第二章 ウィアッド 11
村の人々が見守るなか、トーアは広場に設営された小さなお立ち台の上にデートンと共に立っていた。
広場に集まったウィアッドの人々は期待の篭った視線で、宿泊客は驚きと困惑と共にトーアに視線を向けており、人々は果実酒やエール、ジングジュースなどが入ったコップや木製のジョッキを手に持ってトーアの言葉を待っている。
既にトーアはお立ち台から降りたいと思っていた。
熊狩祭の準備が整い、ウィアッドの住人が広場に集まった後、デートンがお立ち台の上に登り簡単な挨拶をした後、功労者であるトーアに熊狩祭の開催の掛け声をかけるのを指名したため、ウィアッドの住人から注目される事態になっていた。
宿に宿泊している客達はトーアがブラウンボアやブラウンベアを狩猟した事に半信半疑と言ったところで、特に冒険者志望の青年から驚きと困惑の篭った視線が向けられていた。
ウィアッドの人々は、トーアが前日にブラウンボアを見事な状態で狩猟した様子をディッシュや報告を受けたデートン、実際に解体した若い男達から広まったのか、拍手と共に囃し立てる声が聞こえてくる。
「あー……え、えーっと……み、皆さん、祭の準備お疲れ様でした。数年ぶりの熊狩祭と聞いています。存分に食べて、飲んで、楽しみましょう。それでは、乾杯!」
『乾杯!』
トーアの無難な挨拶と掛け声で、熊狩祭は始まった。
――うぅぅ……あまりこういうの得意じゃない……。
もっとうまい言いようはあったんじゃないかとトーアは思いながらお立ち台から降りる。あたりからはウィアッドに代々伝わるタレにつけられたブラウンベアの肉が熱せられた鉄板の上で焼かれる音と香ばしい匂いが漂い始めた。
トーアは元々座っていた席に戻ると、近くの竈に立っていたミッツァも肉を鉄板の上で焼いていた。続けてウィアッド産の野菜も載せられて肉の油とタレに絡められる。
香ばしい匂いにトーアはごくりと喉を鳴らす。既に口の中は唾液で一杯になり、注意していないとまたお腹が鳴りそうだった。
「よし……。さ、まずはトーアから食べてみて」
「はい!」
ミッツァから焼きあがった肉を皿に受け取って、熱々をはふはふと噛り付く。
やや厚めに切られた肉はしっかりとタレに漬けられており、かみ締めるたびに甘辛のタレの風味と肉汁が口に溢れてくる。血抜きもしっかりとできており、雑味も臭みもなかった。歯ごたえはあるが噛み切れないほどではなく、噛めば噛むほど旨みがあふれてくる。
「ん……おいしいです!」
「ウィアッド特製のタレだからね。さ、野菜も焼きあがったよ」
トーアの皿に焼きあがった野菜と肉が乗せられる。
肉汁とタレがしみこんだ野菜は歯ごたえを残しつつも甘みが増しており、焼きあがった肉と食べる事でタレの甘辛さとあいまってトーアの頬は自然と緩んだ。
周囲の村の人々も宿泊客も食と酒が進んでいるのか、賑やかだった。
陽は暮れていったが即席竈の火やかがり火が用意されているお陰である程度明かりは確保されている。
肉を焼くミッツァは途中からカテリナと交代して肉と野菜を食べてお酒を飲んでいるようだったが、カテリナにあまり飲み過ぎないようにいわれていた。別のテーブルではデートンやエリンが年嵩の住人達とゆっくりとお酒を飲みながら、穏かな雰囲気で話をしているようだった。
トーアも既にはちきれんばかりに肉と野菜を食べ、大いに飲んでいた。もちろん、飲んでいたのはジングジュースでさっぱりとした味がこってりとした口の中をすっきりとさせていた。
「トーア!楽しんでいるかい?」
「ノルドさん。はい、もう食べれないくらい食べましたよ」
