第四章 妨害工作 4
ディルとアンに剣と短剣を納品した翌日、トーアは上機嫌で露店市場に来ていた。大口の注文を納品して、金銭的にも気持ち的にも充実し、次の注文への意欲も十分だった。だが露店市場の大通りを歩いているといつもとは様子が違うことに気がついた。
どこからともなく視線を感じ、歩調は緩めずに目だけを向ける。
視線の元を探しながら、向けられた視線をトーアは不思議に思っていた。視線には殺気といった殺伐としたものはなく、観察、品定めされているように感じたからだった。
すぐに視線の元は見つかる。
大店が出店している店で二人の男性が開店準備をしていた。片方は通る時に見かける見習いらしき若い商人、もう一人は中年の男性だった。
中年の男性は明らかにベテランの風情があり、トーアへちらちらと視線向けながら若い商人とぼそぼそと話をしていた。
若い商人がこの露店市場で店を出すのは、所属する商店から露店市場で客との実際のやり取りを経験させるためというのは察することができた。
だがベテラン商人が露店市場に来る理由は、トーアに向けられる視線で理解する。
視線に含まれるとおりトーアの『品定め』に来ているのだ。
同じような視線がいくつもの店から向けられており、トーアは首筋を撫でる。
――実害がないからまだいいけど……何か起こりそうだなぁ。
実演販売を発端にアンやディルといった大口の客を呼び寄せることができたが、面倒なことも引き寄せているかもしれなかった。
いまのところ実害がある訳ではないため、気にしない事にしたトーアは視線を無視して商人ギルドの出張所へと向かっていった。
出張所で働くのは商人として駆け出しとも言えない見習いの人たちで、冒険者のGランククエストに相当する賃金を受け取っている。
自力で商品を売り買いして稼ぐが出来ず、所属する商店も決まっていない者が、商売の空気に触れながら日銭を稼ぐことができる場所だった。
「おはようございます」
今日の出張所の窓口に座るのは、露店市場を利用している中で何度か顔を合わせたことのある男性だった。
いつも通り露店を借りようとしたところ、男性はどこかばつが悪そうに顔をゆがめていた。いつもとは違う態度にトーアは不思議に感じる。
「おはようございます、リトアリスさん。申し訳ないのですが……お貸しできるのはこの区画です」
「……ここ、ですか?」
机に広げられた露店市場の見取り図を指さした男性に、思わずトーアは聞き返した。
男性が指さした場所は、排水溝を使って通りを形成する露店市場の都合上、必ず生まれてしまう『袋小路』だった。
本来であればほぼすべての露店が埋まってから使われるような場所で、朝から貸し出されるはずがない場所である。
「どうしても?」
「……どうしてもです」
気遣うような視線と僅かに顔をしかめながら男性は告げる。
トーアにこの場所しか貸せないこの状況をどう思っているのか、あっさりと伝わってしまう表情に商人として将来が少しだけ心配になる。
おそらく他の露店市場に行っても同様の事が起こりかねないため、トーアは真っ向から受けて立つことを決めた。
「そこで構いません」
「い、いいんですか?」
露店市場へ出店するための代金を机に置いたトーアに男性は驚いた顔をする。
頷いたトーアに、男性は驚きから抜け出すと表情はそのままにいつものように貸し出し用のカードを差し出した。
カードを受け取り礼を言って出張所を後にする。男性は驚いた顔のまま、トーアを見送っていた。
割り当てられた区画へ向かうため、トーアは大きな通りから小さい通りに入り奥へと進んでいく。朝の早い時間とは言え、辺りの露店はどこも割り振られておらず閑散としていた。
迷うことなく借りた露店にたどり着いたトーアは、妨害の手の込みように小さくため息をついた。
袋小路を正面に見て右手側、袋小路をのぞき込んだとしてもトーアの露店があることはわかりにくい位置だった。
結局ここまでだれともすれ違うことはなく到着してしまい、人気のなさというものをしみじみと感じてしまう。
出張所の男性にそこで構いませんと啖呵を切った手前、すぐに戻るのもためらわれた。思わずもう一度ため息をついたトーアは、とりあえずと開店の準備を始めた。
のろのろと用意を進めたものの、すぐに準備が整う。
手持無沙汰なトーアは、椅子に座って膝に肘をつき、この嫌がらせがどこから来たものかを考え始める。
だが、ギルドや出張所に圧力をかけれるだけの権力か財力を持ち、トーアを妨害しようと思うような相手をすぐに思いつくことができなかった。
