第三章 月下の鍛冶屋 7
翌日もトーアは薬草採取クエストをギルドで受注し、センテの森を進んでいた。宿を出る時にベルガルムからはいいのを頼むぞと言われ、他の宿泊客達からは、それなら今日は早めに仕事を切り上げておくかという声が聞こえてきた。
獲れないかもしれないのにあまり期待しないで欲しいとトーアは思いながら、昨日とは違う方向にある群生地に向けて足を進める。
パーソナルブックの地図が埋まって行く様子にトーアは言いようのない達成感を覚えていた。
獣道を進むうちに森が開けて小さな湖がある場所に出る。自然に出来た湖のようであたりには背の低い草地が広がり、湖は陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
景色の美しさにトーアは息をついて、一休みしようと湖に一歩踏み出す。昨日のブラウンボアのような速度で近づいてくる気配にフクロナガサに手をかける。
茂みを揺らし飛び出してきたのは、頭部に円錐状の角を持ち茶色の毛皮の鹿、ホーンディアだった。
すでに速度に乗り真っ直ぐに向かってくる。トーアはフクロナガサを抜いたものの、ホーンディアは気にも留めず角を突き出した飛び掛ってきた。
「っ……!?」
寸前で身体を捻り角を避ける。
体勢を崩しながらもトーアはホーンディアに身体を向けて構えようとするが、ホーンディアはすでにトーアの事を視界に収めており、後ろ足に力が込められているのをトーアは気づく。
咄嗟にフクロナガサを前に構えて峰を左手で押さえる。トーアが体勢を立て直しホーンディアから離れるように飛んだのと、ホーンディアが後ろ蹴りを放ったのは同時だった。
「ぐぅっ……!?くはっ……!」
フクロナガサで蹴りを受ける事で衝撃は殺すことが出来たが、宙に居たトーアはそのまま蹴り飛ばされ森の木に背中を強打する。
衝撃に口から空気が吐き出される。開いた視界は揺れていたがトーアは息を吸って頭を軽く振り態勢を立て直す。
ホーンディアは既に身体の向きを変えており、敵意をむき出しにして角を突き出し、脚を広げて戦う姿勢にあった。ホーンディアの縄張りである湖に侵入し、ホーンディアの怒りを買ってしまったトーアにも戦わないという選択肢はなかった。
右手の僅かな違和感にトーアはホーンディアを視界に収めながら、右手のフクロナガサを見る。フクロナガサは刀身が半ばから砕けてなくなっていた。ホーンディアの蹴りを防いだ際に粉々に砕けてしまったようだった。
トーアは思わず舌打ちをする。今にも再び突っ込んできそうなホーンディアに右手のフクロナガサをその場に捨てて、首に下がる贄喰みの棘・蒼を左手で取る。
「“彼の者は暴食にして飽食!偏食にして悪食!玉食にして求食!我が手に来たれ!”【贄喰みの棘】!!」
【贄喰みの棘】の詠唱と共に一歩踏み出しながら、戦闘系アビリティ【駆動】の【縮地】を発動する。彼我の距離を“一歩”という距離に変える高速移動のスキルで駆け出そうとしたホーンディアの目前まで、一瞬で距離を詰める。
【縮地】によって生まれた勢いのまま、左手に生まれた棘の刃をホーンディアの首に下から上へと突き刺した。
「キュァァァァッ!!?」
さらにホーンディアが駆け出そうとした力を利用して、巴投げの要領でトーアはホーンディアを後ろへと投げた。ホーンディアの巨体が宙を舞って、トーアは地面へとたたきつけた。
起き上がろうともがくホーンディノア首筋を膝で押さえたトーアは、そのまま【贄喰みの棘】で止めを刺す。
「はぁ……ふぅー……」
動かなくなったホーンディアを確認してトーアは息を吐いて、すぐに【贄喰みの棘】を解除した。
