第五章 口福と狂乱の六日間 1
翌日から準備を始め、数日後にはトーアはメニューを決め、必要な機材もほぼ完成させた。だが決定打となるものを探し、トーアはラズログリーンの街に出ていた。
「うーん……やっぱり高い。でもこれができるなら生臭ものが食べれない人向けに目玉になると思うんだけど……」
調味料を専門に扱う商店で、トーアは独り言を口にする。
トーアの目の前にあるのは価格が書かれた表で、そばには見本として少量の調味料が小瓶に入れられて並んでいた。
さきほどから見本の一つである砂糖と、値段の書かれた表に視線を向けて唸っている。
砂糖はやや茶色の残る代物で、値段は買えなくはないが露店で販売するには高価なものだった。
――さすがに自分で精製すればいいけど、流石に……いや、素材さえ見つかれば……これはこれで商売になりそうな気がするなぁ。
様々なレシピを持っている事で商売の種はどこにでも転がっていた。そのことにひきつった笑いを浮かべながらトーアは野菜を扱う商店へと向かった。
だがトーアが探している植物が見つからず、再び悩み始めていた。
「……ジェリボルトさんに相談してみようかな」
この調味料で商売をする気はないが、もしかしたら市場にすさまじい影響が発生しかねないものだった。
――既存であるものだし……ジェリボルトさんなら市場を理解しているだろうから滅多な事もしないと思うし。
レシピを対価にジェリボルトに調達を頼んでしまう事にする。
自分を納得させたトーアは、トーアの動向を監視する商店に気が付かれないようにジェリボルトと接触することにした。
その日、ジェリボルトはクリアンタ商店で、自身の執務室の窓を開ける。
ヴォリベル経由でトーアから手紙を受け取り、この日の夜に窓を開けておくように書かれていたからだった。
ジェリボルトはトーアを取り巻く状況をある程度把握しており、襲撃を受けた事、撃退した事も知っていた。
それについての相談と言うことなのだろうと思っていたが、それがどうして窓を開けておく事につながるかわからなかった。
トーアが何らかのアクションをとるまで、仕事をしようと窓に背を向ける。
「こんばんわ、ジェリボルトさん」
「ッ!?」
かけられた声に慌てて振り返る。
窓の傍には外套のフードを下ろしながら、申し訳なさそうに笑みを浮かべるトーアの姿があった。
ジェリボルトは一瞬、この部屋が三階に位置する部屋である事、トーアの気配も部屋に入り込んだ音も全くなかった事が頭をよぎる。
だがトーアが初めて名を上げたゴブリン討伐より前、ブラウンベアを単独で討伐するような冒険者であったことを思い出した。
「リトアリスさん、驚かせないでください」
「すみません、私にもいろいろありまして」
「……そのようですね」
いろいろという含みに、襲撃のことを察したジェリボルトは頷きながら窓を閉めた。
そして、こうして夜に忍び込んできた理由を尋ねる。
「それはですね、この植物を探してほしいのです」
「これは……?」
トーアが外套の中から取り出した紙を受け取る。
形の悪いカメト――蕪のような根菜――のようなもので、周りには特徴として注釈が書き込まれていた。
「対価はこれを使った調味料のレシピでは、どうでしょうか?」
「……これが調味料になるのですか?」
トーアは頷く。
ジェリボルトは、すぐにこの価値を考え始める。
突然のトーアの提案。報酬はレシピ。王国を回っているジェリボルトでも、この出来の悪いカメトのような植物を見た事はなかった。
「あ、もしかしたら、この部分はここまで大きくはないかもしれないです。キャラルくらいの太さの可能性もあります」
根の部分を指さし追加で説明するトーア。
こういったレシピを元にした詐欺は実際にあり、小金を手に入れた貴族や若手商人が引っかかることもあった。
しかし、今までの付き合いでトーアが詐欺をするような人物とは思えなかったし、そこまでお金に執着するような様子もなかった。
「……どういった調味料なのですか?」
思わず交渉の肝となる部分を尋ねてしまう。
交渉としても商人としても失格だが、あえてトーアがぼかして言う理由を知りたかった。
「うーん……まぁ、ジェリボルトさんなら滅多な事はしないと思いますし、正直、断られると他に頼れる人もいないので……」
