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第一章 輪廻の卵 3

 先を行くディッシュの後を追ううちに森を出て、人が歩いて踏み固めたであろう草が生えなくなった道に出る。道の両側はなだらかな草原が広がっており、遠くには立ち並ぶ家々が見えた。

 こっちだと言うディッシュに従って道を歩き始めると、トーアの胸ほどの高さの柵が並び始め、柵の中ではトーアにとって見慣れた動物が長閑に草を食んでいた。


「……ホーンシープとホワイトカウ……」

「ああ。ウィアッドは酪農品が売りと言っただろう?ホワイトカウの乳から作ったチーズやバターなんかを使った料理はこの村の名物だ。うまいぞ。トーアの居た所にも居たのか?」

「ええ、まぁ……」

「まぁ、珍しいもんじゃないからな」


 CWOで居た酪農生物が自然と存在していることにトーアは表情を変えずに頭を悩ませる。

 全身が真っ白な牛であるホワイトカウは、現実で見られるような牛と大して変わらず、「モ~」と鳴き声をあげるのも居れば、口を動かし草を反芻しているものもいた。

 皮、肉、内臓、骨に至るまで捨てる場所はなく、それぞれが生産系アビリティ【皮革】、【調理】、【錬金】や【調合】と言ったものに使われる無駄のない生物だ。乳を搾ればミルクも採取できるため、数十頭を管理し飼育するプレイヤーも居た。

 ホーンシープは巻き角が額から生える一本の円錐状の角になった羊だが、体毛が身体の何倍にも成長し人の手が入らなければ身動きさえできなくなってしまうという家畜化された生物になる。

 トーアは生産系アビリティ【織工】の素材集めのため、あの干したての布団のようなもふもふとした体毛を堪能して、満喫して、辟易とするほどの付き合いである。今も体毛の塊から鼻先と少しだけ出た細い脚を震わせていて、あれはそろそろ刈ってあげないと動けなくなるとトーアは心配になる。

 少しディッシュに離されていることに気が付いて、トーアは慌てて足を速める。途中、村人とすれ違うが珍しそうな視線を向けられて会釈をしてくるだけで、それ以上は何も言ってこなかった。

 ディッシュは気にする様子もなく道を進み、次第に家らしき木造の建物の数が増え、そして、馬のいななきが聞こえる馬小屋と木製の馬車が数台並ぶ馬車置き場が近くにある広い場所に出る。広場というよりもどちらかというと道路の横にある休憩スペースのような印象を受けた。

 ディッシュは広場を横断して更に真っ直ぐに歩くので、後をついていく。

 いくつのものわだちが残る大きな道の前でディッシュが立ち止まると、幌をつけた馬車がその道を走り去って行く。道の幅は走り去った幌馬車が三台が並んで走れるほど広かった。


「ここは王都主街道と呼ばれる王都と迷宮都市をつなぐ南側の道だ。よく見て渡れよ、馬車は急に止まれないぞ」

「すみません、ディッシュさん、南側というのは?」


 道の左右を確認した後、ディッシュと共に道を横断する。歩きながらディッシュに尋ねるとはっとしたようにトーアを見てきた。


「ああ、そうか……国の名前も知らないって言うんだしな。南側っていうのはこの王都主街道がエレファイン湖っていうエインシュラルド王国の中心にある湖の南側にあるからだ。反対側にも同じような道があって、そっちは北側って呼ばれる。それぞれは南回り、北回りとも言われるな。王都は湖の西側、迷宮都市は東側になる。で、このウィアッドは湖の真南にあって、南回りの王都主街道の中間地点になる」


 道を渡りきった後、それぞれの都市の方向を指差しながらディッシュは説明してくれた。

 つまりトーアの居る場所はエインシュラルド王国という国で、中心にエレファイン湖という湖があり、湖の西には王都、東には迷宮都市という都市がある。そして湖の周りを回るようにして王都主街道があり、その真南に位置するウィアッド村になる。

