第四章 妨害工作 5
迫りくる男達を気にせずにトーアは一歩踏み出す。
その足取りはとても軽く、散歩に出かけるかのようだった。
最初に突っ込んできた男の攻撃を、避けながら別の男へといなす。悲鳴を上げひるんだ男に数人の脚がとまった。
その脇を悠々と歩きながらトーアは、リーダーと思われる男へ向かう。
このような互いの距離が近く、狭い場所での戦闘は、トーアが師事したサクラが修めた戦闘技術が主眼の一つに置いた状況だった。
一対多、戦場での乱戦、洞窟内や建物の隙間といった閉所、崖や山脈という不安定な環境など、自身に不利な環境での運用を想定していた。
『戦場では武器は鈍り、折れることもある。だが鍛えた肉体と積み重ねた技術は簡単に失われない。なにより向かってくる相手が新たな武器を持っている』と、いう理論の元にくみ上げられた技術体系を持ち、無手または武器を使用して相手の武器を利用、奪取、破壊することで状況を打倒または無力化し、何よりも生き残る事を目的としていた。
CWOの中でとは言え、免許皆伝となったトーアにとって、街のチンピラまがいの男達数十人に囲まれた状況は、危機でも何でもなかった。
次々に襲い掛かってくる男達をものともせず、攻撃を避け、いなし、時に木の棒で吹き飛ばす。
徐々に詰められる距離にリーダーと思われる男の表情は徐々に余裕のないものに変わりつつあった。
「くそ!くそっ!くそっ!!契約だろ!助けろ!」
路地に向かって叫ぶと先ほどから動かなかった存在がのっそりと姿を見せる。
「ふん……初めから俺が出てたほうがよかったんじゃねぇのか?」
軽口をたたきながら出てきた男はトーアが見上げるほど長身で、みっちりと筋肉が詰まった身体は壁のようだった。
その大きな体のせいで男が手にしている剣は普通の長さに見えたが、実際には長剣の類だった。
長剣の鍔には剣帯が巻かれて固定されており、抜くつもりはないようだったが、あれだけの長さの鋼鉄の塊を叩きつけられれば、木の棒で殴られるよりも致命的な事になりえた。
――あたりどころが悪ければ死ぬでしょ。アレ……。
鞘は金属で補強がされており、剣ではなく鈍器と言ってもおかしくはない代物と化していた。状況が面倒くさいことになってきたトーアは口をとがらせる。
「用心棒……って訳?」
「まぁ、そういうことだ。悪いがおとなしく痛めつけられてくれ」
用心棒の男が滑らかな動作で構えると、周囲の男達は距離をとりながらトーアと用心棒の男を囲いこんだ。
用心棒の男が戦う姿勢をみせた事で、辺りの空気が緊張で重々しい物に変わる。あたりの男達はその空気に呑まれたのか、微動だにせず二人の様子を見守ることしかできなかった。
だがトーアは構えもしていなかった。木の棒を持った手をだらりと下げ、用心棒の男を視界にとらえつつも、様子を伺う辺りの様子をしっかりと把握していた。
そして、用心棒の男は動かない、正確には動けなかった。
ただ無造作に立っているように見せるトーアに、どう打ち込んでも避けられるイメージしか湧かなかったからだ。
互いに間合いに入っており、いつでも、どこからでも剣を振えるという距離。じっと剣を構えたまま動かない用心棒の男を不思議に思い、トーアは小さく首を傾げる。
その所作が男の癇に障ったのか、用心棒の男は剣を振り上げトーアに向けて振り下ろした。
さきほどまであしらってきたごろつきとは異なる、経験を積み重ねた鋭い一閃。僅かに笑みを浮かべたトーアは、半身になり剣を避ける。
あらかじめ避けられるつもりだったのか、すぐに用心棒の男は剣を横に薙ぎはらう。その攻撃さえトーアは余裕を持ちながらも、ぎりぎりで避けた。
用心棒の男が繰り出す攻撃をトーアが避けるたび、剣には殺意が乗り、痛めつけるという目的からかけ離れていく。
狙う場所も次第に末端から体の中心、頭など、致命的な場所を狙うものに変わっていった。