顔を赤く染めたノルドが木製のジョッキを片手にトーアの隣に座った。それだけでノルドからアルコールの匂いがトーアに届くほど飲んでいるらしい。顔がいいノルドが酔い、目が潤んでいる様子は村の女性達の視線を集めていた。
「そうかそうか。ああ、そうだ。明日、僕の店に来てくれ」
「え?ああ。はい。わかりました」
「ん……ごくごく……ぷはぁ……!じゃぁ、また明日ね」
ジョッキの中身を飲み干したノルドは立ち上がり、セルフサービスとなっているドリンクバーへと歩いて行った。
大分、大人達は出来上がっているし、肉を焼く人も近くの席に座って談笑しており、眠ってしまった子供達は親に抱かれて家へと帰っているようだった。
「ふぁ……」
満腹と疲労で思わずトーアは欠伸をする。動けるようになったとはいえ【神々の血脈】の疲れはまだ身体に残っている。
「トーアちゃん、部屋に戻って寝てもいいのよ?」
「はぃ……そうします。おやすみなさい」
「ええ、おやすみなさい」
カテリナに促されトーアは席を立つ、周りの住人たちから口々に挨拶されて、トーアもおやすみなさいと返して宿の裏の家へと向かう。
日記を書いて髪を解き、トーアはベッドに倒れ込んだ。そして、遠くにウィアッドの住人の笑い声を聞きながら、そのまますぐに眠りについた。
翌朝、トーアはいつもの時間に目を覚ました。
何度か瞬きをした後、あくびをしながら体を起こして、井戸の近くで身だしなみを整える。
【神々の血脈】の反動もなくなり、おいしいものをたらふく食べたせいか目覚めもよく、非常に調子が良かった。ふと原因に思い当たりパーソナルブックを開き、ステータスを確認すると料理によるステータス補正が発生していた。
昨日の食事はウィアッド限定の特製のレシピらしく、熊狩祭の料理は全てのステータスが微上昇、生産・採取成功率微上昇、効果時間は24時間となっていた。食べた瞬間から効果は発生する為、効果時間の四分の一近くは既に過ぎていた。
CWOでも、高レベルの生産系アビリティ【調理】によって生産された食事や、特別なレシピによって調理された料理は付加効果が発生する。
料理によって効果は様々であるものの、一様にステータスの一時的な向上、戦闘・生産・採取に補助効果が現れたりとメリットとなるものが多い。ゲームをプレイする上で小さいながらも長い時間で考えればかなり重要なものだった。
何かを行う時は目的に沿った料理を大量に用意して、食べながらプレイするという方法は推奨される方法になる。更に特殊系アビリティ【食事】を併用することで食事の効果を高めることも出来た。
トーアは【食事】のレベルは上げてはおらず、どちらかというと【調理】アビリティの高さに物を言わせ、アイテムランクの高い料理を作る事で【食事】が無くとも何とかなるようにしていた。
地雷アビリティとして見られがちな【食事】だったがあるプレイヤーの登場により、少しだけ見方が変わる。
【食事】アビリティを高いレベルにする事によって得られるスキルは、【愛食】、【飽食】、【偏食】、【悪食】、【玉食】、【捕食】等というものだった。どれもが食事に関わるものであったが、全てのスキルを発動することで“底なしに、何でも食べ続けることでステータスをほぼ無限に向上させる”という状態を発生させる。
食事の効果時間はあるものの、続けて食べる事で時間を延ばすことができ、“相手を解体しながら捕食し、上限無くステータスを向上させる”という戦闘スタイルを確立した。
トーアはそのプレイヤーに【調理】アビリティの手ほどきをしたり、戦闘スタイルに合わせた双剣を作ったりと付き合いが長い。彼女の小動物を思わせるような印象を思い出し、非常に懐かれていた事も思い出した。
――あの子は今、どうしてるんだろう。一時期からぱったりとCWOにログインしなくなったし……。
