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第五章 口福と狂乱の六日間 6

 トーアの露店出店から三日目が過ぎ、ラズログリーンの商人たちの反応はいくつかに分かれ始める。

 この状況を静観する商店。トーアとの友好を築く方法が見つからない商店も含まれる。

 火の粉が飛んでこないよう情勢を見極めつつも、状況を利用する方法を模索している所もあれば、あと三日で状況は沈静化すると考えているところもあった。

 トーアの露店を攻撃の対象とはせず、協調路線を探るもの。

 協調路線を探るもののトーアは襲撃の一件で、余計に警戒心を抱いており、状況は芳しくない。

 唯一、ジェリボルトの所属するクリアンタ商店は、トーアと友好的な関係を築いており、クリアンタ商店には遠回しな問い合わせがいくつかあった。

 クリアンタ商店の上層部は情報が漏れないよう、緘口令を敷きつつもこの混乱に乗じてビルトの独占的な契約を進め、砂糖の効率的な精製方法を模索していた。

 そして、もう一つ、トーアからの情報提供からある作戦の準備が整いつつあった。

 初日から作戦を行うことも可能だったが、それはそれで他の商店からにらまれることを危惧し、予定の半分が過ぎた四日目からの実行を予定していた。

 クリアンタ商店と懇意の商店にはいくつかの情報が伝えられており、協調して動き出すことになっていた。


「ええ、これでよいでしょう」


 ラズログリーン、クリアンタ商店の一室で、ジェリボルトはいくつかの最終確認を行い、予定通りに作戦を開始することを決める。

 クリアンタ商店の店主からはこの一件に関して、多くの権限を許されたジェリボルト。それは主にビルトから始まる砂糖事業を手にした功績からである。

 トーアが懇意にしている唯一ともいえる商人という点も大きな理由でもあった。


――さて、私たちもそろそろ動きましょう。リトアリスさんはなかなかに抜け目がないというか……単に悪意を悪意で返しているだけなのですが。


 遠回しにこの状況を利用する方法を伝えられ、他の商店は苦々しく思うだろうことはすぐに想像ができた。

 トーアにまつわる噂の一つに『善意には善意を、悪意には悪意を返す』というものを思い出し、思わず苦笑する。


「さて、あと三日。どうなるでしょうか……」


 準備を終えたジェリボルトは、仕事を終えて帰宅することにした。


 残るのは、トーアの露店を攻撃の対象としたもの。

 リステロン総合商店、バーゼッタ商会、ルステイン商会、また、トーアの露店の出店位置を奥まった場所へ移動させた商店といった他にもいくつかの商店がトーアの隙を伺っていた。

 だが今回の一件はトーアの側から思いっきり殴られたかのような状況であり、反撃の手段を模索しているが、この状況を眺めることしかできていなかった。

 そして、商店とは違う勢力がトーアとギルの襲撃の一件を重く見ていた。


 深夜、トーアは目を覚まし傍らの剣に手を伸ばす。唐突に殺気を向けられたからだ。

 部屋の中にはだれもいない。

 そっと窓から外を伺うと白兎の宿の前に、黒い外套を羽織った人物が立っていた。

 どうやらその人物が、トーアに向けて殺気を放ったらしい。

 トーアが窓から様子をうかがっていることに気が付いたのか、フードを被った外套の人物は頭を軽く振り、トーアが外へ出てくることを促した。

 少し迷ったトーアだったが、他の人達への迷惑を考えて素直に出ていくことにした。

 クエストに出発する時と同じ装備を整え、窓から外へと静かに飛び出す。トーアが姿を現すと、外套の人物はトーアに視線を向け、先に歩き出した。

 少し距離が開くと再びトーアに視線を向けた。

 どこかに連れて行こうという意図を察し、トーアは周囲を警戒しながらもついていくことにした。

 この深夜の呼び出しにどういう意図があるのか、今のところわからなかったからだ。

 外套の人物を追って、たどり着いたのは近くの空き地だった。それなりの広さがあり、土が露出している。


「それで……こんな夜中に何の用?」


 立ち止まり向き直った外套の人物に、トーアは声をかけた。

 無言のまま外套の人物は、外套の中から抜身の剣をあらわにする。

 刀身は細身で長く、黒く塗られていた。対魔物・魔獣というよりも対人向け、鎧の隙間を刺し通すことも可能なロングソードだった。

 ロングソードを握る手は金属製の籠手で守られており、防護のみならず、剣に手を添えて短槍のように扱うことを考慮しているようだった。


「その腕前、試させてもらう」


 外套の人物は言葉と共に剣を構えた。

 隙のない熟練の構えだった。襲撃の際の冒険者くずれの用心棒とは違い、正しく修練を積み、修羅場を生き抜いてきた者、独特の空気を漂わせていた。


「……何もしなければ、私は何もしないのに」


 みしりと両手に力を籠める。

 外套の人物の前に立つ時からこうなることを予感していた。奇襲という手段を取らない分、トーアは相手の出方を待っていた。

 襲撃時と異なりトーアは戦う気になった。遊んではいられない相手と踏んでいた。

 今の状態で使える身体強化系のスキルを同時に発動する。そして、意識を切り替えた。その瞬間、トーアの纏う空気が明らかに変わる。

 トーアの身にまとうそれが自身と同等、それ以上の修羅場を潜り抜けてきたことを外套の人物は察し、息をのんだ。

 ゆっくりと踏み出し、トーアは両手を構える。

 何千、何万と繰り返してきたことがうかがえる、ぶれることない迷うことなき流麗な構え。今まで剣を使ってきたトーアが格闘の構えを見せたことに外套の人物は一瞬、動揺するがその動揺を同じ速度で飲み込んだ。