トーアは少し困ったように笑った後、弱味を正直に口にする。
手招きされ、意図を理解したジェリボルトは身長差から僅かに腰をかがめた。そして、この出来損ないのカメトがどう言ったものに化けるのか知る事になった。
「砂糖です」
「なっ……!?」
耳元で囁かれたものに思わず、身体を起こして声を上げてしまう。
すぐにトーアは自身の口元に指を立てる。
「どうでしょうか?」
「いや、それは……本当なのですか?」
砂糖は友好国である南方の隣国からの輸入品としてこの国に流通している。昔に比べれば流通量は多くなり、多少は値は下がった。平民でも少量であれば貯蓄をして買える代物になってはいた。
だが高価な嗜好品としての面が強く、貴族の口にする菓子類はこれをふんだんに使ったものが多い。
もし、この出来損ないのカメトが国内で栽培されていた場合、国内で砂糖の生産ができるようになる。
さらに精製量にもよるが輸送費・関税をかけるよりも、価格が大幅に下がる可能性が高い。砂糖市場がまさにひっくり返る事になりかねなかった。
ごくり、と喉を鳴らすジェリボルト。
「これがどういう危険を含んでいるか、わかってもらえましたか?」
「はい……」
正直に言えば、危険すぎる。
トーアがこれで商売を始めれば、いくつの商店が店をたたむことになるのか。そして、友好国であるとはいえ、南方の隣国に対しても『砂糖』という外交のカードを切り崩せるきっかけになりかねなかった。
だがレシピをジェリボルトに渡すと口にした、つまりコレを商売にする気はないと言っているのも同然だった。
「リトアリスさん、どうしてです?うまくいけば叙爵さえ、ありうるかもしれない……」
砂糖の生産と販売で国を盛り上げた事、外交の切り札を国内で手に入れるようにした事を功績として、一代限りだが貴族に叙爵される可能性もあった。
「ああ、そういうのではなくて……単純に安く砂糖が欲しい。それだけです」
トーアの口からでた、欲のない答えにジェリボルトは膝から崩れ落ちそうになる。
だがトーアらしいとも思ってしまった。
「ああ……もちろん、ジェリボルトさん個人としてこのお願いを聞いていただいても結構です。私は砂糖が安く手に入ればいいので」
僅かに油断していたジェリボルトは顔を強張らせた。先ほどまで考えていた叙爵の可能性が自分に転がり込んでくる。
混乱するジェリボルトだったが、どこか冷静な商人としての思考がこれはトーアに試されていると囁いた。
個人として受ける場合、商人として利に敏いととられるか強欲ととられるか。
クリアンタ商店の商人として受け取る場合、逃げ腰な商人ととられるか慎重な商人としてとられるか。
弓を引き絞るかのような緊張にジェリボルトは、喉を鳴らした。
数瞬の間に、トーアがどちらの回答を好むか、自身が個人として受けた場合のメリットとデメリット、この話をどうやって上司であるクリアンタ商店の店主に話すかなどいくつもの仮定が、ジェリボルトの頭を駆け巡る。
「いま、この場でお答えすることは難しいです。店長に確認してもよろしいですか?」
「もちろん、構いません。でもできれば急いでほしいです」
ジェリボルトが答えるとトーアは笑みを浮かべる。
その後は連絡は白兎の宿に商品の納品時に店の者を通して伝えると決めると、トーアは再び窓から飛び出していった。
思わず窓に駆け寄るが、すでにトーアの姿はどこにもなかった。
「……ふぅー……」
それを確認するとジェリボルトは、どさりと椅子に座り込み、大きく息を吐きだした。
トーアの笑みを見る限り、正しい選択を選んだかのように思える。後にも先にもここまでの決断をすることはなさそうだった。
先ほどのやり取りを思い返していると、反省とともに汗が噴き出してくる。
「大商いは歓迎ですが……」
驚かせるのは少し勘弁してほしいジェリボルトは、苦笑いを浮かべ汗をぬぐった。
気を取り直した後、早速、トーアが置いていった紙をとり、情報を探るよう手配を始める。
個人か商店で話を受けることは別として、この話を断ると言う選択は初めからなかった。
ジェリボルトへ依頼した件がわずか数日で見つかったと言う連絡が来る。
白兎の宿に見つけた野菜を届けてもらう。名前は『ビルト』でCWOと同じだった。