 迷宮都市というファンタジーな響きの都市にどういうものか、聞こうとしたがある建物の前でディッシュが立ち止まったので、トーアはその建物を見上げた。

 建物は三角屋根の二階建てで、ここに来る途中に見た木造の平屋よりも大きく外見も白い漆喰を使った立派なものになっている。窓には曇りガラスが使われており、それも他の建物よりも手間の掛かり方が違っていた。

 両開きのドアの近くには咆哮する熊と馬蹄が使われた意匠が彫り込まれた看板が下がっており、【ウィアッドの宿】と文字が掘り込まれている。トーアは一度視線を外した後、疑問を感じて看板に目をもう一度向ける。今までに見たことの無い文字だったが【ウィアッドの宿】と自然に読むことが出来た。今まで気が付かなかったがディッシュとも自然と会話をしていたことにも気が付く。


――よくある言語チート?だけど、すごくありがたい……。意思疎通もできずに死ぬなんて絶対避けたいし。


 カランカランという音に看板から視線を離し、宿のドアを開けたディッシュに視線を向けた。開けられたドアにはカウベルが付けられており、それはドアベル代わりになっていた。


「入ってくれ、トーア。ここに村長が居るはずだから、村長にトーアの事情を話して欲しい」


 ディッシュに促され、トーアは宿の中にゆっくりと入る。

 途端に独特の香りが最初に鼻をついた。壁際にはランプが下げられていたので獣油を使ってるのかもしれなかった。一角には大きな柱時計が置いてあったが、振り子はついていなかったがゆっくりと静かに時を刻んでいる。

 並べられた丸テーブルと椅子のセットには誰も座っておらず閑散とした印象を受ける。今は陽の傾きを考えれば既に昼食というには大きく時間が過ぎ、夕食というには大分早い時間であったので、宿泊客は恐らく村の中に出ているのかもしれない。

 強い視線を向けられていることを感じて足を止め、その方向を見る。カウンターに立つ壮年の女性から向けられた視線だったが、猛禽類を思わせるような鋭い目つきにトーアは思わず身を引きそうになる。


「ディッシュ、その子はなんだい?今日は狩りの下見だったろうに」

「下見中に森の聖域に行ったんですが、そこで一人立っていたので連れて来ました。その、事情があるみたいでデートンさんに聞いてもらおうかと」

「ふぅん……」


 女性はカウンターを出て、きびきびとした歩調でトーアに近づいてくる。

 彫りが深く鼻は高い、目じりには歳相応の皺が刻まれていた。茶色の髪を団子にまとめて三角巾をかぶり、半そでにスカートの出で立ちでエプロンを身に付けている。

 トーアの前に立つと身長が少しだけ女性のほうが高く、見上げることになるが女性の視線の鋭さが増した気がする。なんだか詰問されているような気がしてくるが、何も疚しいことはないと女性の視線を真っ直ぐに見つめ返した。

 しばらく無言のままでいた女性は唐突に口角をあげて笑みを浮かべる。


「いい目じゃないか、気にいったよ」


 頭をぽんぽんと撫でられて視線の鋭さがなくなる。それでも目つきはきつかったが。トーアはどういうことかわからずにディッシュのほうを見るが、ディッシュもまた驚いているようだった。

 女性はカウンターへと戻った後、手招きをする。ディッシュに再び視線を向けるとカウンター席に座るように促された。

 トーアはゆっくりと席に近づいて座る。


「すまないけどあの人は出かけててね。カナッシュさんの畑に行くって言っていたから、ディッシュ、呼びに行って貰えないかい?ああ、あとついでに先生も呼んできな。あんたと森から歩いてきたんだろ?まぁ、それなら大丈夫だとは思うけど、一応診察してもらいな」

「わかりました、カナッシュさんのところですね」


 ディッシュが頷いて宿を出て行くのを見届けるとトーアは女性と宿に二人っきりになった。会話が無く第一印象があまりよくなかったというのもあり、トーアはなんとも居心地が悪かった。

 トーアが視線を彷徨わせていると、女性はカウンターの裏にある棚に並ぶ酒瓶の一つを手に取り、ともに並んでいる木製のコップから二つをカウンターの上に置いた。


「飲むかい?」

「え……えっと……」


 女性が酒瓶を見せてくるが、いきなりお酒を勧められてどう返答したものかとトーアは迷う。この世界に来てトーアの体になりアルコールに強いのか弱いのか判断が付かない為、飲むのは避けたかった。