そして、今回の一件は、以前の営業妨害と意図が違う気がしていた。
出店位置を変えるのは営業妨害ではあるものの、どちらかというとトーアを露店市場から排除したいという思惑があるように感じていた。
「うーん……妨害と排除……何を目的としてるのか、わかんなくなってきた……」
もとよりどういった商店があるのか、他の職人も同じようなことが起こるのか、情報を集めるだけの伝手がなかった。
単独行動の弊害を感じつつ、らちが明かない事を結論付けたトーアは、いまは様子を見る事に決めた。
陽がそれなりに高く上り、露店市場に活気が満ち、ざわめきが遠くから聞こえ始める。
トーアは露店で軽く頭を抱えていた。
人一人通りかかる事のない袋小路という立地は、営業妨害という点であまりにも効果的だった。
――まさかここまで人が来ないなんて。想像以上に効果的だ……。
海千山千の商人がうごめくであろうラズログリーンで、出る杭となったトーアを適切に打ちつけている。
妨害行動に慣れたものを感じ、一度目や二度目の事ではないとトーアは思う。ラズログリーンの支援制度はこうして潰されそうになる商人や職人を掬い上げるという側面もあるのかもしれない。
だが、最初にその支援制度を聞いたとき、為政者としてなかなか面白い事をするとも思った。
為政者としてと思ったのは、自身が治める街に腕の良い、将来性のある職人を囲うために店を持たせるのを目的としていると思ったからだった。
腕の良い職人が店を持てば、それを目的とした冒険者がさらに集まり、弟子をとるようになれば未来の職人も集まる。
結果、街がより発展する。
「でもどうやって頼ればいいやら」
支援制度は申し込むといった方法で支援を依頼するわけではない。いきなり支援が迷宮伯から通達されるというもの。
もっとリトアリス・フェリトールという看板を目立たせれば、そういった話もやってくるかもしれないが、この状況では手詰まりだった。
――ちょっと打たれた程度では埋もれないくらい、リトアリス・フェリトールと言う看板を掲げればいいのだけど……。
眉間に皺を作りながら考え込み、落ち着くべきところに結論が落ち着いたと思ったが、対策を思いつかずそのまま眉をゆがませため息をついた。
「あー……本当、どうしようかな……」
やけくそ気味にぼやき、再びため息を漏らした。
結局、その日は市場が閉まるまで営業していたものの、誰一人通りかかる事がなく一日が終わってしまった。
肩を落として露店市場を後にしたトーアは、白兎の宿へ戻るため路地へと入って行く。
周囲の地形は把握したため、大回りになる大通りは通らずに最短距離の路地を使い移動していた。
路地と言ってもホームドアを使うための木箱があるほど薄暗い場所ではなく、それなりの人の往来があり、子供たちが遊んでいる程度には安全で、表通りに近い場所だった。
「…………」
僅かな違和感にトーアは足を止める。
今後のことを考えながら歩いてきたが、いつもならばあるはずの人の往来が全くないことに気が付いたからだった。
小さく息を整え、トーアは気配を探る範囲を周囲から可能な限り広げる。
周囲の家屋に人の気配はある。息を殺して隠れているようで、夕食時というのに音をたてないようにさえしているようだった。
そして、トーアの通る道には扇状に気配があった。後ろにも同じように広がって道を塞がれている。
――狙いは私だろうけど……あ、いや……もしかして。
あることに気が付いたトーアだったが、今はこの状況を打開するため、リュックサックを下ろす。
リュックサックの中に手を入れチェストゲートから、取り出したのは一見してただの棒だった。
トーアがクエスト探索中に見つけた、程よい太さと長さ、曲がりくねっておらず不要な枝も節もついていない『いい感じの木の棒』である。
軽く振って調子を確かめる。手に馴染む長さと重みに子供に戻ったような気分にさせる。
「さて、とりあえずは……この場を切り抜けないとね」
リュックサックを背負いなおし、襲撃されやすいように路地でも広いところへ移動を始めた。
トーアの移動に合わせて周囲の包囲も次第に狭まり、トーアが目的地とした広い路地で迎え撃つように人が集まり始める。
目的地である路地に入り、歩いていくと男達が手にこん棒まがいの木の棒をもって立ちふさがっていた。他の小道にも男が立ち、道を塞いでいる。
ある程度の距離でトーアは足を止め、手にしていた棒を下げた。
「何の用?」
だらりと無造作に木の棒を構えたトーアに男達は一歩距離を詰める。
トーアが歩いてきた方向からも男達が現れ、トーアを完全に囲い込んでいく。
