第三章 月下の鍛冶屋 4
何事もなく夜が明けて、窓から差し込んでくる朝日にトーアは身体を起こした。
「……ふぁぁぁぁ……」
欠伸をしながらベッドを降りて服を着替えた。クエストに行こうと考えていたので装備は旅装に近いしっかりしたものを身につける。
部屋に鍵をかけて、酒場に下りてベルガルムに朝食を注文した。
朝のメニューは昨日の野菜スープに肉とミルクを足したホワイトシチューのようなものと、黒パンだった。パンは昨日と同じくぱさぱさでシチューに浸すとぼろぼろと崩れた。少し重たいメニューだったがクエスト中に空腹になるのは嫌なのでしっかりとトーアは朝食を食べきる。
「そうだ、もう一泊お願い」
「おうよ。トーアは今日が初クエストか?」
「そのつもりだけど……」
宿の代金を受け取ったベルガルムはにたりと頬を吊り上げて笑った。強面にその笑い方では何か悪巧みをしているようにしかトーアには見えなかった。
「……何かあるの?」
「いや。がんばってこい」
ベルガルムの態度に疑問は覚えるものの、トーアは宿を出てギルドへ向けて出発する。
朝が早い時間であったが街を歩く人は多く、トーアと同じような冒険者然とした人々はギルドのあるロータリーの方向へと歩いていた。
朝のギルドはクエストを受けに来た冒険者で溢れかえっており、特にクエストが貼り出されているクエストボードの前からは怒声とも罵声とも取れる言葉が飛び交っている。
人が集中しているのはランクD、E、Fのボードの前で他にはあまり人が居ない。ランクD以上のクエスト数が少なく、ランクGの仕事をしようという人間はいないらしい。
トーアは人ごみを避けてランクGのクエストボードの前に立った。貼り出されたクエストの内容は街の手伝いと言ったものが主で、犬の散歩から庭の掃除、食堂の配膳、調理の補助、荷物の運搬から子供の世話、ドブさらいまで張り出されていた。
街の外へ行くようなクエストはないのかとトーアは貼り出された紙を一つ一つ確認し、同じ場所に複数の紙を重ねて貼られているものを見つける。クエスト内容を読むと定番の薬草採取のクエストだった。
最も簡単なポーションの作成に必要なアリネ草と呼ばれる薬草を五枚採取してほしい、とクエスト内容にはあり、これならとトーアはクエストボードから一枚、紙を剥がした。
視線が集まるのを感じトーアが辺りを見渡すと、クエストボードに近づいていた冒険者達が一斉に視線を向けてきていた。トーアが口を開く前に冒険者達は視線をクエストボードへと戻す。
ベルガルムや冒険者の反応に妙なものを感じつつもトーアは『クエスト受注・報告』のカウンターへ向かい、クエストの紙をカウンターに座る黒に少しの茶色が混ざったショートカットの女性ギルド員に渡す。
「クエストを受けたいんですが」
「はい。リトアリスさんは初めてのクエストですね、アリネ草のことはご存知でしょうか?資料室にはアリネ草を描いたものもありますし、群生地の情報もありますので一度、確認される事をお奨めします。またアリネ草の採取についてですが、植生保護のため、クエストに必要な数以上に採取する事はご遠慮ください」
女性の言葉にアリネ草がCWOと異なる可能性に気付かされるトーア。今まで出遭ってきた生物や植物がCWOに似通った部分が多かったため、アリネ草も同じだと考えていた。とりあえずはクエスト受注の手続きの為、ギルドタグを女性に渡した。
クエスト受注の紙とトーアのギルドタグをカウンターの下から取り出した石板の上に置いた女性は、石板の一部を撫でる。
石板に刻まれた【刻印】の模様が僅かな光を放った後、女性からギルドタグを返される。これでクエスト受注の処理は完了らしい。トーアは不思議に思いつつもギルドタグを首にかけなおした。
「これでリトアリスさんのパーソナルブックにあるギルドの項目にアリネ草採取のクエストの情報が記載されています。クエストの詳細を再度確認したい場合は、そちらで確認してください」
トーアは頷いて、女性が示した資料室へと向う。資料室の中は木製の本棚が並び、インクと紙の匂いが充満していた。本棚に並んでいるのは綺麗に製本されていたり、ただメモを綴じて纏めただけのものであったりと様々な物があった。
その一つを手に取って捲るとエレハーレで培われた冒険者達のノウハウが書き込まれていた。
内容は纏められていたり乱雑に収められているだけのものであったりと統一性はなかったが、本棚を見て行くうちに『エレハーレ周辺の植生と生物について』という本を数冊、見つけた。どれも擦り切れて幾度となく補修された跡があるものだった。
本を持って資料室にある机に座ったトーアは、本を捲りエレハーレ周辺の植生が書かれたページを開いた。アリネ草のページは精密な色つきイラストで描かれており、CWOでのアリネ草と変わりないように思えた。
――あとは、実際に採取してみて物品鑑定で見てみればいいかな。
トーアは群生地の情報は大体の位置をパーソナルブックの地図に書き込むが、ギルドの地図がどれほど正確か不明なため、本来の位置は実際に現地に行く必要があるかもしれないと思った。
新たな群生地を発見した場合は、ギルドに報告することでクエスト報酬とは別の報奨金が出る事が書かれていたが、群生地が簡単に見つかるわけではないとトーアは思い、頭の片隅にとどめておくだけにした。