そのプレイヤーはデスゲーム中で出会い、デスゲーム後もプレイを続けていた。
色々と込み入った事情を持っていたプレイヤーだったので少し心配になったが異世界に来ている今はどうすることも出来ないかとトーアは頬をたたいて気合を入れた。
一度、部屋に戻ってタオルを干し、エプロンと三角巾を手にトーアは宿の裏口から調理場に入る。
「おはようございます」
「おはよう、トーア君」
「おはよう。トーア、早速で悪いんだけど食堂の方でカテリナの手伝いをしてくれないかい?」
「はい?……わかりました」
まだ朝食を提供するには早い時間ではと思いながら、トーアはエプロンと三角巾を身につけて食堂に入る。
入った途端、鼻をつくアルコール臭に顔をしかめ、思わず手で鼻を覆った。さいわい吐瀉物らしきものはなかった。
「あ、トーアちゃん。おはよう」
「おはようございます……」
カテリナはお盆に水の入ったコップを載せてテーブルに突っ伏して唸り声を上げる村人や宿泊客に配膳しているようだった。
「トーアちゃん、早速で悪いけどみんなに水をだしてあげて」
「は、はい」
アルコール臭いのを我慢しつつ、トーアもお盆に水の入ったコップを乗せて、配膳する。
配膳が終わった後は一旦、調理場へと戻り朝食となった。カテリナ、デートン、エリンはテーブルについたがミッツァの姿を朝から見ていない。
「あの、ミッツァさんはどうしたんですか?」
「あの人は部屋で寝てるわ。まったく!あんまり飲めないのに飲むんだから。昨日もあまり飲み過ぎないようにって言ったのに!」
カテリナはむっとしながらパンを乱暴にちぎり口に運んでいた。ご立腹のカテリナにトーアはそれ以上ミッツァのことは、触らぬ神にたたりなしと聞かなかった。デートンも昨日は結構、飲んでいるように見えたが、二日酔いの素振りも見せずに朝食を食べ進めている。
朝食は昨日の熊狩祭で残った肉と野菜をタレを絡めて炒めたもので、鉄板で焼いたものも良かったが、タレのスパイシーさはこちらが上だった。朝から重たいかもと思ったが、タレのおかげかしっかり食べる事が出来た。流石に食堂で唸り声を上げる二日酔いの人達には重い気がした。
「トーアちゃん、今日はどうするの?」
「今日は宿の手伝いをします。隊商も到着するはずですし」
「そう……わかったわ」
隊商が到着すれば、トーアはエレハーレに旅立てるかもしれない。そこはデートンの交渉頼みとなるが、うまく行くように祈るしかなかった。
「ああ、トーア君、今日はお休みで構わないよ」
「えっ……デートンさん、いいんですか?」
「ああ。と言うよりも隊商が到着してすぐに明日出発することになるはずだから、旅装を調えたほうがいい。狩りに行くときのものでは外套や毛布が足りないからね。ノルドのところに行けばどちらも揃うはずだよ」
「あ、はい……あの、代金は私に渡す賃金から引いてください」
「ああ、わかったよ。ノルドに私に請求するように言ってくれれば、そうしよう」
「なら、後でノルドさんのところに行って見ます」
差し引かれるだけの賃金が出るか不安だったが、そうしてもらった方が気が軽かった。ディッシュといい、ノルドといい何でも気前良く渡しすぎだとトーアは思っていた。
「カテリナも今日はウィアッド全体が食堂みたいな事になっているだろうから、洗濯は明日に回してミッツァの様子をみてくればいい」
「はい。まったく……手が掛かるんだから」
と、言いつつもどこか嬉しそうなカテリナにトーアは少しだけ笑ってしまった。
食事の後、トーアはエプロンと三角巾を部屋に置いて、ノルドの鍛冶屋へと向かう。昨日呼び出されても居るので丁度良かった。だが何の用なのかトーアには見当がつかなかった。