第三章 月下の鍛冶屋 9
トーアは夕凪の宿のスウィングドアを開けて酒場に入る。昨日と変わらず陽もあるうちから酒を飲んでいる客が居り、昨日よりも若干人数が増えているような気がした。
店内の視線がトーアに向けられると、どこか期待の混じるものに変わる。
「おう、トーア。機嫌が良いじゃねぇか。いい獲物でも狩れたのか?」
トーアが上機嫌である事にベルガルムもまた期待をしているようだった。
「今日は……これ」
トーアは砕けたフクロナガサをゆっくりと抜いて、ベルガルムや店内の客に見えるようにする。
途端に静かになった店内に、トーアは砕けたフクロナガサを鞘に戻した。
「おいおい……何がどうしたらそうなるんだよ」
「ホーンディアの後ろ蹴りをコレで受けちゃって」
「ホーンディアの後ろ蹴りか、そりゃぁ……って!なんだとっ!?」
カウンターからベルガルムは身体を乗り出して、視線がトーアの全身を確認するように動く。店内の客達もざわつきながらも立ち上がり、トーアの身体に視線を向ける。
その視線に微妙な恥ずかしさを感じつつ、トーアは怪我はない事を告げる。
「まったく驚かせるな……ホーンディアの後ろ蹴りで死ぬ奴も居るんだからな。まぁ、ソレがうまく衝撃を殺したんだろう」
ベルガルムの見解にトーアは多分ねと答えながらカウンター席に腰掛け、ベルガルムがカウンターに置いた水に口をつけた。
「で、そのホーンディアはどうしたんだよ」
「……これ」
足元においてあったリュックサックに手を入れて【チェストゲート】を発動し、解体したホーンディアの肉を取り出してカウンターに乗せる。
店内の客達が発したどよめきが店内に響いた。
「おぉ!よく武器があんな状態で狩れたな……ってことは、これだけじゃないんだろ?」
「もちろん。一頭分の肉と内臓、解体の状態は……」
「いや昨日のブラウンボアの状態を見れば、トーアの解体の腕はわかってる。じゃぁ、買取と夕食でいいか?」
ベルガルムの言葉にトーアは首を横に振る。
店内のざわめきが一瞬で静かになった。
「お金じゃなくて、一頭分の肉と内臓で次のウィアッド方向、王都行きの駅馬車までの宿代にしてくれない?武器があんな状態だから、これ以上狩りに行くことは出来そうにもないし」
「王都行きは……十日後か。ふん、それだけじゃぁ足りねぇな」
カレンダーを確認したベルガルムは腕を組んでトーアを見てくる。
残っているホーンラビットの肉では足りないだろうしとトーアは考えをめぐらしていると、ベルガルムは頬を吊り上げて笑った。
「十日分の宿代に朝食もつけてやるよ。……昨日のブラウンボアで大分、稼がしてもらったし、ホーンディアでも稼がせてもらうからな。ソレくらい安いもんよ」
言葉の後半は口の横に手を当ててトーアだけ聞こえるような声で呟く。頬を吊り上げて笑うベルガルムは人相と合わさって悪巧みをする悪人にしか見えなかったが、トーアはあけていた口を閉じてベルガルムに釣られて肩を震わせる。
「ふふふっ……なら、それで交渉成立ってことで」
「ああ。サービスで今日の晩飯もつけてやるよ」
鞄から肉と内臓を取り出してベルガルムに渡し、代わりに部屋の鍵を受け取ったトーアは一度部屋へと向かった。
客達からは「早く戻ってきてくれよ!」と声がかけられ、トーアが戻らないと昨日と同じようにお預けらしい。だがトーアは使った道具をきちんと手入れしてホームドアの中に干し、軽装に着替えてから酒場へと戻る。
ほぼ指定席となりつつあるカウンターの一席に座ったトーアは店内の客達が昨日と違い、うな垂れたり、黄昏ている様子に首をかしげた。
「トーアちゃんが魔獣を狩れなくなって、おいしいもの食べれなくなったってみんな落ち込んでるのよ」
夕凪の宿の店員であるトリアの説明にトーアは納得しかけるが、もっとこう自分でなんとかしろよと思ってしまう。
トリアからもちゃん付けで呼ばれているが、次第に何も感じなくなっている事にトーアは気が付いて、小さく嘆息する。もうトーアはかわいいからな!と開き直ってしまおうかとも考えはじめていた。
「それにトーアちゃんが狩ってくる魔獣を使った賄いがおいしくて、私もつい食べすぎちゃってるわ」
「あ、え、えっと……ごめんなさい?」
トリアは頬に手を当てて困り顔で呟く。美女の困り顔もやっぱり綺麗だなぁとトーアは思いつつ頭を小さく下げる。
「ふふふ……私もちょっと食べれないって残念に思ってるから……、ちゃんと準備が整ったらまた、お願いね」
「ぅ……は、はい……」
トリアはトーアの頬をなでながら婀娜っぽい笑みを浮かべる。思わずトーアは顔をうつむかせて視線を逸らした。同性になっているとは言え妖艶な女性の笑みに頬が熱くなった。
笑みを深めたトリアはトーアの頭を撫でていったん離れる。
調理場から木の深く小さな皿を持ったベルガルムが出てきて、トーアの前に皿を置いた。
「トーア、本命が出来るまでこっちでも食っててくれ。ブラウンボアの内臓煮込みだ。においはちょっと癖があってきついし、歯ごたえも妙かもしれないが、味は保証するぜ」
「内臓の煮込みは食べた事あるから、大丈夫だけど……ちゃんと処理しないといけないんじゃないの?」