 外套の人物がわずかに踏み込み、トーアの間合いの外から剣をふるった。

 瞬間、乾いた金属の音が響く。

 なにが起こったのか、一瞬、外套の人物は理解できなかった。

 わずかに散った火花。自身の太刀筋がずらされたことは分かった。それがどのように起こされたのか、遅れて理解する。

 速度ののった剣の側面を手甲で強打し、そらされたのだ。捕縛や戦場で武器を失った際における格闘術ではありえない防御だった。

 外套の人物は驚きを押し殺し、再び対峙する。


「さぁ、私の腕試しをするんでしょう?」


 僅かに笑みを浮かべたトーアは、外套の人物に手を向け、招く。


「……では、遠慮なく」


 再び振るわれた剣撃も同じように手甲でそらされる。様々な角度、タイミングでもって剣を振るったとしても避けられ、逸らされる。

 なんという超絶の技巧か、外套の人物は内心うなっていた。

 わずかにしなる剣の切っ先を目でとらえるなど、ありえなかった。月があるとは言え夜に、刀身を黒くし外套を羽織り、身体の動きから見切りにくくしていても、それはトーアにとって何の障害にもなっていなかった。

 外套の人物は幾度も剣をふるっているうちにあることに気が付く。トーアが対峙した場所から一歩も動いていないことを。


「なんということだ……」

「じゃぁ、そろそろ」


 思わずといった具合に外套の人物から言葉が漏れる。その言葉を拾ったかのようにトーアが答えると一歩、踏み出した。

 トーアの間合いに入った外套の人物は片手を剣に添え、トーアに向かって剣を振るった。

 だがあっさりとトーアはそれを避け、さらに一歩距離を詰められる。

 互いの最適といえる間合いのさらに内側へ、迷うことなく脚を進めるトーアに外套の人物は目を見張る。思わず足先へ剣先を向け止めようとするが、脛だけではなく足先まで守られたレガースにはじかれた。それによりさらに距離を詰められる。


「な……」


 異常な距離に外套の人物は声を上げる。格闘を扱うといっても適正とは言えない距離、互いの腕の中ともいえる距離だった。

 とん、と防ぐこともできず、がら空きになった脇腹にトーアの拳が当てられる。

 触れているだけとも言える状態だったが、その瞬間、外套の人物に薄ら寒い感覚が走った。


「ふっ……!」


 小さな呼気が聞こえた瞬間、外套の人物の体がくの字に折れ曲がりながら斜め横へ浮き上がった。

 外套の中は音が出ないように細工されたプレートメイル、その下には同様の加工が施された鎖帷子を着込んでいる。外套は対魔法のコーティングがされたもので、直撃を受けなければ多少は無理が効く逸品だった。

 打撃、斬撃、刺突、魔法、おおよそ必要な防御はそろっているはずだった。だが、トーアの一撃は衝撃。外套、板鎧、鎖帷子は全く意味をなさなかった。

 それらを着込み、重たいはずの外套の人物が、つま先立ちになるほどの衝撃が内臓を震わせながら突き抜ける。


「げぇっ……!?ぐっ……」


 内臓を直に揺らされた外套の人物は思わず膝をつき、胃から登ってきたものを吐き出した。

 これほど大きな隙を与えてはいけないと、本能的に立ち上がった。

 だがトーアは外套の人物が立ち上がってから距離を詰め始める。明らかに外套の人物が体勢を整えるのを待っていた。

 外套の人物が距離をとるために剣を振るが軽やかに避けられ、再び至近の距離に踏み込まれる。

 剣に手を添え、それを迎撃しようと外套の人物は剣を振った。だが、手甲によって大きくはじかれ、続けてがら空きの脇腹へ抉るようなフックが突き刺さった。


「がぁっ……!?」


 鈍い打撃音と金属音ともに外套の人物の身体は、先ほどとは逆方向のくの字に折れ曲がり苦悶の声が漏れた。

 打撃対策を気にしないと言い切るような拳は、外套の中で板鎧をひしゃげさせていた。


「ぐぅぅっ……」


 片手で足りるほどしか経験したことのない打撃に、膝から崩れ落ちそうになった外套の人物は渾身の力で耐え顔を上げる。

 その瞳には左の拳を振り上げたトーアの姿が映り、目を大きく見開いた。

 振り下ろされた拳は、鈍く重い打撃音とともに外套の人物を打ち抜く。外套の人物は低空を横に回転しながら飛び、わずかな金属音を響かせて地面へと落ちた。


「がっ……あっ……ぐっ……」


 外套の人物に最初に戻ってきた感覚は、右の側頭部が焼けるように熱い事だった。強い衝撃に脳が揺らされたのか、立っているのか倒れているのか一瞬わからなかった。ぐるぐると回る視界に地面が映り、倒れていることを遅れて理解する。

