第三章 月下の鍛冶屋 6
スウィングドアを押してトーアは『夕凪の宿』の一階部分である酒場に入る。昨日と同じようにアルコールの匂いが鼻をつく。陽は傾きつつあるものの、まだ沈んでいない。すでに飲んでいるこの人たちの仕事は何なんだろうと思いながらトーアはベルガルムが立つカウンターに向かい酒場を進んだ。
「トーア、帰ったか。クエストを受けたんだろ?どうだったんだ?」
「うまくいったよ。あ、水頂戴」
リュックサックを下ろして足元に置いて椅子に座る。グローブを脱いでリュックサックに放り込む。トーアが一息ついているとベルガルムはガラス製のコップに水を注ぎ、トーアの前に置いた。
「ほれ。水くらいはタダだ。クエストは街の手伝いか何かか?」
「この装備じゃやりにくいでしょ。ランクがランクだから薬草採取クエストに行ったよ」
「……初めてのクエストだよな?」
水を飲み干して頷く。ほどよく冷えており、一日中歩き回った身体に浸み込んでいくようだった。話をしていたベルガルムがにやつきながらも顎をなでているのをトーアは不思議に思う。
「そうだけど……それが?」
「いや大体の駆け出しは薬草採取に躓いて、街の仕事をしながらなんとか生活するんだ。そして、何日もかけて薬草採取を終わらせるんだ」
ギルドで感じた視線やフィオンが驚いていた理由がわかり、駆け出しを篩にかけるクエストだったとトーアは眉を顰める。
だが、ギルドに用意された資料は詳しい情報が載っていたことに気が付いた。
「躓くって、ギルドにあった『エレハーレ周辺の植生や生物について』って本にアリネ草の形も群生地の位置も載ってたよね」
「あー……そうなんだがな。トーアは冒険者になる前は狩人か何か、森や山に入るような仕事をしていたのか?」
「まぁ……似たような仕事は少しだけ」
「やっぱりな。トーアみたく森や街の外に出て、地図を頼りに行動できる下地がある奴は薬草採取クエストは失敗しない。だがな、普通に街で暮らしていたのがいきなり街の外に行こうってのは無理な話だ、だいたい地図の読み方も方位磁石の使い方もわからんから、最初は森で迷って何とか帰ってくるのが大体だな。失敗を繰り返すうちに何とか群生地にたどり着いても次は、どれが薬草かわからん。で、何度もそういうのを繰り返しているうちに必要な事を体で覚えて薬草採取クエストを完了する訳だ」
「……スパルタすぎない?」
トーアは再び眉を寄せて半目でベルガルムを見る。
右も左もわからない人間をいきなり実戦に放り込むのはいささか無責任な気がした。ギルドでランクとクエストを管理しているのだから、ある程度は補助をするべきではないだろうかとも考え、ある程度の技量を持った冒険者についていくという方法も思いつく。
だがトーアの言葉にベルガルムは真剣な表情を浮かべて、視線を向けてくる。
「スパルタだろうが何だろうが、冒険者なんてものは自分の命をかけて飯を食う仕事だ。この程度で辞めるのなら冒険者は続けられねぇよ」
「それでも初めの一歩で躓く前に死ぬことだってあるでしょう?ブラウンボアに出遭うことだって、最悪、ブラウンベアに出遭ったら、何も出来ないまま死ぬかもしれないし」
トーアの言葉にベルガルムは押し黙る。
「……そいつは運が悪かったとしか言えねぇな」
「はぁ……実際、ブラウンボアと出遭った私は、運のない冒険者なの?」
ため息をつきつつ皮肉を込めてベルガルムに言うと、ベルガルムは目を張り身体を乗り出してトーアを見てくる。思わずトーアは身体を引く。ベルガルムは皮肉に怒ったというよりも、驚きと心配の混じった表情だった。
「ブラウンボアに出会ったって……怪我はないみたいだしな。どうしたんだ?」
「普通に倒して、その場で解体したけど」
「普通に倒して、その場で解体したって……それはギルドに売ったのか?」
「……これ」
トーアはカウンターに隠す様にポケットブックサイズのパーソナルブックを現しながら、リュックサックに手を入れて【チェストゲート】を発動し、表示させたARウィンドウに手を入れて解体したブラウンボアの肉が入った革袋を取り出してカウンターの上に置いた。
