第二章 ウィアッド 8
ブラウンボアを狩ったという話が広まっているのかトーアが村の中を歩いていると、すれ違う村人達から、褒められたり、心配されたりと様々な反応があった。
特に洗濯場で一緒になった女性達からは、ため息混じりに心配されたが誰も止める人は居なかった。
ノルドの鍛冶屋に到着し店に入るが、店内にノルドの姿はなかった。
「ノルドさん?」
「ああ、トーア。ディッシュの旦那から伝言を聞いたのか?」
店の奥から顔を出したノルドの問いかけにトーアは頷く。
「狩りに行くと言ったときは驚いたけど、狩ってきたブラウンボアを見てまた驚いたよ。あそこまで傷がないブラウンボアも珍しいよ」
「小さい個体でしたけど、皮は使えそうですか?」
「ああ、もちろん。いつもは矢傷やら罠の跡で使えるところは限られていたからね。正直、皮が良すぎて何に使おうかちょっと迷ってるところさ。それでだ、トーアにお礼としてエレハーレに行く時に使う鞄でもプレゼントしようかと思ってね」
「……え?ノルドさん、私、銅貨三枚しか持ってないですよ?」
「プレゼントって言ったろ?無料でいいよ。そうだなぁ……やっぱり肩下げのものよりリュックサックかな、動きを邪魔しないし」
リュックサックは恐らくトーアが身につけているウェストポーチよりも遥かに高額な商品であるはずなのにそれを無償で渡すというノルドの大盤振る舞いにトーアはめまいを感じて頭を押さえた。
――ウィアッドの人たちは人が良いと言うか……私に良くしすぎなんじゃないかな……嬉しくない訳ないけど……。
リュックサックを品定めするノルドにトーアは近づく。今はリュックサックよりも別の物が必要だった。
「ノルドさん、その……リュックサックよりも武器を貰うことはできませんか?」
「武器?あー、身を護るものも必要だね」
短剣が並ぶコーナーへとノルドは足を向けるが、トーアは小さく首を振った。
「ノルドさん、身を護るのではなく、戦える武器をください」
トーアの言葉にノルドは向き直る。表情には驚きが表れていた。デートンと話したいきさつを説明するとノルドは眉を八の字にして腕を組んで悩んでいるようだった。
「トーアは短槍が得意なんだっけ?」
「特に短槍がって訳じゃなくて、一通り扱うことは出来ます。ディッシュさんのところにあった物で狩りに使えそうなものは短槍か剣かと思ったんです」
「今回はディッシュの旦那からかりた剣は予備で短槍をメインに使ったという事でいい?」
「はい」
ちょっと待っていてとノルドは店の奥へと入って行った。待つ間、トーアは店内で武器が並ぶ一角に近づいた。
――やっぱり……ウィアッドじゃ武具の依頼なんて少ないのかな?置いてあるのは見本のものがほとんどっぽい。
適当な長さの槍でも見繕うか、ディッシュから再び武器を借りれるか聞いてみようかと考えているとノルドが店の奥から戻ってきた。手には30cmほどの長さのものと、もう一方よりも半分程度の長さの剣らしき物があった。
「これは僕の鍛冶の師匠から教わったレシピをディッシュの旦那達、ウィアッドの狩人の意見を取り入れて作った試作品の山刀なんだ。長いほうは木の柄を差し込めば短槍や槍にもできるようになってる。乱暴に扱うことを前提としているから刃は厚く、頑丈に作ってある。だから剣というよりも鉈や小斧をイメージしてもらえばいい。さぁ、見てくれ」
ノルドが差し出した長いほうの山刀を受け取る。
柄は刃の部分と一体化した金属製で、筒状に成形されていた。目釘を刺す為の穴が二つ開いており、トーアの拳二つ分の長さがあった。
僅かな鞘走りの音と共に山刀を抜く。幅広の刃は厚く片刃で峰に反りはなくまっすぐに伸びていた。大きな切っ先を持ち、刃全体が上辺が斜めになった縦に長い台形状になっている。ノルドの言葉の通り、鉈のようにずしりと重量を感じる。
