第三章 月下の鍛冶屋 3
一階の酒場に降りてトーアはカウンター席についた。
「おう、飯か?」
丁度、グラスを拭いていたベルガルムが尋ねてきたのでトーアは頷く。外見からか酒とは言われなかった。
「一食、銅貨三枚からだ。酒のつまみは半銅貨一枚から出してるが、トーアにはまだ早ぇな」
「銅貨三枚からってことは高くなるとどうなるの?」
「量が増えるな。まぁ、飯の注文は少ないから俺の気分でメニューを作ってるってのもある」
「……銅貨三枚で」
ウェストポーチに手を入れつつ逆側の手でパーソナルブックをカウンターの下で開き、【チェストゲート】から半銀貨を取り出す。硬貨をベルガルムに渡しおつりの銅貨七枚を受け取る。すぐにベルガルムはカウンターから調理場へと入り、何かを炒める音が聞こえてきた。
料理を待つ間、トーアはパーソナルブックをめくり、追加されたギルドの項目を眺める事にした。
―冒険者互助組合、通称ギルドは冒険者の生活、活動を補助する目的で設立され、現在に至っている。過去多くの栄誉を得た先達の名に泥を塗るような行為をせず、存分に自らの名を上げてほしい。
と、ギルドの規約が書かれたページは序文という項目から始まっていた。
次のページはギルドの女性に説明された内容に変わりはないものの、他にすることもないためトーアは流し読みで内容を確認していった。
「ギルドの規約なんて読んだって何もねぇぞ。清く正しく真っ当に冒険者やりゃぁ、大体は大丈夫だ。それにいきなり除名処分なんてこともできねぇしな」
ベルガルムは言葉と共にトーアの前にドンと焼いた肉の乗った皿と黒パン、野菜のスープらしい物を並べた。
薄切りの肉は、香辛料を使って炒められたのかスパイシーな匂いがする。野菜のスープは、スープと言うよりも大振りに切られた野菜を煮込んだものと言ったほうが良さそうだった。パンは焼きたてではなかったがしっかりと温められていた。
トーアはフォークで肉を刺して口に運ぶ。塩辛さと辛味の効いた香辛料に食事のおかずと言うよりも酒のつまみのようだった。しょっぱさにスープを飲むと極薄味で野菜の甘さがじんわりと広がる。一緒に食べれば丁度いいくらいの塩加減にトーアはパンを千切って口に運ぶがぱさぱさとしていてぼろぼろと屑が落ちた。
――これは……駆け出しと思われて嫌がらせというか、洗礼というかそんな感じっぽい……。
かろうじて味は悪くないので、無心になって食べ進める。ホームドアの中に竈があったことを思い出し、アビリティも取り戻した事だし自炊でもと考えて、トーアは調理器具がない事に気が付いた。竈でわざわざ丸焼きを作るのもなぁと小さく嘆息する。
料理器具以外の調味料はウィアッドの人々から受け取った餞別の中にいくつかあり、素材となる魔獣はクエストで森に入る事になれば手に入れる事が出来そうだった。
食材はチェストゲートに保存する事で腐敗させることなく何時までも保存する事が出来るので、明日は街にフライパンでも見に行こうかなとトーアは思った。
食事を続けながらパーソナルブックのギルドの項目を捲っていると、内容が規約から用語集に変わる。
書かれた目次には冒険者が使うような施設やさらにそこに出てくる用語の説明となっており、最後の方はわかりにくい略語の解説が載っているようだった。
ウィアッドでディッシュが呟いていた“迷宮”、“スキルスクロール”などの用語が載っていないかトーアは目次を確認しページを捲った。
―迷宮またはダンジョンとは
迷宮とは遥か過去に存在した文明が作ったと思われる『異界渡りの石板』によって行く事が出来る【異界迷宮】と、自然の洞窟や古びた遺跡などが魔力を帯びて前述した【異界迷宮】と同じ特性を得た【固有迷宮】の二つのことをさす。
迷宮の特性として、そこで死んだ生物は死体を残す事なく消失し、死んだ生物に由来する素材を残す事になる。生物という範疇は迷宮に潜入した冒険者にも当てはまり、その際は装備だけを残して消えることになる。
また【異界迷宮】のみ、採取した素材は一日ほどで元に戻り、ほぼ無限に採取することが可能である。だが『異界渡りの石板』また【異界迷宮】の出口に相当する『現世帰りの石板』は荷馬車などの交通が不可能であるため、これを利用して大量の素材を入手する事は難しく、人が抱える事のできる量のみ持ち帰る事が可能である。
ギルドの調査によって迷宮には難度が決められており、一定のギルドランクでなければ迷宮に入る事は許されない。もしルールを破って迷宮に入り命を落とした場合、ギルドは責任を一切負わない。また迷宮周辺の施設はギルドや周辺の住民達によって維持・管理されているため、施設を使う際は後に使う者の事を考えて大切に使用する事を心に留めて置いて欲しい。