【贄喰みの殻】と同様に【贄喰みの棘】もスタミナとマナを常時消費するスキルだが、ブラウンベアと戦った時と異なり、職業が【初心者】から【特級創作士】となったため、短時間であれば【神々の血脈】を使用しなくても発動する事ができるようになっていた。。
それでもトーアとしては出来るだけ取りたくない方法だった。
ホーンディアを近くの木に吊り下げて血抜きをする間、トーアは砕けたフクロナガサの破片を二重にした革袋の中に入れて集める。
残ったフクロナガサの刃はホーンディアの後ろ蹴りを受けたところから放射線状に砕け、辛うじて柄側に残った刃も大小のヒビが入っているため、これ以上使うことは難しそうだった。
作ったノルドに申し訳ない気持ちを抱き、トーアはうなだれる。
「ああ……ウィアッドに戻った時に謝らないと……でも、どうしよう……武器がない」
フクロナガサの破片を集めているうちにホーンディアの血抜きが終わり、残ったナガサで手早く解体する。ブラウンボアの時と同じようにいくつかに分けて革袋に収納し、チェストゲートへ入れる。
血や脂で汚れたグローブやナガサの刃を魔法で生み出した水で洗う。フクロナガサより短いナガサだけで戦うには心もとないとトーアは感じていた。
武器も無しに森を歩くのは危険な為、トーアは今日の薬草採取を諦めて一度街へ戻ることにする。森を進みながら先ほどの戦いをトーアは思い出し、ふがいなさに歯をかみ締めた。
飛び込んできたホーンディアとその場で対峙するよりもいったん距離を取ってから構えるべきであり、その場で構えてしまったのはアビリティが戻り、職業も戻った事でどこか慢心していた事が原因とトーアは反省する。
手を硬く握り締めていた事に気がついて立ち止まったトーアは、腹立たしさを息と共に吐き出して気持ちを切り替えようとした。だが胸にはどこかもやもやとした感情が残る。
「はぁ……早く自分の武器、作れるようになりたいな」
この頃、生産していないせいでストレスが溜まっているのだろうとため息をついたトーアは、再び歩き出して街を目指した。
そのあと何事もなく街に戻ったトーアは、冒険者達が利用する事が多い店が集まった『冒険者横丁』を歩いていた。
『冒険者横丁』のメインストリートに面した店は武具を卸して販売する形式するらしく、ショーウィンドウに並べられた武具にはどこの工房で作られたものか注釈が付いている。
また、武具を扱う店だけではなく、消耗品やポーションなどの薬品を扱う店など、多くの商店が軒を連ねていた。
武器が壊れていなければこのままウィンドウショッピングや目についた店に入りたかったが、今は我慢してトーアは適当な武器を扱うお店に入る。
店番をしていたであろう恰幅の良い男性がカウンターに立っており、店に入ってきたトーアを怪訝そう見ていた。
「いらっしゃい。嬢ちゃん、何かようかい?」
「これを直す事はできますか?」
トーアは言葉と共に剣帯を外して鞘ごと折れたフクロナガサをカウンターに置いた。男性店員はフクロナガサを抜いて驚きを露にする。
「これは……どうしてこんなことに?」
「ホーンディアの後ろ蹴りを、それで受けてしまったんです」
「ホーンディアの後ろ蹴りを受けたって!?ああ……うん、嬢ちゃんに怪我がないのはコレがその衝撃をすべて受け止めてくれたんだろうね。破片が残っていたとしてもここまで砕け散っているのは修理じゃ無理だね。ほとんど新しく作る手間がかかるよ」
「やっぱり、そうですか……」
店員の男性はフクロナガサを確認しているうちに何かに気が付いたらしく、刃の根元と柄が繋がっている部分に顔を近づけていた。
「この銘は……これはノルド・フェルトミアの打ったものかい?」
「そうですけど……わかるんですか?」