フェイント、そして、渾身ともとれる一太刀が繰り出されるが、すべてトーアは余裕をもって避け続けた。
――確かにそこらで大きな顔が出来る腕前だけど……鍛錬が足りない。
『成せなかった者』、冒険者崩れであろう用心棒の男の剣撃を、避け続けながらトーアは冷静に観察していた。
周囲の男達はいつの間にか手にした木の棒を下げ、固唾を飲んで二人の戦いとも言えないものを見続けている。
観察を終えたトーアは正直、攻めあぐねていた。手にした木の棒でどうにか出来る相手ではあるが、どうやって雇用主を言わせるか名案が浮かばなかった。
考えながらもやや大振りの攻撃を右へのステップで避ける。
今の一振りは当てる気配がなく、別の意図が隠されている事に気が付いた。
続けて振われた攻撃はトーアへ当てるつもりのものだったが、右へと避ける。
避けながらも周囲の状況を再度確認し、次は左へ小さく避けた。
続けざまの攻撃を避けながら、トーアは用心棒の男の目的を理解する。
――なるほど……それが必殺の一撃って訳。
内心、感心しながらトーアは再び右へと攻撃を避けた。
用心棒の男の『必殺の一撃』に気が付いている事を悟られないよう、自然な動作で攻撃を避け続ける。
大振りな袈裟斬りを右へよけて着地した瞬間、用心棒の男は顔に笑みを浮かべた。
「もらった!」
声と共に用心棒の男は大薙ぎを繰り出す。
トーアが着地したのは壁とつまれた木箱でこれ以上、右や後ろへ避けられない場所だった。
左から迫る長剣はまさに必殺の一撃となる。
その状況下で頬を吊り上げ笑みを浮かべたトーアに、用心棒の男はぎょっと顔をこわばらせる。すでに長剣の重さに速度が乗り、簡単に止めることができない状況だった。
長剣が届く数瞬の間にトーアは壁へと飛びつき、そのまま蹴って反対側へと側宙の要領で跳んだ。
宙を舞うトーアの頭の下を、長剣が通り過ぎていく。
用心棒の男は軽業じみた回避に、大きく目を見開きながら体勢を僅かに崩す。
その瞬間を逃さず、トーアは宙に居ながら男の顎先を狙って木の棒を横へ振った。
上体を反らして回避しようとする用心棒の男の顎先を僅かにかすめて木の棒は振り抜かれ、トーアは軽やかに着地する。
「へ……あんな姿勢でろくな、こう、げ……き……」
姿勢を整えた男がトーアに迫ろうとしたが、突然、呂律が回らなくなり身体が揺れたかと思うとゆっくりと白目を向いて、膝から崩れ座り込む。
一歩近づいたトーアは用心棒の男の服の襟首をつかみ、そっと地面へ横たえた。
トーアの力で振り抜かれた木の棒は、用心棒の男の顎先をかすめた際に十分な衝撃を頭蓋に伝えていた。衝撃に脳を激しく揺らされた結果、用心棒の男はあっさりと意識を遥か彼方に飛ばしていた。
横たえたのは流石にその状態で硬い地面に倒れ込ませるのは気が引けた、トーアの優しさだった。
「は……?」
呆気ない静かな幕切れに、リーダー格の男は口を大きく開けて間抜けな声を上げる。
呆然とするリーダー格の男の目に、土煙を上げるほどの跳躍で迫るトーアの姿が映った。
息を飲み、身体を翻して逃げ出そうとしたリーダー格の男の首を、空いている手でつかみ着地と同時に地面へと押し付ける。
「ぐぅっ……!?」
「じゃぁ、少しお話しましょう?他の人は動かないでね。どうなるか、わかるでしょ?」
リーダー格の男は首を押さえられているトーアの手に、異様なほどの力が込められている事を感じ、辺りの男達に動かないよう叫び声を上げる。
「お話の内容は簡単。誰に……ううん、どこにこんな事を頼まれたのか、話してほしいな」
「それはっ……」
仕事の契約上、簡単に話せる訳がなかったが、トーアが僅かに指に力を篭めるだけで、リーダー格の男の口は恐ろしく軽くなった。
「ば、バーゼッタ商会だ!」
「バーゼッタ商会?」
