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第二章 ウィアッド 9

 歯をむき出しにしてブラウンベアは低い唸り声を上げ始めていた。


――まさか……このブラウンボアはブラウンベアから逃げていた?


 トーアが背にしているブラウンボアはブラウンベアから逃げる為にあのような興奮状態で森を逃げていたのかもしれない。そして逃げていた先でトーアと出遭い、生き残る為に向かってきた。その結果はこうして森に横たわることになる。

 森が静かな理由も恐らくブラウンベアが森の深部から姿を現していたからだと推測できる。上位捕食者が居る場所に居たい生物などいない。

 ブラウンベアは唸り声を上げながら徐々にトーアとの距離を詰め始めていた。トーアはブラウンベアを視界に捉えながら辺りの様子を目だけで確認する。

 トーアの後ろにはブラウンボアが横たわり、ブラウンベアとの距離は五メートルほどでその距離も徐々に詰められつつある。使える武器はフクロナガサのみで木の柄をなくした状態では、ブラウンベアに刃が届く前に凶悪な膂力でもって薙ぎ飛ばされることが予想できた。もし刃が届いたとしてもどれほど効果があるかもわからない。

 ブラウンボアと距離がもう少し開いていればブラウンボアを餌にして逃げ出す事も出来たかもしれないが、トーアはブラウンボアを完全に背にして“自分の獲物”と主張してるような位置に居る。動けばブラウンベアはブラウンボアではなくトーアを襲うだろう。

 距離を詰めていたブラウンベアがおもむろに後ろ足だけで立ち上がる。目測で二メートルを越す巨体はトーアが出会った中で最も背の高かったディッシュの身長を余裕で超えていた。トーアは思わず身構える。


「ガアアアァァァァッッ!!」

「っ……!?」


 ビリビリと肌を震わせて、腹の底へ響くような咆哮を上げて威嚇するブラウンベア。咆哮と同時にあたりに身を隠していた鳥達が一斉に飛び立ち逃げ出す。

 トーアはその咆哮を受けて畏怖するどころか、頭が冷え、ごちゃごちゃと考えていた思考を放棄する。


――敵として私を見るなら容赦しない。……私が生き残るために、死んでもらう。


 トーアは覚悟を決める。

 ブラウンベアはトーアの雰囲気が変わった事を感じ取ったのか、唸り声を上げはじめた。

 背にあるブラウンボアに触れてチェストゲートへ収納し、フクロナガサを鞘に納める。突然、ブラウンボアが消えたことにブラウンベアは驚いたようだったが再び咆哮を轟かせ、前足を地面へと下ろした。

 二度目の咆哮に特に何も感じずにトーアは、ブラウンベアが飛び掛ってくる事を予期して首に下げたペンダントトップの一つを左手に取る。


「ガアアァァッ!!」

「“なれは安息を与える強固なる鎧!贄喰らう棘を包み護る者!我が手に現れ出よ!”【贄喰みの殻にえはみのから】!!」


 咆哮と共にブラウンベアが飛び掛ってくるのと、トーアが贄喰みの殻を発動する言葉を唱えながら左腕を盾のように構え、足を肩幅に開き腰を落としたのは同時だった。

 トーアの左手が黒く艶の無い平たい棘が覆い、棘の中から同じ色の楕円状の“殻”が生まれ、飛び掛ってくるブラウンベアの爪を受け止める。

 現れた“贄喰みの殻”に爪を立てるブラウンベアだったが、トーアが唱えた言葉の表す通り、強固かつしなやかな盾である“殻”に傷をつけることは叶わなかった。

 トーアがこのスキルを常用しないのは燃費の悪さが原因だった。発動すればスタミナとマナを恐ろしい速度で消費し続けるため、今の状態ではすぐにマナもスタミナも枯渇する。

 ブラウンベアの膂力に押し込まれそうになる前にトーアは更にもう一つのスキルを発動した。たちまち身体の奥底から力が溢れ、身体中の血液が沸騰したかのような、熱量を伴った力が巡るような感覚がトーアの身体を満たす。


