第五章 口福と狂乱の六日間 7
小さな欠伸と共に白い息を吐きながら、トーアは露店市場へやってくる。
トーアの後ろで荷車を引くギルも少し眠たそうにしていた。
トーアの店がある袋小路に入ると、いつもはまったく人気のないはずの他のスペースが埋まっていた。それぞれが開店の準備を進めながらトーアの姿を見ると挨拶をしてくる。
販売するものは、簡単な飲み物やおつまみ、小物といったトーアの販売しているものとは違うものばかりだった。
挨拶を返しながら、内心トーアはほくそ笑む。
以前、砂糖についてジェリボルトと話し終わった後、雑談としてあることを話していた。
『この一件が成功すると人が多く集まると思うが、隣り合ったスペースが空いたままなのはもったいないような気がする』と。
すぐにどういう意図でトーアがこの話をしたのか察したのか、ジェリボルトははっとした表情の後、すぐに笑みを浮かべる。そして、『とてももったいないことですね』と返す。
はははと笑うトーアの目は笑っていなかったし、トーアの意図を察したジェリボルトの目も笑っておらず、商人としての目になっていた。
初日から出店すると他の店との兼ね合いがあるのか、半分が過ぎた四日目からの出店だった。だが、ジェリボルトはトーアの店の成功を疑っていなかったようだった。
――まぁ、私に攻撃しないほうが得ですよっていうアピールなんだけど。クリアンタ商店は結構、本気みたいだし……。
大きな通りから袋小路にあるトーアの店の近くまで、まだ空きはあるものの多くスペースが埋まっていた。
荷車を店の近くまで引いていると、すでに人が集まり列ができていた。
誰が整理したわけでもなく、粛々と列を作り待っている様子に思わずトーアから呆れたような笑いが漏れる。
料理人としての名を挙げてしまったのではという一抹の疑念がよぎるが、冒険者、鍛冶師、それに料理人が加わっただけと思い直すことにした。
並んでいる客に挨拶をしながら、すぐに準備をはじめる。
今日の朝も息が白くなるほど冷え込んでいたが、竈の前に立ち蒸気と格闘し始めると逆に汗が流れ落ちていった。
並んで身体が冷えたところに、熱々出来立ての饅頭を頬張る幸せ。朝一から並んでいた客たちはそれぞれ頬を緩ませながら饅頭を購入していく。
――暖かさもごちそうってね。
首掛けたタオルで汗をぬぐいながら饅頭を蒸していると、アンやディルのように作りの良い服装を着た少女が列の先頭に並んでいた。そばにはお付と思われる女性も立っている。
トーアの視線に気が付いたのか、少女がトーアをまっすぐに見た。
「……あなたがリトアリス・フェリトール?」
「はい、そうです」
トーアが頷くと、少女は少しだけ目を大きくして驚いているようだった。
見た目はトーアより少し年下くらいの歳で、鍔が広い帽子をかぶり、顔の半分は隠れている。
少女の視線が観察といったものに気が付いたトーアだったが、品定めされているような嫌な感じはしなかった。
出来上がった饅頭を一つずつ袋に入れて、少女に手渡す。途端に少女は年相応の笑顔を浮かべた。
「饅頭は今日までよね。明日からは何を販売するのかしら?」
「明日は……そうですね、お肉の予定です」
にっこりと笑みを作ったトーア。それに少女はむっとした顔をしたが、小さく息をついた。
「明日を楽しみにしているわ」
「はい、ご来店をお待ちしております」
少女が駆け出すとお付の女性は慌てて少女を追いかけていった。
駆け出した少女だったがすぐに息が切れ、途中から速足で大通りの端に待たせていた馬車に飛び乗る。
馬車にはたまたま時間が空いていた両親が待っており、少女が戻ってくるとほっとした顔をしていた。
「お父様、お母様、お待たせしました!」
母の隣に少女が座ると、母がわずかに眉を寄せていた。
「何もあなたが買いに行かなくてもいいのに……」
「いいえ、お母さま。噂のリトアリス・フェリトールに会ってみたかったの」
少女は早速、袋を開けて具を説明しながら饅頭を取り出し、三人で食べ始める。
驚きとともに賞賛すべき美味に少女の父と母は驚きに目を丸くしていた。
あっというまに四つの饅頭はなくなり、少女と少女の父と母は食後の余韻に満足そうに目を細めていた。
「お父様、お母様。この饅頭を作っていたのは、私と同じくらいの女の子でした」
「ああ、リトアリス・フェリトールという名前だったね」
はい、と少女は頷く。
初めてリトアリス・フェリトールと出会った少女は驚いていた。