――これは……確かナガサ。柄が筒状だからフクロナガサか。確かに狩りに持っていくのには適した物だと思うけど……なんだか気合が入りすぎた感じがする……。
ナガサとは山刀の中で剣鉈と呼ばれる部類の刀剣で、マタギと呼ばれる熊狩りの狩人達が愛用したものである。
もう一方も長さは半分ほどだが刃の作りは同じで柄が木製になっていた。柄付ナガサと呼ばれる物でフクロナガサでは難しい、解体などの細かな作業に向いていそうだった。
鉈のように扱って道をふさぐ枝を切り落とす、短槍や剣のように獲物を狩る、包丁のように獲物を解体・調理することも可能と言う万能山刀がこのナガサである。
厚く強く鍛えられた刀身は激しい使用にも耐えることが出来ることが予想できた。トーアは全体を眺めた後、フクロナガサとナガサを鞘へと収めた。
「試作品と言ってもちゃんと実用に耐えるものだから、使い心地を教えて欲しいな」
「……わかりました。ありがとうございます」
要求して遠慮するのは失礼とトーアは思い、二つの剣を受け取る。
ノルドはトーアの肩に手を置いて、顔を覗き込んでくる。その表情は今までで一番真剣なものだった。
「……トーア、いいか?ちゃんと戻ってきて、使い心地を僕に教えてくれよ」
「はい……もちろんです、ノルドさん」
ノルドの言った言葉の真意を察してトーアはノルドを真っ直ぐ見て頷いた。無事に戻って来いというノルドなりの言葉だと思う。
「よし。じゃぁ、リュックサックはこっちをつかって」
「え……そんな、二つも剣を貰っているのにそれは……」
「狩った獲物を入れるものは必要だろう?」
チェストゲートがあるので鞄は要らないとはトーアは言えず、なし崩し的にリュックサックを受け取ることになった。
底と蓋部分は革になっており、リュックサックの大部分は幌馬車に使われるような頑丈な布が使われていた。ディッシュも似たようなデザインのリュックサックを使っていたことからノルドが得意なつくりなのだとわかる。
トーアが背負うのに丁度良い大きさで、動きを阻害しないが内部の容量は大きかった。
更にノルドはおまけと言って様々な大きさの革袋や布袋数枚、頑丈な縄を取り出して鞄に詰め込む。思い出したようにフクロナガサを短槍にしたてる為の目釘や、トーアにあわせた長さの木製の柄を店の奥から持ってきた。
「あの……ノルドさん、いいんですか?こんなに貰ってしまって……」
「ああ。まぁ、先行投資みたいなものさ。トーアが狩りに行くのなら、またいい毛皮を狩ってきてくれるかなってね。まぁ、怪我しないで戻ってくるのが一番だから無茶はしないようにね」
「……わかりました。無茶をしない程度にがんばってみます」
ノルドの意図にトーアは微笑んで鞄を受け取った。その後、礼を言って鍛冶屋を出て宿へと戻る。
割り当てられた部屋に入り、受け取ったものをチェストゲートに収納した。フクロナガサもチェストゲートへ入れていつでも取り出して身を守れるようにしておく。
その後、宿で夕食の配膳を手伝い、湯を浴びて、一日の仕事を終える。
トーアはホームドアで柔軟をした後、竈でお湯を沸かしてお湯で身体を拭く。ホームドアに干していたタオルは乾いていた。そして、チェストゲートに仕舞っていたタオルはまだ湿り気を帯びていたが生渇きと言った匂いもなかった。結論としてホームドアは時間が経過し、チェストゲートは時間が経過しないというCWOと同じ結果を知ることが出来た。
その後、トーアは狩りの疲れのためか日記を書き終えるとすぐにベッドに入り眠りにつく。
翌日は朝食の配膳と洗濯物の運搬を手伝った後、ノルドから受け取った装備に身を包む。
