第二章 ウィアッド 10
ディッシュの家に到着し、トーアは身につけていたリュックサック、グローブ、フクロナガサの剣帯をディッシュに外され、椅子に座らされた。水の入った木製のマグカップを受け取り、やっとトーアは一息つくことができた。
ディッシュの家は素朴な木造平屋で、真ん中に大きなテーブルが置かれ、壁には干し肉や野菜、狩りに使う道具などが収められた棚が置かれていた。
「トーア、本当に怪我は無いんだな?」
「はい。あまり詳しくは話せないんですけど……」
「いや、いい。チェストゲートの事を隠していたのも正解だ。トーアのいた所ではどうかは知らないが、こっちじゃチェストゲートは高難度迷宮の奥から偶に見つかるスキルスクロールを使う事でしか取得することが出来ない。高ランクの冒険者なら構わんが……利用されないように黙っているんだ。俺も誰にも話さないからな。わかったな?」
「はい……」
スキルスクロールや迷宮と言ったわからない単語も出てきたものの、トーアは頷く。やはりチェストゲートは珍しいものだった。今回見せたのは不可抗力みたいなものだ。
「チェストゲートをどうしても使いたい場合は、そうだな……鞄が拡張されていると言えばごまかせると思うんだが、どうだ?」
「拡張……【刻印】によるものですよね?」
トーアも以前考えていた方法を提案され、念のためどういうものか確認する。
「ああ。知っているなら話が早い。鞄に手を入れてそこからチェストゲートへ入れたり、取り出したりする事はできるのか?」
「はい。できると思います」
「うむ。ならそうして隠せばいいだろう。チェストゲートのスクロールはバカみたいに高価だが、【刻印】による容量拡張を行った鞄の方も高いが出回っているからな。容量以上の物を取り出して見せても恐らく誤解するだろう。……緊急時には仕方ないが」
「はい、今後はそうします」
トーアは頷いてディッシュから受け取った水を飲む。
そこへデートン、カテリナ、カルミーゼ、そして、ディッシュに呼びに行くように言われた青年、エーデがやってくる。
「トーアちゃん!大丈夫なの!?」
「あっ……は、はい。怪我はしてませんし、今は休んでいただけです」
カテリナに抱き締められながら、トーアは答える。他の人が居る所で抱き締められるのは色々と恥ずかしいので、離れて欲しいようなもう少しだけこのままで居たいような気持ちになる。
「デートンさん、ちょっといいですか?」
「……なにかね?」
ディッシュはデートンに声をかけて、家の外へと出て行った。
「カテリナ。リトアリスが心配なのはわかるが、診察をしたいのだが」
「あ、そうですよね。すみません、カルミーゼさん。ほら、エーデも外に出て」
「え、あっ!は、はいっ!」
カテリナに追い出されるようにエーデはディッシュの家から出て行く。
トーアはカルミーゼの診察を受けて、ただ疲労が溜まっているだけだと診断する。カテリナはほっとした表情を浮かべ、トーアの頭を撫でてくる。
外に出ていたデートンが部屋の中に戻ってきて、すぐにカテリナに近づく。
「いいかね?カテリナ、すまないが宿に戻ってエリンに熊狩祭の用意をするように伝えてくれないか?エーデには村に周知するように伝えてある」
「義父さん、熊狩祭って……まさか、トーアちゃんがブラウンベアを狩ってきたの?」
「は、はい……」
カテリナに問い詰められ、トーアは頷くと再び抱き締められる。
「全く、無茶をしてっ……!ブラウンベアなんて、村のみんなで狩るのに……一人でなんて……!」
「カ、カテリナさん……その、怪我はないですし、ちゃんと戻ってきましたよ」
「そういうことを言ってるんじゃないの!」
「ご、ごめんなさい……」
抱き締められながら怒られ、そして、トーアの無事を確かめるように頭を撫でられる。カテリナに心配をかけてしまったとトーアはいたたまれない気持ちと共に反省する。
「カテリナ……」
「はい……義父さん。義母さんに伝えてきますね」
デートンに肩を叩かれたカテリナにトーアはもう一度だけ強く抱き締められる。カテリナはトーアから離れた後、エリンに伝える内容を確認した後、宿へと向かって行った。
カルミーゼもまた熊狩祭の準備をすると言い、ディッシュも解体のほうの手伝いをすると、カテリナの後を追うようにして二人もディッシュの家から出て行く。
残ったデートンはトーアと向かい合うような位置に座った。
「トーア君、ご苦労だったね」
「あ、その……私もあそこまで狩れるとは思っていなくて……」
ブラウンボア、ブラウンベアを狩ることになった経緯を説明する。この時、【チェストゲート】、【贄喰みの棘】、【贄喰みの殻】、【神々の血脈】の事はすべて伏せた。
「そうか……よくそんな状況で無事に戻ってきてくれた……。夕食は熊狩祭になるから楽しみにしているといいよ」
「あの、デートンさん、熊狩祭ってどんなものなんですか?」
「ああ、すまない。功労者のトーア君が知らないままなのはいけないな。熊狩祭はウィアッドでブラウンベアが狩れた時に開催される祭のことで、狩りに参加した者の無事を祝い、不幸なことが起こった時は鎮魂の為のものなんだよ。祭のメインで出されるブラウンベアの肉はウィアッドで代々伝えられたタレにつけた後に炭火で焼いて食べるんだ。そのタレはその時にだけ使うものだから、祭に行き会うことが出来るのは幸運だともいわれているよ」