 かろうじて手放さなかったロングソードをしっかりとつかみなおし、四つん這いになって外套の人物は何とか立ち上がろうともがく。

 荒い息を吐きながらなんとか顔をあげると、トーアは構えを解いて待っていた。

 外套の人物が驚きに固まっていると、トーアは小さく肩をすくめた。


「まだやる?」


 その一言に、戦いに手心を加えられていることを外套の人物は察した。荒くなった息をなんとか整え、よろめきながらも立ち上がった。


「いや、もう充分だ……私が先に去ろう」


 そういって外套の人物は壁に手をつきながら、路地の闇へと消えていった。

 しばらく周囲の様子をうかがっていたトーアだったが、外套の人物の気配は完全に消え、辺りに他の気配はなかった。言葉通りに去っていったらしかった。

 残心の姿勢を解き、どういう意図でこのようなことになったのか考え始める。

 外套の人物の太刀筋は本気のものだったが殺意はなかった。言葉通り腕試しということらしいが、トーアにとってはどこまで加減してよいか難しい話だった。

 最後はそれなりの力で殴りつけてしまったが、立ち上がってくれたことに内心、ほっとしていた。

 すでに月が斜めになる程度には遅い時間ということもあり、理由を考えることをあきらめたトーアは、手近な屋根に上り白兎の宿へと戻る。

 途中、完全武装のギルが屋根の上で待っており、トーアの姿を見ると表情を緩ませた。


「腕試しだってさ」

「何もこんな夜中に来なくともいいと思うけどね」

「うーん……まぁ、事情があるんでしょう」


 外套の人物の装備を思い返したトーアは、深く考えることをやめていた。

 どう考えても堅気の人間が持つようなものではない、暗闇に紛れて戦うことを前提とした装備の数々。三度の打撃で外套の下には、チェーンメイルとプレートメイルを合わせて着込んでいることをトーアは察していた。


――そういう方面に話が強い人を知らないし、下手に藪をつつく必要もないしね。


 これ以上、ちょっかいをかけられないことを願いつつ、二人は宿へと戻った。




 トーアとギルが白兎の宿に気配もなく戻ってくるのを、テナーは自室から息を殺し隠れて見ていた。

 テナーはトーアに向けられた殺気に目を覚まし、気配を消して外の様子を伺っていた。

 ベテランに足がかかるほどの腕前という評価をされた現役時代。引退した今は現役の時のように戦うことは難しいが、斥候職を務めた経験からか今でも気配には敏感だった。

 宿の外に立っている刺客と思われる人物は、現役時代のテナーでも苦戦するであろう力量を持っていた。

 トーアの部屋に行くべきかと迷っているうちに、クエストで出かける格好をしたトーアが部屋の窓から音もなく降り立った。

 その瞬間、体に鳥肌が立ち、耳と尻尾の毛は逆立つ。


――あれは何?


 恩人でもあるトーアが戦うところをテナーは見たことはない。

 街で暮らすテナーが、そのような場面に行き当たることはなかったからだった。

 トーアの腕前についても噂で聞いた程度で、どういったものかは全く知らなかった。

 だが自然体で立つその姿、それでいて全く油断を感じさせない所作。思わずテナーは息をのむ。

 もし現役時代であっても、対峙することは何としても避けるべき相手だと、冒険者としての経験からくる勘も、兎の亜人としての本能も告げていた。

 トーアの力量から心配することはないだろうと思っていたが、すぐにギルも外に出て軽々と屋根に飛び移り、トーアを待ち始める。

 成り行きだけでも見届けようと隠れたままでいると、案の定、トーアは何事もなかったかのように屋根伝いに戻ってきた。

 二人が宿に戻ったのを見届け、テナーはベッドへ戻り横になった。

 途端、長く息を吐いた。

 考えてみればトーアとギルが、異様な人物であることはところどころに表れていた。

 冒険者のランクでは推し量れないなにか。必要だからという理由で様々なものを作ってしまうトーア、それを当たり前のように受け止めているギル。

 二人のことは知らないことが多いが、あえて知ろうとしなかったのは無意識に踏み込むことを恐れていたのかもしれなかった。

 それでも日頃のやり取りや、『餡掛けおこげ』をはじめとしたトーアに救われたという事実は、不安感といったものをテナーに抱かせなかった。


――不思議な人たち。


 悪い人間ではない、こちらが悪意を向けなければ。

 ミリリアーナから聞いたトーアとギルにまつわる噂を思い出しながらテナーは再び眠りについた。

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