「ふんっ……!はっ!」

「グッ……ガアァァァアァァァッ!!?」


 ブラウンベアの腕を受け止めていた左腕を使ってブラウンベアの腕を横に弾き、がら空きになった腹部へ前へ飛び出すように蹴りを叩き込む。

 胃液を口から撒き散らしながら、悲鳴ともつかない鳴き声を上げながらブラウンベアの巨体が宙に浮き、吹き飛び森の中を上下左右もわからないまま転がっていく。


「ふーっ……」


 構えるトーアの瞳の虹彩と白目の境界は虹色の光で輝き、頭上には柔らかな光の波動を放つ輪が生まれていた。

 指先から足先まで力が満たされ、身体の中から無限に力がわいてくる感覚と、触覚、聴覚、嗅覚、視覚と言った五感が研ぎ澄まされ、周囲の状況を完全に掌握する。

 トーアが発動したのは種族スキルである【神々の血脈】。スキルの設定には“遥か過去に交わった神々の力を顕現させる”とある。その効果は、マナとスタミナをほぼ無尽蔵に近い感覚で使用できる急速な回復力と全てのステータスを倍に引き上げる。

 スキルには再使用時間があるため連続使用できないが【贄喰みの殻にえはみのから】のような常時消費するようなスキルでは、【神々の血脈】が発動している限り使い続けることができた。

 この圧倒的な半神族の力は、CWOのプレイヤー達から公式チートと言われるほど強力で団体戦でも切り札として扱われ、時として戦略や戦術を破壊する圧倒的な“力”だった。半神族は半神族でしか止めることは難しいが、スキルが切れた後の異常状態に近い反動が唯一の隙になる。

 初日の夜にトーアはそれで起き上がる事もできなくなったが、発動時間が短ければその分、反動は減る。

 早く決着をつけるためにトーアは右手でペンダントトップの一つを取った。

 仰向けに倒れこんだブラウンベアは蹴りの痛みで腹部を押さえてのたうちまわっていた。トーアはその隙を逃さず、ブラウンベアに向かって飛ぶ。


「“彼の者は暴食にして飽食!偏食にして悪食!玉食にして求食!我が手に来たれ!”【贄喰みの棘にえはみのとげ】!!」


 宙で殻と対になる【【贄喰みの棘にえはみのとげ】を発動する。瞬く間に右手が艶のない黒の平たい棘に覆われる。その中からひときわ長く、平たく鋭い棘が飛び出す。その棘はトーアの持っているフクロナガサ、ノルドの店にあった武器、ディッシュのハルバードよりも鋭利でなにより薄かった。


 ブラウンベアの瞳に飛び掛るトーアの姿が映った瞬間、右手を突き出す。小さくさくりという音がトーアの耳に届く。贄喰みの棘にえはみのとげは、ブラウンベアの下顎から頭頂部まで脳や脳幹を抵抗なく貫き、切っ先が再び外に飛び出していた。


「ふんっ……!」


 止めといわんばかり【神々の血脈】で強化されたステータスで薄く、鋭利で頑強な贄喰みの棘にえはみのとげの生えた右手を捻った。

 あっさりと硬いはずの頭蓋を砕き、貫いた脳や脳幹を完全に破壊する。

 びくんとブラウンベアは大きく身体を痙攣させた後、四肢を弛緩させて動かなくなった。

 辺りの状況を数瞬確認した後、トーアは発動していた三つのスキルを解除する。頭上に生まれた光輝く輪は霧散するようにして消え、両手に生まれた棘や殻もトーアの身体に埋没するようにして消えた。

