第一章 輪廻の卵 2
トーアは最後に聞いた声は正面に座る男の声色に似ていたことを思い出す。
「あの声……」
「ん?ああ、あれは俺だ。他に何か思い出したか?」
男の質問にトーアは首を横に振る。CWOで輪廻の卵を使う以前の事件らしい事件は『デスゲーム』しかない。CWO10周年記念イベントという体裁であの事件は起こり、ゲームというフィクションでありながらあの瞬間、CWOには生と死があり、紛れも無い現実だった。『デスゲーム』の中でそれまでの価値観を塗り替えられ、心を折られ、色々な人の助けを借りて再び立ち上がることが出来た。今もあの恩は返せていない。
「……ああ、そうか。動くなよ」
男が何かに気が付いたかのように手を伸ばし、トーアは体を引こうとしたが眉間を軽く突かれた。
瞬間、デスゲームが終わった後、何が起こったのか全て思い出した。雪崩のようにあふれ出す記憶にテーブルに手をつく。頭を手で押さえながら前に座る男を睨みつける。
「な……あ……そうか、あんたはっ……」
「思い出したな?」
男の言葉にトーアは小さく頷く。なぜ忘れていたのか対面に座る男のことを考えればこれくらいはたやすいことなのかもしれない。男は“大神”と呼ばれ、世界を管理する神を管理する上位存在。らしい。デスゲームを起こした張本人であり、正直な話、もう二度と関わりたくない相手である。
結局、デスゲームの全てを終わらせたのはまったく別のプレイヤーだったが、トーアはデスゲームを生き残ることが出来た。デスゲームの終わりと共にログアウトした瞬間、同じような場所でこの大神と話した事を思い出す。
『もし異世界に行けるならば行きたいか?』と聞かれ、トーアは『行ってもいい』と答えた。大神は満足げに『ならば、その時が来たら』と返事をしていた。その時の大神の様子から他にも同じように異世界行きを誘っているようだった。
VRゲーム中に異世界へ紛れ込んだり転生するというのはトーアが経験した『VRゲームが本当に生死が絡むデスゲームになる』に並んで多くの小説やアニメで使われた題材だが、実際にそれに巻き込まれると聞いて勇んで行けるほど、トーアは現実世界に絶望はしていないつもりだった。眉間に寄った皺を揉み解し、トーアは大神を睨む。
「……異世界に行けと?」
「まぁ、そうだ」
他のプレイヤーのほうが戦闘技能的にもっと勇者や英雄に向いている人は居る、生産についても各生産系アビリティに特化したプレイヤー達も居るのにとトーアはため息をついた。
「私に勇者か英雄にでもなれっていうの?」
「そんな訳ないだろう。いくらトーアが戦える生産者とは言えそこまでのことを期待していないぞ。まぁ、一応まだ時間はある、これでも食って話を聞いてくれ」
焼き鳥の皿をこちらへ押し出してくる大神の言葉に、トーアがプレイヤー達から付けられた二つ名のことを思い出してすぐに頭の端に押し込んだ。少し黒歴史じみたものなので余り思い出したくない。
トーアが顔をしかめているのが面白いのか大神は肩を震わせており、それにイラつきながらも差し出された塩のねぎまを取って二、三口で一本目の焼き鳥を噛み、飲み込む。
「で、私である必要は?」
二本目のねぎまに手を伸ばして続きを大神に促した。もものタレはないのかとタレ派なトーアは内心、嘆息して塩のねぎまを口に運ぶ。
「その生産能力だよ。全部の生産系アビリティを極め、特級創作士も取得しているだろう?」
「極めってまだ上の神級もあるし、特級創作士なら私のほかに何人か持ってる人居るでしょ」
「おまえしか成し遂げていないことがあるだろう?剣を一振り作ってくれ。これでわかるだろう?」
大神はお猪口を傾けて飲み干し、徳利から液体を再び注いでいた。
剣をと言われてトーアにはすぐに思い当たるものがあった。確かにそれはトーアしか成し遂げていない。
「……異世界って言われてもファンタジー過ぎて、いまいちぴんとこない」
「おいおい……俺は一応、大神だぞ?そういう存在と言葉を交わしているってのはファンタジーじゃないのかよ?」
「……ただのおっさんと飯を食ってるとしか思えない。と言うか、前も居酒屋だった気がするんだけど」
「おっさん……。ああ、居酒屋なのは特に理由はねぇよ。アフターファイブって奴だからどこで何しようと関係ない。ある意味サービス残業だぜ?」
がっくりと大神はうなだれつつ、ねぎまを口に運びお猪口を傾け、トーアはサービス残業という言葉に手で頭を押さえていた。ぜひ大神という存在ならばサービス残業も休日出勤もして世界を平和に導けと小さな声で悪態をつく。
「で、やってくれるのか?一度やったことだ」
「簡単に聞こえない」
「トーアが行かないとなると、一つの世界が存亡の危機と言う奴になるが?」
「っ……そういうところが嫌い」