「ああ、この銘はノルドの物だしね。彼はエレハーレの“月下の鍛冶屋”という所で修行していたんだ。彼の打った剣は何度か仕入れていてね、無駄を省きがっちりとした作りは実用性を求める冒険者達に人気だったよ。今は……」
「今は、ウィアッドで鍛冶師をしています。こっちもノルドさんの作ったものです」
ナガサの剣帯を外して渡すと、男性はすぐに鞘から抜いて刃や作りをじっくりと確認する。
「見たことのない形状だけど……新作というところかな。うむ、腕は鈍っていないどころかあがっているように見える。そうか、故郷に戻っていたんだな……」
どこかほっとした表情を見せる男性は鞘に納めたナガサをトーアへと差し出した。ナガサを受け取ったトーアは不思議そうに男性を見ていた。
「……あまり大きな声じゃ言えないんだが……エレハーレで修行した後は王都へ行ったらしいんだが、そこの貴族お抱えの鍛冶師と一悶着あったらしくてな。王都に居られなくなって姿を消したらしいという噂を聞いていたが、元気にしているようで何よりだ」
折れたフクロナガサをトーアは腰に巻く。
「それでどうするかな?剣はあの一画にまとめてある。もし新しく作れるお金があるのなら……月下の鍛冶屋に行ってみたらどうかな?」
「ノルドさんが修行していた鍛冶屋ですか?」
「ああ。あそこの店主のガルドの腕はエレハーレでも随一だし、なんだかんだとノルドのことを心配していたからな。……まぁ、素直に口に出した訳じゃないがね」
いたずらっぽく笑った男性の言葉に、トーアは月下の鍛冶屋に興味を持った。
ノルドが修行した店である事と、エレハーレ随一と商店から褒められる腕を持った鍛冶師が居る店。腕のいい職人が生産を行うところは勉強になる、なによりも、生産が出来る施設を見ることができるかもしれない。
トーアの心は決まった。
「月下の鍛冶屋への行き方を教えてくれますか?」
「ああ。それくらいお安いごようさ。月下の鍛冶屋で断られたらうちに来てくれ。ノルドやガルドの作る剣に劣らない剣を仕入れているからな」
男性に簡単な道筋の説明を受けて、トーアは店を後にした。
月下の鍛冶屋は『冒険者横丁』のわき道である『鍛冶屋小道』に店を構えており、三日月に金床と金槌の意匠の看板を探せばいいらしかった。
武器屋の男性の言う通りに道を進み『鍛冶屋小道』に入る。入る前から鉄の焼ける匂いが漂ってきており、金槌が金属をたたく音が聞こえていた。
建ち並ぶ店のショーウィンドウには店主が鍛えたと思われる武器、防具が並び、陽を反射して輝いている。
実用性を廃して見栄えに特化したもの、複雑な形状で実用性を疑うもの、逆にとことん機能性を重視して触れただけで切れそうな物と、鍛冶屋それぞれが自身の腕を誇るようなショーウィンドウにトーアは、フクロナガサが折れている事を忘れて、浮かれた気分で店を眺めて行った。
剣や鎧のついでに看板を確認していくと、描かれた三日月に重ねるように金槌で金床をたたく意匠の看板を見つける。店名も“月下の鍛冶屋”とあり武器屋の男性が言った店に間違いなかった。
月下の鍛冶屋のショーウィンドウには上半身を護る鎧と、見るからに重たそうなツーハンドソードが飾られていた。鎧を構成するパーツの縁取りには細かな彫金が成され、ツーハンドソードには装飾はないが、歪みなく真っ直ぐに延びた刀身と覗き込んだトーアの顔が映るほど研ぎ上げられ、水気を感じさせるようなしっとりとした刃は店主の腕の高さを感じさせる。
――すごい……。ああ、いい……いいなぁ!私もまたこういうの作りたい!
思わず立った鳥肌に腕をさすりながらツーハンドソードを眺める。刃に映ったトーアの顔はにやけていた。はっと頬を押さえてトーアは辺りを確認する。幸い誰にも見られていないようだった。
当初の目的を思い出し、トーアは頬が熱くなっているのを感じながら店の扉を押して店内に入る。