 途端に胃がひっくり返るような衝動がトーアを襲い、ブラウンベアの上で四つんばいになりながら口を押さえる。


「ぐっ……うっ……!んっ……ぅ……はああぁぁぁ……はぁ……あぁ……きつい……。でも、最初の時より多少マシ……」


 【神々の血脈】によって感じていた全能感も消えて、身体が軋み、倦怠感が押し寄せてくる。

 腹の底から湧き上がる吐き気を飲み込み、トーアはブラウンベアをチェストゲートに収納してよろよろと立ち上がる。

 時間にして一分にも満たない攻防であったが、身体中の倦怠感や止まらない吐き気にトーアの口から思わず悪態が漏れる。


「ああ……なんでこんな……苦労をしないといけないんだ……あの大神のおっさんはもう一度会ったら絶対、絶対に殴ろう……全力で……」


 恨み言を呟きながら、ブラウンボアが折った木から杖に使えそうな適当な枝を見繕い、パーソナルブックで村の方向を確認してトーアはふらつきながら森を歩き出した。


 森から出ると森を入るときに見かけた青年とディッシュがこちらに向かって走ってきてくる。トーアがほっとした瞬間、身体から力が抜けて座り込んでしまった。


「と、トーア!?大丈夫か?どこか怪我をしたのか?」

「あ、いえ……そういうのじゃないです……」

「エーデ!とりあえず、俺の家に運ぶからデートンさんにこの事を伝えて、先生を呼んできてくれ!」

「は、はい!ディッシュさん!」


 ディッシュと共に走ってきたエーデと呼ばれた青年は村へ向かって駆け出して行く。トーアは怪我じゃなくてただ単に疲れているだけだから大事にしないで欲しいと思った。ディッシュはトーアを抱えて出来るだけ揺れない様に小走りに移動を始める。


「あ、あの、ディッシュさん。解体小屋へ行ってもらえませんか?」

「は?解体小屋だと?何も……持っていないだろう?」

「お願いします。怪我とかじゃないんで、私は大丈夫ですから」


 ディッシュは怪訝そうにしながらも、解体小屋へと足を向けた。

 解体小屋にはすぐ到着して、トーアは手帳サイズのパーソナルブックを手の中に現して、【チェストゲート】を使用してブラウンボアとブラウンベアを取り出す。

 いきなり現れた巨大な魔獣にディッシュは身構えるが、どちらも白目をむいてぴくとも動かないことに気が付くとトーアを見てくる。


「こいつは……トーア、まさかチェストゲートが使えるのか?」

「チェストゲートの事、知っているんですか?」

「ああ……。昔、冒険者をしていたと話したろう?その時に、俺よりも上位のランクの冒険者が使っているのを見てな。欲しいと思ったものだ。だが……この二頭をトーアが狩ったのか?」


 毛皮の状態は、どちらも頭部に僅かに傷がある程度のため最高で、すぐにチェストゲートへ収納したため今狩ったばかりのようにまだ暖かった。


「はい。詳しい事は後で話しますけど、血抜きをしていないのですぐに始めたほうがいいです」

「おぉい、ディッシュ、トーアが戻ってきたって……うぉっ!?なんじゃこりゃ!?ブラウンボアと……ブラウンベアじゃねぇか!?」


 そこへ昨日、村の若い男達に解体方法を教えていた灰色髪の男性がやってくる。すぐに二頭の魔獣に気が付いて大きな声をあげる。

 走り去ったエーデという青年に、トーアが戻った事を聞いたらしく念のため解体小屋の用意をするためにこちらに来たそうだった。


「こいつはでかいな。それにブラウンベアが狩れたとなれば……」

「ああ。熊狩祭になるだろうな」


 男性の顔がみるみる笑顔に変わっていくのをトーアは不思議そうに見ていると、男性がトーアに気が付きでかい手が頭に載せられて撫でられる。


「トーアが狩ったんだな?まったく、すげぇ奴だ!ブラウンベアは俺らでも念入りに準備を整えて必死にやるってのによ!それにブラウンボアもコイツは成熟した個体だ。また、ノルドが喜んで次は失神するんじゃないだろうな!ガハハハハッ!!」


 昨日と同じように首が取れるんじゃないかという激しい撫で方にトーアは目を回しそうになる。


「アリバ、トーアを一応先生に診てもらうため俺の家に連れて行く。後の事を頼めるか?」

「ああ、そいつは任せろ。見たところ血抜きもまだみたいだしな」


 アリバと呼ばれた男性は村へ向かって走り出した。解体のための人員を呼びに行くのだろう。トーアはディッシュに担がれてディッシュの家へと運ばれた。

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