「神様って立場は割りとつらい仕事なんだぜ?」
用意周到に状況を整えて人に断れない状態にして依頼を出すとは、一体何様のつもりなんだとトーアは思う。断ることは難しそうであるが、見も知らぬ世界のことを言われても正直な話困る。だが、行って見たいという気持ちも確かにあった。事前情報くらいは聞けるのだろうかと、トーアは大神に質問することを簡単に頭の中でまとめる。
「……わかった。でも何も情報なしに行くのは辛いんだけど、何か情報が欲しいのと、現実に残る私はどうなるの?」
「ん、それはだな……あー、すまん、時間だ」
「時間?って、えっ!?ちょっと!」
周囲が白く塗りつぶされていくのにトーアは慌てて椅子から立ち上がる。その間もトーアの周りは白くなっていく。大神自体も止める事は出来そうもないらしく、悠長にお猪口に徳利から液体を注ぎ、軽く掲げる。
「すまんすまん。何せトーアが最初なんだ。事が起こるのはまだ先って話だから、後は向こうを管理している神に聞いてくれ。じゃぁ、そういうことだ。頼んだぜ」
いい笑顔で見送る体勢になった大神に、クソ野郎!と罵ろうとトーアが口を開いた瞬間、立っていた場所が消失する。
「っ……!?ぁ……あぁぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
突然の浮遊感。そして、どこかへと落下していく感覚に声の限り叫び声をあげる。どこまでも白い空間を落下しながらトーアは目をつぶった。
地面の感触に目を開き、目の前の黒い角柱に手をついて息を吐く。
「っ……はぁっ……はぁ……はぁ……何で何時もっ……突然なんだ……説明も結局、なかったし……ここはどこ?」
息を整えながら顔を上げる。
トーアの目の前には2メートルほどの高さの黒い角柱が立っていた。表面は磨き上げられトーアの顔が映っている。腰まで長い黒髪を三つ編みにしてまとめ、光の加減によっては赤く見えるダークレッドの吊り気味の瞳、背丈は160cmほど。体型はスレンダーだが、しっかりと女性を主張する程度にはある手のひらに包める程度の胸。声は少女にしては少し低めの声が聞こえてくる。
CWOで設定したトーアの姿のままである。少しだけ体に違和感を覚えるが、それは恐らく元々男性だった幸太が女性のトーアになったからという可能性があった。視線が少しだけ低くなっているが、デスゲームで似たようなことがあったので余り混乱はない。ゆくゆく慣れるだろうとトーアは思う。
トーアの着ている服は、麻布のような素材で出来た半そでの服とズボン、靴下も似たようなもので、靴は革製のローファーのようなもの。首元から服の中をのぞくとチューブトップだったがゴムではないのか、チューブトップの上側に蝶結びの紐が見えた。ズボンの上から下の下着も確認すると、紐で固定しているようだった。
「紐パンツ……確かにCWOじゃゴムは珍しかったけど……」
小さく呟いて、トーアは黒い角柱の周りを見渡した。
辺りはくるぶし程度の高さの草が黒い角柱を中心に円状に生えており、一定の場所から唐突に木々が茂り森となっていた。不思議な場所だなと感想を持ちながら、人の住んでいる気配がまったくないことに小さく息を吐いた。
右も左もわからない上、どこに行けばいいのかもわからない。居酒屋のようなところから落ちる瞬間、こちらの神によろしくと言われたが、特に出迎えといったことも無い。あと大神は何を言っていたかをトーアは腕を組んで考えて、CWOでの生産能力が必要と言うことを思い出す。
「ということは……この世界ではCWOのアビリティやスキルが使えるってこと……?」
トーアは半信半疑のまま、CWOで最も基本的なスキルである【パーソナルブック】を発動しようと手を前にだす。
CWOはARウィンドウは使われているが、プレイヤーのステータスや所持アイテム、スキルなどの情報を確認する為には、パーソナルブックと呼ばれる本を取り出さなければいけない。
表題紙部分にはプレイヤーのプロフィールが書かれ、名前、性別、職業、所属国、罪状が並んでいる。罪状の項目は詐称も償った罪も消すことは出来ず、PK等の確認にも使用される事もあり、償った罪は灰色で表されている。
現実世界で身分証を提示する行為に似ており、CWOでは自らの無実を証明するために偽ることの出来ないパーソナルブックのプロフィールを公表するということはある。
「……パーソ」
「おい!そこで何をやっている!?」
かけられた怒声に声が引っ込む。トーアは怒声のした方をすぐに振り返り、腰を落として身構える。だが声をかけた相手の男は弓に矢を番えすぐに引き絞れる状態にあった。
麻布のような服一枚を着ている今は、この距離で放たれる矢は防げるはずもないが逃げられる体勢になっていたほうがいいとトーアは判断する。
