第五章 口福と狂乱の六日間 2
翌々日、全ての準備を終えたトーアは荷車を引いて露店市場にやってくる。ともにやってきたギルも荷車を引いていた。
トーアが大量に何かを持ってきたことに、出張所の担当者は驚きつつもいつも通りに対応した。
「おはようございます、リトアリスさん。お貸しできるのは……」
「ああ、わかってます。いつものところですね。今日はそこととなりの二つ、合わせて三か所を貸してください」
トーアの申し出に出張所の担当者は一瞬、固まる。出店したとしても人が来ないような場所に三つも借りる理由がわからなかったからだ。
「それとそのスペースを今日から六日間貸してください。あと、食品の販売を行います」
トーアは話しながら、必要な手数料を机の上に積み上げていく。呆気に取られていた担当者は、慌てて手数料の計算を始めた。
一定の期間、露店のスペースを借りるのは正規のやり取りであり、大通りに面した店のほとんどが先払いでスペースを借りている。
今回、トーアが六日間先に借りる事にしたのは、今後の人の動きによって露店位置をずらされないため、先手を打った形になる。
計算を終えた担当者から金属板を受け取り、出店する位置を再度確認する。
「……リトアリスさん、大丈夫なんですか?」
辺りを確認した後、担当者は声を潜めてトーアに尋ねた。
どこか顔は不安げで、トーアが自棄になっているのではないかと心配しているようだった。
「ええ……勝算はあります。あ、気になるのであれば休憩時間にでもいらしてください」
トーアは笑みを浮かべて、声を潜めて答える。トーアの自信ありげなように担当者は訝しみながらも頷いた。
出張所を出て荷車を引く、ギルと共に露店の位置へと移動する。
「ここ……?いや、なんというか、すごいな」
「うん、あからさまでしょ?」
奥まった位置になる事にトーアは困ったように笑う。ギルも同じように笑い、肩をすくめた。
露店の中へギルが引いていた車輪付きの小型石窯を運び込む。その向かい側に、トーアが引いていた荷車を運び込んだ。
トーアが引いた荷車は、フロント側の三分の一ほどが地面に近い位置からトーアの目線ほどの高さまで引き戸がついた棚になっていた。
棚の壁面には金属でできた容器が埋め込まれており、容器の中に入った水を魔法で凍らせることで中の物を冷蔵できる、移動式簡易冷蔵庫になっている。
幾つかの材料は中に入っているものの、大部分はトーアのチェストゲートに収納されている。
荷車の後部の三分の二に乗せられた、調理台兼道具入れや、注文口兼会計の組み立て式の机をトーアとギルは協力して下ろす。
「氷の状態を見たら、残りの荷物を持ってくるよ」
「うん、お願い」
氷の状態を確認したギルは残っている荷物を持ってくるため、白兎の宿へと戻っていった。
駆け足で白兎の宿へと向かうギルを見送り、トーアは最後に軒先に店の看板を掛ける。
「よし、窯が温まったら試しに焼いてみようかな」
今日のトーアの髪型は細身の三つ編みを左右に二本垂らし、先端にはリボンがつけられている。
エプロンもいつもの黒ではなく白で、清潔な雰囲気になるよう心掛けた。
石窯に火を入れ様子を見ながら、冷蔵庫から生地や具材を取り出しやすいように調理台に並べていく。
トーアが今日から六日間のために用意したものは、身に着けている服、提供する料理の材料だけではなく、それらを運搬、調理するための調理器具の全てだった。
一日目と二日目に使うのは、耐火煉瓦を使ったドーム型で、小型ながらも調理に十分な火力を確保でき、大きめの車輪を取り付けたことで石畳の上であれば容易に移動が可能な石窯。
壁面に内蔵した金属容器の中の水を、魔法で凍らせることで冷蔵を可能にした移動式の簡易冷蔵庫。
冷蔵庫と一体化し、引手を折りたたんで脚にすることで省スペース化を実現し、後部にはさらに荷物などを載せて運搬可能な専用荷車。
六日間の調理に必要な様々な調理器具と、それらを収納し、折りたたんだ机を広げることで調理台とすることができる道具箱。
組み立て式にすることで、運搬を容易にした長机と長椅子。
飲食スペースで使う木皿と食器類。
料理の簡単な説明と値段が書かれたメニュー。
何より、一日目・二日目の店名である『ピッツェリア・フェリトール』と書かれた看板。
他にも作成したものはあるが、今日、明日と使うことになるのは主にこの道具たちだった。
何もなかったはずの露店スペースが、自身の作った物で一瞬でピッツァを提供し食べることが可能なスペースに変貌する。
その光景に胸の高ぶりとともに達成感を覚え、トーアは思わず頬を緩ませていた。
「ふふふ……」
「トーア、声が漏れてるよ」
「いやぁ……つい」