「ふん、中途半端なもんを俺が出す訳ないだろう?昨日のうちから下ごしらえをして、ずっと煮込んだもんだ。トーアの解体の腕がいいのか、鮮度もよかったからな中々の出来だぜ」
新鮮なのはチェストゲートのお陰とは言えないトーアは、素直にフォークを取ってぶつ切りにされた内臓の一つをとって口に運んだ。すべすべの舌触りと噛み締めると内臓独特の食感が歯に伝わる。
苦手な人はこの食感やにおいがダメらしいが、臭みを消すように香草が使われており、噛むたびに甘い脂、滋味があふれ出た。旨味が溶け出したスープも絶品で、内臓の出汁だけではなく骨の出汁も使われているのか、つい飲んでしまうほど後引く濃厚なスープに仕上がっていた。
「おいしい」
「そうだろう?まったく、酒が飲めないのが残念だな!」
「…………」
ベルガルムの言葉にトーアは視線を内臓煮込みに向けて口を閉じる。
酒は飲んでみたいがどうなるかわからない為、そのまま無言を貫く。他のテーブルには内臓煮込みは半々という感じで置かれており、やはり好き嫌いが分かれるようだった。
「待たせたな。ホーンディアのスペアリブだ」
内臓煮込みをつついていたトーアの前に、調理場から出てきたベルガルムはホーンディアのあばら骨を使ったスペアリブが乗った皿を置く。いま焼き上がったためか皿に盛られても肉はチリチリと音を立てている。
これは手で噛り付くべきだろうとトーアは、突き出た骨の端を掴んでそのまま豪快に齧り付いて、肉を食いちぎった。
味付けはごくシンプルに塩と僅かに辛味がある香辛料だけで、脂身は程よく焼かれて余分な脂が抜け、内臓煮込みとは違った脂の柔らかと甘みを感じる。
肉には臭みと言ったものはなく、しっかりと焼かれて噛むたびにホーンディアの野趣溢れる濃い味で口の中が一杯になった。
最初に噛り付いたスペアリブから丁寧に肉を食み取り、骨を皿に乗せる。
「はぁ……最っ高」
「がははっ!だろう!おら、お前等ホーンディアのスペアリブだ!一本、銅貨五枚だ!こいつは数は少ねぇぞ!」
「私に追加五本、おねがいね」
トーアは二本目のスペアリブに噛り付きながらベルガルムに追加の注文を告げた。
こちらは酒が進まなくとも食が進む。客達から猛烈な勢いで注文が飛び交い、トリアも忙しそうに注文をベルガルムに伝えている。
噛み千切った肉を咀嚼しながら、トーアはこれからの事を考えていた。
折れてしまったフクロナガサはどうする事も出来ないとわかったので、代わりとなる武器が必要になる。
月下の鍛冶屋で働いたとしても、半金貨一枚に辿り着くかは微妙なところだった。
それならトーアが本来得意とする戦い方のために腕全体を覆う手甲や膝上から足先までを覆うレガースに近いものを買うかと考えるが、頑丈かつ腕にタイト気味で指先も不自由なく動かせる物となると用意するのは剣よりも難度が高い事が想像できる。
作ろうとすれば特注になるだろうし、何よりもそれはトーアが自分の手で作りたいと思っていた。
結局のところ、運搬、耐久、使い勝手を考慮すると今のところは、次の武器も汎用性の高い剣に落ち着きそうでトーアはため息をついて、二本目のスペアリブの骨を皿に置いて三本目に手をつける。
「おう、どうしたトーア。辛気臭い溜息ついてたりして」
追加のスペアリブをトーアの前に置いたベルガルムの表情は笑いが止まらないという具合に笑顔だった。
すでにかなり儲けを出しているのか、今にもスキップしだしそうなベルガルムの雰囲気に、トーアはうじうじと考えていた事がバカらしくなる。
「いや、ままならないなーってね」
「はっはっはっは!俺は笑いが止まらないがな!」
笑い声を響かせながらベルガルムは調理場へと戻って行く。とりあえずはウィアッドに戻るまでは生活はできるのだから、今は食べる事に集中しようとスペアリブに噛り付いて、咀嚼してじっくりと肉を味わう事にした。
次の日、トーアは朝早くから月下の鍛冶屋へと向かっていた。
夕凪の宿で出された朝食は、目玉焼きと焼いた肉、スープにパンというメニューになり、トーアはベルガルムから駆け出しは卒業と料理で伝えられた気がした。
朝食の際にベルガルムから狩りにいけない間は何をするのか尋ねられ、月下の鍛冶屋で雑用することになっていると話をする。
ベルガルムは腕を組んで顎をなでながら、店主のガルドの鍛冶の腕を『エレハーレじゃ一番』と褒めた。
昨日、金属を打つ様子や店頭に飾られたツーハンドソードを見て腕が高い事は窺えたが、元冒険者のベルガルムの評価が高いことからも月下の鍛冶屋は冒険者達からも信用の置ける店だとわかる。
トーアはウィアッドで着ていたシャツとスカート、サンダルという服装で宿を出た。背負ったリュックサックには鍛冶場で作業する時のためにズボンとブーツを入れてある。トーアの普段着にベルガルムや宿の客達は少し驚いていたようだったが、トリアからはかわいいわと言われてトーアは微妙な気分になっていた。
宿屋通りからロータリーを経て、冒険者横丁を進んで鍛冶屋小道に入る。建ち並ぶ鍛冶屋からはまだ金属を叩く音はしていなかったが、炉に火を入れているのかどの店からも炭の焼けるにおいがしていた。
月下の鍛冶屋に到着して、トーアは頬をたたき気合を入れる。
久しぶりの物作りの現場に武者震いするトーアだったが、気分はとても嬉しい気持ちで一杯だった。