――もっとこう、友好的な出会い方をしたい……。
トーアは心の中で思わずぼやいてしまうが、今はそんな状況ではないと男の様子をうかがう。
男は、ズボンや長袖の上から毛皮が使われた手首から肘までの手甲とレガースをつけ、体には似たような毛皮の軽鎧を身に付けていた。がっしりとした身体つきと乱雑に切られた短髪、日に焼けた顔は無精髭を生やしていた。
身に付けている防具から熊男という言葉を連想するが、矢が番えられた弓を構えられている時に考えていることではないとトーアは男の出方をうかがった。
「どうしてこんな所にいるんだ?その軽装では旅人という訳でもなさそうだしな」
「……気が付いたらここに居たんです」
すり足で男は徐々に距離をつめてくる。黒い角柱を背にしているため男から距離は取れそうも無いが、弓を引き絞っている訳ではないので男はこちらを害するという訳ではまだ、ないらしい。
男の視線がトーアの腰や手を確認するように動く。
「……武器どころか何ももっていないみたいだな」
男は矢を弓から外し、傍らの短槍に手を伸ばした。
撃たれるということはなくなったがトーアは警戒を解かず、すぐに動けるような体勢のままで居た。矢がすぐ飛んでくることはなくなったが、男の素性がわからないため、やすやすと警戒を解く訳にはいかなかった。
「気が付いたらここに居たと言ったが、人攫いにでも遭ったのか?」
「違います。元々別のところで生活していました、気が付いたときにはこの黒い角柱の前に居たんです」
トーアの口にしたことは嘘でもないが、本当のことでもない。誰が原因で、どうしてこの場所に居るのかはわかるがそれを話す気にはならなかった。他の世界から来たと言っても信じてもらうことは難しいだろう。
男は手の平をトーアに向けて、それ以上話すことを止める。
「突然、ここにいたってことか……。魔法かもしれんが……俺はあまり詳しい方じゃない。どうするか……とりあえず村に案内するがいいか?」
村と言われるが、どういう村かもわからずに付いていく気にはトーアはなれなかった。
警戒を解かないで居ると男は一歩近づく。トーアは黒い角柱のせいでこれ以上後ろに下がれないので、すぐに左右に飛べるように身構える。
「ま、待て!この森には俺一人じゃ手に負えない魔獣が居る。逃げても死ぬだけだ!俺の名前はディッシュ・トリトロン!エインシュラルド王国、王都主街道のウィアッドで猟師をしている!ウィアッドは、酪農品とジビエ料理が売りの休憩村だ、聞いたことはないか?」
ウィアッドもエインシュラルドという名前はCWOでは聞いたことのない名前にトーアは男から視線を外さずに首を小さく横に振る。ディッシュと名乗った男は、口を一文字に結び何かを考えているようだった。
「わかった。俺のパーソナルブックを見せる。それなら俺が言っていることが嘘でないこともわかるはずだ!【パーソナルブック】」
ディッシュの言葉と共に、大判コミックほどの大きさの本がディッシュの手の中に現れた。
それにトーアは驚いた。先ほどまで半信半疑であったCWOのアビリティやスキルが使えるかもという考えに、ディッシュは行動で示した。
「見えるか?」
パーソナルブックが現せることに驚いている間にディッシュは表題紙を開いてトーアに向ける。
一行ずつディッシュの様子をうかがいながら確認する。名前は先ほど名乗ったとおり、ディッシュ・トリトロンとあり、性別は男。職業は下級狩人、所属国はエインシュラルド ウィアッド生・在住と書かれ、罪状には無しとはっきりと書かれていた。ディッシュの言葉が本当だったとわかる。この世界でパーソナルブックの内容を詐称する方法があればこうして確認する意味はあまりないが。
「すぐに信用は無理かもしれんが、俺が人攫いや山賊の類じゃないことはわかっただろう?村に案内するがいいか?」
パーソナルブックを閉じて消したディッシュの言葉にトーアは頷く。
ひとまず信用するかどうかは置いておいて、ディッシュの言葉に従って村へ行ってみることにする。
心配ならと短槍を渡されて、ディッシュは先を歩き始めた。見ず知らずの相手に無防備な背中を見せて、武器を預ける行為がどれほど危険な事かわかっているはずとトーアは手にもった短槍をしっかりと握り締める。
「そうだ、名前を聞いていなかったが……差し支えなければ教えてくれ」
「……リトアリス・フェリトールといいます。トーアと呼んでください」
「トーアだな。わかった」
少しだけ明野 幸太と名乗りそうになるが外見はトーアになっているのだからと、武器を預けて背中をみせるという言葉にしないディッシュの誠意にトーアは名前を名乗った。
ディッシュは頷いて森の中を先導して歩き始め、トーアはその後を追って森の中を歩いていく。