カウンターに載せられた足肉をベルガルムは興味深そうに確認した後、顔をトーアに向ける。
「おお……コイツは……トーアが解体したんだって?」
「そうだよ。狩ったその場ですぐに血抜き、解体したから、悪くなってないと思うけど」
正確には解体後、チェストゲートに入れていたので解体直後の状態を保っているので血も滴る新鮮なお肉だが、トーアは言わなかった。
「ああ、悪くなってるどころかコイツは最高だ。他にはあるのか?」
「脚四本、枝肉、食べれそうな内臓があるよ」
「そいつは一頭分ってことじゃねぇか!それにしても内臓か……なかなか通な所を持ってくるじゃねぇか。コレだけ新鮮で腕がありゃ……」
トーアはギルドへの売却か、のちのちの食料としてチェストゲートに入れっぱなしにしておこうかと狩った時は考えていたが、ここで換金できるならしてもいいかなと思う。ベルガルムの反応を見る限り、状態は悪くないようだった。
「全部をいくらで買い取ってくれる?」
にっこりと笑ったトーアはカウンターに身体を乗り出してベルガルムに尋ねる。脚肉とトーアの顔を見比べてベルガルムの表情が引き締まる。頭の中で金勘定をしているのか、何度も視線が動いていた。
酒場はいつの間にか静かになっており、利用客たちはトーアとベルガルムのやり取りを見守っていた。
「そうだな……銀貨一ま……」
ベルガルムが口にした金額はギルドの解体費用込みの値段と同じだったため、トーアは脚肉の皮袋に手を伸ばして革袋を仕舞おうとする。だがベルガルムは慌ててトーアが引っ込めようとした革袋を掴んだ。
「待て待て!銀貨三枚だ!」
「……それに今日の夕食もつけてくれるなら」
「ああ!そんなもんもちろんだ!コイツを使って飯を作ってやるよ!」
ぱんぱんと革袋を叩くベルガルムにトーアは微笑んで、革袋から手を離した。
「なら、それで交渉成立。内臓も必要?」
「ああ、もちろん内臓もだ!」
「革袋は返してね。また使うから、あと部屋の鍵を頂戴」
「ああ、少し待ってろ」
ベルガルムは返事をして、さっそくトーアが続けて取り出した肉や内臓が入った革袋を調理場へと運び込んでいった。
全ての肉と内臓を渡した後、ベルガルムから革袋を受けとる。
「こいつが代金だ。あと部屋の鍵な」
「うん。ちょっと部屋に戻るから、夕食の時はお願い」
「ああ。下準備もあるからな。楽しみにしていろ」
嬉しそうに破顔したベルガルムから銀貨三枚と部屋の鍵を受け取ったトーアは一度部屋に戻った。
身につけていた装備品をはずし、軽装に着替える。リュックサックを持ち、今日の探索で使った道具の手入れをするため宿の井戸へ向かった。
使った革袋の血を洗い流し、フクロナガサ、ナガサの手入れを行ったトーアはホームドア内に革袋を干し、ナガサとウェストポーチを身につけて、他の道具をチェストゲートへ収納する。
ウィアッドで購入したウェストポーチはトーアのお気に入りになっており、部屋に居る時以外は常に身につけていた。
階段を下りて酒場に戻ると妙に殺気だった雰囲気になっていることにトーアは不思議に思いながらカウンターへと向かう。テーブルについている客達の手には酒の入っているであろうジョッキがあるが、テーブルにあるつまみには手をつけていないようだった。
「お、来たな」
「……なんでこんな雰囲気になってるの?」
カウンターで腕を組んでいたベルガルムに声を潜めてトーアが質問するとベルガルムは頬を吊り上げて笑った。
「ああ、トーアが持ってきたブラウンボアの肉が目当てなのさ」
「まだ出してないの?」
「当たり前だろ。こいつらはうまいとなると底なしに食うからな。狩ってきた当人が食いっぱぐれる訳にもいかねぇだろ?よし、少し待ってろよ」
カウンター席に座ったトーアは調理場から聞こえてくる調理の音を聞きながらベルガルムの調理の腕は良いのだろうかと、今までの料理を思い返して首をかしげていた。
昨日出された野菜スープから朝のシチューへのアレンジはよかったのと、店内の高まる期待感を感じて、トーアはとりあえずベルガルムの作る夕食が出来るのを待つことにする。
