第四章 妨害工作 1
露店市場の実演販売から数日後、トーアの露店には客が増え始めていた。
実演販売によって、トーアが店を開いているという噂が本当だということが広まったようだった。
客も増え、依頼も増えたが、ほとんどが予備の武器である短剣や、主婦が家で日常的に使う包丁の研ぎばかりだった。
腕前を試されているということを承知の上で依頼を受け、しっかりと依頼をこなしていく。信頼を得るためには地道で、実直な仕事を続ける必要があることをトーアは理解していた。
そのおかげなのか、もともとその気であったのかはわからないが、露店の前で足を止めて見本武器をじっと見つめる冒険者らしき人が増えてきていた。
次第に増えている来客に、見本剣と同じ形状のものをいくつか作成していた。いわばトーアの店の既製品である。
着々と増え続けている剣の本数を思い出し、トーアはこっそりと笑う。
――ふふふ……売れればいいし、売れなかったらチェストゲートの肥し……はちょっとどうかと思うから……餌かな。
結局のところ、トーアはCWOとあまり変わらない生活を始めつつあった。
その日もトーアは、朝から露店市場に来ていた。店の用意を整え終わると小さな木の椅子に座る。
朝日が街を照らし、市場に人通りが増えていく。食材の買い出しを行う住人や、休暇をすごす冒険者など、市場に訪れるのは様々な人種、職業の人々だった。
トーアの露店にも包丁を持ち込むラズログリーンの住人や、様々な形状の武器の砥ぎの依頼や、見本武器を熱心に見詰める様々な種族の冒険者がやってくる。
中には自身が使っている武器を見せ、取り扱っているか、作成が可能かを確認してくる冒険者も次第に増えてきていた。
そういった質問にトーアは丁寧に答え、人の波が落ち着けば研ぎの依頼を進めていく。
お昼になると通りの人通りは落ち着き、露店市場内に出店している露店からいい匂いが漂ってくる。
店の前に誰もいなくなったのを見計らい、リュックサックから殺菌効果のある葉に包んだおにぎりを取り出した。
ソフトボールくらいの大きな代物で食べ応え抜群、一つで満腹の一品。具のコッコ肉は皮はパリパリに焼かれ、ぷるりとした肉からは肉汁があふれ出す。そして、ラコメの甘さと絶妙な塩加減が合わさり、最高の一品に仕上がっている。
見本武器の棚に隠れつつ大きな口を開けて頬張った。口に広がるおいしさに悶絶し、口から幸福がじわりじわりと広がっていくのを感じる。
「うんまい」
おにぎりを堪能しながら口を動かしていると露店の前で立ち止まる気配があった。
口の中のおにぎりを慌てて飲みこんでいると、立ち止まった人物からいいかしらと声がかかる。
「はい、おまたせしました」
なんとかおにぎりを飲みこんだトーアが顔を出すと、店の前に立っていたのは品の良い婦人だった。
濃いめの茶髪に少しだけ白髪が混じり、目元や口元には皺が刻まれ始めていた。だが綺麗な立ち姿と品の良い雰囲気は若々しさを感じさせた。
「お昼中なのに、ごめんなさいね」
「あ、いえ、大丈夫です」
申し訳なさそうに品よく微笑む姿にトーアは思わず見惚れる。
首を横に振りながら立ち上がったトーアは、夫人が身に着けているものがとても質の高い物だと気が付く。デザインは露店市場や街に合うように華美さは全くないが、使われている素材、加工した職人の腕前がそれとなく伝わる代物だった。
上客のように思えるが、トーアが扱う商品や露店市場の雑多な雰囲気とは縁遠い存在に感じた。不思議に思いながらもトーアは要件を尋ねる。
「ええ、立派な造りのものだったから手に取ってみたくて」
「ありがとうございます。何をご覧になりますか?」
女性の言葉に驚きを隠しつつ、トーアは見本武器の並ぶ棚に視線を移す。夫人は少し迷った様子を見せたが、すぐに短剣を指さした。
並んでいるのは護身用というには荒い扱いにも耐えうるごつい造りの短剣だったが、トーアは何も言わずに棚から外して鞘を夫人に向けて差し出す。
「ありがとう。見本とは言え、いい出来栄えね」
短剣を受け取った婦人の手際は非常に慣れたもので、握り心地を確かめながら刀身や鍔、柄の造りをじっと見つめていた。