他にも有用な植物の群生地の情報が書かれていたため、トーアはアリネ草の情報と共にパーソナルブックの地図に書き込んだ。
さらにページを捲ると植物の事から生物の項目へと内容は変わり、エレハーレ周辺の魔獣や魔物についての内容にトーアは目を通して行く。
エレハーレ周辺の魔獣は、ファットラビット、ホーンラビット、ブラウンボア、ブラウンベアとトーアがウィアッドでも遭遇した魔獣が書かれ、グリーンバイパー、ホーンディアとまだ会ったことのない魔獣についても記載されていた。
内容に一通り目を通したトーアは、CWOと同じ生物かもしれないと推測する。実際に遭ってみないことにはまだ言い切れるわけではなかった。
さらにエレハーレ周辺の森の深部にはゴブリンという魔物が生息しており、好戦的かつ繁殖力が高い為、街の近くで見つけた場合はすぐにギルドに報告するように書かれていた。
魔獣にはそれぞれ解体費と買取金額が書き込まれており、ギルドの『解体依頼』のカウンターで解体も買い取りもしてくれるとあった。買取金額や他に必要そうな情報をパーフェクトノートに書き込んだ後、トーアは本を本棚の元あった場所に戻す。
そして、ギルドを出てエレハーレの南側の森へと出発した。
ギルドで読んだ『エレハーレ周辺の植生と生物について』ではエレハーレ周辺にの森は『センテの森』と呼ばれており、ウィアッド周辺のラクアの森と植生の差はあまりない。ウィアッドに居た時は採取系のアビリティが使えなかったが今のトーアは使える。
群生地の大体の方向を確認したあとは、鼻歌交じりに採取を行いながら森を進んで行く。
森は素材の宝庫であり、生産系アビリティ【調合】、【錬金】、【木工】に必要な素材が溢れに溢れている。鉄鉱石を拾うことが出来れば【鍛冶】にも手を出せるだろう。綿花ににた物もあれば【織工】もできるかもしれない。
だが今のところ見つかったのは【調理】に使えそうな香草や香辛料の類、そのまま食べれる果物、【調合】によりアリネ草よりも高い効果を発揮するクラレ草、薪に使えそうな木の枝程度だった。
戦闘系アビリティ【探知】の【下級気配探知】スキルで迫ってくる気配に気が付いたトーアは、フクロナガサに手をかけて身構えた。
トーアが構えたのと同時に草陰からホーンラビットが角を突き出して飛び出してくる。
咄嗟にホーンラビットの角をトーアは掴んだ。本来のステータスに戻ったトーアに取って簡単な事だった。
角を掴まれて逃げる事も抵抗する事もできないホーンラビットは潤んだつぶらな瞳をトーアに真っ直ぐに向けてくる。さらにきゅーん、きゅーん、とか細い鳴き声を上げ始める。
少しいたたまれない気持ちになったトーアは、周囲にこのホーンラビットの子供が居るとか、傷を負った番いが居ないか【下級気配探知】を使って確認する。
他に生物の気配はないので、何かを護る為に向かってきたという訳ではないようだった。
「森へお帰り」
少し離れた場所にホーンラビットを投げて解放する。
なんとなく慈悲を与えたが、ホーンラビットは再びトーアに向かって角を突き出し飛び掛ってくる。
トーアは顔を顰めながらもう一度、角を掴み、抜いたフクロナガサで首を裂く。すぐに縄でホーンラビットを木に吊るし血抜きを始めた。
――後味が悪いなぁ……放すんじゃなかった。色々と鈍ってるのかもしれないなぁ……。
血抜きが終わった後はすぐにナガサで解体して不要な部分は土に埋めて処理する。ホーンラビットの使えない部分は内臓くらいで、肉は食用、毛皮や角、骨は装飾に使用できる。
それぞれをチェストゲートに収納したトーアは立ち上がった。昼食は取った果物にでもしようと思っていたが肉を手に入れることが出来た。
パーソナルブックを開いて現在地を確認した後、目的地の群生地に向かって歩き出した。
それからしばらく採取という寄り道をしながら森を進んでいくとアリネ草の群生地にトーアはたどり着いた。
「ふぅ……うーん……やっぱり、ギルドの地図の精度はあまり高くないなぁ……」
パーソナルブックに書き込んだ位置を修正した後、トーアはパーソナルブックを消してナガサを抜く。
アリネ草の群生地と言っても他の植物も生えているため一見しただけではわかりにくかった。トーアの場合、【調合】等のアビリティのレベル上げのため、飽きるほどアリネ草に触れて形状を知っている経験と、確認のために使用した【物品鑑定<外神>】に表示された内容を見ているため間違いようがなかった。
しゃがみこんでアリネ草を丁寧に切り取る。
こうする事でアリネ草の品質、アイテムランクが高くなる。採取系アビリティは主にこうした行為で上昇するが、ほとんどが『正しく収穫・採取するための方法』である。採取物のアイテムランクが高くなれば、生産物であるポーションのアイテムランク直結するためトーアの採取系アビリティは軒並みそれなりに育っている状態にあった。
クエストで必要な数を取った後、トーアは自身が【調合】で使うためと少量のアリネ草を採取して、立ち上がる。
街から最も近い群生地に来たため、他にも採取したらしい跡は残っていたが、トーアのように刃物で切り取った跡は少なかった。
――植生保護って考えはあるけど、アイテムランク……品質を高めるって事は考えられてないのかな?