怯えをみせないトーアに男達は若干、驚いているようだったが正面に立つ男の一人が鼻を鳴らして口を開いた。
「リトアリス・フェリトールだな」
冗談で否定しようかと思ったが、ふざけている場合ではないかと思いなおしトーアは頷いた。
「ラズログリーンから出ていけ。従わない場合は恨みはないが、店を続けられない程度に痛い目に合ってもらう」
姿を見せている男達は手にしている木の棒を構える。
男の要求は道すがら考えていた襲撃の理由と同じで、思わずトーアは鼻で笑った。
「あなたたちに恨みはないのはわかったけど、こうして脅される理由も思いつかないんだけど」
薄っすらと笑みを浮かべただけのトーアに凄味を感じ、男達は若干ざわめく。
人を脅すことになれた男達はトーアの態度に、互いに目くばせをし声をあげる男の後ろに立つ別の男に目線で指示を乞う。
――リーダーはあいつか。
気が付いた事に確証を得るため、理由と依頼主を聞きだすつもりだったトーアは、周囲に視線を巡らせ戦い方を組み立て始める。
「……誰に頼まれたか正直に話してくれれば、私たちは出会わなかったで済むけど、どう?」
「へっ……たかが駆け出し冒険者一人、これだけいれば十分だ!お前ら、やっちまえ!」
トーアの提案を鼻で笑って蹴った男は、周囲の男達をけしかける。男達は声を上げてトーアに殺到するが、すぐにトーアは横へ半歩跳んだ。
「なっ……!?」
目の前の男と話している間に背後から徐々に距離を詰め、声を出さずにトーアへ木の棒を振り下ろした男が驚きの声をあげる。
初めからこの不意打ちに気が付いていたトーアは、避けた先に居た男からの攻撃を手にした棒でいなし、奇襲に失敗し体勢を崩した男に受け流す。
「がぁっ!?」
「あっ!?」
味方を打ちつけてしまった事に動揺して男は動きを止める。そこを腕を鞭のようにしならせ、手にした木の棒を振り抜いた。
破裂音があたりに響き、男が宙を飛んだ。近くの木箱の山へ落ち、大きな音を立てて木箱が壊れる。だがそれでも、吹き飛ばされた男は生きていた。
腹部や背中を襲う激痛に、僅かに身じろぎするだけで起き上がることはできなかったが、生きていた。
――非殺傷の武器としてはなかなかなんじゃない?
再び軽く振って調子を確かめた。
棒の風切り音が、剣を振ったときと同じような鋭さを響かせる。
トーアがこのような状況で取り出した木の棒がただの木の棒であるはずもなく、いま出来る『頑丈さ』を高める加工をただひたすら施したただの木の棒だった。
もともとフィオンやゲイルとの模擬戦で使う木剣の強度を高めるため、試験的に強度を高める加工を複数の木の棒に施していた。
幾つかの試験と加工をしていくうちに『今できる加工ではどこまで強度があがるのか』から、『木の棒という限られた条件でどこまで強度を上げることができるのか』という目的にいつの間にかすり替わっていた。
その結果、出来上がったのがこの木の棒である。
【刻印】、【付与】、【木工】、【魔女術】、【錬金術】、【薬術】、といった、複数のアビリティによって施された強度強化の加工は、現状できる全ての加工と新たに生まれたアイディアを元に作成されていた。
この木の棒を知ったギルは「頑丈さという点においては【神話級】と言っても過言ではないかな。トーアの高い技術と『気狂いかしまし』の悪ふざけが詰まった冗談みたいな一品だよ。まぁ『木の棒+99』と言ったらいいかな、これは」と呆れを多分にふくんだコメントをしていた。
そのコメントを正座で聞いたトーアは、ちょっとだけギルに叱られて、本来の目的に軌道修正させられていた。
トーアとしてはまだまだ改良の余地はあり、本音は+50くらいの完成度だが、それを口にすると説教が延びるので口をつぐんでいる。
ただ折れない木の棒と化した『木の棒+99』だが、殺傷力は先ほどの通り全くないと言っても過言ではない。
トーアの力で振り抜かれても、大人の男が宙を舞い、とっても痛いだけで済むので比較的安全ではあった。それを被る男達にとっては脅威以外の何のものでもなかった。
あっさりと奇襲を見破られ、足を止めた男達を威嚇するように軽く木の棒を振ったトーアは笑みを見せる。
少しだけ鬱憤を晴らすという考えもあった。
「さぁ、つぎは誰?」
トーアはリーダーと思われる男に向かって一歩踏み出す。男達は完全に威勢を削がれ、腰が引けていた。
「お前らっ何をしてやがるっ!いけ!いけっ!」
話をしていた男ではなく、リーダーと思われる男が声を張り上げる。
辺りの男達は覚悟を決めたのか、怒声と共に再びトーアに迫った。