あまりに手慣れた様子に驚きつつも、どういう素性の人物なのかトーアは考えていた。
ふと、このラズログリーン特有の富裕層が存在することに気が付く。いわゆる『成した者』。冒険者として成功しつつ、身持ちを崩さず、命を落とさずに引退すれば、このように武器の扱いに慣れつつも高価であろう物を身に着けることが難しくない事のように思えた。
一人納得しつつ夫人の反応を伺っていると、少し不満げな雰囲気だった。
夫人の反応にトーアはすぐにリュックサックに手を入れて、チェストゲートを発動する。別の短剣の見本を取り出して、納めていた鞘ごと柄を向けて夫人に差し出す。
「短剣であれば、こういったものもございます」
「……あら、いいわね」
二本目の短剣はトーアが愛用している刃が厚く幅の広いものとは真逆で、刃幅は細く柄も手で包み込める程度の短く、代わりに鍔は長く手を守る形状をしていた。スティレット、マン・ゴーシュといった攻撃をいなしたり、鎧の隙間から急所を突き刺す目的としたものである。
トーアが作ったものは突き刺すだけではなく、切る事も出来るように刀身が作られている。盾の代わりとして、予備の武器として、隠し持ち護身用としてなど、様々な場面で使える実用的な一品に仕上がっている。
短剣を受け取り、調子を確かめていた夫人は満足げに頷いた。
「決めたわ、これをくださいな。注文はできるのかしら?」
「あ、大丈夫です。どのようにしますか?」
夫人があっさりと購入する事を決めた面喰いながらトーアは、パーフェクトノートを取り出し夫人の注文を確認していく。
「まずは刀身の長さ、重心はこのままでいいわ。鍔はもう少し厚くして長さも少し足してもらおうかしら。柄は私の手に合わせてもう少し小さめにして頂戴」
短剣を握り様々な角度で見ながら、よどみなく次々と注文を口にしていく婦人。自身の戦い方、必要な武器を理解した者の口調だった。
時折、注文を確認して夫人の意図とトーアのイメージを擦り合わせていく。最終的な形状をパーフェクトノートに書きだし、問題がない事を確認する。
リュックサックの中に入れていた引き換え券代わりの木札を取り出す。
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「ああ、そうね……アン、よ」
「アンさんですね。二、三日ほどで完成しますので、またご来店の際にこちらの木札をお持ちください」
パーフェクトノートの注文リストに木札の番号と名前を書き込む。明らかに偽名だがトーアは気にしなかった。質の良い布地をわざと市民が着る様なデザインにしていることから、お忍びで市井に居るであろうことは察していた。
トーアが差し出した木札を受け取ったアンは、木札に彫り込まれた花の意匠を指で撫でる。
「これもリトアリスさんが?」
「ええ、そうですが……」
自己紹介した覚えがないトーアは小さく首をかしげる。トーアの様子にアンは上品に笑みをこぼす。
「リトアリスさんのことはお友達から聞いたの、市場で面白い実演販売をした子がいるって。でもあれは家業妨害ではないのかしら?」
「おそらくはそうなのだと思います。恨まれるようなことした記憶はないんですが……ちょうど注目も集めましたし、うまく利用させていただきました」
いたずらっぽくトーアが笑うと、アンはからからと笑った。
「ふふふ、なかなか抜け目のない商売人ね」
「ありがとうございます」
木札と同じ加工を施したアクセサリーも売り込むと、アンは迷った様子だったが今回は短剣だけの注文となった。
「じゃぁ出来上がったころにね」
「はい、お待ちしております」
トーアが軽く頭を下げるとアンは笑顔で小さく手を振り去って行く。背筋を伸ばし歩いていく姿は清楚でありながら、しっかりと鍛えたものに見えた。
――ああいう客層もいるってことか……。
いまいち想像することができなかったラズログリーン特有ともいえる客層。トーアは今後、どういった客層に向けて商品を展開していこうか考え始める。
CWOでは常に需要がある武具やポーション類を販売していれは、ある程度は稼ぐことができた。