フクロナガサは森の近くで短槍にすると考えてリュックサックを背負い短槍の木の柄を持ち、宿の裏口から調理場へと顔を出す。
丁度、デートンとエリンが休憩しているところだった。
「デートンさん、狩りに行ってきます」
「ああ。気をつけて行ってくるんだよ」
「トーア、カテリナが危ないと思ったらすぐに戻るように言っていたよ」
「はい。無茶をして怪我をしたら元も子もないですから」
「そうだね。ちゃんと戻ってくるんだよ?ああ、昼食を一応持って行きな」
エリンの言葉に頷き、トーアは昼食のサンドイッチを受け取り、宿を出てディッシュの家と向かう。
ディッシュの家の扉を叩くと、ディッシュが顔を出した。トーアの装いを見て狩りに行くことを察したようだった。
「いいか、トーア、危険だと思ったり、まだ行けると思った時は引き返すんだぞ」
「はい、ディッシュさん。……カテリナさんにも同じようなこと言われましたよ」
「そ、そうか?」
洗濯場で別れるときにカテリナに言い含められた事を思い出してトーアが微笑むとディッシュは誤魔化すように頭をかく。
その姿にトーアは笑みを浮かべる。
「ホーンラビットかファットラビットを数羽狩ったら戻ってきます。夜の宿の仕事もありますから」
「ああ。気をつけてな。ブラウンボアを見かけた時はできるだけ避けろ。前のようにうまく行くとは限らないからな。ブラウンベアが出た時は慌てずに静かに逃げろ」
「はい」
トーアは頷いた後、ディッシュの家を後にする。
ブラウンベアと出遭うようなことは早々にないと思っていた。そもそも木にも登ってくる相手には気づかれる前に逃げるしか避ける手段はないと思うのだがと、トーアは困ったように笑いながら森へと向かった。
森の近くでフクロナガサを抜いて、持っていた木の柄に付け目釘で固定する。何度か振り短槍の調子を確かめていると誰かが近づいてきていることに気が付き、短槍を降ろした。
「なぁ、ちょっといいか?」
声をかけてきたのは昨日、情けない声を上げながらブラウンボアを解体したウィアッドの若い男達の一人だった。
トーアは不審に思いながら青年に向かい合う。
「その格好……森に入るのか?森はディッシュさんかデートンさんの了承がないと……」
「デートンさんから許しは貰ってます。ディッシュさんにも狩りに行くことを伝えてあります」
トーアの言葉に青年は目を見張った。
昨日の今日で一人で狩りに行くことを許されたことに驚いているようだった。
「それだけですか……?では……」
青年に軽く会釈をしてトーアは森の中へと歩き出す。木の陰からそっと青年の様子を窺うと驚いた表情のまま固まっていた。
少しだけ森の中に入り、青年の姿が木々によって見えなくなったのを確認して、トーアはパーソナルブックをポケットブックサイズで手の中に現して、周囲の地図をARウィンドウで表示させる。
ARウィンドウの表示設定をトーアのみ見えるようになっているため、もし見られたとしてもただ立ち止まっているようにしか見えない。
トーアが最初にたどり着いた森の聖域はウィアッドから真南の方向に位置し、昨日ディッシュと共に入った方向は南東側を歩いていた。今日は南西側に向かってみようと方向を確認し、パーソナルブックを閉じる。
周囲を確認しながらトーアは森の奥へと進み始めた。
行き先をふさぐ枝や植物を避けて進み、魔獣の痕跡を探しながら進む。植物はフクロナガサで切り払っても良いがそれだけ疲労もするし、音で魔獣が逃げたり向かってくる可能性があった。
森は妙な静けさがあった。鳥の鳴き声もしないし虫もいない。肌に緊張したピリピリとした空気を感じながらトーアは注意して森を進んでいく。