いつの間にか戻ってきていたギルに呆れられながら、緩んだ顔のまま石窯に一枚目のピッツァを投入する。
具はラカラソースとチーズ、ベーコンを全体に散らしたシンプルなもの。
ピザピールと呼ばれる棒の先に円盤が付いたもので、石窯にピッツァを入れたり、出したり。火に対してピッツァの位置や向きを調節し焼き加減を均一にするための道具である。
次第に辺りには小麦の焼ける香ばしい匂いと、チーズとベーコンが焦げ付く香りが広がり始めた。
「たまらないなぁ……」
飲食スペースの準備を終えたギルが、石窯から一番近い席に座り香りを堪能していた。
傍にはトーアが作成し、プレゼントしたナイフとフォークが用意されている。その様子にトーアは笑みをこぼす。
しばらくして絶妙な焼き加減のピッツァをピザピールで取り出し、平たい木皿に乗せ、ギルの前にそっと置いた。
「おまたせしました、『ベーコンピザ』です」
チーズはふつふつと泡立ちつつも程よくキツネ色に焦げ付いており、ベーコンも浮かんだ油がぷちぷちとはじけていた。
生地の外周は濃いきつね色に焼きあがっており、ナイフを差し込めば硬い感触とともにぱりっと音を立てる。
「熱々のうちにどうぞ」
「いわれるまでもなく。いただきます……あつっ……」
ギルはテーブルにピッツァが置かれた瞬間から、ナイフとフォークで手早く切りとってくるくると巻き、口に運んだ。
「っ~……いやぁ、至福だ……焼きたてあつあつのピッツァをそのまま口に放り込む……」
口を動かしながら冷えないうちにと、再びピッツァを切り取り口に運んでいた。
ギルが幸せそうに食べる様子に、トーアは頬を緩ませながらそろそろ来るであろう人達に合わせて石窯にピッツァを入れ始めた。
「あー!ギルさん、ずるいですよ!」
しばらくしてギルが二枚目のピッツァを食べていると、露店に到着したフィオンが声を上げる。
後ろにはゲイルとガーランド達、『餡かけおこげ』で試食を頼んだ冒険者たちが立っていた。
フィオンとゲイルにはガーランドたちの案内を頼み、店の場所については、出張所で確認してほしいとお願いしていた。
ガーランドたちには今回販売する商品の試食を依頼し、好評だったものを販売するメニューに採用していた。
「トーアちゃん、私にも『ベーコンピザ』ください!」
「フィオーネ、抜け駆けはダメだぞ」
いそいそとヴォリベルを先頭にやってきた冒険者たちが露店の前に並び始める。
「皆さん、おはようございます。ピッツァはもう少しで焼きあがりますが、お願いしていた件を早速、やってもらえませんか?」
「それは構わないが、本当にそれだけでいいのか?」
先頭に並んでいたヴォリベルが首をかしげた。
試食とは別に依頼していた件をトーアは早速お願いする。
「はい。皆さんがおいしそうに食べる姿を見れば誰だって気になります。それが見たこともない食べ物だったら、なおさらです」
ちょうど焼きあがった『ベーコンピッツァ』を四つに折って粗末ながらも質の良い紙に包み、ヴォリベルに差し出した。
「どうぞ、『四つ折りベーコンピッツァ』になります」
「わかった。リトアリスがそういうのなら、協力しよう」
焼きあがったピッツァを四つに折り、食べ歩きができるものにする。そして、ガーランド達に人通りの多い所で食べ歩きしてもらう。いわば宣伝を兼ねたサクラを頼んでいた。
『ベーコンピッツァ』と生臭ものが食べれない種族・主義・宗教の人向けにはラカラソースと生のラカラ、相性の良い根菜を乗せた『ベジピッツァ』を用意している。
ピッツァを受け取った冒険者たちは、ピッツァに頬を緩ませつつ露店市場へと散っていった。
――正直なところ、お願いした私も半信半疑というか、うまくいくか半々といったところだけど。
発案したトーアもうまくいく確証はなく、その先にある作戦もこの食べ歩きによる集客がうまくいかなければできなかった。
「あとは結果を待つだけかなぁ」
「トーアちゃん、ダメだったらここでピッツァパーティを始めちゃえばいいんじゃない?」
「フィオン、それは自分が食べたいだけでしょ?」
「えへへ……」
誤魔化すように笑うフィオンの前に焼きあがったベーコンピッツァを置く。
店に残ったギル、フィオン、ゲイルには、もし人がたくさん来たときに備えて、列整理や会計、最後尾の案内をお願いしていた。
四人でピッツァを食べながら、雑談していると早速、サクラを頼んだ冒険者が戻ってくる。
「おぉい、リトアリス、客を連れてきたぜー」
「はーい、いらっしゃいませー」
サクラを頼んだ冒険者の知り合いだという冒険者は最初、怪訝そうな顔をしていた。だが料理を作るのがトーアだと聞いて、トーアの顔と連れてきた冒険者の顔を何度も見比べる。