【異界迷宮】で有名な場所として、ラズログリーンが挙げられる。エインシュラルド王国の一都市であるラズログリーンは周囲に8つの迷宮が存在している。この数は大陸の中でも有数である。
説明を読んだトーアは、CWOには【固有迷宮】と同じようなものはあったなと思う。
ディッシュの説明で度々でてきた“迷宮都市ラズログリーン”は駅馬車の終点。このエレハーレの先にある都市であり、トーアはそんなに大きな都市なんだなぁと思いつつ咀嚼していた肉を飲み込み、スープを飲む。
ウィアッドに戻った後の予定は今のところ何も考えていないが、ゆくゆくはラズログリーンか王都で店を構えて、生産で生計を立てていければいいかなと首を捻り、どれだけお金が必要なのかと考えて憂鬱になる。
説明の“人が抱える事のできる量のみ持ち帰る事が可能である”に引っかかりを覚え、トーアは小さく首をかしげた。
ディッシュの話では【チェストゲート】を使う冒険者は少ない数ながら存在しているようなので、【チェストゲート】を使えば幾らでも持ち出せそうなものだった。だが【チェストゲート】を手に入れている冒険者は高難度の迷宮の深部まで潜ることができる腕利きのみであるため、解説で載っているような方法をとるよりも真っ当に冒険者をした方が稼ぎはいいのかもしれなかった。
――まぁ、それにそこまでいけるってことは戦闘系アビリティに特化しすぎてて、採取系アビリティがまったく使えないって可能性もあるけど。
次にスキルスクロールの項目を目次から探してページを捲る。
―スキルスクロールとは
迷宮の奥深くで発見され、使用するとそこに書かれたスキルが永続的に使用可能になる。一度使われたスキルスクロールは燃え尽きるため、一つにつき一度だけ使用が可能である。
全体的な数は少ないが、その中でも発見数が多く有名なスキルスクロールは、別の次元に道具を収納すると言われる【チェストゲート】、経験を必要とせずにあらゆる物品を鑑定する事ができる【アナライズ】がある。
説明にあった【アナライズ】というスキルをトーアは聞いた事がなかったが、“経験を必要とせず”と言う言葉に【物品鑑定】のスキルの上位互換なんだろうと思った。
CWOの【物品鑑定】は専用クエストの成功と、スキル名にあるアイテムランクを鑑定する事で成長する特殊なスキルであり、ある意味“経験”を伴う必要がある。最初は【粗悪】から始まり、最後の【外神】級まではそれなりに長い期間が必要となるが、アビリティキャップの制限に引っかからないスキルの為、取得しているプレイヤーは多かった。
【アナライズ】は恐らく、その経験を不要として鑑定が可能なのだろうとトーアは推測する。
スキルスクロールについては、CWOで課金を行うことで手に入るアイテム名がスキルスクロールだった事を思い出し、差はなさそうだった。
再び目次に戻り、他に面白そうな項目は無いかと見ていくと“職業神殿”の項目を見つける。
職業神殿の奥の部屋の雰囲気がCWOと同じだった事を思い出し、こちらの世界での職業神殿のあり方が書いているかもとトーアはページを捲った。
CWOの職業神殿の役割はこちらの世界と同じく“職業”を得るための施設だった。アビリティレベルを上げて職業は取得できるが、それはまだ仮取得であり、職業神殿へ行って初めて職業を設定できるようになる。
―職業神殿とは
エステレア法国によって維持・管理・運営される施設で人々に『職業』を授ける場所である。
説明の少なさにトーアは眉をしかめるが、この世界の常識的な事であれば詳しい説明は不要と判断されている可能性もある。説明だけを見ればCWOの職業神殿のあり方と変わりは無かった。
管理しているのが国ということにトーアは、更に目次からエステレア法国の項目を探す。
―エステレア法国とは
大陸の北西にあり、大陸で最も普及している“聖教”の総本山である。大陸全ての国で採用されている“聖教暦”の発布や各国の職業神殿の管理を行っている。またエステレア法国には神の声を聞いて人々に伝える役割を担う“神託の神子”と呼ばれる女性がどのような時代でも必ず存在し、国の代表としても活動している。
この“神託の神子”という存在は、過去に存在していたありとあらゆる宗教が祭り上げた神子と一線を画しており、神自身が指名する事で選ばれる。その“神事”はエステレア法国の一大イベントであり、大陸中から多くの聖教徒がエステレア法国に集まる。
エステレア法国には大陸で最も高い霊峰エインシュレイアがそびえ、聖教の巡礼地としても人気である。
