第五章 口福と狂乱の六日間 8
五日目の朝。トーアの露店販売で最後のメニューの販売となる日。今まで通りにトーアたちは荷車を引いて露店市場にやってくる。
――え、まさか……。
トーアの店がある袋小路の入り口に差し掛かり、トーアは目を疑う。そこまで人の列が出来上がり、トーアの姿を見ると歓声が上がっていた。
顔を引きつらせつつもトーアは、ギルたちに声をかけて慌てて準備を始める。
「……まさか徹夜組とかじゃないよね」
「さすがにそれは……」
小さな声でつぶやいたトーアの疑問に、先頭に並ぶ客の服装を見ながらギルは答えに迷っていた。
夜は何もせず立っていられるほど暖かくはなく、露店市場内は食品販売を行っている店舗以外は焚火などは禁止されている。
先頭に並んだ客も外套を羽織っている程度で、夜の寒さに耐えれそうになかった。
魔法や刻印による耐寒装備を用意したのかと、聞いて確認することも考えたが、結局、並んで待つ客を見て気にしないことにした。
トーアは昨日使った二口焜炉の上に四つの中華鍋を並べ、二つにはブラウンボアの脂身から抽出したラードを入れ、残りの二つには植物由来の油をたっぷりと注いだ。
鍋のそばには油切り用の網を乗せた磁器の深皿を用意する。
磁器については準備の傍ら作成していた。今回使用しているのは試作に近い段階の代物だが油を受け止める程度には十分だった。
火を入れて油を温めながら、冷蔵庫から木製の深いボールを取り出す。中には一口大に切られたコッコの肉――アレリナで見かけた原種のもの――が漬け込まれていた。
今回の料理のためにコッコの肉をジェリボルトに大量に注文したが、トーアが注文した量を一度に用意するのは難しいとのだった。
ならばとトーアはラズログリーン郊外のコッコ牧場へと赴き、自ら必要な数のコッコを捌くことにした。
数日の間、必要と思われる数を捌いたが、その手際の良さ、解体の速度、コッコを一撃で仕留めていく様子から『コッコを刈る者』と、牧場の人々から畏怖を込めて呼ばれることになったのは別の話である。
小麦粉とコクリコの粉を等分で入れてかき混ぜ、油が十分に温まったのを確認し一つずつ油へ入れていく。もう一方の焜炉の鍋には一口大に切られた皮付きのテイトを入れる。
コッコの肉とテイトが揚げられていく音を聞きながら、トーアは作業台の上にいくつもの容器を並べた。
「よし、あとは出来上がるのを待つだけ」
今日の露店に掲げられた看板は『揚げ物屋フェリトール』。
服装は、白兎の宿の調理場に立つものとほぼ同じで、髪をまとめ、黒のエプロンを身に着けている。
鍋の泡が小さなものになり、油が上げる音がぱちりぱちりと軽やかなものに変わり始め、周囲には揚げ物の香ばしい香りが漂いはじめる。
列に並ぶ人々は、その香りにそわそわとしながらトーアの露店をのぞき込んでいた。
浅い鉄鍋に無数の穴が開いた炸鏈でコッコの肉を一度、網へとあげて休ませる。空になった中華鍋は次のコッコの肉を入れた。テイトのほうも軽くかき混ぜ、様子を見る。
テイトがきつね色になったところを網の上にあげ、休ませたコッコ肉はより温度の高い鍋に入れて二度揚げを行う。
油を切ったテイトを大きな木製のボールに移して香草と塩を振りかける。ボールを振り、全体になじませた。
二度揚げをしたコッコ肉を鍋から取り出して、火が通ったのを確認する。
「おまたせしました、販売を始めます!」
トーアが声をあげると列に並んでいた客たちは歓声をあげる。最初の客がメニューと奥に見える料理を見て笑みを浮かべた。
「こいつはうまそうだな……って、こっちはテイトか」
たった二つのメニューの内、一つがテイトであると知るとあからさまにがっかりした表情をする。
トーアが五日目、六日目のメニューとしたのは『コッコのからあげ』、『フライドテイト』の二種類だけだった。
