第四章 妨害工作 2
少しもしないうちにトーアは、いつまで匿うかを決めていない事に気が付いた。
男からもその話が切り出されていないところを見ると、確信犯的に言っていない可能性もあった。
面倒くささに深く考える事をやめていたことを反省しつつ、充分な時間匿っただろうと男に声をかけようとする。
その時、きらりと太陽の光を反射する物が視界の端に映った。
また目があって面倒事にならないよう、トーアは少しだけ警戒しながら視線だけを向ける。
光を反射したのは、通りにやってきた女性が身に着けた金属の軽鎧だった。走って来たのか僅かに肩を揺らしている。
女性は息を整えながらゆっくりと視線をあたりに向けており、周りに悟られないように誰かを探しているようだった。
その様子にトーアは隠れている男に視線を向ける。
隠れたままの男も通りに駆け込んできた女性を見て、小さく頷いた。探されている相手はどうやらあの女性らしい。
――どう見ても厄介事に巻き込まれたのは私なんだけど。
何をして女性から逃げ出しているかはわからなかったが、トーアの脳裏には様々な言葉が――痴情の縺れ、借金、食い逃げなど――巡り、眉間に僅かに皺ができた。
トーアの非難めいた視線に男は、僅かに笑みを浮かべて肩をすくめ気にしていなかった。
呆れながらため息をついていると、女性は辺りを見渡しながら通りを進み、トーアの店の前で足を止めた。
「これは……」
トーアの並べる見本武器に顔を近づけて、じっと見つめる。
男に気が付いた訳ではないとわかったトーアは立ち上がった。男は渋い顔をしていたが、店にやってきた客に声をかけない訳にはいかなかった。
「いらっしゃいませ。手に取ってみますか?」
トーアに気が付いた女性は、はっとして身体を起こす。声をかけてきたのがトーアだったことに少し驚いた様子だったが手を左右に振った。
「いや、まだ仕事中なので……ところで人を探しているのだが」
机の下に隠れた男の特徴を説明する女性に、トーアは少し考えた振りをし、さっき歩いて行ったと思うと告げる。
女性はじっとトーアを見ていたが、嘘は言っていないと判断したのか一度頷いた。
「そうか、やはりこちらに来られていたか……」
「何かあったんですか?」
「いや、大したことではないので気にしないでほしい。ところで、これらはあなたが作ったのか?」
男について追及されたくないのか、あっさりと女性は話題を変える。トーアにとってもこれ以上追及されても困るので素直に頷いた。
「あなたはまさか……リトアリス・フェリトール?」
「ええ、そうですが……」
何か?とトーアが首をかしげると、実演販売の噂を聞いたと女性は言った。噂の広がる速さに若干戸惑いながら、トーアはその話は本当であると頷きながら困ったように笑う。
「噂通り、いや、噂以上の腕前……仕事中でなければもう少し見ていきたいが……まったく、あの人は……」
小さくぼやいたあと、女性はため息をついた。すぐにまた後日と言って女性は去って行き、トーアは女性を見送った。
女性が去り、戻ってこない事を確信したのか、男は作業机の下から顔を出す。
「ふー……ありがとうよ、リトアリスさん」
「あー……別に。気にしてない」
女性との会話からトーアの正体を知ったのか、礼とともに作業机の下から出てくる。
そのまま見本武器の並ぶ棚の前に立ち、口に手を当て思案する様子で武器を眺めていた。
「確かにあいつの言う通り、いい腕みたいだな……」
見本剣を吟味しているのか、トーアに手に取っていいかと尋ねてくる。
非難のため息をつきつつ、トーアは見本剣を棚から外して男に差し出した。
「あいつは俺の護衛みたいなもんなんだが……息抜きまでついてこられちゃ、息抜きにならないだろ?」
「いや、護衛を撒いちゃダメでしょ」
男の言い様にトーアは呆れた視線を向ける。
顔には出さなかったが、男が護衛をつけられるような立場にある人物であるとは思っていなかった。護衛がいなくとも問題がない力量はありそうだったが。
「うーん……こいつはいいな」
「それはどうも。ところで流れている噂ってどんなものなの?」
男は見本武器を手にしたまま確かめるように眺めつつ、その噂について話し始める。
いわく、エレハーレでの二つの騒動はラズログリーンにおおむね正しく伝わっていた。その渦中の人物であるリトアリス・フェリトールが、ラズログリーンの露店市場で店を開いている事や、いやがらせをあっさりと蹴散らしたというのも広まっているようだった。
「よし、一振り注文してもいいか?」
「え?あ、ありがとうございます」
果物を買うかのような気軽さで購入を決めた事に、トーアは驚いて反応が遅れた。
そのまま男の注文を確認するため、パーフェクトノートを取り出す。
「うーん……リトアリスの剣は癖がなくってな。変に注文をつけてもこれを生かせないし……そうだなぁ……」
結局、男がつけた注文は柄の長さと太さを握りやすいように変えただけだった。
曰く、トーアの剣の『癖のない』という個性を生かすにはその程度の注文しかできないと男は言った。
明らかに武器を買い慣れた風情の男の正体がわからなくなりつつ、変に尋ねて蛇が出てきても困ると気にしない事にする。
引き換え用の札を取り出し、男に名前を尋ねた。
「ディルでいい」
本名という訳ではないが、偽名でもなさそうな気安い感じで名を名乗る。
パーフェクトノートにメモを取り、トーアは引き換え用の木札を差し出した。
笑みを浮かべて木札を受け取ったディル。その背後に先ほどの女性が立ったことに気が付いたトーアは、顔を引きつらせながら身体を少しだけ引いた。