「トーア、またせたな。ブラウンボアのステーキだ。ソースをかけて食ったっていいし、下味もついてるからそのまま食ったっていい」
しばらくしてトーアの前に置かれたのは、熱々に熱せられた黒い鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てる分厚い肉の塊だった。
大人の靴程のサイズはあるであろうそれは綺麗な焼き目がつき、溶け出したバターが乗っている。端にはテイトの実が申し訳程度の付け合せとして乗せられていた。
黒パンの乗った皿とナイフとフォークという食器を受け取り、トーアは口に溜まった涎を飲み込む。まずはそのままと思い、フォークを軽く突き刺し、ナイフを肉に滑り込ませる。
ステーキはあっさりとナイフで切り分けられ、溢れだした肉汁が鉄板の上で音を立てて跳ね回る。店内はいつの間にか静かになっており、客は身を乗り出して、トーアがステーキを切る様子を見つめていた。
やや大きめに切り出した肉の断面はしっかりと火が通っていたが、肉汁がしっかりと閉じ込められており、あっさりと切れるほど柔らかさを保っていることに、ベルガルムの【調理】アビリティを侮っていた事をトーアは気付かされる。
再び口の中に一杯になった涎を飲み込んで、トーアは大きめに切った肉に息を吹きかけた。誰かの喉が鳴る音が店内に響く。
そして、熱々の肉をトーアは頬張る。
「はふっ……んぅ……ん~~!」
口の中の熱を逃がしながら、肉を噛み締める。塩と香辛料の風味が濃厚で甘みのあるブラウンボアの脂を引き立て、歯を立てるたびぶちりぶちりという歯ごたえを感じさせながら千切れる肉、噛むたびにあふれ出す肉汁、ほどよく脂が抜かれてぷるぷるとした柔らかさを残しながら肉汁とは異なる甘みを感じさせる脂身、このままずっと噛み続けていたいと思わせるような美味にトーアは目じりを下げて笑顔になっていた。
「ん……はぁぁ……」
名残惜しく思いながらトーアは肉を嚥下すると、思わずため息が漏れる。
再び、誰かの喉が鳴る音が店内に響いた。
「さて、トーアが持ち込んだブラウンボアのステーキだ!早い者勝ちで半銀貨一枚だ!」
ベルガルムが張り上げた声に、食欲が最高潮となっていた客達は我先と手を上げて注文の声を上げ始める。
トーアの事を見ていた妙齢の女性であるトリアははっとしたように、注文を取り、配膳を始めた。
大混乱という様相に陥った酒場を尻目にトーアは二切れ目の肉を口に運び、うまい事利用されたかもと思いながらおいしさに目を細める。
――それにしてもこれだけ大きめなカットだとしても一頭分からは相当な枚数が出るはず……。銀貨三枚は安すぎたかもしれないけど、まぁ……買い取るのはあっちにもリスクはあるだろうし……。
咀嚼しながら同じように露店で商売でも始めようかと考えたが、それにも初期投資というものが必要だなと思い、今はステーキに集中しようと再び、ステーキをナイフとフォークで切り分けた。
「がははっ!笑いが止まらん!うれしい悲鳴とはこの事だ!トーア!また何か狩ってきたら買い取るから頼むぜ!」
「ん……次は銀貨三枚と食事一回じゃ足りないんじゃないかな?」
焼きあがったステーキをトリアに渡しながら笑うベルガルムの言葉に、トーアは思わず眉を少しだけ寄せて見る。店内からは悲鳴とも歓声ともつかない野太い声が上がっており、中にはおかわりの注文を叫ぶものも聞こえてくる。
その様子から既にかなり儲けをだしているであろうことは明白で、買い取ってくれるのは構わないがそれなりに出して貰わないと、とトーアは思った。
「あー……そいつは交渉次第って所だな」
「おっ!俺らも狩って持って来たら、タダ飯なのか!?」
「馬鹿野郎!ホーンラビットも満足に解体できないような奴が生意気言うんじゃねぇ!トーアみたいな綺麗な解体なら考えてやってもいいがな!」
ベルガルムの言葉に店内はブーイングと共に笑いに包まれた。
買い取ってくれたのは綺麗に解体できていたからなのかも知れないと思いながら、トーアは黒パンを千切り口に運んだ。