単品で購入することも、まとめて購入することで多少安くなるサービスも行っている。
荒い紙をクレープの包み紙のように逆円錐状に丸め、コッコのからあげとフライドテイトを入れる形での提供である。ちなみに何らかの容器を持参することで、割引も行うこともメニューに書き込まれていた。
似たような料理はラズログリーンを探せば見つけることができた。特に安く手に入り、おなかが膨れるテイトは貧乏人の味方であり、痩せた土地でも連作障害に気を付ければ、大量に栽培できる為政者の味方でもある。
もちろんのこと、明日も知れぬ冒険者の味方でもあるが、やはりおいしくないというイメージがつきまとう。
王国の寒村では冬の間は茹でたテイトが常食であり、付け合わせにがちがちに硬い干し肉やソーセージなどの保存食と食べるのが常であった。
だがそれでもテイトを選んだのは、珍しさによってトーアの店が繁盛したと言わせないためであった。
探せば見つかるようなコッコ肉と、テイトを揚げただけの料理ともいえない代物が、本当に美味しければトーア自身の料理の腕前が優れている証明になる。
最後のメニューにしてトーアの挑戦だった。
「はい。テイトを揚げたものに塩と香草をかけてます。後かけのソースもございますが、いかがしますか?」
「ソース?」
「はい。メニューの下に書かれたものがそうです」
「いろいろあるんだな……」
トーアが作業台に取り出した容器の中にはメニューに書かれたソースが入っている。
基本となるのは、揚げたてに塩と粉末にしたハーブ類を混ぜたハーブソルトで、もちろんこのまま食べても十分に美味しい。
用意されたソースは、ピッツァやピザまんで作成したラカラソースをベースに小さく切った野菜を混ぜ込み辛味を楽しめるサルサソース、ガラズの爪を植物性の油に漬け込んだ激辛ソース、溶かしたチーズにホワイトカウの乳を混ぜ込んだチーズソースなど、様々な種類のソースがあった。
中には餡子を汁粉のように固めの液状にした餡子ソースという変り種も用意している。
ソースのかかったテイトを食べきった後は、飲食コーナーの一角にフィオンが立っており、ソースの後かけも可能だった。
一通りの説明を聞いた客は、迷った様子を見せながらもサラサソースを頼む。
「ありがとうございましたー」
唐揚げとフライドテイトの相盛りを受け取った客は、早速、熱々の唐揚げに串を刺して口に放り込んだ。
「あっつ!はふっ……ほふっ……くぅぅ~うめぇ!」
口から湯気ともとれる真っ白な息を吐きながら男は歓声を上げる。
二度揚げされた唐揚げの外側は、歯が当たるとざくりと快音を響かせ、中の肉は熱々の肉汁を口の中にあふれさせる。
肉汁と共に一緒に漬け込まれた旨味が広がり、あと一つ、あと一つと手が止まらなくなる。
「こいつはうめぇ……!さすがだぜ……!」
あっという間に唐揚げを半分ほど胃に収めた客だったが、フライドテイトに手を付けていないことに気が付いた。
買ったもののテイトと聞くと故郷で食べた、味は二の次でとりあえず腹が膨れるテイトを思い出してしまう。
だがリトアリスが調理したテイトがまずい訳がないと、ソースがたっぷりとかかったフライドテイトに串を刺す。
パリッとしたわずかな抵抗と共に串がテイトに刺さる。
「お……」
想像とは違う感触に声を上げ、そのままえいっと口に放り込んだ。
「はっふっ!?」
フライドテイトの中は想像以上に熱く、熱を逃がしながら咀嚼する。
パリパリにあげられた外皮、そのくせ、中は歯を当てるだけでほくほくと崩れていく。
塩と数種のハーブはブラウンボアの脂の甘みを引き立たせ、ソースはラカラの酸味と共に混ぜ込まれた野菜が、テイトとは違った感触と風味で口を楽しませる。