聞いたことのない――トーア自身、あまり商店の名前を知っている訳ではなかったが――店の名前に聞き返すと、ラズログリーンでは知名度はほどほどにあり、商店と有益な契約を結びつつ独立させたい若手も多く在籍している。そのため迷宮伯からの補助金を狙い、露店市場や店で大きく売り出しているらしい。
他にもそういった目論見を抱えた商店が、急に名をあげて注目されるようになったトーアを煩わしく思っているとリーダー格の男は付け加えた。
リーダー格の男の話で、襲撃の際に気が付いた事である「複数のグループが妨害や排除を目的に協力せずに行動をしているのでは?」という推測の裏付けが取れた結果になった。
市場で考えていた時は、単独の商店または商人を前提に考えていたため、妨害と排除という方向性の異なる行動に説明が付かなかった。
だが複数の商人、商店がばらばらに行動を起こしているのであれば、この混沌とした状況がわかりやすいものになった。
「そういうこと……」
「頭角を現してきたあんたを目の敵にしている商店は多いぞ、それにあんたと一緒にいるフィオーネ・マクトラルとガルゲイル・グランドンを襲えって依頼も……」
「は?」
トーアの口から漏れた短い一言とともに、場の雰囲気が変わる。
先ほどの用心棒の男との攻防の時よりもさらに重く、呼吸ができないほどの圧があたりを満たす。
「っぅ……!!?」
辺りの男達は微動だにできなくなった。
その圧を間近で受ける事になったリーダー格の男は呼吸をしていないかのように動かなくなり、全身から冷たい汗が噴き出していた。
リーダー格の男が経験してきた修羅場の雰囲気がお遊びとも思える状況に、短く荒い呼吸をトーアに悟られないよう静かに繰り返す。
「どういうこと?」
先ほどの“お話”とは全く異なる硬質で冷たく研ぎあげられた金属を思わせる低い声色に、どれだけの逆鱗に触れてしまったのかリーダー格の男は一瞬で理解した。自身の命がこの受け答えにかかっている事もまた同時に理解する。
「ち、ちがう!俺達じゃねぇ!依頼を受けてたのは別の奴らだ!そっちの件と俺たちは全くの無関係だ!おなじ縄張りに居るやつらの動きはおおよそ把握してる!無駄ないさかいを避けるためだ!」
「……それについては信じてあげる。なら知っている事を教えて」
「そいつらは規模は俺達と同じくらいで、あんたに比べれば雑魚みたいなもんだ!あんたたちは大体、宿と露店市場かギルドを行き来している!そこを狙うはずだ!」
大声でまくしたてるリーダー格の男の話に嘘はないように思えた。
男の言う通り、露店市場からの帰り道にこうして襲撃されていた。二人の予定を思い返したトーアは、リーダー格の男から手を離して立ち上がる。
宿とギルドに最も近い路地の方向を向いたトーアは、その方向に向かって駆け出す。近くの木箱や壁を蹴り、屋根に上ると一直線に移動を始めた。
トーアが屋根へと姿を消す姿を恐怖と共に見送った男達は、止めていた息を長々と吐きだした。
場の空気は元に戻り、リーダー格の男も冷や汗でびっしょりになりながらも首をさすりながら身体を起こして座り込んだ。
「兄貴、大丈夫ですか?」
「はぁー……なんだアレは!?くそっ!……体は大丈夫だ、正直、死んだと思ったぞ……」
リーダー格の男は顔を流れる冷や汗をぬぐい、身体が小さくなるほど息を吐いた。
「しっかし……あっちもなんで今日にするかね」
ぼやきながらも立ち上がった男は辺りを見渡し、誰も死んでいない事を確認する。
先ほどのトーアの変わり様を考えれば、初めからその気はなかったことは察せられた。
「あっちは無事には済まなそうだな……。おい、アレが戻ってくる前にずらかるぞ。もう二度とあんなことはごめんだ……その用心棒サマもつれてってやれ」
いまだ意識が戻らず倒れたままになっている用心棒の男に視線を向けつつ、周囲に指示をだす。
トーアの威圧から立ち直った周囲の男達は倒れ込んだ者を助け、用心棒の男と共に路地から足早に去って行った。