観光案内とともに書かれた“神託の神子”という存在にトーアはフォークを動かす手を止めていた。
大神から詳しい事は聞けと言われたこの世界の神という存在は、まだトーアに接触してきていない。ならばこちらから向かうべきかとエステレア法国の行き方を調べるがギルドの用語集には地図の類は載っていなかった。
「……はぁ」
気が焦っているなとトーアは最後に残った野菜のスープを飲み干す。息を吐いて、今後の予定を組み立てる。
とりあえず大神は時間はあると言っていたので、まずウィアッドに戻ってデートン達に無事に職業を取り戻せたと説明する。その後、旅費を稼ぎながらエステレア法国を目指そうと考える。
今は次の駅馬車までどれくらいの時間があるか確認しなければと顔を上げた。丁度、カウンターに戻ってきていたベルガルムと目があった。
「おかわりはいるのか?」
「ううん、いらない」
「なら皿はそのままでいいぞ。湯が必要なら銅貨三枚だ」
「湯もいらないよ」
「そうか。井戸は宿の裏手にある。階段の横の扉から出られるからな」
ベルガルムは階段横の扉を指差した。流石に身体を隠すような衝立もなしに水浴びをするほどトーアは、露出趣味があるわけではなかった。
「あー……はい。……そうだ、駅馬車の運行予定ってわかる?」
「駅馬車ならそこにカレンダーがあるだろ。大体の宿には貼られているし、駅馬車の待合所にも貼られてるしな」
ベルガルムが指差した方向にはウィアッドで見たのと似ている聖教暦のカレンダーが張られていた。異なる点は日付を赤い丸と青い丸が囲んでいる事だった。
「赤い丸と青い丸がついてる日がエレハーレから駅馬車が出発する日だ。朝一で出発するから乗りたいなら遅れないようにな。赤い方は王都行き、青い方は迷宮都市行きだから間違えるなよ」
ベルガルムの説明を受けて、トーアはカレンダーを確認する。赤い丸は5と19、青い丸は10と24につけられていた。ウィアッドのカレンダーには丸は描かれていなかったため、もしかしたらベルガルムか従業員であるトリアが印をつけているのかもしれない。
今日の日付は七の月、六の日。ウィアッドに戻るには王都行きに乗る必要がある為、あと十三日間エレハーレで生活する必要があった。トーアは十三日間の生活費を計算するが、このまま夕凪の宿で泊まり続けて、朝・昼・晩と同じようなメニューを食べても、ウィアッドへ戻る帰りの駅馬車に乗るお金は十分にある。
だが別の国へ行く事やお店を出す事を考えればお金は幾らあっても困るものではない。なにより現実となったこの世界でクエストをやってみたいという気持ちがトーアにはあった。
パーフェクトノートに駅馬車の運行日時のメモをとった後、トーアは部屋に戻る。
部屋のドアに鍵をかけて【ホームドア】を使い、いつもどおりの柔軟と一通りの型をこなした。汗を流す為にその場で裸になったトーアはタオルにお湯を含ませて身体を拭いて行く。傍らにパーソナルブックを取り出し、ホームドアのページを開いた。
ホームドアの施設は素材を用意すれば、【普遍】級で自動的に作成することが出来る。素材もチェストゲートに入れて置けばそちらから使用される。トーアが自作してホームドアに設置、移動する事も自由に行う事もできた。
「生産施設はほしいけど……まずは、お風呂かな……」
タオルで拭うだけの生活が嫌になりつつあるトーアはぼそりと呟いた。最低ランクのお風呂でも大量の木材が必要だった。
濡れた身体を乾いたタオルで拭いてトーアは、パーソナルブックを閉じて寝巻きに着替える。
パーフェクトノートを取り出して習慣となりつつある日記をつけるとToDoという新しい項目を作った。明日、そして今後行う事や必要な物を思いつく限り書き込んでいく。
デートンから受け取った賃金は予想外に多かったが、今後はそれを超える出費が予想できた。ノルドから貰ったフクロナガサで戦い続けるのはいささか不便でもあり、調理器具も欲しかった。採取や採掘を行うにも専用の道具が必要になる。
「……考えれば考えるほど、先立つものが足りない。世知辛いというか、なんというか……」
ため息を付きながら、トーアはホームドアから部屋に戻った後【ホームドア】を解除した。
部屋はすぐに暗くなるが窓から差し込んだ月明かりを頼りにして、ベッドに寝転がる。ベッドの硬い寝心地にウィアッドのような安全な場所でないことを思い出したトーアは、護身のためフクロナガサを枕元に置く。
部屋に鍵はかけられてあるし、ギルド推奨の宿なので進入してくる輩はいないと思うが過信は禁物だった。流石に自分みたいな駆け出しが居る部屋に侵入してくるような馬鹿は居ないだろうとトーアは目をつぶり、眠りについた。