だが現実となった今、需要と供給を見極めしっかりと商品を売り出していかなければいけなかった。しかし、トーアはあっさりと決める。
――駆け出しからベテラン、全部。夢、野望……なんでもいいからそういうものに向かって歩く人、走る人が手にするものを作っていけばいい。
青臭い理想論かもしれないが、結局トーアの根底にあるものが指針となる。
大陸の冒険者が集まるというラズログリーンであれば、そういった客層には困らないというのもあった。
それにはまず、露店販売でしっかり稼いで名を売らなければなかった。
「よし、頑張っていきますか」
気合を入れなおしたトーアは、新たにやって来た客に声をかけた。
しばらくして研ぎの依頼も全て終わらせ、店の前に客もいなくなり手持無沙汰になる。
すぐにやるべきことが無くなったトーアは、アンから依頼を受けた短剣のデザインを煮詰めることにした。
パーフェクトノートを開き、デザイン画に集中していると近くから怒声が聞こえ、思わず声がしたほうへ顔を向ける。
他の露店の店主たちも何事かと、顔を見合わせながら視線を向けていた。
どうやら少し離れた露店の前に立った男が声を上げたようだった。今も店主に向かって声を荒げており、店主も大きな声で言い返していた。
様子を伺う店主たちは顔を見合わせており、これ以上の騒ぎになるなら衛兵や商店組合の人間を呼ぶか判断に迷っているようだった。
「わーかったよ!もう頼まねぇよ!」
声を荒げていた男がそう言って露店から離れる。
その様子にこれ以上は何事もなく収まりそうだと様子を伺っていた店主たちに安堵が広がった。
同じように様子を伺っていたトーアも、これ以上は何事も起こらないだろうと視線を戻そうとした。だが声を荒げていた男が視線の先にたまたまトーアがいた。
ばちりと視線があい、嫌な予感を覚えながら何気ない感じを装いつつ視線を外した。しかし、視界の端の男が足早へトーアの露店へと向かってきていた。
「いらっしゃいませ」
トーアの店の前で足を止めた男に、ため息をつかないように努めながら顔を向ける。
「ちょっとだけでいいんだが、匿ってくれないか?こいつの後ろに隠れるだけでいい!」
男は見本台を指さしながらまくしたてる。
先ほど言い争いになっていた理由がわかり、トーアはあきれながら小さくため息をつく。訝し気に男を見て疑問を覚えた。
想像していたよりも男の身形は整えられていた。髪は短く綺麗に切りそろえられており、髭も生えてはいるが整えられている。着ている服も質が良いものを嫌味にならない程度に着崩していた。
逃げ回らなければいけない事情がある人間には見えなかった。そのことに気が付いてみれば男の雰囲気もそこまで鬼気迫るものではなく、『別に断られてもいい』という余裕を感じさせた。
「何から逃げたいのかは知らないけど、やましい事がないなら商店組合のほうへ行った方がいいんじゃないの?」
「ああ、いや、やましい事はない訳じゃないが、そこまで大事にする必要はないんだ」
非難めいた視線を向けると、男は軽薄な笑いを浮かべながら手を左右に振った。
断っても断らなくても面倒な事になるとわかったトーアは、ため息をつき男の提案を受ける事にした。
「わかった……そこ、貸してあげる。でもそれ以上は何も知らないし、私に迷惑をかけないで」
「おうおう、わかってるって。それじゃ、失礼して……」
男はヘラヘラと笑いながら露店の中へ入り、見本台の陰に置いた作業台の下へと身を隠した。
作業台が使えなくなったトーアは警戒しつつも、いつも使っている短剣を取り出して、状態を確認し始める。
――全く……面倒事になる前に帰って……え?
短剣を研ごうと思っていたトーアだったが、隠れた男の気配が周囲に溶け込むように消えた事に驚いて目だけを向ける。
男はまだ作業台の下に隠れていた。手入れの必要がなかった短剣をそっと鞘に戻しつつ、ゆっくりと息を吐いた。
その腕前に感嘆しながらも、どういう理由があって隠れているかまで想像できなかった。
結局、男が去るまで待つしかなくなったトーアは、仕方なく店の前を行く人々の人間観察を始めた。