――思ってたのより、根の部分が細いなぁ……。
葉の部分を食用として市場に出そうとしていたところを、クリアンタ商店が商品価値の査定をしていたらしい。
流通前の商品なので大量に用意することは難しいとのことだったが、トーアが必要とする量を手に入れるには問題がなかったらしく、木箱に満載した量をジェリボルトは用意してくれていた。
白兎の宿の裏庭でトーアは精製を開始する。
が、精製を高い効率で行うには、石灰・炭酸ガスによる不純物の吸着、特殊な素材によるろ過が必要だった。
「まぁ……高望みはしないということで……ほぼ誤差だよ。味に……アイテムランクに影響があったら考えよう」
懸念としてはあまり大きくない事と、品種改良というものをしていないため、糖があまり含まれていない可能性があった。それでも他の植物に比べれば含有量は高いはずだった。
CWOでは各種調味料は普通にNPCの店で販売しており、あまり高い金額ではなかった。それでもプレイヤーが精製を行うのは、高いアイテムランクを必要としたからだった。
仕方ないと自分に言い聞かせながらトーアはビルトの表面を洗い、葉の部分を切り落とす。
試しにと、切り落とした葉をそのまま口に運ぶ。葉野菜独特の青臭さの後に、ほんのりとした甘さが口に広がった。
――灰汁になるえぐみがほとんどない……前の世界の甜菜と同じ、とは考えない方がいいかな。
届けられたビルトを軽く水洗いし、葉や傷んだ部分を切り落とす。次は大きな大根おろしで簡易竈の上に置かれた鍋へと擦り下ろしていく。
鍋にはすでに水が半分ほど入れられ、火にかけられていた。
火加減を調節しながらくつくつと煮込み、ビルトの糖分を煮出す。
鍋が一杯になるまですりおろした後は、水を継ぎ足し灰汁をとりながら煮込み続ける。
じっくりと煮込んだ糖液を木綿の布を使って濾し、残った繊維を取り除く。取り除いた繊維は、ホワイトカウなどのエサにもなるが、今はチェストゲートにそのまま放り込んだ。
別の鍋に濾した液体をさらに煮込み、水分を飛ばして結晶化させていく。
ほんのりと黄色の色味がついた結晶ができたところ、少量を口に運んだ。
「……うん、甘い。雑味もほとんどないし……アイテムランクもほどほどに高いかな」
石灰を必要とするかと思ったが、思いのほか悪くない出来栄えだった。だが正直なところ、もう少しどうにかなるかもしれないとも思ってしまう。
チェストゲートの中に放り込まれた素材の中には、精製に必要な石灰石や岩塩があった。素材としてはより純度の高い精製のための石灰と炭酸ガスが用意できる環境にある。
――あー……塩酸の電気分解が必要だし、それを保管するガラス瓶がすぐには用意できない……窯ができたからガラスを加工することはできるけど。
素材はあっても【錬金術】の施設があまりそろっていないため、トーアは今は諦める事にした。
ある程度、煮詰まった後は板の上に広げて乾燥を進め、最後は紙で作った袋に入れてチェストゲートに放り込んだ。
翌日、砂糖を精製できたことを、白兎の宿にやってくるクリアンタ商店の店員を介してジェリボルトに報告する。
その日の夜に再びクリアンタ商店のジェリボルトの部屋にトーアは忍び込んだ。
精製した砂糖とビルトから砂糖を精製するレシピを渡すと、ジェリボルトはビルトを定期的にトーアに渡すと口にする。
「いいんですか?」
「はい、もちろんです。今はこれくらいしかできませんが……安定して砂糖の精製ができるようになった際には、ビルトではなく砂糖をリトアリスさんには無償でお渡しいたします」
断ろうとしたトーアだったが、どうしてもと言われ、あっても困る事でもなしと頷くことにした。
窓から出て屋根伝いに白兎の宿に戻り、ホームドアでこれまで進めた準備を確認する。
ジェリボルトにビルトを探してもらっている間、いくつかの根回しと材料の準備は完了していた。
「よし……明日は砂糖を使って最後の準備をして、明後日から始めようかな」
砂糖が手に入り、準備も詰めに入っていた。
今まで作った材料は全てチェストゲートに入っており、作った設備の試運転も何度かしている。
――できる事はしておかないとね。
ガーランド達、試食を手伝ってくれた冒険者たちに幾つかお願いする事を考えながら、トーアは眠りについた。