ごくりと一つ目のテイトを飲み込んだ客は思わず立ち止まっていた。
「こいつは……そこらのテイトじゃねぇ!」
もう一度フライドテイトを放り込み、熱も楽しみながら咀嚼していく。
ソースがあまりかかっていないフライドテイトも、ソースをたっぷりと纏わせたフライドテイトもそれぞれに楽しさ、美味しさがあった。
途中、唐揚げで口休めをしつつ、はっと客は気が付いた。渡された紙袋の中には、唐揚げが一つだけ残されていることに。
「あ、しまった……!後かけ……!」
今回かけたサラサソースは酸味のきいたさっぱりとしたものだったが、他にも様々なソースが用意されていた。
これがここまで美味しければ他のソースも、美味しいに決まっている。
客があまり迷いもせずに再度列に並ぶのはすぐのことだった。
次々に現れる客を捌きながら、トーアは鍋の前に立ち、手際よく次々にコッコ肉を揚げ、テイトに塩と香草をまぶしていく。
「いやぁ、みんな揚げ物好きだねぇ」
「え、いや、トーアちゃんのコレ、止まらないんだよ!?」
すぐそばの後掛けコーナーで列を捌いていたフィオンが悲鳴じみた声を上げる。
途中、様子を見に来ていたミリーも手伝いをお願いし、別の列を作り始めている後かけコーナーを対応していた。
「味に飽きたなって思うくらいにソースがなくなるから、次のソースは何にしようと思っちゃって……お腹が許す限り無限に食べられちゃう!」
並んでいた客たちからもその言葉に賛同する声があがる。
「本当に罪作りな料理作りやがって!最高かよ!」「あの時食べたテイトがコレだったら喜んで食ってたな……」「これほど人を夢中にさせる料理を作るなんて……!リトアリス、恐ろしい子っ……!」「あんこにこんな食べ方があるなんて……ソースだけを啜って生きていきたい」「これ、油で揚げてるのよね……お腹周り大丈夫かしら……ま、まぁ、クエスト頑張ればいいのよ」「これ、唐揚げにもかけれないのか?え、いい?やっぱり、リトアリスは最高だ!」「サラサソースとチーズソースを半々にかけてくれないか?」とそれぞれが好きなように叫んでいた。
そして、露店市場が閉まる時間と共にトーアの店も閉店時間となる。
安めの価格設定だったのもあったのかリピーターが非常に多く、調理にも複雑な工程がないため、今までで最高の売り上げとなっていた。
後かけコーナーではフィオンとミリーがあまりの来客数に、ぐったりとして動けないようだった。
一食分にならず最後に残った唐揚げをそれぞれの口に放り込むと、幸せそうに口を動かしはじめる。
「うぅぅ……どんなに疲れていてもトーアちゃんの唐揚げ、おいひいよぅ……」
「あぅぅ……ちょっと冷めてもおいしいでふ……」
「ほらほら、二人とも白兎の宿に帰るよ。明日の販売が終わったら打ち上げで好きな料理作ってあげるから明日もお願いね」
打ち上げと聞いて、二人の目に力が宿りよろよろと立ち上がる。
「私、試作であったコッコ肉の薄切りと根菜と卵を真ん中に落としたピッツァ……!」
「あ、あ、私は、えっと、あの……おしるこ……!おもちも二個!」
「僕は、うーん……ブラウンボアの肉に衣をつけて揚げたやつ、キャラーレの千切り大盛で」
「俺はブラウンボアの餡掛けがかかった焼き飯がいいっす!」
撤収準備を進めていたギルやゲイルからも声があがり、トーアは笑みを浮かべた。
ちなみにキャラーレとは、元の世界のキャベツのような野菜である。
「明日で最終日だからすごいことになるかもしれないけど、お願いね」
トーアの言葉に今日の来客数と、もっとひどいことになるであろう明日のことを考え、一様になんとも苦々しい顔を浮かべた四人だった。
だがすぐに、トーアの手料理による打ち上げが待っていることに気持ちが傾いたのか、覚悟が決まった顔をしていた。