第四章 妨害工作 6
時間は少しだけ遡る。
トーアが露店市場で苦戦している頃、ギル、フィオン、ゲイルの三人はギルドの裏にある広場に来ていた。
フィオンとゲイルの訓練のためで、三人にとっては日常的な事だった。時折、露店市場に行かなかったトーアが参加することがある。
ギルの主導で行われる訓練は、CWOでアビリティレベル上げに行われるものを無理のない範疇に調整したものだった。
内容は【戦闘基礎】のレベルを上げながら、二人が主体とする武器のアビリティレベルを上げる訓練を行っている。
フィオンは【剣】と【盾】、ゲイルはもともと使っていた【剣】と新たに【槍】の訓練をしていた。
【槍】の訓練を始めたのは、ゲイルの身体の使い方が槍や短槍といった長物を扱うのに適しているかもと、トーアとギルが薦めたからだった。
最初は半信半疑といった具合で訓練を始めたゲイルだったが、今ではいままで扱っていた剣よりも槍のほうが熟達した扱いをしていた。
二人が訓練をしている間、ギルは訓練の監督であったり、模擬戦の相手をしている。トーアが来ている時は二人で模擬戦を行ったりして、身体が鈍らないよう気をつけていた。
その日、三人が予定していた訓練を終えて柔軟体操をしていると、ギルドの方から制服姿の女性ギルド職員が広場へとやってくる。
「ギルビット・アルトランさんは、いらっしゃいますかー?」
「はい、ギルビットですか、どうかしましたか?」
広場を見渡しながら声をかけるギルド職員に、ギルは軽く手を振る。
すぐにギルに気が付いたギルド職員は駆け寄ると、窓口に指名依頼を希望する依頼人が来ていると話した。
「指名依頼?」
「はい。どうしてもギルビットさんに依頼したいとのことです。それも会って依頼内容を説明したいとか」
その依頼人から裏の広場にギルがいるから呼んできてほしいと頼まれ、人のよいギルド職員はこうしてギルを探しにきたらしい。
訓練を終えて後は帰るだけのつもりだったギルは、話を聞くだけでも済ませておくことにした。
フィオンとゲイルに視線を向けると柔軟を終えて、帰り支度を整えていた。
「ギルさん、私たちに気にせずどうぞ」
「わかった。二人は先に帰っていて」
「待ってやすが、いいんですかい?」
「ああ……どれくらいかかるかわかないし」
ギルの言葉に頷いた二人は、広場の出口へむかっていく。自分の荷物を持ち用意を整えたギルは、ギルド職員と共にギルドへと向かった。
ギルドの建物に入り、窓口の近くに来たギルド職員は困惑した様子で足を止める。
「あれ……?こちらでお待ちくださいと言ったんですが……」
辺りを見渡す様子に依頼人の姿が見当たらない事をギルは察した。すぐにギルド職員は少し待っていてくださいと言って、カウンターの中に入り他の職員へと確認をし始める。
ギルド職員が戻ってくるまでギルは、何気なくギルドの中を見渡す。
日が沈みはじめたこの時間帯はクエスト報告のための冒険者の姿が多く、成果や噂話に興じる者達もいた。
しばらくしてギルを呼んだギルド職員が申し訳なさそうな顔で戻ってくる。
「ギルビットさん!申し訳ありません!依頼を出したいと言った方はその……いつの間にか、帰られてしまったようでして……」
「そうですか……まぁ、急用ができたのでしょう。依頼が出されたという訳でもないですし……」
何度も頭を下げるギルド職員に、気にしていないことを告げてギルはギルドを後にする。
フィオンとゲイルと別れてそれなりの時間が経っているため、追い付くことは考えずに白兎の宿へゆっくりと歩き始めた。
指名依頼を出したいという依頼人が突然帰る理由が思い当たらず、不思議に思いながらも大きな通りから路地へと曲がる。
ギルもまたトーアと同じように周辺の地理を把握したため、近い道を通り移動するようになっていた。
明日は何をするか考えながら歩いていたギルだったが、真横から僅かな殺気が放たれる。
何かが来るか確認することもなく反射的に真後ろに跳んでいた。
意識が戦闘時のものに――それも奇襲するようなのが相手である事に――半ば全力の領域まで切り替わる。
いままでいた場所にこん棒のような木の棒が振り下ろされるのを見て、すぐに冷静になった。