植物の汁で汚れたナガサをタオルで綺麗にした後、トーアはパーソナルブックを開いて帰り道を確認する。帰りも回り道をして採取しながら帰ろうと考えていた時、気配を感じてパーソナルブックを消し、気配のする方に目を向けながら、フクロナガサを音を立てないように抜く。
「ま、ま、待って!魔獣とかじゃないから!私も薬草採取に来ただけ!」
正面の茂みからライトブルーの髪をポニーテールに纏めた少女が出くくる。硬化処理が施された革を使った胸当てと手甲を身につけており、腰には少女には不釣合いな無骨な長剣が下げられていた。
トーアは少女に敵意がない事を見て、フクロナガサを鞘に納めた。
「ごめんなさい。魔獣かと思って」
「いいの、いいの!警戒するのは当たり前の事だし。採取は終わってる?なら私も……」
トーアが謝罪すると少女は手を横に振り、しゃがみこんでアリネ草を手で千切り取る。思わず、そうじゃないと、口を出しそうになったトーアだが、言葉を飲み込んだ。いきなり採取方法がなってないと言われても迷惑なだけかもしれない。
少女が採取する様子を眺めていると、近づく気配にトーアは気が付く。それも真っ直ぐに急速に近づいてきている。辺りは静かになっており、何か異変が起こりつつあるのを感じたトーアはフクロナガサに手をかける。
採取を終えた少女はトーアの様子に怪訝そうにしていた。
「……どうしたの?」
「剣を抜いて構えて!何かこっちに来てる!」
「え……?あっ……!?」
トーアが声をかけたのと同時に、草木を薙ぎ倒し、撒き散らしながらブラウンボアが茂みから飛び出して群生地へと突っ込んでくる。
ブラウンボアは既に速度に乗り、真っ直ぐに少女に向かっている。少女は驚きに固まっていた。
回避する事が出来そうもないと判断したトーアは少女をアリネ草の群生地に突き飛ばす。
少女が悲鳴を上げながらアリネ草に倒れこむのと、ブラウンボアが走りぬけたのは同時で、トーアはブラウンボアとすれ違う瞬間、抜いたフクロナガサでブラウンボアの首を斬り裂いた。
甲高い悲鳴を上げながらブラウンボアは血を撒き散らしながら森を転がる。
荒い息を吐きながらブラウンボアは立ち上がろうと身体を震わせてもがくが、自ら噴き出した血の上に倒れてそのまま動かなくなった。トーアは警戒しながら近づいて死んでいる事を確認し、他に魔獣が居ない事を確認するとフクロナガサの血を払い、鞘へと戻した。
少女は身体を起こしていたものの、その様子をぽかんとした表情で見ていた。トーアが近づくとはっとしたように身体を起こそうとする。
「大丈夫?突き飛ばしてしまってごめんなさい」
「あ、う、ううん、大丈夫……助けてくれたんだよね、ありがとう……」
トーアが差し出した手を取って少女は立ち上がった。並んでみるとトーアより若干、背が高かった。
まだ、どこかぼんやりしている少女の事はひとまず置いておいて、トーアは鞄から縄を取り出し、ブラウンボアを木に吊るして血抜きを始めた。
「……大丈夫?」
「う、うん……」
ブラウンボアを木に吊るした後、段々と事態が飲み込めたらしい少女はトーアの傍にやってくる。
口を開けて唖然と血抜きされているブラウンボアを見上げた少女は、ゆるゆるとトーアに視線を向けてきた。
「ブラウンボアの解体……できるの?」
「一応……。取り分についてなんですけどブラウンボアの半身、前足と後ろ足を一本ずつに胴体の半分でいい?皮と頭は解体の手間賃として譲って欲しいんだけど……」
「えっ!?い、いいよ!私が倒した訳じゃないし、取り分なんていらないよ!……もらってもこんな大きいの持って帰れないし……」
木に吊り下げられたのは成熟したブラウンボアで、トーアがブラウンベアと共に狩った個体と遜色なかった。
そう?とトーアが首をかしげると少女は何度も首を縦に振った。
「……あ。私はフィオーネ・マクトラルっていいます!ランクGの冒険者です。フィオンと呼んで下さい!」
「初めまして、リトアリス・フェリトールです。トーアと呼んで下さい。ランクは同じGです」
少女、フィオンの差し出した手をトーアは握り返し、自己紹介する。冒険者という同業なのだからいがみ合うよりも協力するような円滑な関係を築くのは、相手にその気があれば、悪い事じゃないとトーアは思った。