「なるほど……今回は私がブラウンベアを狩ったから急遽、祭になったんですね」
「そういうことになるね。ここ数年、熊狩祭はなかったし、なによりも死者が出ていない喜ばしい祭だ」
ディッシュの家に来たときから厳しい表情をしていたデートンはふっと笑みを浮かべた。
「カルミーゼ先生の診断は今は休息をするようにだったかな。夕食までは時間がある。功労者であるトーア君が休んでいても誰も文句は言わないから、今はゆっくり休んでいなさい」
「わかりました。お言葉に甘えさせてもらいます」
トーアが頷くと、デートンは立ち上がって熊狩祭の準備をすると家を出て行った。残されたトーアは息を吐いてだらしなく椅子に座った。
「……なんて一日だ……」
誰も居なくなったのを確認してトーアはため息混じりに呟いた。
ファットラビットかホーンラビットを二、三羽狩るつもりだったのが、ウィアッド周辺では大物のブラウンボアや最上位捕食者であるブラウンベアを狩ることになった。【特級創作士】でスキルが使う事ができればもっとマシな戦い方があるのかもしれないが、無い物は仕方なかった。
緊張が解けたせいか、トーアのお腹が音を立てる。
「ああ……お昼、食べてないんだった……」
リュックサックからお昼のお弁当を取り出して口に運ぶ。すでに吐き気は治まっており、逆に空腹感で気持ち悪いほどだった。
だが夕食は熊狩祭という話なので少しだけにして、残りはチェストゲートへ収納する。
食べた後、【初心者】であるやるせなさにため息をついた。
その後、陽が傾き始めたころ、トーアはディッシュの家を後にする。身体はまだ軋むような感じがするがだるさは無くなり、ゆっくりとなら歩く事ができるようなっていた。
宿の方へ歩いていくとウィアッドの住人が広場に集まり、にぎやかな声が聞こえてくる。村の男性達はテーブルや椅子を並べ、即席の竈を作り火をつけていた。村の女性達は一箇所に集まって楽しげに話しながら野菜や肉の下ごしらえをしている。
「あら、トーア?お疲れ様!」
野菜を切っていたエリシアがトーアに気が付いたのか、声をかけてくる。途端に用意をしていた村の人々の視線がトーアに集まった。
「お疲れ様、ブラウンベアを狩ってくるなんてすごいじゃない!本っ当に無茶ばっかりして!」
「まったくだよ。腰を抜かすかと思ったよ」
「おうおう、ご苦労さん。熊狩祭たぁ何年ぶりかの祭だ、良く食って飲んで楽しんでいけよ?」
「そうだ、ブラウンベアとブラウンボアの毛皮を見てノルドが飛び上がって、その後、小躍りしていたぞ!」
考えてみればトーアがブラウンベアと戦った場所は森の浅い場所で村からも近い距離になる。
もしトーアがブラウンベアと戦わなければブラウンベアが村の中に入ってきたかもしれなかった。だがトーアはブラウンベアと遭遇し討伐することが出来た。結果的に村を救った事になり、洗濯場で一緒になった女性達や、まったく話したこともない村人達からも話しかけられ褒められた。
皆が生き生きと祭りの準備をする様子に、トーアはブラウンベアを狩ることができてよかったとしみじみと思った。
「トーア!ブラウンボアとブラウンベアの無傷の毛皮なんて想像もしてなかったよ!」
「ああ、ノルドさん。皮の状態はそんなにいいですか?」
「もちろん!トーアは何が欲しい?どちらも一頭分の皮があるから、ブーツでも外套でも革鎧も作れるよ!」
興奮した様子で話しかけてきたノルドに、トーアは申し訳なさそうにする。今回の狩りでどれだけの金額が稼げたかわからないが、隊商と共にエレハーレへ出発する予定だった。
「ノルドさん、その……私はすぐにエレハーレへ向かいますから……ノルドさんが作りたい物を作ってください」
「ああ……。そうか……そうだったね。うーん……なら、何を作ろうかな……」
トーアの言葉に興奮が冷めた様子のノルドだったが、すぐに顎に手をやり考え始める。
あれだけ見事な一枚皮である、ノルドが何を作るか悩む気持ちをトーアは痛いほど理解出来た。
――ああ……いいなぁ、私も早く生産できるようになりたい……。
宿の方から出てきたエリンが手を叩いて、皆の注目を集める。
「ほらほら、みんなは準備を進めておくれ、日が暮れる前に準備を終わらせて始めようじゃないか」
エリンの言葉に人々は口々に返事を返し、それぞれの作業へと戻って行った。トーアの前にエリンはたったが困ったような笑みを浮かべていた。トーアの頭に手を乗せて軽く叩かれる。
「まったく……ブラウンベアを狩るなんて誰が想像するもんかい。とりあえず祭が始まるまで宿のほうで休んだらどうだい?」
エリンに促されて宿に入りカウンター席に座った。すぐにジングジュースの入ったコップがトーアの前に置かれる。
「熊狩祭なんて久しぶりでね。村のみんなも浮かれているのさ。とりあえず、トーアはここにいな。一番の功労者なんだ。ゆっくりしていても誰も怒らないよ」
わかりましたとトーアは好意に甘えて、今回は何もしないことにした。出されたジングジュースを飲み、変わらない味にほっと息をつく。
丁度、村に宿泊していた客は熊狩祭となった事にどこかそわそわとした雰囲気で話していた。デートンが言ったように不定期で開催される祭のため、熊狩祭に行き当たった幸運に感謝しつつ、熊狩祭に出される料理に期待しているのだと思った。
外から聞こえてくる楽しげな声を耳にしながら、トーアは再びジングジュースに口をつけた。