リトアリス・フェリトールという名前はピッツァと共に知り、ピッツァが食べれないと分かった後は、父にリトアリス・フェリトールがどういった人物なのか調べるようお願いしていた。
理由を尋ねられた少女は、どういう人物なのか知りたいとだけ答える。
少女が気にしたものが、時に重要な事柄に繋がっていることがあった少女の父は、流れている噂、ギルドなどで確認されている事実を集め、情報を精査し始める。
エレハーレでのゴブリン討伐で名を挙げた後、爵位が低いとは言え貴族子息相手に灰鋭石の硬剣でひと騒動を起こした。だがそれは貴族という点を除いて考えれば、妥当な結果だと少女の父は思った。
職人が自身の作る剣に相応しい相手を求めるというのは、物語のようで一連の騒動の流れはなかなか楽しめた。
剣を使った決闘騒動の後はラズログリーンへ移り、露店市場で武具屋を始めていた。妨害行為などもあって一時期は店を閉じていたと思われていたが、それは店の位置が人気のないところに移動させられた結果だった。
現在、食品の販売を始めた意図は今までわからなかったが、こうして集客を目的としていることが薄々とわかってきていた。
「私は、こんな風に料理を作ることができません」
「それは……」
「そうだね。リトアリス嬢は恐らく、本当に子供のころから時間をかけて、ここまでたどり着けたのだろう」
言いよどむ少女の母は、少女の手を握る。少女の父も優しい笑みを浮かべながら、少女の手を取った。
少女の幼少期は生きるための努力にすべてを費やしていた。その努力があったからこそ、こうして共に出かけて美味しいものを共有する喜びを分かち合うことができた。
二人の手を握り返した少女は顔を上げる。
「だからお父様、お母様、私、もっと知りたい。家のこと、街のこと、世界のことを。まだ遅くはないと思うし……自分に何が出来るか、まだわからないから」
少女の言葉に少女の父と母は、顔を見合わせる。
トーアの料理がきっかけで、少女の中の何かに火をつけた。それは少女の父と母にとって、とても喜ばしい変化だった。
「わかった。初めは少しずつ勉強の幅を広げていこう」
少女の父はうれしさを隠さず、笑みを浮かべながら頷いた。
少女が望む限り知識を与えられる環境を少女の父は揃えることができた。そして、少女の父と母は、貴族子女に不要と言って少女の知識欲を切り捨てるような人柄でもなかった。
「ありがとうございます、お父様。あ……で、でも、リトアリスは明日からまた別の食べ物を販売するっていうから……あの……お勉強はお昼の後からでもいい?」
視線をさ迷わせ、もじもじと少女は父にお願いする。
食べ物に執着する部分は変わっていないとわかった途端、少女の父と母は再び顔を見合わせた後、小さく笑い始めた。
「も、もぉ!おいしくっても、お父様にもお母様にもあげないんだから!」
楽し気に少女の父は、頬を膨らませる少女の頭をなでる。
「ははは、ごめんよ。ここまで美味しいものであるなら、次は私と買いに行こうか」
「本当?でも、ずっと並ぶのよ?ちゃんと順番を守らないと、リトアリスは王様でも売らないって噂されてるんだから!」
頭をなでられながらも頬を膨らませていた少女だったが、少女の父の言葉に集めた噂を披露し機嫌を直したのだった。
四日目は大きな混乱はなかったが、なかなか客足が途絶えず露店市場が閉まる時間からやや遅れて完売を理由に店を閉める。
トーアたちは白兎の宿に帰り明日の準備をした後は、そのまま眠りについていた。
トーアたちが明日のため早めに眠りにつき、ゆっくりと月が真上へと昇り、ラズログリーンを照らす。
陽があたる場所は暗く、陽が当たらない場所はより暗くなる時間。
路地の奥まった場所にある酒場に一人の客がやってくる。
外套のフードを目深にかぶり、外套が体格を、影が顔を隠していた。
酒場の中は薄暗く、テーブルについている客たちも堅気とは言えない人相をしている。
客たちは新たに酒場へやってきたフードの人物を、視界に捉えながらも興味なさそうに酒の入ったグラスを傾けていた。
フードの人物は店内の客たちを一瞥し、ゆっくりと歩きながら店の一番奥に位置するカウンターへと近づき、席の一つに腰かける。
「いらっしゃい、何か飲むかい?」
カウンターに立っていた店主は、グラスを磨く手を止めずに尋ねる。
「ああ……酒を。そうだな……」
フードの人物が銀貨を机に置きながら口にした酒の銘柄に、店主は横目でフードの人物を見た。