「息抜きは終わりましたか?」
地の底を這うような低い声にディルは、さびついた機械のごとくぎこちなく首を後ろに向けた。
「お、おお。俺に気が付く前に後ろに立つとはやるようになったなぁ……」
若干顔を引きつらせつつ愛想笑いを浮かべるディルだったが、ぎらりと女性はディルを睨みつける。
「ああ、そうだな!そろそろ戻らないとな!」
「ええ、そうですとも。さっさと戻りましょう」
誤魔化せなかったことを悟ったディルは引きつった顔のまま、怖い笑みを浮かべた女性とともにそのまま去って行く。
「あ、ありがとうございましたー」
その様子にかろうじて言葉をかけたトーア。嵐が去ったことで椅子に座り直し一息ついた。
そして、今までとは違う客層が訪れた事で、実演販売の効果が確実に出ている事を感じていた。
トーアの店を後にした男、ディルはため息をついて項垂れながら仕事場へと向かって歩いていた。
そばには逃げ出さないようにと、にらみを利かせた護衛の女性がしっかりとついている。
「まったく……この頃、座ってばっかりで身体が鈍っちまう……」
「そんな事言わないでください。机での仕事も立派なお仕事なのですから」
もう一度ため息をついたディルは気を取り直して、ポケットに入れていた木札を取り出した。
二色の木板を組み合わせ、彫り出された見た目は十分に工芸品としての価値がある。丁寧に磨かれた表面は、指ざわりがよくとても滑らかだった。
ふとディルは笑みを浮かべる。木札に触れながらトーアに注文した剣の完成を想像してのことだった。
まだまだ仕事は山のように残っているが、腕のいい鍛冶師に出会えた幸運は、息抜きとしては充分なものだった。
「リトアリスさんのところで剣を注文されてましたね」
「ああ。あそこまでとは思ってなくてな。つい注文しちまった」
笑みを深めたディルは大切そうに木札をポケットに戻し、ズボンの上から何度か軽く叩く。
その様子に護衛の女性であるイリナは恨めしそうな視線を向ける。
「私は仕事中ということで、我慢したのですが」
「……次の休みに行けばいいだろ」
「それはそうなのですが」
トーアの店は常時開店しているわけではない。冒険者としてクエストを受け、街の外に出ている場合がある。
店や窓口を持っていないため伝言を残すなども難しかった。
白兎の宿に宿泊しているという情報もあったが、面倒なことがあったのか、伝言を受け取らない姿勢をとっている。
「店はもつつもりなんだよな?」
「はい、噂ではそのつもりのようです。ですが……」
冒険者だけではなく職人も集まる街、ラズログリーン。
街へ来た職人が店を持ちたいと言うのは、ほぼ共通の野望ではあった。だがやはりそれは豪儀な話でもある。
腕がなければ開業にこぎつけることなく街を去り、なまじ腕があったとしても同業者に潰される。
冒険者と同等、もしくはそれ以上に動きの激しい業界であった。
「だがあいつは、それを口にしていいだけの腕もある。それに同業者に潰されるようなタマでもなさそうだしな」
エレハーレで行われた試剣術の話はラズログリーンにまで届いていた。
成熟したブラウンボアと仕込まれた短剣を切断したギルの腕前――それでランクFというのは冗談だろとディルは笑う――もさることながら、それに耐えうる剣を打ち上げたトーアの腕前も称賛してしかるべきであり、在野にそのままにしておくには惜しい人材でもあった。
その噂が引き寄せた営業妨害は、あっさり撃退。むしろそれを利用して自身の名を広める行為としたトーアの肝の太さにディルは舌を巻いていた。
「そういや、母ちゃんが新しい短剣が欲しいって言ってたな。リトアリスのところで注文すっかな……」
「大奥様でしたら、ご紹介するにとどめたほうがいいかと。ご自分で選びたいとおっしゃると思いますし」
「それもそうだな」
母の顔を思い浮かべたディルは、今回の依頼の結果次第で母にトーアの店を紹介することを決める。
「正直、うらやましいです。噂のリトアリスさんの剣を手にすることができるなんて……」
「あー……まぁ、タイミングがいいのか悪いのか」
僅かに肩を落としたイリナの腰にある細剣を見て、ディルはぼりぼりと頭をかく。イリナが使う細剣は本来のものではなく、予備の一つであった。
本来の代物はちょっとした事件で破損しており、修復も難しい事から注文する職人を選んでいる状況だった。
灰鋭石の硬剣を加工できるトーアならば、イリナの求める細剣も加工できるかもしれなかった。
「とりあえず、これの出来栄え次第で注文すればいいんじゃないか?」
「いいのですか?」
ぽんぽんとズボンの上からポケットの木札を叩く。イリナは僅かに首をかしげた。
「いつまでも予備じゃ問題があるし、リトアリスの腕前が本当ならアレも作れるだろ。それも極上のをな」
「お願いします」
雇っている手前、イリナの装備を整えるのもディルの仕事であった。
ぱぁっと表情を輝かせたイリナにディルは笑みを浮かべるが、すぐに顔を曇らせる。
「……いけね。物置整理しないと母ちゃんに作った剣、取り上げられる」
「そういえば、そのような約束をしていましたね」
買い込んでしまった武具が物置から溢れており、整理するまで武具を購入する事を止められていた。
そのことを思い出したディルはやや足を速める。
「さっさと仕事を終わらせるか。それで物置の整理だな」
「いつもそれくらいやる気を見せていただけると嬉しいのですが」
遅れずについてくるイリナの小言を聞き流しつつ、ディルは足早に仕事場への帰路を急いだ。