殺すつもりはない武器の選択に不審に思いながらも、路地から姿を現した五人ほどの男達に目を向ける。
「襲い掛かってきた理由くらい口にしてもいいんじゃないかな」
様子を見ながらもギルは気安く話しかけた。無言のまま男達は手にしたこん棒や太い薪のようなものを構える。
それなりの緊張は強いているようで、男達はギルから一定の距離を保ったまま近づこうとはしない。
その動きを不審に思いながら、ギルは半歩前に踏み出した。
それでも男達は襲い掛かってくることなく、ギルはさらに足を進めようとした。
「っ……!」
一番近くの男が決死の表情で木の棒を僅かに突き出し、ギルの動きをけん制する。ギルはすぐに身体を引いて木の棒の届く距離から離れた。
そのやり取りで男達はギルを、ここから先に行かせないための時間稼ぎをしていることに気が付いた。
時間稼ぎをする理由を考え、思い当たったのは先に帰ったフィオンとゲイルが同様に襲われている事だった。
――ゆっくりしている場合じゃなさそうだ。
トーアが営業妨害をされたことや、外に出る度に尾行している人間がいることから、こういう事態がいつか起こるという懸念はトーアとギル、二人にはあった。
その対策と自衛の手段を、フィオンとゲイルには教え込んでいたが、実戦を行うにはまだ早いと思っていた。
状況を把握したギルは、男達に向かって真っすぐに歩き始める。
武器も持たず無防備に近づくギルに、男達は驚き身体をびくつかせた。
ギルに最も近い男が、近づいてくるプレッシャーに負けたのか声を上げながら木の棒を振りかぶりギルへと踏み込んだ。
上段の大振りな一撃を半身になることで避け、がら空きの腹部にギルの拳がめり込む。
「ぐげぇぇぇっ!!?」
鈍く重たい打撃音と共に襲い掛かった男の身体がくの字に折れ曲がり、僅かに浮き上がる。ギルが拳を離すとそのまま膝をついてお腹を抱えた。
「馬鹿っ!近づくな!あれはそこらの冒険者とは違うんだぞっ!」
後ずさり距離をとった男達を横目に、膝をついた男が取り落とした木の棒をギルは拾い上げる。
そして、そのまま膝をついたままの男の首元へ添えた。
「っぅっ……!?」
痛みに震えていたはずの男がそれだけで動きを止める。
ギルから向けられた威圧もあったが、首に添えられた木の棒が刃物になった感覚に陥っていた。それも自身の首をあっさりと切り落とせるほどの業物に。
さきほどまで自身が握っていたのは確かに木の棒であった、だが持ち主が変わっただけでそれは凶器へと変貌していた。
身体中から脂汗が噴き出し、男の顔から滴り落ちていく。
周囲の男達もギルからの威圧に動きを止めざるを得なかった。動けば仲間の首が落ちるのではないかという緊張を強いられていた。
「さてと時間が惜しいから早く誰に頼まれたか教えてほしい。恨みを買った事はないはずだけど……今は話せるだろう?」
添えた木の棒を僅かに揺らす。
呼吸が満足にできないのか、身体を僅かに揺らしながら膝をついた男は辺りの男達に助けを乞うように視線を向けた。
様子を見守る男達は、視線を交わし合い話すかどうか迷っているようだった。
その諮詢の時間を許さなかったギルは僅かに木の棒を浮かせる。
木の棒が自身から離れた理由を察した男はぐっと身体をこわばらせた。
「わかった!わかった!!正直に話すから待ってくれ!!」
「もちろん」
周囲の男達の言葉にギルは木の棒を止める。
「俺たちが頼まれたのはルステイン商会だ!」
「頼まれた内容は?」
「そ、それは……」
僅かに言いよどむ男に、ギルは息をついて僅かに眉を寄せた。
「ここに座るのは誰でもいい……意味はわかるかな?」
遠まわしに『次の犠牲者は誰だ?』と問うと、辺りの男達は大きく後ろへと下がった。
「わ、わかった!フィオーネ・マクトラルとガルゲイル・グランドンを襲えって依頼だ!だが、あんたがいちゃどうすることも出来ねぇ!だからこうした!」
「理由は?」
「それは……り、リトアリス・フェリトールから離れさせるためだ」
ルステイン商会というのは聞いたことがなかったが、目的がトーアを孤立させるためだと知り、すっとギルの目が細められた。
「なるほど……じゃぁ、通してもらおうかな」
