトーアは簡単に説明した。
「あの、ゴブリンってよくある事なんですか?」
「毎年ではないが、何年かに一度くらいのペースで街の近くに出没する事はある。そして、その騒動で名をあげる冒険者が居るな」
「なるほど……」
ギルドの冒険者達の過敏な反応は、名を上げる為に我先にと情報を得ようとしていたのだろうと思いながらカンナが用意したお茶をトーアは一口飲む。渋みがあり、ほうじ茶に似た風味のするお茶だった。
「トーアはいいの?一応、冒険者なんでしょう?」
「ランク順で採用って話なので、ランクGの私には縁遠い話ですよ」
「……ランクG?」
フォールティが、眉を寄せて微妙な表情になるのを見ながらトーアは、ぎこちなく頷く。わからないってのはまた面倒くさい話だねぇとカンナがしみじみとつぶやいていた。
他の月下の鍛冶屋も、ほとんど表情の変わらないミデールさえもフォールティと同じような顔をしており、トーアは微妙にいたたまれないような気持ちになる。
「まぁ、この騒動が終わるくらいまでトーアは街に居る感じだね」
「多分、そうです」
「剣は打つのか?」
「あ、いえ……」
ガルドに尋ねられて言いよどむトーア。
トーアが剣を打つとなると昼食を作ることが出来ない為か、月下の鍛冶屋の面々の顔に絶望が浮かぶ。イデルやミデールはトーアが剣を打つところを見たいのか、難しい顔をしていた。
「……雑用だけでお願いします」
「そうか……なら、頼む」
雑用だけと聞いてもイデルやミデールはトーア手製の昼食が食べれる嬉しさと、剣を打つ所を見れないもったいなさに、うれしいような悲しいようなまた微妙な顔をしていた。