「ああ、これは空き瓶に入れてあるだけで中はジングって果物を絞ったもんだよ」


 トーアの態度に女性は笑い、二つのコップにそれぞれ瓶の中身を注いでいく。

 コップに注がれたのは鮮やかなオレンジ色の液体で、あたりに爽やかなオレンジに似た柑橘系の香りが広がった。片方のコップがトーアの前に置かれる。

 ジングという果物にトーアは心当たりがあった。CWOに登場し、見た目は爆弾スイカと呼ばれる全体が黒いスイカ。黒い外皮は硬く、鉈などを使わないと割れないが中は蜜柑のようなじょうのう膜に包まれたオレンジ色の果肉が食用になる。

 ネタ防具として硬いジングの外皮を使った盾や鎧などもあったが、思いのほか性能が良くて一時期、駆け出しのプレイヤーが身に付けているのを多く見かけた。

 味は蜜柑とオレンジをあわせたようなもので、現実の飲料メーカーとのタイアップにより“ジングジュース”は発売されたがあまり人気が出るわけではなくすぐに発売は終わってしまった。トーアは柑橘系の飲み物は好きなため、結構気に入っていたので少し残念だと思ったことを思い出す。

 じっとコップの中のジングジュースを覗き込んでいると、女性は小さく息を吐いた。


「毒なんて入ってないよ。突然つれてこられて警戒するのもわかるけどね。同じ瓶に入っていたものを私も飲む。それで信用してくれないかい?」


 女性はもう一方のコップを喉を鳴らして飲み干していく。コップの中を全て飲み干した後、小さく息をついた。女性の行動に驚くトーアはただジングがCWOにもあったなと思い返していただけだ。

 毒と言われ、ディッシュも『人攫いに遭ったのか?』と尋ねられたことを思い出す。異世界なのだから奴隷や人買いというのが蔓延っている恐れもあるということにトーアは思い至る。村ぐるみで旅人を浚ってそのまま、奴隷として人買いに売り払うという村もあるのかもしれない。だからこそ信用を得る為の女性の行動だとは理解できた。

 直接混ぜる以外にも毒を使う方法はあるため、毒を盛るメリットはとトーアは考える。

 毒によって人を捕らえて売る場合、それはお金を稼ぐ為の方法というのが最初に思い当たる。村の経済状況というのもを考えたとき、あの幾つものわだちが通る大きな街道や立ち並ぶ馬小屋、あの多くの馬車は新しいものから古いものまで様々あった。ディッシュの言った『王都主街道』という名称からも恐らく、人通りは多いのかもと考えていると今も街道を音を立てて馬車が走り去る音が聞こえてきた。

 他にメリットを考えていると、女性は二杯目のジングジュースに口を付けてトーアの様子を見ているようだった。特に催促しているという訳ではないが、こうして疑いをもって飲まないということに慣れているようにも見える。

 ディッシュの言葉を考えれば人攫いから逃げたり、何らかの理由で住んでいた場所から逃げ出した人間が、宿にやってくる事だってありえるのかもしれない。

 トーアを落ち着かせる為にこうして飲み物を提供しているのかもしれないとも考え、疑い始めれば際限ないことに内心ため息をついた。小さく息を吐き覚悟を決めてコップを取り一口だけ口に含む。

 遅効性や無味無臭のものであれば意味はないが、変な味がないか舌全体に乗せる。痺れる感覚も、変な苦味や渋さは感じず、オレンジの酸味と蜜柑のあっさりとした甘さ、濃厚な口当たりにもかかわらず嚥下すればすっきりとした喉越しを感じた。

 現実でのタイアップ製品よりも何倍も濃密な味にほうと息を吐いた。


「おいしいです」

「そいつはよかったよ。家の裏庭で育ててるんだけど年々増えててね。今じゃ宿で無料でだしてるんだけど……そろそろ他に利用法を考えないといけないくらいになっててね……まだまだあるんだ、好きなだけ飲みな」