膝をついた男から木の棒を離したギルは、散歩に出かけるかのような足取りで笑みを浮かべ歩き出す。男達は僅かに身体を動かすが、笑顔のギルの目が笑っていない事に気が付き、それ以上前に出る事はなかった。
ギルが男達の包囲から抜けた後は次第に足を速め、最終的には二人に追いつくために走り出した。
ギルが駆け出した頃、フィオンとゲイルは路地の異様な雰囲気に気が付き、足を止めていた。
大きな通りから外れているとは言え、それなりに人の通りがあるはずの場所だった。
「ゲイルさん、何かおかしくないですか?」
「確かに……」
あたりは異様なほど静かで、大通りの喧噪がわずかに聞こえてくるほどだった。
静けさと共にじっとりと肌にねばりつくような空気、魔獣の住まう森に入り込んだような緊張があたりに漂っていた。
フィオンとゲイルは頷きあうと、訓練のために持っていた木剣と盾、短槍をいつでも使えるように握りなおす。そして、周囲の気配を探り始めた。
二人はトーアとギルの訓練により、周囲の気配を探る術も狭い範囲であれば、ある程度探ることができるようになっていた。
事前にトーアを取り巻く状況の説明を受け、トーアを疎ましく思う人間から何らかの行動があるかもしれないことを知っていた。そういった情報を踏まえ、この異様な雰囲気に二人はすぐに戦う態勢を整える。
がちがちに緊張しながらではなく、クエストで森に探索に出かけたように周囲に注意を払い、何があっても対応できるように一定の緊張を保ちながら、二人は路地を進み始める。
ゆっくりと進んでいると、路地から木の棒を手にした男達が姿を現した。
二人が警戒しながら進む様子から奇襲を諦め、囲い込む作戦に切り替えたようだった。
木の棒を手にした男達が姿を見せた瞬間、ゲイルが前に立ち、フィオンが後ろを向いた。
「何だ、てめぇら!?」
ゲイルが怒声を上げるが、正面に立つ男は鼻で笑う。
「フィオーネ・マクトラルとガルゲイル・グランドンだな」
男の問いかけに二人は答えず、僅かに腰を落とし身がまえた。
「リトアリス・フェリトールに関わるな。そうすれば、俺たちは何もしない」
男の発した言葉に、二人はぴくりと顔を上げる。
「なん……」
「そんな事、聞けない」
ゲイルが怒声を上げる前に、フィオンがとても低い声を漏らした。
「あなた達が何なのか、誰に頼まれてそんな事を言うのかは知らないし、どうでもいい。でもそれだけは聞けない」
背を向けていたはずのフィオンが怒りに満ちた顔でゲイルの前に立っていた。
今までフィオンの穏やかな面だけを知っていたゲイルは、フィオンの怒りを露わにした姿に、抱いた怒りが急速に静まり冷静になる。それほど、フィオンが怒りを露わにすることはとても珍しい事だった。
「トーアちゃんとパーティを解消した私は私の意志でどこにも行けるわ。でも、まだ私は恩を返していない。恩を返さずに離れるなんてこと絶対にしない!そんなことしたら私が私を許せない!!」
エレハーレで出会い、そして、冒険者として一人で立てるよう手を引いてくれた。あのトーアとの出来事を思い出すたびに、フィオンは傲らずに強くなることが恩返しと努力し続けている。なにより、いつか対等な関係で共に戦える事を目標にしていた。
それを嘲笑うかのような言葉に、フィオンは怒りを露わにする。
言葉と共に構えたフィオンの姿は、胸を染める怒りを一切漏らさずに乱れのない綺麗な物だった。
「俺もそうさ。何も成せないまま、野垂れ死ぬしかなかった俺にも手を差し出してくれた恩がある。その恩を返したいが仇を返しちゃ……男じゃないぜ!」
フィオンの代わりに後ろを向き、短槍を構えたゲイル。その姿もまた乱れも隙も無いものだった。
剣よりも短槍の訓練時間は短いものの、生来の相性の良さ、トーアとギルの効果的かつ効率的な鍛錬、なによりゲイルの意志が実を結んでいた。
「来なさい!」
「来い!」
二人の気迫に追い込んだはずの男達は、思わず身体を引いていた。話に聞いたランクFの冒険者と侮った結果だった。
「ちっ……なら話が早い!やっちまえ!」
男の上げた声に、周囲の男たちは怒声を上げてフィオンとゲイルに向かって突っ込んでいく。