そのあと、ゆっくりとした動作で棚から酒瓶を取り、グラスに少量注ぎ、フードの人物の前へと置く。店の中の視線はいつの間にか、フードの人物に集まっていた。
「……それで、ほかに何か注文は?」
酒瓶を戻した店主は、フードの人物の前にやや距離を取りながらも小声で話しかけた。
ここは場末と言えるほど寂れた酒場だが、ちょっとした嫌がらせから非合法なことまで、『荒事』ができる人間を紹介する斡旋所の一つでもあった。
「とある人物に痛い目にあってほしい」
店主はわずかに眉を寄せる。
様子を伺う客たちも無言のまま、視線を向けあう。
近頃は似た依頼が多く、そして、問題が多い依頼でもあった。
「その人物ってのは?」
「リトアリ……」
「お客人、それ以上は口にするな。この話はなかったことにしてくれ。酒の代金もいらねぇ」
フードの人物の言葉を遮り、店主はカウンターに置かれた銀貨をフードの人物に押し出した。
「それはなぜだ?……何か間違っていたか?」
「いや、それは問題ない。依頼の内容だ。うちで紹介できる奴じゃ、そいつは持て余す」
薄暗い場所に住む住人達の中には高ランクの冒険者に相当する腕前を持つ者たちも存在する。そして、高ランクの冒険者の中にもこういった場所に通じる清廉潔白と言い難い者たちもいた。
それでもなお、店主は断りの言葉を口にした。
フードの人物はフードの影で唖然としながら、思わずテーブルに座る客に視線を向ける。だがすぐに視線をそらされた。
誰もがこの話題を避けたがっているようだった。
「……理由はなんだ?」
「とある情報が出回っている。あんたが狙ったのは、いろいろとまずい相手だってことだ」
どうあっても店主が依頼を受けそうにないことを察する。
フードの人物が知る斡旋所はここ以外になく、かといって他の斡旋所を紹介してもらうには、テーブルに置いた銀貨では足りなかった。
フードの人物は依頼をあきらめると、銀貨を手にして酒場を去っていった。
店主はそれを見送ると小さく息を吐いた。
今日の早朝に届いたのは、こういった斡旋所を管理する組織が『腕試し』を行ったという情報だった。
『腕試し』とは、噂に上がり注目される人物の力量がわからない時に行われる『査定』であった。斡旋所の店主たちは、それをもとに依頼を受けるか、受けないかを判断する。
襲撃される側としては冗談では済まされない話だが、それでこの業界はそれぞれが身に余る危険を避けてきた。
冒険者であれば、クエスト中の行動を監視することで『腕試し』の代わりになっているため、滅多に行われることではない。
リトアリス・フェリトールと行動しているギルビット・アルトランは、『獣斬り』がかなりの力量を持たなければ失敗なくできないとして、要注意とすることが決まっていた。
だがリトアリス・フェリトールの冒険者としての情報は不透明な部分が多かった。
そのため組織に所属する力ある人物によって『腕試し』が行われることになった。
そして、その人物が手加減されるという事態に震撼することとなる。
裏の業界ではそれなりに有名で実績もあり、高い紹介料に見合った実力を有する人物だった。そのため、店主は初めはその情報を疑った。
だが情報と共に、拳の形に跡が残ったひしゃげたプレートメイルの一部が提出され、その情報の信ぴょう性が増した。
併せてそのような力量を持つリトアリス・フェリトールが、全幅の信頼を寄せるギルビット・アルトランの力量も見直された。
店主が依頼できる人間で、リトアリス・フェリトールとギルビット・アルトランをどうにかできそうな者はいなかった。
むしろ、この酒場のような簡単に依頼ができるような斡旋所では、どこも断るような相手になっていた。
「旦那ぁ、そんなにまずい相手なの?」
カウンターの影となる場所から若い女の声が響く。薄暗い店内でも特に灯りが届かず陰にあるような場所で、テーブルの半分ほどしか見えなかった。
「ああ、うちじゃ無理だ」
「あたしはどうなの?受けてもいーよ?」
女の言葉に店主は、今までのポーカーフェイスを崩し、苦々しい顔で眉間に深い皺を作る。
「お前が出張ると話がややこしくなるだろうが。それに動くなと厳重注意を受けたばかりだろ!」
「……もぉ、わーかってるって。冗談だよ冗談ー」
けらけらと笑う声に、他の客たちは不気味そうに声のする方向に視線を向けたが、すぐに逸らした。
暗闇の中で光る眼が楽し気に歪められていた。