「ありがとうございます……えっと……」


 女性の名前を聞いていないことに気が付いたトーアは申し訳なさそうに女性を見る。


「ああ、私はエリン・ウィアッド。このウィアッドの宿の女将さんってところだね。ちなみに今ディッシュに呼びに行かせてるのが私の主人で宿の店主さ」

「リトアリス・フェリトールと言います。トーアと呼んでください」


 既にディッシュに名前は明かしているため隠す意味はないとトーアは軽く会釈して、自己紹介する。

 トーアの自己紹介にエリンはふっと笑みを浮かべる。


「トーア、だね。わかったよ」

「あの、エリンさんの旦那さんが村長なんですか?」

「ああ、そうだよ。それがどうしたんだい?今、ディッシュが呼びに行ってるからもう少しまちな」

「あ、いえ……村長が宿の店主をなぜしてるのかなって」


 トーアの言葉にエリンは傾けたコップをカウンターに戻して、視線をトーアに向けてくる。

 ウィアッドの規模はまだわからないが村という程度ならば、村長は村の最終的な意思決定を行い、治安維持や村の発展も行うような重要な立場の人間であるのに、兼任なのだろうかとトーアは疑問を感じていた。


「……村長が宿の店主をなぜやっているか?かい……宿の前にある王都主街道にはウィアッドのような休憩村がいくつも開拓されててね。休憩村の役割は王都主街道を行く馬車や旅人が休める場所ということになるけど、維持管理の問題からウィアッドぐらいの村には一つしかない。そして、一つしかないということは必ず旅人はその宿に泊まり、お金を落としていくことになる。ここまではいいかい?」


 村唯一の宿泊施設ということは独占市場であり、必要な物があれば村から買ったりすることで宿は村という範囲で経済の中心になるということなのだろうとトーアは考え、エリンの説明を小さく頷きながら聞く。

 ジングジュースを一口飲んだエリンは、再び口を開く。


「そして、金が集まれば権力も集まると言った具合に昔、ウィアッドじゃないけど、ある村の宿の店主と村長が主権を巡って村を二つに割る争いになってね。休憩村の運営さえも危うくさせた。王都主街道というくらいだから街道の管理は国がやってる。円滑な運営が出来ない村を王はそのままにせずに店主と村長を罰して、二つの仕事を一つに纏めたってわけさ」

「なるほど」


 権力を一つに纏めることで、村全体を纏めようとそのときの王は考えたのであろう。


「で、今もそれは続いていて、一つしかない場合は兼任するってことになってる。宿が複数ある場合は村長や街の代表者を上位として、宿の店主と協力するようにと決められてる。まぁ、他のところじゃ問題はあるみたいだけど、ウィアッドは平和なもんさ」


 エリンはジングジュースを一口飲んだ後、コップを再びカウンターに置いた。


「……トーア、あんたはどこから来たんだい?王都主街道の宿の店主と村長は兼任している場合があるっていうのは、エインシュラルドじゃ、割と常識的な話なんだけどね。ディッシュは森の聖域に居たって言っていたけど」

「その、気が付いたら森の聖域ですか?黒い角柱のある場所に立っていました。エインシュラルド王国やウィアッドという国や村の名前は一度も聞いたことがありません」

「……気が付いたら……ね。エインシュラルドの名前は大陸じゃそれなりに知名度はあるはずなんだけどね……まぁ、私は魔法とか刻印とかに疎くてね。どっちかというと息子や先生の方がそういうのは詳しいんだけどね」


 魔法と刻印と言う言葉をトーアは聞き逃さなかった。

 CWOに魔法も刻印と言う言葉は存在していた。パーソナルブックが存在する世界なのだから、ゲームと同じことわりを持つ世界のなのかもしれない。

 トーアははっと、村長を呼ぶということは事情を説明しなければいけないが、気が付いたら森の聖域に居たとだけ言うのは怪しすぎるのではないだろうかと気づく。エリンの言った魔法や刻印という言葉を使ってそれらしい理由を説明した方がいいのではないだろうかと考えを巡らせた。

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