「おまっ、なんでリトアリスと知り合いなんだよ!?噂のアレ、食べたってことかよ?」
「ははは、実は馬車護衛の依頼で一緒になってな……いやぁ……うまかった……」
「あの、噂ってなんですか……?」
またどんな噂が出回っているのかと、若干肩を落としながらトーアは尋ねる。
「ああ、リトアリスがふるまう料理は絶品だって噂があってな」
「嘘とかじゃねぇから。いつも食ってるはずの材料からあんなスープが出来上がるなんて、夢か幻かと思ったが……夢じゃなかったぜ……」
恍惚とした表情でしみじみと呟く冒険者に、連れてこられた冒険者は僅かに距離をとる。
「まぁ、それだけじゃないが。異界迷宮で一緒に寝泊まりしたときも、スープとか料理をふるまってるだろ?それが冒険者の中でちょっとした噂になってるんだよ」
「なるほど。皆さん喜んでくれているので、つい頑張っちゃうんですよね」
連れてこられた冒険者の話に頷き、料理を任されて期待に応えるのはやぶさかではなかったトーアは、つい張り切ってしまったのを思い出す。
「そうだ……そのリトアリスの料理が今日から六日間、ここで食える。列に粛々と並び、金を払えば……」
どこか真剣な様子で呟く冒険者から、連れてこられた冒険者はあからさまに距離をとる。
「とりあえず、こちらをどうぞ」
「おお、熱々ってのはいいな。この頃寒くなってきたし」
料金を受け取り、四つ折りベーコンピッツァを連れてこられた冒険者に差し出した。
連れてきた冒険者も追加でピッツァを頼んでおり、そちらも四つに折って渡した。
連れてこられた冒険者を皮切りに、サクラを頼んだガーランド達の知り合いの冒険者や住人、通りすがりに声をかけられ案内してきた者もいた。
「どうぞ、おまたせしました」
「おう。出来立てってのはやはりいいな」
虎と思われる獣人が熱い四つ折りピッツァを受け取り、口角を上げる。
そして、大きな口を開けてかぶりつき、顔を離すと伸びたチーズが口とピッツァに橋をかける。
その光景にあたりからは歓声があがる。
「すぐに焼きあがるので、もう少しお待ちください」
冒険者たちにトーアの料理はうまいという噂と共に、『王様でも貴族でも礼儀正しく列に並ばなければ料理は食べれない』というトーアが口にしたルールも伝わっているらしく、店に来る客は粛々と列に並んでいた。
もしルールを破ろうものなら、屈強な冒険者たちから袋叩きに遭いかねない状況というのもあるのかもしれなかった。
――よしよし、いい感じに列が伸びてきたね。
どれだけ手早くピッツァを焼いたとしても、提供するまでに時間がかかった。
そのため、途中からフィオンが先頭のほうから注文を聞き、ギルが会計、ゲイルは最後尾の看板を掲げるという方法で列を整理している。
今では奥まった場所から、人通りの多い通りまで列が届き始めていた。
列の最後尾でゲイルが看板を掲げていると、通りかかった住人が声をかけてくる。
「なぁ、この行列は……何なんだ?」
住人は行列の先を見ようとして体を伸ばすが、先は見えなかった。
その質問にゲイルは大仰に、辺りに聞こえるように答える。
「おっと、知らねぇんですか?いま話題の食い物『四つ折りピッツァ』が食べれるのはここだけ!この列だけですぜ!」
ゲイルの答えに住人は、時折露店市場で見かける郷土料理という名のゲテモノ料理かと考えを巡らせる。
そういったものは話題性はあるが当たりはずれが大きく、ここまで列が生まれる料理とは思えなかった。
「ほら、あれですぜ」
ちょうど列の先があるであろう方向から歩いてきた冒険者らしき男が、手にしたものにかぶりついていた。
顔を離すと湯気と共にとけたチーズが糸を引き、男は目を細めて至福の笑みを浮かべる。
その光景に思わず住人は喉を鳴らした。
「今からじゃぁちょっと待ってもらうかもしれねぇですが、その代わり熱々をかぶりつけやすぜ。あと、ここだけの話なんすが……ピッツァは今日と明日だけの販売らしいですぜ」
「こいつは、いくらなんだ?」
「銅貨五枚ですぜ!」
掲げた看板には最後尾と言う文字の他に、『四つ折りピッツァ』、『野菜のみのものもあります』、『銅貨五枚』と売り文句と価格も書かれていた。
「時間はあるし、並んでみるか」
「ありがとうございやす!明後日には別の料理を出すって、店主のリトアリス・フェリトールが言ってやしたんで、是非ごひいきに!」
ゲイルの大きな声での説明は、周囲の人々に列を並ぶ決意を抱かせるに十分すぎるものだった。
トーアが説明していた二つ目の作戦が、ものの見事に的中している事にゲイルは舌を巻く。
「こいつはぁ……残る事はなさそうっすね」
売れ残ったら白兎の宿でピッツァパーティだ!とトーアが言っていた事を思い出しつつも、嬉しい悲鳴だなと笑みを浮かべた。