少し離れた開けた場所に生えた背の低い木の葉を食む巨大な兎、ファットラビットを見つけて風下に回るように移動する。
ファットラビットは大人が抱えるほど大きな兎で見た目に反して俊敏で、その重量の体当たりはやすやすと大人を吹き飛ばすほどのものだった。
風下に移動したトーアは草陰からファットラビットの様子を窺う。ちょうど背を向けており、不意打ちのしやすい状態だった。ブラウンボアと同じように後ろから飛び掛り、仕留めようと短槍となったフクロナガサを構える。
タイミングを見計らい、ファットラビットの背後からトーアは飛び掛る。
だが飛び出した瞬間にファットラビットは何かに気が付き、近くの茂みに飛び込んだ。
トーアの振り下ろしたフクロナガサが地面に刺さる。
「な……」
何が起こったのかと、ファットラビットが飛び去る瞬間に向いた方向に顔を向けると木々の間から明らかに興奮状態のブラウンボアが飛び出し、トーアを視界に捕らえると躊躇なく向かってくる。
凄まじい速度で突進してくるブラウンボアをトーアは短槍を抜き横に転がって避ける。
ブラウンボアはそのまま止まろうともせず、トーアの後ろにあった木に衝突した。大きな衝突音を響かせながら木が大きく傾き、軋んだ音を立てて折れ、倒れていく。
「っ……」
ブラウンボアの突進の威力にトーアは息を飲み、すぐに立ち上がって短槍を構える。
その間にブラウンボアも頭を振りながら体勢を立て直していた。
地面を蹴るブラウンボアの大きさは昨日、狩ることのできた個体よりも大きく成熟した個体であることが窺えた。高さはトーアの胸ほどまであり、黒の混じる体毛と口の横から生えた牙は鋭く尖っていた。
息を整えて短槍を掲げるようにして構え、ブラウンボアが再び突進し始めるその瞬間をトーアは待つ。
「ブゴォッ!!」
「やぁあぁっっ!!」
鳴き声を上げながら突進してくるブラウンボアに向かってトーアは低く前に飛び、正面から短槍をブラウンボアの眉間に突き刺す。二度目のごつりとした骨を貫いた感触を感じながら、トーアは突き刺した短槍を支点にして飛び込んでくるブラウンボアの身体を前宙で飛び越え、短槍から手を離して着地する。
「ブゴォォォォッ!!?」
ブラウンボアは勢いのまま土を巻き上げながら開けた場所を転がり、横倒しのまま動かなくなっていた。ナガサを抜いてトーアはブラウンボアが死んだことを確かめる。
絶命していることを確かめ、トーアは息を吐いた。
「はぁ……あぶ……危なかった……」
不意をつくはずが不意を突かれ、そのまま戦闘とは今のトーアにとってやってはいけない戦い方だった。
息を整えようと呼吸を続けるが、心臓が早く脈打ち、身体が熱くなってくる。
動かなくなったブラウンボアに近づくと頭部に突き刺さった短槍の柄が途中から折れて使い物にならなくなっていた。突き刺した後、盛大に転がった時に折れたのだろうとトーアは短槍を抜いて、フクロナガサの部分の刃や柄の状態を確認する。フクロナガサ自体に損傷はなく、頭蓋骨を貫いた刃先も潰れることなく鋭いままだった。
目釘を抜き柄をはずしてフクロナガサを鞘に納める。傍らに倒れこんだブラウンボアを眺め、どうやって持って帰ろうかとトーアは腕を組む。
とりあえず村の近くまでチェストゲートに入れて近くなったら取り出して誰かを呼び行けばいいだろうか、と考える。血抜きと内臓の処理に使うノルドから受け取った縄を取り出すために鞄を降ろそうとする。
背後から木の枝を折り、草を鳴らす音にトーアはブラウンボアを背にしてフクロナガサを抜いて振り返る。
「な……なんで熊が……いや、まさか……ブラウンベア……!?」
草陰からのっそりと歩いてくるのは茶色の体毛が全身を覆う熊、ディッシュの話から間違いなくブラウンベアが姿を現していた。